【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

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WA 171 2005/12/30 07:39:42

投稿者: バルセロナより愛を込めて

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

これはモントリオール大学経済学教授ミシェル・チョスドウスキーの論文The Anglo-American War of Terror: An Overviewの和訳です。長い文章ですので、3~4回に分けて、1週間ほどかけて和訳して投稿します。

この論文は2005年12月14~17日に、マレーシアのクアラルンプールで行われたペルダナ世界平和フォーラム(the Perdana Global Peace Forum 2005)で発表されたもので、同年12月21日付でグローバル・リサーチ誌に掲載されました。

この中でチョスドウスキーはwar on terror(テロに対する戦争)に代えて、war of terror(テロの戦争)という表現を使っています。つまり英・米勢力が第2次大戦後から一貫してテロによる戦争、あるいは、テロを戦争と呼び換えた犯罪を行ってきたことを指します。現在そこにイスラエルが本格参加しようとしています。

原文中の“Anglo-American”という表現には、私の訳文では「英・米勢力(の)」「アングロ・アメリカ(の)」の2つの訳を使い分けています。この表現は単なる「英・米両国」ではなく、表向きの姿に関わらず昔から両国を根底の部分で結び付けるアングロ・サクソン支配階層を示唆します。ただチョスドウスキーは敢えて文章化していないのですが、そこには当然ユダヤ系資本が介在します。「言わずもがな」ということでしょう。

(参照)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/194.html

【全訳】米国はネオ・リベラリズムをどのようにイラクに移植してきたのか(ハーバート・ドセナ:CSCAweb)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/439.html

ウオール・ストリートに住む「ブッシュの神」(IAR-Noticias:マニュエル・フレイタス)

なお、「・・・・・・・」と《 》で囲まれた部分は、著者による他の資料の引用部分、【 】は私からの訳注です。(もし誤訳や訂正すべき箇所などを発見されましたら、ご遠慮なくご指摘願いたいと思います。)

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http://globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=CHO20051221&articleId=1576

『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』

ミシェル・チョスドウスキー著

2005年12月21日

the Perdana Global Peace Forum 2005で紹介された論文

Putra World Trade Centre, Kuala Lumpur, Malaysia,

14-17 December 2005

戦争と軍事化に関する討論は、国の主権についての幅広い論争を引き起こす。

マレーシアの首都で開かれたこの重要なイヴェントに参加できたことに、私は経済学者として格別の喜びを感じる。この国は、その歴史の中での極めて重大な時期、1997年のいわゆるアジア危機の高まりの中で、ワシントン合意と国際的な金融支配者に立ち向かう勇気に満ちた姿勢をとったのである。

マハティール・モハマド博士閣下の舵取りのもとで、リンジット【訳注:マレーシアの通貨単位】の崩落を防ぐために注意深く計画された財政措置がとられた。それが起こっていたら、タイやインドネシアや韓国で起こったと同様の、経済的な混乱、倒産と貧窮が続くところだったのだ。

これらの1997年の措置は主要なネオリベラルの政策に力強く対抗した。振り返ってみると、これは実に重大な決定だった。それはこの国の歴史に語り継がれるだろう。それは、「経済・財政戦争」として端的に表現される事柄の理解にとっての基本を形作るものである。

今日我々は、戦争とマクロ経済操作は絡み合ったものである、と理解するに至っている。軍事化は経済戦争を支える。またその逆に、「経済改革」として婉曲的に語られるものが軍事化と地政学的な政策を支えるのである。

●序論

この世界は近代史の中で最も深刻な危機の十字路に立っている。第2次世界大戦以来最大級の軍事展開の中で、アメリカ合衆国と英国の不朽の同盟が軍事的冒険に乗り出してしまったようである。それは人類の未来を危機にさらすものだ。

その下に横たわる歴史的な背景を理解することは極めて重要である。この戦争計画はネオコンの計画による産物に限られるのではない。冷戦時代の出発点以来、「トルーマン・ドクトリン」からブッシュによる「対テロ戦争」に至るまで、そこには延々と続く糸、一貫した米国軍事ドクトリンが存在するのだ。

外交政策顧問のジョージ・F.コナンは、後に「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれるようになった国務省報告を1948年にまとめた。

この1948年の文書が伝えるものは、「封じ込め」から「先制攻撃」の戦争に至るまでの、米国外交政策の一貫性である。この観点からすれば、ブッシュ政権下でのネオコンの政策は第2次大戦後の外交政策大綱の絶頂として受け取るべきであろう。後者【訳注:「先制攻撃」を指す】は、世界の大部分の地域における米国が主導した一連の戦争と軍事侵略によって特徴付けられる。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガニスタンから、CIAに後押しされたラテンアメリカと東南アジアでの軍事クーデターに至るまで、その目的は米国の軍事的優位と世界的な経済支配を確保することであった。それが最初に形作られたのは冷戦開始時の「トルーマン・ドクトリン」の下においてである。

明らかな政治姿勢の相違にも関わらず、一連の民主党と共和党の政権は、ハリー・トルーマンからジョージ・W.ブッシュにいたるまで、この世界規模の軍事政策を実行してきたのだ。

さらに、ケナンの文章は英・米同盟(an Anglo-American alliance)の形成を指し示した。それは最近におけるワシントンとロンドンの間の密接な関係を特徴付けている。この同盟は、石油産業、防衛産業、および国際金融の甚大な経済利益に対応している。それは、多くの観点から、公式には第2次世界大戦の結果として解体されたことになっている大英帝国の、アングロ・アメリカ的拡大である。

トルーマン・ドクトリンは同様にこのアングロ・アメリカ軍事枢軸の中にカナダが含まれることを示唆している。もっと言うと、ケナンは米国と対抗しうる大陸欧州権力の発展を阻止することの重要性をも理解していた。

中国とインドを含むアジアを視野に入れて、ケナンは軍事的な解決を打ち出すことの重要性を指し示した。

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《直接的な軍事力という概念に関わらなければならないであろう時は近づいている。そのときには理想主義的なスローガンに邪魔されることが少なければ少ないほど、より良いことであろう。》

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●国連を弱体化させる

冷戦の開始からは、その目的はソヴィエト連邦の究極的な破壊に置かれるべきものであった。ワシントンは純然たる国際機関としての国連の弱体化を目指していた。それはブッシュ政権のもとで大幅に達成されてきた目的である。

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《米国において国連に対する世論の最初の盛り上がり方が極めて大きなものであったため、これは繰り返し主張されているとおりだが、我々がこの戦後の時代にこれ【訳注:国連を指す】を我々の政治方針の礎石とする以外に選択の余地が無い、ということは多分真実だろう。時としてそれは有益な目的に仕えてきた。しかし次第にそれは解決よりも問題のほうを多く作るようになっている。そして我々の外交的努力を相当に消耗させるものになってきている。そして、主要な政治目的にとって国連の多数派を利用しようとする我々の努力の中で、我々はいつの日か我々に立ち向かってくるかもしれない危険な武器をもてあそんでいるのだ。我々の側で極めて注意深い研究と見通しが必要とされる、そのような状況である。》(ケナン、1948年)

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●冷戦後

ユーゴスラビア、アフガニスタン、そしてイラクの戦争は同一の「軍事道程表」の各部分である。軍関係書類によって明らかなことだが、米国の戦争日程はイラン、シリアそして北朝鮮だけではなく、同時に以前の冷戦時の敵であるロシアと中国をも標的としている。

我々は介入の種々の形態よって特徴付けられた世界的な軍事計画にかかわりあっている。それには、国内の準軍人グループといわゆる武装解放勢力の支援を受ける隠密の軍事・諜報作戦が含まれている。これらの作戦は、国の社会体制の中で、社会的、民族的、政治的な分裂を作り出すことを目的として大掛かりに仕掛けられ、最終的には国々の全面的な破壊をもたらす。ユーゴスラヴィアで起こったように、である。

その一方で、米国が後ろ盾となる「民主化」日程が含むものは、国々の国内事情への介入である。しばしばその国の政府を不安定化させ全面的な「自由市場」改革を強制する目的を持っている。この見地からすれば、米国に後押しされた軍事クーデターに続くハイチへの不法な侵略は、それは同時にカナダとフランスに支援されたものだったが、ワシントンの世界的軍事計画で必須の一部分となっているのだ。

●戦争とグローバリゼイション

戦争とグローバリゼイションは密接に関係付けられた過程である。軍事・諜報作戦は新しい経済的な地平の開拓と国家経済の改革を支える。ウオール・ストリートの権力、石油巨大企業、そして米国・英国の防衛産業が、否定のしようもなくこの過程の背後に控えている。

最終的に、米国の「対テロ戦争」の目的は、主権を持った国々を、開かれた地域(言い換えると「自由貿易地域」)に変えることなのだ。致命的なマクロ経済改革を押し付けることと同時に「軍事的手段」を通して、である。このマクロ経済改革はIMFと世界銀行の保護の下に遂行されるもので、しばしば何百万人もの人々を赤貧に陥れながら、国家経済を切り崩し破壊する役に立つものである。その結果、戦争に引き続いて債務者と保証人たちによって押し付けられる、いわゆる「再建計画」が、対外債務を限りなく膨れ上がらせていくのだ。

捻じ曲げられた論理によって、対外債務に財源を与えられる「戦後復興」は、米国の侵略者に対して支払われているのだ。何十億ものドルが、ベクテルやハリーバートンなどといった欧米の総合建設企業に流れ込んでいる。この二つとも米国国防総省と密接につながっているのである。

●イランとシリア:次の戦争の場面

国家安全保障文書の中で明らかにされることだが、この戦争の中心的な目標は中東の石油の富を征服し奪い取ることである。この見方によると、中東から中央アジアの広い地域は世界の石油と天然ガス資源の70%を包み持っている。それは米国のそれの30倍である。

ウオール・ストリートと軍産複合体に同盟する英・米巨大石油産業は、米国の軍事行程の背後に消しがたく存在している。

この戦争の次の場面はイランとシリアである。両国はすでに標的として特定されている。

イランはサウジアラビア(25%)とイラク(11%)に続き世界第3の石油とガス埋蔵量を誇っている。米国はイラン爆撃のための口実を作るために国連安全保障委員会の共犯を求めている。それは世界の平和に対する脅威という形で持ち出されているのだ。

イスラエルがイランに対する軍事作戦を立ち上げる中心的な役割を果すことが予定されている。

この作戦は準備完了の状態である。もしもそれが起こったならば、戦争は中東全体およびそれを超える範囲に広がることになるだろう。同時に、イスラエルが英・米勢力軍事枢軸の公式メンバーとなることだろう。

2005年の初期に、数々の大規模な軍事演習が東地中海で行われた。それには軍隊の展開と兵器システムのテストが含まれる。軍事計画会議が米国、イスラエル、トルコの間で持たれた。ワシントン、テルアヴィヴ、アンカラの間で軍と政府の要人たちが行き来しているのである。

軍事協力の分野を確保する見通しを持った、そして(あるいは)、イランと対決する方向を持つ米国・イスラエル主導の軍事作戦を支える目的を持った集中的な外交交渉が、国際的なレベルで行われてきているのだ。イランの核計画に関する国連安保委員会の解決案が口実を準備する。それは米国の計画にとって軍事侵略を正当化するために用いられるものだ。

2004年11月のNATOとイスラエル間での軍事協力合意は実に重要である。数ヶ月後にイスラエルは始めてNATOと合同軍事訓練を行った。それには同時に多くのアラブ諸国も参加したのだ。

膨大な軍事ハードウエアーの構築は、起こりうるイランに対する攻撃のための準備として行われているのだ。イスラエルは米国からおよそ5千の「高性能飛行兵器”smart air launched weapons”」の供与を受けている。それには約5百のBLU「バンカー・バスター爆弾」が含まれている。

●通常の戦闘場面での核兵器:「市民にとっては安全である」

戦術核兵器(ミニ・ニューク)を用いるイランへの攻撃が同時に予想されてきた。ヒロシマ原爆の3分の1から6分の1に当たる爆発能力を持った戦術核兵器は通常の戦闘場面での使用が認められている。

このミニ・ニュークは防御用の兵器としても再定義されている。それは「市民にとって安全である」「なぜなら爆発が地下で起こるからである」。2003年12月の上院での決定は、それの通常の戦闘場面での使用を承認しているのである。

イランに対する空爆は、中東から中央アジアの幅広い地域にこの戦争を拡大させる働きをするかもしれない。テヘランはもし攻撃を受けたら、イスラエルに対する直接の弾道ミサイル攻撃の形で復讐するだろう、と明言している(CNN, 8 Feb 2005)。これらの攻撃はまたペルシャ湾の米国軍事基地を目標にする可能性がある。それは戦闘拡大から全面戦争へのシナリオへと我々を導くものであろう。

最近の展開では、イスラエル軍はアリエル・シャロン首相によって、イランの核濃縮施設への「起こりうる攻撃に対して(2006年の)3月の終りまでに準備を整えておく」ように命令されている(The Sunday Times, 11 December 2005)。

一方では、イランが防空能力を構築しつつある。ロシアは最近、イランに対して29ほどのM1対ミサイル・システムを売る計画であると発表している。

イランに対する計画された攻撃はちょうど都合よく起きたシリア軍のレバノンからの撤退とも関連があると理解すべきである。それはイスラエル軍の展開にとって新たな空間を開いてくれたのだ。アンカラとテル・アヴィヴの間の合意に続き、米国・英国・イスラエルの軍事計画へのトルコの参加もまた一つの要点である。

●世界規模の軍事日程

中東での戦争は用心深く決定された軍事日程の一部なのだ。アメリカ新世紀計画(the Project for a New American Century :PNAC)が、2000年9月、つまりジョージ・W.ブッシュがホワイトハウスに登る数ヶ月前に形成されたのだが、それは「アメリカ防衛再構築」というタイトルのもとに世界支配のための青写真を発表した。

このPNACは、国防総省の諜報幹部、共和党、そして米国の外交政策形成に黒幕的役割を果す強力な外交問題評議会(the Council on Foreign Relations :CFR)と結び付いている、一つのネオコン系シンク・タンクである。

PNACが宣言した目的は

  ・アメリカの祖国を守る

  ・複合的で同時進行する主要な戦闘場面で戦い断固として勝利する

  ・安全保障の形成に関連する「保安隊」の役を演ずる

  ・「軍事における革命」を推し進めるために米国軍を改革する

国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツ(現在は世界銀行総裁だが)、国防長官ドナルド・ラムズフェルド、そして副大統領ディック・チェイニーが、2000年の大統領選挙に先立ってPNACの青写真を依頼していたのである。

PNACは征服の道程表の概要を作る。それは次のように求めている。《米国の直接的な任務は、中央アジアと中東全域で『経済的な世界支配を確保する観点を持って』『基地を前進させる』。その一方で可能性のあるいかなる『ライバル』をも、つまりアメリカの「自由市場」経済のヴィジョンに取って代わるいかなる実行可能な方策をも、圧殺していく。》(Chris FloydのBush’s Crusade for Empire, Global Outlook, No. 6, 2003を見よ。)

戦場における戦闘とは異なり、いわゆる「保安隊の機能」は、懲罰的な爆撃、隠密の諜報作戦、そして米軍特殊部隊の派遣などを含む様々な軍事干渉の方法を使用する、世界的な軍警察機能の形態を伴う。

●新たな兵器システム

PNACの「軍事における革命」(これは新しい兵器システムの発達を意味するが)は、「戦略的防衛主導権”Strategic Defense Initiative”」から成り立っている。それは宇宙空間の軍事化および新世代核兵器開発の二本立てである。

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《核兵器を核攻撃に対する反撃のために使う、というのが長い間米国の方針だったが、新しい方針は米国に、紛争を米国の望む条件で早期に終結させることや米軍の成功を確保させることを含む数多くの理由によって、核兵器を持たない国々に対しても核兵器を使用することを許す。》(Jorge Hirshの声明。Global Researchを見よ。)

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=MCD20051101&articleId=1173

Danger of US sponsored Nuclear War

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 ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/411.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 12 月 07 日 09:52:33: SO0fHq1bYvRzo

ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

これは以下の阿修羅投稿に続くものです。

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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/398.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

●まず米国ジョージア州にあるHeritage TVのプロデューサー/ホストで伝統的な自由を愛する南部人、頑固な伝統保守主義者だが、ブッシュ政権、ネオコンとシオニズムが大嫌いなGeorgia Heritage Councilのメンバー、ジム・W.ディーン(Jim W Dean)の文章を見ていただこう。題して『クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか』。

この文章は2002年2月1日にジョージアSCVサイトに寄稿されたものだが、現在ではいくつかのイスラム系ウエッブ・サイトに転載されている。ここではAl-Bushraで保存されている文章を使用する。伝統保守主義者としてのディーンの見解はともかく、冷静にシオニズムとジャボチンスキー、現代イスラエルと米国プロテスタントに関する事実関係を読み取っていただきたい。

なお、訳文中に(・・・j.d.)とあるのはジム・ディーン自身が引用文につけた感想である。

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http://www.al-bushra.org/zionism/dean.html

Where Christian Zionism came from?

From:

Subj: Bringing in the sheep…..Jim Dean

Date: 1/2/2002 1:38:48 PM Pacific Standard Time

From: Jim W Dean

To: scvemail@yahoogroups.com

クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか?

【前略】

AIPAC (American Israeli Political Action Committee)がクリスチャン・シオニストの誕生を助ける…’bringing in the sheep’…… by Jim Dean

AIPACは現在ワシントンでのロビー活動で傑出した力量を持っている。(Jewish Power, J.J. Goldberg, p 13)

今日私は、一つのフランケンシュタイン物語をお聞かせしよう。良き意思にも関わらずいかにして怪物が我々の中を歩き回るべく創造されたのか。

2001年の年末休暇の間、私は米国ユダヤ・ロビーの力に関する4つの重要な本を買った。すべて何年にもわたって資料を調べ多くの重要人物を取材してきた私の友人のユダヤ人によって書かれたものである。

私は今日、「クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか」についての話、その原因となる物事の実際の背後関係、そして聖地でのキリスト教徒絶滅を含む恐るべきモラルの悲劇を覆い隠すためにそれがどのように操作されているのか、について話をしてみたい。

ヨルダン川西岸とレバノンの侵略――そこでは一般市民への大量殺戮(ベイルートで主に砲撃によって2万人が殺された)が起こったのだが――の以前には、米国の左翼がイスラエルに対する主導的な援助者となっていた。彼らは何年間もユダヤ人の左翼活動家と一緒になって市民権闘争を行ってきた。中絶を支援し、米国市民と教育現場からあらゆるキリスト教のモラルを抹殺しながら、ラディカルなフェミニズムやゲイの権利運動などなどをやってきた。

あるAIPACのインサイダーの話によると、「そのもう一つの面は、パレスチナ問題を人権問題、つまり米国人の琴線に触れる事柄として(しかし十分ではないが j.d.)持ち上げることなのだ。我々はイスラエルが左翼に見捨てられてきたこと(レバノン侵略と蛮行を指す j.d.)を埋め合わせておきたい。だからこそ我々はよけいに‘ネオ・コンサーバティヴ’になっていくのだ。我々はイスラエルへの支援を右翼の側に――西岸地区で何が起こっているのかに関心を持たないがソビエト連合には重大な関心を持っている人々と共に(正確に言うと大部分のネオコンのことをいっているのだが j.d.)――広げていきたいと願っている。’ [The Lobby…by Edward Tivnan, p 181]

「こうしてロビーは同時に、米国政府のイスラエルに対する伝統的な支援にほとんど差し障りの無い発言を行う極右勢力に新たな親イスラエル勢力を作ろうとし始めた。…[同書…p 181]. 言い換えると、彼らは極右勢力に手を結ぶつながりを探していたのだ。伝統的な米国の国益が「面倒さ」の要因にならないような方法で、である。これはまさに非常な愛国主義を装う極右に対する告発である。ユダヤ・ロビーの人々は彼らを少しの隠ぺい工作で協力者にできる間抜けなお人好しだと見ている。

この「極右」騙しの重要なカモたちは、「米国が生き残るための政治的な――そして精神的な――鍵としてイスラエルを支持する、何百万人もの米国プロテスタント原理主義者たち」であった。 [同書…p 181]. 私はこれが、パレスチナに残っているクリスチャンの絶滅に、そして道徳的伝統を保持してきたクリスチャンたちの信じられないほどの悲劇に、どのように関与しているのかを示す他の資料についてお話しよう。

メナチェム・ベギンが首相であったときに彼はJerry Falwellに、イスラエルに尽くした者に与えられる「栄誉ある」ジャボチンスキー賞を授与することで、クリスチャン・シオニストたちを釣った。私はこれを『イスラエル・テロリスト/アメリカ売国奴』賞と言い直したい。ジャボチンスキーさんについてちょっと見てみよう。彼は右翼リクード党の元祖であり、この党は現在の【訳注:2002年現在】国家首脳でイスラエル・テロリストのアリエル・シャロンの政党なのだ。

【訳注:Jerry Falwellはクリスチャン・シオニストを代表する牧師でADLのフォックスマンと大統領ブッシュが最も信頼をおく人物の一人。彼がジャボチンスキー賞を受けたのは1981年である。またFalwellは1977年にイスラエル政府からイスラエル訪問用に専用のジェット機をプレゼントされている。】

1925年までにジャボチンスキーは世界シオニスト機構の内部の一部として修正主義(レヴィジョニスト)運動を創設した。そしてパレスチナ信託統治地区のすべて【訳注:現在のイスラエルとヨルダン】の中でヨルダン川の両岸にまたがるユダヤ人国家をすぐさま要求し、また未だに萌芽状態にあったシオニスト組織に不屈の好戦性を求めた。

パレスチナのアラブ人と約束をしないように、そしてパレスチナの分かち合いをしないように主張したのは、元々がジャボチンスキーだったのだ。すべての離散ユダヤ人が流入されなければならないと、つまりあらゆるユダヤ「民族」が正当なエレツ・イスラエルの祖国に戻らねばならない、と言い張ったのはジャボチンスキーである。(Bruzonksy…Washington Post, 1980)

そして、一部の米国人クリスチャン最高指導者たちがその名のもとに与えられる「栄誉ある」賞を受け取った、このジャボチンスキーという人物は、どのような種類の人間なのか。彼の言葉を聞いてみよう。

『愚かなのは隣人を信用する者である。隣人としての善良さと愛は愚かなものだろう。拳と不屈さによって、このような者たちにそれを悟らしめることを可能にする者たちのためにのみ、正義が存在する。・・・誰をも信用するな。常に構えておけ。常に棒を手に持っておけ。これが残忍な総力戦の中で生き残る唯一の道なのだ。』

『この世に国家と祖国よりも高い価値を持つものは無いのだ。』と彼は書いた。『明らかな特質を所有するあらゆる民族は一つの民族国家となろうとする。…自らの国家の中でのみ心地よさを感じるものだからである。』

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もう分かっただろう。こいつはファシストだ。今日に生きているシオニスト・ファシストのテロ組織を植えつけた、一人のシオニスト・ファシストなのだ。そして、そう、Falwellさんは、その口の片側でユダヤ人の優越性を説き、もう片方で多文化主義を説くような者なのだ。あなた方は南部魂がどこでこの鳥の突付き順序に陥ると想像できるだろうか。あなた方は彼がBedford Forrest将軍賞を受け入れると考えるだろうか。【訳注:Bedford Forrestは南北戦争での南軍の英雄で後にKKKの総代表となる。】

ジャボチンスキーの最もお気に入りの2名の弟子は、一人は、シオニスト・テロリスト・グループのリーダーとして名声をはせ後にイスラエルの首相となったメナチェム・ベギンである。彼はかつてイルグン・グループを率いた。そしてもう一人がイツァーク・シャミールである。彼はレヒ・グループ(スターン・ギャング)を率いた。たとえばシャミールは、1944年11月に起こったレヒによる英国中東特使Moyne卿殺害、および1948年9月に起きたスゥエーデン人国連和平仲介者であるでFolke-Bernadotte伯爵暗殺で、中心的な役割を果した。ベギンのテロ・グループであるイルグンは、1946年にキング・デイヴィッド・ホテルを爆破して、100名を超える英国人、ユダヤ人、アラブ人を殺害した。アリエル・シャロンは、キブヤとサブラとシャティラの難民キャンプでの大虐殺で、このユダヤ・ファシストの伝統を引き継いでいる。アラブ人市民殺害でのその能力の誇示は、常にイスラエルの政治で優勢な道であり続けている。

ユダヤ・テロリズムは米国にユダヤ防衛連盟(JDL)のご親切なオフィスを通して上陸してきた。JDLは1968年にラビMeir Kahaneによって設立されたのである。Martin David Kahaneは1932年にニューヨークのブルックリンで生まれたのだが、ゴリゴリのシオニストであるゼエブ・ジャボチンスキーの「修正主義者(レヴィジョニスト)」活動を積極的に担っていた正統派ラビの長子であった。Kahaneは何でも屋の売国奴であり、彼ができることなら誰のためにでもけしからぬ仕事をやった。FBIの密告屋をやったこともあった。現在のJDL指導者の一人であるIrv Rubinは、米国のアラブ人たちを狙った爆弾テロを計画したかどで先月逮捕された。彼らに「目覚まし時計」を与えるためであった。あるアラブ系議員がそのターゲットになった。一方でIrv Rubinは、メディアに登場するときには「市民権運動活動家」とされている。これが、宗教指導者を含むあらゆるものを売りにかける米国流逆転の倫理のもう一つの例なのだ。

ユダヤ・ロビーはクリスチャン・シオニストが彼ら自身の道徳的尺度を表に出すことを大して気にもかけていない。彼らは牧師たちが投票に行くように語るときにすぐにそれに従う聴衆になるのである。(‘Power, Glory, and Politics,’ TIME cover on TV preachers, Feb 17th, 1986)

ユダヤ・ロビーの一部は、3千万人の福音主義クリスチャンの最終目標がユダヤ人の改宗であるため、彼らと行動を共にすることに困難を感じた。(イスラエルでそんなことを言ったら逮捕されるだろう。タリバンでもそうだが・・・j.d.)これらの福音主義クリスチャンたちが大多数のリベラルなユダヤ人たちの社会・政治目標と対立するばかりだったので、ナタン・パールムッターADLディレクターは次のように注意した。「神を褒め称えよ。そして武器を手渡せ。」(同書…p 182)『武器』とはもちろん、イスラエルが指定した敵に対する銃弾として放たれる愚かなクリスチャンのことである。ユダヤ人嫌いが手にする最高の賞は、彼らのためにその汚い仕事を行う協力的な非ユダヤ人のためにある。

以前のAIPACの調査主任であるレンニ・デイヴィスは、次のような笑えない皮肉を弄んだ。「当然だが、この連中は私をいらいらさせる。しかしイエスが丘を登るのを私が見るまでは、私はイスラエルが受け入れることのできるすべての友人たちのために動く。防衛組織(ADLとAJC)を国内情勢に気を遣うようにさせよ。」(同書…p 182)

我々がここに提示したことは両極端を使って中庸を保つ人たちを攻撃する、昔からあるトリックなのだ。一方の端はこの組織と手を結んでその支持を得ようとするユダヤ人グループであり、他方の端はそれと闘うユダヤ人グループである。そして彼らは伝統的なアメリカの価値を攻撃する。フィリップ・ウエイスは確信する。「ウエイスは市民権運動、フェミニズム、メディア、民衆的文化、そして法律と財政におけるユダヤ人の影響力の詳細を誇り高く述べる。彼はその短いお説教を次のように主張して終わる。『社会道徳的価値観に対する教会の影響力が非常に減少したことは文化的なパワーを手にしている世俗化したユダヤ人抜きでは起こり得なかっただろう。』」 (Philip Weiss’s “Jews in Bush’s Cabinet? Don’t Hold Your Breath” (New York Observer, December 22, 2001)

だからJerry Falwellよ。そのジャボチンスキーのメダルを自慢げに身に付けているがよい。しかし覚えておくことだ。お前が、お前のシオニストの相棒、ジャボチンスキー、ベギン、シャミールとシャロンの犠牲者たちに、面と向かい合う日が来るだろう。そして私は彼らがそのメダルを受け入れるとは思わない。お前のクリスチャン・シオニストの支持者たちもそれを受け入れようとしないだろう。彼らが本当のことを学んだならば。お前は自分の神と自分の国と自分の支持者を辱めた。お前の魂に神のお慈悲があらんことを。

そしてもし良ければ・・・・お前にもっとふさわしい賞をプレゼントしてやろう。「タリバン・ジョン賞」だ。キリスト教の聖地とアメリカの伝統的価値を破壊した目覚ましい働きと、アメリカのキリスト教への裏切りに対してである。

ジム・ディーン

ヘリティッジTV

【翻訳、引用、終り】

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上の訳文中に出てくる『ジャボチンスキー賞』だが、1988年に反名誉毀損同盟(ADL)は、同名の賞を、かの「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィセンタールに授与した。『世界がホロコーストを決して忘れないことを確実にさせた勇気あるユダヤの指導力』によってである。受賞に臨んだヴィセンタールはジャボチンスキーを「正しいと思う自らの道を進んだ闘士」と褒め称えた。先日この男が死んだときに盛大に追悼の文句を書いていた者たちは、このことを知っているのだろうか?

http://www.adl.org/ADL_Opinions/Holocaust/20050922-Jewish+Week.htm

またクリスチャン・シオニストのリーダーJerry FalwellがSDLからこの賞を受け取ったのが1981年、つまりイスラエルがイラクの核施設を爆撃し、またレーガン=ブッシュ(父)政権が始まった年であることにも注目すべきであろう。その前のカーターを追い落とすために、イスラエルが、前回お知らせしたマイケル・レディーンやイラン内部のイスラエル内通者を通して工作した可能性がある。そしてこの辺りから米国中枢が彼らに乗っ取られていったと思われる。

●もう一つ、オーストラリアにあるラルーシュ運動の団体Citizens Electoral Councilのインターネット・サイトを覗くことにする。ここにはThe Struggle for the Soul of Judaismの副題を持つJudaismというページがある。

http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=judaism.htm

その中のPart 3 — The Crimes of the fascist Jabotinskyites

http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=part3.htm

の中から、Today’s Likud Is The Party of Fascist Vladimir Jabotinskyという記事をご紹介しよう。ただしこれも長い記事なので、その一部だけを和訳してお伝えする。

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http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=p3/article2.htm

今日のリクードはファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキーの政党である

【前略】

シャロンは、彼に先立つリクードの首相たち――メナチェム・ベギン、イツァーク・シャミール、そしてベンジャミン・ネタニヤフ――と同様に、ウラジミール・ジャボチンスキーの人種主義と反人間的な観点を真に受け継ぐ者である。イスラエルの初代首相であるベン・グリオンはジャボチンスキーを「ウラジミール・ヒトラー」と呼んだ。これらのリクード党出身の首相はみな、まとめて「ジャボチンスキーのプリンスたち」と言われるのだが、そろいもそろってユダヤ主義の普遍的な観点に対する拒絶を共有している。モーゼの最初の本である創世記にある神から出た次の言葉に対する拒絶である。「我々の姿で人間を作ろう。我々の似姿によって。」つまり、すべての男性と女性は創造者の似姿として作られている、ということである。

この観点はもう一人のジャボチンスキー支持者にも共有された。後のラビ・メイァ・カハネである。彼はテロリスト組織のユダヤ防衛連盟(JDL)の創始者であり、その今日の追随者はKachとKahane Chaiのメンバーである。これらは米国政府がテロ組織としてリストに載せているもので、彼らの多くは最近、パレスチナの女学校を爆破する計画を立てた罪でイスラエルで逮捕された。

メイァ・カハネの父親は米国におけるウラジミール・ジャボチンスキーのための資金調達係だった。若いころのカハネは、JDLを創設しイスラエルでそれに続く活動を行うに際して、ジャボチンスキーの持ったユダヤ人の優越性の思想を採用した。彼はこう書いた。「我々は異なっている。我々は選ばれた民だ。そして特別な民だ。純粋性と神聖さによって選ばれたのだ。もしあるユダヤ人に他と本質的に違う何かが無いとしたら、彼がユダヤ人である理由など何も無い。そうだ。我々は紳士たちと同じではない。我々は違う。我々の方が上なのだ。」

1972年のパンフレットでカハネは書いた。「アラブ人たちはこの地に属する者ではない。彼らは立ち去らねばならない。」1977年にクネセット(イスラエル国会)に立候補する一方で、彼は「我々のアラブ人追放計画」や、もし「ユダヤ人が何万もの空になったアラブ人の家にすむならば」それは「イスラエル経済への巨大な貢献」を為すだろう、という発言を行った。1985年のクネセットへの再選キャンペーンで、彼はがなり立てた。「こいつらアラブの獣ども、このゴキブリどもの魂など、誰一人理解できない。我々はヤツラの喉を切り裂くかあるいは放り出すだろう。私はただあなた方が考えていることを語っているだけなのだ。この2年内に、やつらはラジオのスイッチを入れてそしてカハネが国防長官になったと聞くだろう。それでやつらは私のところにやってきて私の足をなめるだろう。そうして私は憐みを垂れ、やつらが立ち去ることを許すだろう。立ち去らない者は誰であろうと皆殺しにされることだろう。」

【後略、訳出終り】

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シオニストの本音はこのメイァ・カハネの言葉の中に十分に読み取れる。これはヒトラーの言葉ではない。シオニスト・ファシストの本性なのだ。そして多かれ少なかれ歴史的にイスラエルが実行してきたことである。

なお文中のKachとKahane Chaiはイスラエルのテロリスト・グループで、数多くのパレスチナ人を殺害してきた。1994年に起きたヘブロンのモスクで29名のパレスチナ人をマシンガンで殺害したゴールドシュタインはKachの関係者と言われる。また2002年に東エルサレムにある女学校と病院の爆破未遂事件でKachのメンバーが逮捕されたが、この事件の本当の首謀者は彼らと無関係の他のユダヤ・テロ組織だ、という説もある。いずれにせよイスラエル当局としては「反テロ戦争」を進めている以上、コントロールの効かない「民間テロ組織」の動きは抑えておかねばなるまい。またそうしないと、イスラエル最大の武器の一つである「ホロコースト」が使いづらくなるだろう。

●米国はジャボチンスキーが死去した地であるばかりでなく、イスラエルの外ではそのファシズムが最も強く浸透している土地なのだ。前回ご紹介したマイケル・レディーンにしてもそうだが、彼らは自分の正体を隠そうともしない。そしてこのユダヤ・ファシズムの流れが米国でネオコンと連結していることに何一つ不思議は無い。彼らはみな同根なのだ。

米国だけではない。エルンスト・ツンデルをドイツに強制連行させミシェル・チョスドウスキーを「ホロコースト否定」で告発したカナダのブナイ・ブリスは、ジャボチンスキー・メモリアル・イベントを毎年各地で行っている。

(参照)

http://www.bnaibrith.ca/article.php?id=590

http://www.jewishtribune.ca/tribune/jt-050811-07.html

●これをお読みの方の中で、すでに1948年に、イスラエルを「組織、方法、政治哲学そして社会的主張においてナチ党とファシスト党に極めて近い政党」が動かしていると警告する文書が作られ、アルバート・アインシュタインを含む大勢のユダヤの知識人たちがこれに署名していた、という事実をご存知の方がどれくらいいるだろうか。

(参照)

http://www.socialistviewpoint.org/sept_02/sept_02_1.html

不幸なことにイスラエルという国を作り実質的に運営し拡大させてきたのは、「社会主義者」ではなくファシストたちだったのである。以前に申し上げたように、レンニ・ブレンナーなどのユダヤ左翼知識人が持つ「ジャボチンスキーがムッソリーニという負け馬に賭けた」などという認識は、致命的に誤っているのだ。

イスラエルには、ジャボチンスキーが創設したベタールと彼の運動の延長であるリクード党、彼が創設に尽力したハガナーとイルグンの流れを汲むイスラエル国防軍のほかに、ジャボチンスキー基金、ジャボチンスキー研究所、ジャボチンスキー博物館などもあり、ヘルツルの丘には彼の墓がある。そして何よりもイスラエルという国家そのものが、このファシストの最大の遺産であろう。

現在イスラエルでは、ジャボチンスキーを「ファシスト」と呼んでムッソリーニやヒトラーとの関係を取り沙汰すことはタブーであるようだ。ブナイ・ブリスは彼のことを「修正主義者(レヴィジョニスト)」ではなく「シオニスト・ナショナリスト(Zionist nationalist)」と呼んでいる。イスラエルは紛れも無く、このユダヤ・ファシストを「開祖」として認知しているのである。

●今後は時間的な余裕が取れそうもなく、次回がいつになるか見当がつかないが、ジャボチンスキー最大の政治方針(そしてイスラエルの歴史を貫く政治方針)である「鉄の壁(The Iron Wall)」に関してまとめたいと思っている。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/398.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 30 日 09:49:24: SO0fHq1bYvRzo

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

この文章は下記の投稿に続くものです。

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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(4)嘘で世界を操る野郎ども

●理屈と膏薬はどこにでも貼り付くが「果実」はその本質を裏切ることは無い。悪党どもがどれほどの言辞を弄して飾り立てようと、それが「果」を実らせるための政治プロパガンダである以上、彼らの語る言葉や著述の表現などは、すべて彼らの「果実」に向けられてのみ理解されなければならない。

人間は平気で意図して嘘を付く存在である。「悪の果実」を作る者は騙すことだけを目的にした発言をする。「この人はこうも言ってる、ああも言ってる」ではなく、「コイツが実現させたことが実際にこれだからこの言葉はこんな意味だ」ということなのだ。

「嘘」を血肉化させた悪党は数多く生きているが、その中の一人、米国シオニスト・ユダヤとイスラエルのエージェント、ネオコンの悪徳詐欺師であり、同時にイタリア・フリーメーソンP2ロッジ幹部であるマイケル・レディーン(Michael Ledeen)に注目してみよう。この人物の言動が、ウラジミール・ジャボチンスキーのユダヤ・ファシズムの理想を現在の世界で結実させつつある勢力の本当の姿を、象徴的に表現していると思うからである。

●先日の私は阿修羅に次のような投稿をした。

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http://asyura2.com/0505/bd41/msg/826.html

「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?

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これはインターネット新聞Daily Kosに寄せられた『Niger Yellowcake and The Man Who Forged Too Much』(by Pen Fri Jul 22, 2005 at 05:56:03 AM PDT)を翻訳したものだが、その一部を再掲する。(ぜひとも上記阿修羅投稿で全文をご参照いただきたい。)

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http://pen.dailykos.com/story/2005/7/22/7563/12283

「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?

【前略、引用開始】

1984年にさかのぼるが、Michael Ledeenはイランに対する武器の違法な販売を行うというManucher Ghorbanifarのアイデアを実行に移した。CIAの作戦部長補佐官(Deputy Director for Operations)であるClair GeorgeはGhorbanifarを全く信用が置けないと考えた。彼はGhorbanifarがモサドのダブルスパイであってイスラエルの治安だけを優先させていると感じたのだ。しかしジョージ・ブッシュSr.は、ロナルド・レーガンを当選させた悪名高い「10月の驚き(October Surprise)」に先立って、パリにいたGhorbanifarと関係を持っていたのだが、Ledeenに同意し、こうしてGhorbanifarはイラン・コントラ事件として知られるようになった事柄の中心人物となったのである。実際に、オリバー・ノースはコントラに資金を振り向けるように1986年の1月にGhorbanifarと会った際に提案されたと証言した。

【中略】

1:この会合【注釈:米国をイラク戦争に引きずり出すための、具体的にはニジェールの偽ウラン文書を捏造するための会合】にいた二人の米国人は

(a) 特別計画室(Office of Special Plans)のメンバーであり、Michael Ledeenの舎弟、そして政府とAhmed Chalabiのつなぎ役であったHarold Rhode。(b) 特別計画室の元メンバーであるLarry Franklin。彼はAIPAC組織を通してイスラエルに機密を横流ししたとしてFBIに逮捕された

2:そこにいた2名のイタリア人は

(a) SISMI(イタリア諜報機関)チーフのNicolo Pollari。(b)イタリア国防長官Antonio Martino。

3:会合はローマにて2001年12月のことであった。

Newsweekが我々に伝えていないことは、最初の会合に第3の米国人が出席していたことであり、そしてその男がその会合をお膳立てしたのであった。Michael Ledeenである。

【中略】

Rocco Martino、Michael Ledeen、Francesco Pazienza、Silvio BerlusconiおよびNicolo Pollariは全員がP2のメンバーである。P2はSISMIのエージェントを雇い入れてそれと並行して存在する諜報機関として活動してきていることがわかっている。PollariはAbu Omarの誘拐を承認した。この誘拐はRobert Ladyの協力を得たと言われている。ある未だ知られていないSISMIエージェントがMartinoと接触し、彼にニジェールの文書を渡すことのできる”lady”と接触させた。ニジェール大使館は盗みに入られた。この正体不明のSISMIエージェントは”lady”に、偽造した文書と一緒に本物のニジェールの書類を渡した。この”lady”はそれをMartinoに渡した。

【中略】

Michael Ledeenは国家安全保障ユダヤ人協会the Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人の一人である。彼はAIPACのシンクタンクであるthe American Enterprise Institute (AEI)に出入り自由の特権を持っている。彼はイランの民主連合の共同発起人である。1980年にさかのぼれば、CIAはLedeenをイスラエルの重要なエージェントと格付けしていたと言われる。LedeenはKarl Roveの主要な外交政策アドバイザーである。Ledeensの主な妄想はイランを倒すことであるように見える。

1972年に彼はUniversal Fascismという本を出した。その中で彼は「ファシストの目的の正しさ」について詳しく述べている。Universal Fascismの中で、Ledeenは最初に、ファシズムが「20世紀革命」であったこと、そして「人々は本当のこと、つまりファシズムにあこがれる」という彼の主張を打ち立てる。それはファシズム革命の青写真なのだ。

1980年に彼は、”BillyGate” 事件でSISMI とP2のFrancesco Pazienzaに協力した。【訳注:”BillyGate” 事件:70年代の終盤にジミー・カーターの弟ビリーが、自分の経営するビール会社の製品をリビアで売ろうとしてリビア政府から経済的な計らいを受けた、とされた事件で、イランの米国大使館人質事件とともにカーター再選の障害物になった。これには「ユダヤが仕掛けた」という説がある。】これは、最近イタリアの影の諜報機関に所属していることが明らかになったPazienzeと同一人物である。1985年にPazienzeは政治的な操作、偽造、そしてテロリストを匿ったことで有罪とされた。Ledeenは裁判資料の中でSISMIのエージェントとして身元を明らかにされている。

ペンタゴンは1980年代の半ばにLedeenの機密事項認可をSCI最高機密から普通の機密に格下げした。それはLedeenが禁輸品目をある外国に、イスラエルだと信じられているが、横流ししていることをFBIが調べ始めた後のことである。

2001年にLedeenは特別計画室と契約する仕事をするためにFeithに雇われた。

イスラエルのスパイであるJonathon Pollardに海軍で仕事をさせたのはLedeenである。

イラン・コントラ事件で、モサドのダブル・スパイManucher Ghorbanifarを使うように言い張ったのはLedeenである。

2001年の12月1日にローマでRhodesとFranklinとGhorbanifarの会合をお膳立てしたのはLedeenである。

2001年12月12日に、米国大使SemblerはLedeenおよびイタリア国防長官Antonio Martinoと私的に昼食を共にした。LedeenとMartinoは、彼らが共に出席するGhorbanifarとの次の会合について話し合った。その秘密会合で二つのCIA「でっち上げ情報」の受け渡しが行われたことに深い関心を持ったSemblerは、それをすぐにホワイトハウスに、特にStephen Hadleyに知らせるように、CIAに連絡した。Hadley はLedeenとその協力者にGhorbanifarから離れるように命じた。しかしその命令は無視され、GhorbanifarとRhodeの間の連絡は2003年の2回目の会合に至るまで続いた。

【後略、引用終り】

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このレディーンを中心に捏造された「ニジェール・イエローケーキ」だけではなく、数々の嘘がイラク戦争の「理由」とされたことは記憶に新しい。9・11でも先ごろのロンドン7・7でも、我々は嘘と隠蔽によって『新たな歴史』が作られる現場を目撃している。嘘と隠蔽による重大事件によって世界が揺り動かされる歴史は1898年のメイン号事件以来散々に繰り返されてきた。『公式の歴史』では「嘘は無かった」ことになっている。要はその『公式の歴史』が嘘によって編修されている、ということだろう。そこに巧妙に隠されているのはあるエリート集団の「世界支配へ向けての意図」である。

このマイケル・レディーンという男も嘘のために生まれてきたような奴とみえる。その知性は、嘘をつき新たな嘘で嘘を覆い隠すために、常に研ぎ澄まされている。これはネオコンやシオニスト中枢にいる連中の最大の特徴でもあろう。彼らの脳の中は虚数空間ならぬ「嘘数空間」であり本心から嘘をつく。嘘発見器などは効かないのではないか。

もちろんレディーン一人が《イスラエル》-《イタリア》-《米国(ネオコン・シオニスト)》を結び付ける人物であるはずが無い。彼も一人の「スター」に過ぎまい。しかしこのような人物を追うことによって、その背後にあるものの全体像を推測していくことができるはずである。

●ここでやはりWikipediaを覗いてみることにしたい。表面ヅラではあるがこの人物の略歴が分かる。『Michael Ledeen』の項目を概訳してみよう。

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http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Ledeen

マイケル・レディーン(1941年8月1日生まれ)はアメリカン・エンタープライズ研究所【訳注:正式名はThe American Enterprise Institute for Public Policy Research:ヘリティッジ・ファウンデーションとともにブッシュ政権を支えるネオ・ファシスト系シンクタンクで1943年に設立】の研究員である。彼の政治的理想、歴史観と哲学はイラク戦争に向かうブッシュ政権に影響を与えた。彼はNational ReviewとJewish World Reviewの編集人の一人であり、国家安全保障ユダヤ人協会The Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人、および相談役の一人でもある。同時に米国ネオコンサーヴァティヴと多くの人から見なされている。

レディーンはウイスコンシン大学で哲学博士号を取得、ドイツとイタリアのファシズム史を比較研究した。レディーンの初期の指導者の一人にドイツ生まれのジョージ・モッセがいた。もう一人イタリアの歴史家レンツォ・デ・フェリーチェが彼に影響を与えた。【訳注:George Mosse(1918-1999)とRenzo De Felice(1929-996)については後述】レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。

レディーンはロナルド・レーガン政権最大の外交スキャンダルの中で中心的な人物となった。いわゆるイランコントラ事件である。【訳注:これに関しては前述の記事にもあるし、また後で詳しく触れることになる。】彼はまたヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件がブルガリアの秘密諜報機関の陰謀であると語ったが、後に否定された。

中東地域での政権転換に関して、レディーンは2002年に国防顧問のスコウクラフトに反論して、「対テロ戦争」を主張した。2002年9月に「The War Against the Terror Masters」を出版。

レディーンは1972年に「ユニバーサル・ファシズム(Universal Fascism)」「国際ファシズムの理論と実践1928-1936(The Theory and Practice of the Fascist International, 1928-1936)」を出版したが、いまは絶版となっている。レディーンは革命的な「ファシスト運動」と失敗した「ファシズム政権」を区別し、イタリア・ファシズムを批判した。

2003年には、「我々はテロに対する戦争を中東の範囲を超えて西欧の中心部にまで持ち込まなければならない。そこでは中東と同様に、我々の最大の武器は政治的なものである。つまり我々に反対する国々にいる人々の自由への願望の提示である。」と書いた。

レディーンはイランの政権転覆を唱え、イランがイラクの抵抗勢力の背後にいてアル・ザルカウイのアルカイダ・ネットワークをも支えていると主張する。

ニジェール・イエローケーキ捏造【訳注:これは前述の投稿に詳しいので省略する】

【後略、概訳終り】

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レディーンが属するアメリカン・エンタープライズ研究所はムッソリーニ政権が崩壊した1943年に設立された。このことは我々に重大な示唆を与えてくれる。ファシズム運動の中心がイタリアから米国に移ったように思えるのだ。以後この機関はヘリティッジ・ファウンデーションと共に米国による中南米侵略・支配の中枢機関となり、また「対テロ世界戦争」やユーラシア各国の軍事・非軍事クーデターを通して「世界の自由化・民主化」を推進する中心的な役割を果している。

それにしてもWikipediaもよく言うよ。『レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。』だってサ。嘘つき野郎の屁理屈をそのマンマ宣伝している。「張り付いた膏薬」でしかモノを考えないような人間はコロリと言わされるのだろうな。

●ここまで来ると、どうしてもリンドン・ラルーシュJr.と彼が主催する運動に登場してもらわなければならない。彼らの主張がすべての面に渡って当を得ているかどうかはともかく、第2次大戦後から現在までの欧米権力者集団による嘘と謀略を調査し告発し警告を発している最大のグループだからである。彼らは世界のファシズム化を策謀するこの権力者集団の動きを「シナーキズム(synarchism)」という用語で標記している。

ラルーシュ運動のサイトの一つであるExecutive Intelligence Reviewの中から、2003年7月11日に寄稿されたScott Thompsonによる『シナーキズム-ナチ/共産主義:マイケル・レディーンはイランの「政権転覆」を要求(’SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM’  Michael Ledeen Demands `Regime Change’ in Iran)』という論文の一部を翻訳しよう。

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Executive Intelligence Review

http://www.larouchepub.com/other/2003/3027ledeen_iran.html

SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM’

Michael Ledeen Demands `Regime Change’ in Iran

by Scott Thompson

【前略、翻訳開始】

レディーンの「シナーキスト」のルーツ

レディーンの生涯に最初の重要なインパクトを与えたのはドイツ系ユダヤ人移民のジョージ・モッセ(George Mosse)だった。彼はあのナチのリーダーであるヨーゼフ・ゲッペルス(Joseph Goebbels)やヘルマン・ゲーリング(Herman Goering)と良い仲であった。モッセはゲーリングが彼の父親を「アーリアン」であるとするほどに親密であり、家族は法律が変わる15分前にドイツを離れることを許された。

ケンブリッジで学んだモッセは、ウイスコンシン大学でレディーンの教官となるのだが、ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきであると彼に教えた。なぜなら西側諸国のガイスト(精神)が窒息しておりファシズムかナチズムを通してのみ再生させることができるから、というのである。レディーンはその大学の哲学科で働いているときに、ウラジミール・ゼエヴ・ジャボチンスキー(Vladimir Ze’ev Jabotinsky)と結びつくイスラエル諜報部関連の運動の支部――それはモッセの影響下にあった――に参加していたことで排斥された、と言われる。このジャボチンスキーはイスラエルの指導者ダヴィッド・ベン・グリオン(David Ben Gurion)が『ウラジミール・ヒトラー』と呼んだ男なのだ。

レディーンが後の大統領府対外諜報顧問委員会(Presidential Foreign Intelligence Advisory Board)メンバーであるデイヴィッド・アブシャイァ(David Abshire)に紹介されたのはモッセを通してであった。この男は戦略国際研究センター(CSIS;the Center for Strategic and International Studies)の創設者であり、レディーンを政治情報参謀として雇った。

しかしむしろもっと重要なレディーンの師匠はレンツォ・デ・フェリーチェ(Renzo de Felice)であった。彼は、最初の近代ファシストであるナポレオン・ボナパルトの登場を導いたフランスのジャコバン革命の擁護者であった。デ・フェリーチェは、『イルミナティと革命的神秘主義1789-1900(The Illuminati and Revolutionary Mysticism, 1789-1900)』を書いた際に、自分のファシズムを隠さなかった。「私のジャコバン主義とある種のファシズムとの間には共通の何かがある。・・・・文明の歴史の新たな面に向かって・・・・ファシズムは社会と個人の変革の達成を求めた。」

1966年と1967年のイタリアで研究したレディーンは、そこで文明戦争の「魔法使いたち」であるヴェネチアの寡頭政治支配者たちの子孫に会ったのだが、その後『普遍的ファシズム(Universal Fascism)(1972)』、Journal of Contemporary History(July 1969)の記事『イタリア・ファシズムと青年(Italian Fascism and Youth)』、アーヴィング・ルイス・ホロヴィッツ(Irving Louis Horowitz)編集のThe Use and Abuse of Social Scienceの記事『ファシストの社会政策(Fascist Social Policy)』を書き、そしてその他にレンツォ・デ・フェリーチェ著でレディーンによるインタビューを含む『ファシズム、その論理と実践への非公式な招待(Fascism, An Informal Introduction to Its Theory and Practice)』を出版した。

レディーンは拘束の無いジャコバン・スタイルのファシズムを好んだ。1900年代初期のガブリエレ・ダヌンツィオ(Gabrielle D’Annunzio)のそれのようなものである。1972年の『普遍的ファシズム』で、レディーンはベニト・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を、あまりにも厳格である、として非難した。「彼は決してイタリア人に十分な信頼を置かずファシズムへの純真な参加を人々に許さなかった。」

レディーンの犯罪暦

レディーンは、過去20年を通して、いくつかの最も浅ましい犯罪に関与してきている。政府高官たちや諜報機関員たち、そして私的な「シナーキスト」ネットワークと共謀しながら。

イランゲート:

レディーンが今日イランの「政権転覆」を呼びかけているのは特に皮肉なことである。彼が1980年代を通してイランの政権と手を結んでの民主化計画の秘密作戦で主犯の一人となっていたからである。彼はフランスに住むイラン人マヌチャル・ゴールバニファル(Manuchar Ghorbanifar)と密接につながって働いたが、イスラエルの政治諜報エージェントであるダヴィッド・キムチェエ(David Kimchee)がレディーンにこの男を紹介したのである。レディーンは1985年10月8日にゴールバニファルを国家安全保障委員会補佐官のオリヴァー・ノース(Oliver North)とのミーティングに連れて行った。その場にはイスラエルの武器商人ヤアコヴ・ニモルディ(Ya’acov Nimrodi)も出席していたが、この男はノースの「エンタープライズ」の中で重要人物だった。レディーンはこの件で1985年中ひんぱんにノースと会った。CIAがゴールバニファルを信頼が置けないとしているにも関わらず、である。500基のTOWミサイルがイランに輸送されたのはゴールバニファルを通してである。続いて19基のホークSAMミサイルもである。その見返りとしてレバノンでテロリストによって捕縛されていた米国人人質が解放された。これがイラン・コントラ事件の中心をなす『武器と人質の交換』取引であった。イランに行った武器は、米国の武器庫から、あるいはイスラエルの巨大兵器産業から、直接にやってきた。これにはイスラエル政府のトップの高官も関わっていた。

レディーンは、単にイランに対する「調査計画」に関わっただけだ、と主張し続けた。これは「たまたま偶然」に「行動計画」に変更された、というわけである。しかしながらこの時期の間中、CIAの計画補佐官テオドール・シャックリィ(Theodor Shackley)とともにEATSCO【訳注:the Egyptian American Transport and Services Corporation】という企業を利用して、彼は関与し続けたのである。なおこのシャックリィはイラン・コントラ人脈のもう一人の中心人物なのだ。

イタリアのプロパガンダ2(P2)ロッジ:

大西洋両岸からの数え切れないほどの情報源によると、CSISでキッシンジャー(Kissinger)とアレクサンダー・ヘイグ(Alexander Haig)の下で働きながら、レディーンはプロパガンダ・デュウ(P2、Propaganda Due)ロッジのメンバーになっていた。そこは1981年5月20日に白日の下に曝されることとなった。この暴露が起こったのは、メフメット・アリ・アグカ(Mehmet Ali Agca)による教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件のちょうど7日後のことである。この事件にP2ロッジが関与していたと考えられたのである。P2が明るみに出されたことによって、47名のイタリア陸軍の将軍と6名の海軍指揮官が辞任せざるを得なかった。同時にブリュッセルのNATO本部で働く海軍の高官ブルーノ・ジ・ファビオ(Bruno di Fabio)が名指しされたのだが、彼のデスクを通してあらゆるNATO加盟国の秘密諜報機関の報告が受け渡されていたのである。この秘密組織のメンバーであることが明らかにされた他の著名なイタリア人たちは、軍の最高スタッフ、ジォバンニ・トリッシ(Giovanni Torriss)、秘密諜報機関の協力団体の責任者ワルター・ペロッシ(Walter Pelosi)、軍諜報機関(SISMI)の責任者ジゥセッペ・サントヴィト(Giuseppe Santovito)、文民諜報機関(SISDE)の責任者ジゥリアーノ・グラッシーニ(Giuliano Grassini)であった。彼らは地位を失い、また彼らがレディーンの親密な付き合いの中に含まれていたことが明らかにされた。P2ロッジのグランド・マスターであるリチオ・ジェッリ自身について言えば、彼は完璧な「シナーキスト」であり、レディーンなら「普遍的ファシスト(universal Fascist)」と呼んだかも知れないが、ナチSSの連絡将校であり、少なくとも1956年まではソヴィエトのエージェントでもあった。

「神殿の丘」謀略

レディーンと彼の妻バーバラは、イスラム教徒にとって第3の聖地であるエルサレムのアル・ハラーム・アル・シャリフ(アラビア語で「神殿の丘”Temple Mount”」)の上に、ソロモン第3神殿を再建する『ハルマゲドン・プロジェクト』に参加し続けている。聖なる岩のドームの上にあるアル・アクサ・モスクの破壊計画は、中東での止めることが不可能な戦争を勃発させるかもしれない。バーバラ・レディーンは最近まで「聖書考古学誌(Biblical Archeology Review)の編集幹部を務めていた。この雑誌は、英国フリメーソンリーのthe Quatuor Cornati (“Four Crowns”)とともに、その第3神殿が置かれるべき場所を決定する中心的な役割を果している。

【以上、訳出、終了】

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●この論文のイラン・コントラ事件に関する部分に出てくるイラン人マヌチャル・ゴールバニファルやフリーメーソンP2ロッジに関しては、最初にご紹介した私の阿修羅投稿にも書かれている。さらにP2はオプス・デイとも深く関わると言われ(というかオプス・デイがP2の宗教部門といっても良いほどの関係)、当然だがバチカンの中枢とつながる。SISMIだけではなくCIA、モサド、MI6とも強く連結されているのは言うまでも無い。

(参照)

http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/1006.html

「使命」を終えたヨハネ・パウロ2世;『バチカン=オプス・デイ=CIA』軸への考察

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html

超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ

そしてその人脈の中にユダヤ・ファシストの直系マイケル・レディーンが顔を見せる。

さてさて、イタリア半島には余程とんでもない妖怪が住み付いているようだ。前回「(3)『負け馬に賭けた』?」で、私は、ムッソリーニは『負け馬の皮』ではなかったのか、と申し上げた。脱いだ『皮』は投げ捨てて野良犬どもが食いちぎるに任せれば良い。『本体』はとうに先のほうを走っているのである。レディーンがファシズムを称揚してムッソリーニをけなしたのは、『本体』に属する者として当然のことだろう。ちょうどレオ・シュトラウスがヒトラーのナチズムをけなしてネオコン主義の元祖となったように、である。彼らも先を行く『本体』に属する者たちに違いあるまい。

ヒトラーも東条もしょせんは『本体』に投げ捨てられた『負け馬の皮』だが、それを未だに唸り声を上げながら噛み付き食いちぎるのに余念の無い人たちや、逆に後生大事に守ろうとする人たちが跡を絶たないようだ。どっちもご苦労さんなことで!

●ところでユダヤ・ファシストの元祖ウラジミール(ゼエヴ)・ジャボチンスキーはこの「妖怪の郷」イタリア半島で一体何に出会ったのか。

マイケル・レディーンの師匠の一人ジョージ・モッセは、『ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきである』と彼に教えたようだが、要は「アンチ・セミティズムでなければ良い」というわけだ。このモッセの論調がジャボチンスキーの運動から直結していることは火を見るより明らかだろうし、その論法はレオ・シュトラウスの屁理屈と極めて類似している。

また、現在の欧州で「ホロコースト」を使って「アンチ・セミティスト」レッテル貼りキャンペーンを展開するシオニストどもが現代のイタリア・ネオファシストと肝胆相照らす仲であるのも、この観点からすれば当然と言える。

またもう一人の師匠レンツォ・デ・フェリーチェは第2次大戦後にイタリア共産党に属していたようだが(後に脱退)、彼がP2とどんな関係を持っていたのかは不明だ。しかし彼の視点は明らかに『本体』のものだろう。彼はファシズムの根源を啓蒙主義(Enlightenment:「(理性の?)光を当てること」の意味で、イルミナティIlluminatiを連想させる)以来の中産階級(ブルジョアジー)のイデオロギーであると見なし、中産階級の独自のパワーを発揮させる断固たる運動である、と考えていたようだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Renzo_De_Felice

Renzo De Felice

ひょっとすると同様の主張はフェリーチェよりもはるか以前から存在しており、ゼエヴ・ジャボチンスキーが惚れ込んだのもそのようなものではなかったのだろうか。これは憶測に過ぎないのだが、現在の欧米のネオファシストども――間違いなくシオニストやネオコンと同根(ラルーシュ流に言えば全部併せて「シナーキスト」となるか)――がたくらんでいる彼らなりの「革命(=ワンワールド・オーダーの実現)」について考えるときに、非常に示唆的である。ジャボチンスキーがその根っ子の一つになっていることが明らかだからである。

●次回は再びこのユダヤ・ファシズムが現在の世界でどのように姿を現しているのか、について、いくつかの異なった視点を持つ文章を通して、このジャボチンスキー以来の系譜を見つめなおしてみたい。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 26 日 07:26:11: SO0fHq1bYvRzo

これは次の阿修羅投稿に続くものです。

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(2)ゾンビどもの跳梁

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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(3)『負け馬に賭けた』?

●アブラハム以来(?)のユダヤ歴史年表がイスラエルのサイトJewishhistory.orgで作られて公表されている。

http://www.jewishhistory.org.il/

The History of Jewish Pweple

この中からウラジミール(ゼエブ)・ジャボチンスキーの略歴を取り上げてみよう。

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http://www.jewishhistory.org.il/1880.htm#Jabotinsky

1880(10月5日)-1939【訳注:これは1940の誤植と思われる】

ウラジミール・ジャボチンスキー(オデッサ-エレツ・イスラエル)

新シオニスト機構(the New Zionist Organization:1935)、ハガナー(the Haganah、1920)、ユダヤ人部隊(the Jewish legion:1917)、Brit Trumpeldor、ベタール(Betar:1917)、修正主義者党(the Revisionist Party)、イルグン(the Irgun:1937)の創始者。世界シオニスト機構に参加する前には、ジャボチンスキーはトルストイとプーシキンによってロシアの最も有能な作家と見なされた。彼はじきに優れた政治家、言語学者(7ヶ国語を書きポーとダンテをヘブライ語に翻訳)そして優秀な語り手として認識されるようになった。1935年に彼は、生ぬるい敗北主義の政策であると非難して世界シオニスト機構と別れた。彼は90%の移民と10%の政治家からなるイスラエル建設を信じ、同時に唯一の国語としてヘブライ語を使用させる政策を信じた(エスタブリッシュメントたちは彼を非現実的だと見なした)。1930年代には欧州に空軍と海軍の学校を作り、一方で同時に東欧からの完全な避難を呼びかけた。彼の書いた何百ものパンフレットの最後の一つは「11番目の時(The Eleventh Hour )」(1939)と名付けられ、それは60万人のポーランド・ユダヤ人の即時移住を求めていた。彼は誇大な警告者という烙印を推された。彼はニューヨークのハンターにあるベタールの支部を訪問している最中に心臓病で死亡した。

【引用、翻訳、終り】

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さすがにイスラエルで作られている年表だけあって、ムッソリーニのムの字も出てこない。そしてジャボチンスキーを「少々行き過ぎの面はあるが紛れも無い愛国者で欧州のユダヤ人の悲劇を予測して強く警告した人」というイメージで紹介している。「隠蔽と虚構」という大衆支配の原則に忠実に作られているようだ。またハガナーやイルグンなどの「創始者」と書かれているがこれは不正確で、「創設に関与した」という意味だろう。

なお、ハガナー(Haganah:「防衛隊」の意味)は、1909年に創設されたHaShomer(「自警団」の意味)がその前身で、1920年のアラブ人との戦いの時期からHaganahと改名され軍事組織として確立した。そして1948年のイスラエル建国の際に、イスラエル国防軍に変えられた。出身者の中にはイツァーク・ラビン元首相、アルエル・シャロン現首相、モシェ・ダヤン元国防相などがいる。

イルグン(Irgun:「民族軍事機構」)は1937年にハガナーから分離した過激組織で1948年にイスラエル国防軍に吸収される。創設者はAvraham Tehomi。英国はこれをテロリスト組織と見なした。1946年にはエルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆弾テロを起こし、1948年のデイル・ヤシン村での大虐殺の中心となる。メナチェム・ベギン、イツァーク・シャミール両元首相、モシェ・アレンス元国防相が代表的なメンバーである。

ベタール(Betar)は修正シオニスト青年運動で、上のイスラエル製の年表では1917年となっているがWikipediaでは1923年にラトヴィアのリガで、ゼエブ(ウラジミール)・ジャボチンスキーによって創設された、となっている。最初は過激な政治運動だったがやがてムッソリーニの協力で正式な軍事訓練を受けることになる。イルグンのベギン、シャミール、アレンスも所属していた。この組織は現在でも存在し、リクード党を支える様々な活動を行っている。

それにしても「心臓病で死亡」というのはどうも引っかかる。後にバチカンで、オプス・デイに都合の悪い教皇とバチカン幹部がやはり「心臓病」で急死している。ジャボチンスキーの60才の死は、1930年代に「東欧からの完全な避難」を、「(1939年に)60万人のポーランド・ユダヤ人の即時移住」を求めた後のことだった。何か臭うが今はそれには触れないでおこう。

●次に挙げるのは、ユダヤ人のシオニズム研究家レンニ・ブレンナーの作品である。これはインターネットではデンマークにある次のサイトに納められているもので、

REDS – Die Roten

http://www.marxists.de/index.htm

このHPの最初に次のような挨拶文が書かれている。

『マルクス主義者と社会思想に興味を持つすべての人々を歓迎します』

ここでの“Israel & Palestine”という項目の中に

http://www.marxists.de/middleast/isrpalndx.htm

ブレンナーの2つの長大で精緻な研究成果が記録されている。

一つは“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”

http://www.marxists.de/middleast/brenner/index.htm

そして“The Iron Wall”

http://www.marxists.de/middleast/ironwall/

である。

2つとも膨大な量であり、とても全部をご紹介するわけにはいかない。重要な箇所は数え切れないほどあるのだが、ここでは“The Iron Wall”の中に納められる“8. The Years of Fascism and Terror”

http://www.marxists.de/middleast/ironwall/08-fascter.htm

および“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”にある“10. Zionist-Revisionism and Italian Fascism”

http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch10.htm

そのごく一部だけを日本語訳してご紹介したい。ほんの短い紹介なのだが、日本でほとんど知る人のいない「ユダヤ・ファシズム」の問題について、一人でも多くの人が関心を持つきっかけになれば幸いである。

(本文にある出典を示す注釈は割愛するので、興味のある人は本文を参照していただきたい。また以下の訳文中で「・・・・・」と《 》で挟まれた箇所は、著者による他の文章からの引用である。Revisionismという用語に関しては、あまり良い訳とは思わないが、とりあえず最も一般的である「修正主義」と訳しておく。)

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“The Iron Wall”より“8. The Years of Fascism and Terror”

【翻訳開始、前略】

ファシスト・イタリアへの一層の接近

1930年代半ばには、システムとしてのファシズムに対する小さな異論を言い続けてはいたが、ジャボチンスキーは次第にイタリアの方に向かっていった。1934年9月にムッソリーニはチビタベッキア【Civitavecchia、訳注:ローマに近い港町】のscuola marittima(海軍学校)にベタールの部隊を作り上げた。そこで134名の研修生たちが有名な黒シャツ隊によって訓練を受け、1936年にイル・ドゥーチェ【訳注:ムッソリーニのこと】自身が彼のシオニストの言葉を論評した。イタリアに学校を作ったことによって、世界は修正主義(Revisionism)に対してファシストというイメージを固めただけだったのだが、傲慢なジャボチンスキーはほとんど気に留めなかった。彼はムッソリーニ政権との交渉を引き受けるイタリア人の支持者の一人に手紙で次のように書いた。我々はどこにでも学校を作ることができたかもしれないがしかし「我々は・・・ イタリアにそれを作り上げることを望んだのだ」と。1935年の4月までには、ジャボチンスキーはムッソリーニの弁護人ともいえるようなものになっていた。そして米国訪問中に、彼はシオニスト英字新聞the Jewish Daily Bulletinに『ユダヤ人とファシズム――いくつかの所見――そして一つの注意』という記事を書いた。

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《ファシズムの他の点についてほとんどの人が何一つ考慮しないにしても、ファシスト思想のイタリア版が、少なくとも人種的平等性のイデオロギーであることは疑う余地が無い。これを大したことでもないというふりをするほどに卑屈にならないでおこう。人種的平等性とはあまりにも些細な考えであって市民的自由の欠如とはつりあいが取れない、などと。これは正しくない。私は出版の自由が無ければ息が詰まってしまうジャーナリストなのだ。しかし私は、市民的権利の尺度の中で、たとえ出版の自由であっても、すべての人間の平等より優先すると言うことは単に冒涜的なだけである、と断言する。平等が最初だ。常に最初だ。絶対に最初だ。そしてユダヤ人はそれを覚えておくべきである。そして、この原則を維持する政権がある状況で部分的に共食いをする動物のようになっても、十分にその欠陥を償うのだということを心にとどめるべきだ。それは批判されるかもしれないが排除されるべきではない。他にも十分に多く呪いのための言葉がある。ナチズム、ヒトラー主義、警察国家など。しかし「ファシスモ(“fascismo”)」という言葉はイタリアが使用権を持つ用語であり、そしてそれゆえに、Billingsgate【訳注:ロンドンの下町にある地区で、そこで話される下品な言葉、という意味で使われている】の練習ではなく、正しい種類の討論のためだけにとっておかれるべきものである。特にそれが非常に有害な姿を表すかもしれないときには。その用語の【訳注:ファシスモの】政府は非常に強力な要素であり、イタリアが持つユダヤへの共感は、たとえば国際連盟の委員会で、多くの攻撃をかわすことになるかもしれない。偶然だが、パレスチナ問題を監督する議会の統治委員会議長はイタリア人である。つまり――私は孤児たち(年齢とは無関係だが)【訳注:ここではユダヤ人を指すと思われる】が警戒の呼びかけに従うことを期待しないのだ――責任ある指導者たちは注目すべきである。》

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「ファシスモ」への弁明は必然的に、イタリアのエチオピアに対する侵略によって相当に印象付けられる。英国はいまや地中海での最強の権力とは言い難く、1936年までに彼は新たな支配地域のために活動する時だと言い含められるようになった。喜んでアラブ人に対する最も厳しい方法を使用する意思を持って、である。「必然的に」と彼は友人に書いた。

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《the Ersatz【訳注:本来は「代用品」などの意味だが、ここでは英国の代わりにシオニズムの保護者となる国を指すものと思われる】はイタリアでも良いし、あるいは他のよりアンチ・セミティズムが少なくユダヤ人の移民に興味を示す国々の共同管理地でも、ジュネーブ【訳注:国際連盟】の直接の委任統治領でも、私が後で述べる第4の選択肢でも良い。6月10日-7月15日の以前に私は他の候補の第一を打ち出した。結論を言うと、まだ機は全く熟していないのだ。》

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ヘルツル(Herzl)の同僚であったジャコブ・デ・ハアス(Jacob de Haas)は1930年代の半ばに修正主義に転向していた。そしてこの老シオニスト戦士は1935年にウイーンにあった新シオニスト機構(NZO)の設立会議に出席していた。彼は米国に戻るとすぐに、シカゴのJewish Chronicleに彼が持っていた毎週のコラムにそのまとめを次のように書いた。『代表者たちはファシストではなかったが、民主主義への忠誠を失っていた彼らはアンチ・ファシストではなかった。しかしながら彼らは極めて反共産主義的であった。』この老人は米国で書いていたのだが、自分自身をファシストとは見なさなかった。ファシストと言う言葉は米国では珍妙であったのかもしれない。そこで彼は自分の同僚を単に反民主主義であると考えるようにした。しかしNZOの資金担当者であり東欧での彼らの外交担当者だったウォルフガング・フォン・ワイスル(Wolfgang von Weisl)が、「修正主義者たちの中には様々な意見があったが、一般的には彼らはファシズムに親近感を覚えていた」とブカレストの外交文書で語ったとき、彼は間違いなくずっと正確であった。彼は質問者に対して「彼【訳注:ジャボチンスキー】は個人的にはファシズムの支持者であり、アビシニアでのファシスト・イタリアの勝利を白人種の黒人に対する勝利として喜んだ」と断言した。このような意見はローマで多くの人気を得ており、後にローマのチーフ・ラビとなるダヴィッド・プラト(David Prato)に次のように語ったのはムッソリーニ自身である。

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《シオニズムが成功するためにはあなた方はユダヤの旗とユダヤの言語を持つユダヤ人国家を持たなければならない。このことを本当に理解する人物はあなた方のファシスト、ジャボチンスキーである。》

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このようなことが、1936年のアラブ人反乱に直面した運動だったのだ。

【中略】

1938年のベタール会議

メナチェム・ウォルフォヴィッチ・ベギン(Menachem Wolfovitch Begin)は1930年代の修正主義の若き唱導者であった。そして、膨らみつつあったナチの脅威に直面して次第にベタール軍事組織の熱狂的な精神を高めて表現していったのは彼である。彼らの自暴自棄の激情はパレスチナの即座の征服を叫ぶ形をとった。1938年9月11日のワルシャワでのベタール世界会議で、この若い過激主義者は彼らの誓いを修正するために登場した。アルロソロフ(Arlosoroff)暗殺の後、ジャボチンスキーは一つの言葉をその中に挿入していた。『私は防衛のためにのみ私の腕を挙げる』しかしそのときにベギンはそれを次のように修正するように主張した。『私は我が民族を防衛し我が祖国を勝ち取ることのために私の腕を挙げる』ジャボチンスキーは英国を倒すどんな小さなチャンスも無い事を知っていた。1940年にはまだ、パレスチナへの侵攻という包括的な思考は彼の心の中では半信半疑のものであった。(おそらく彼の関心を引いたのは今この場面で武器を手に入れて訓練を行うチャンスだということであったろう。)彼はベギンを責めた。それは悪評を立てるだけだ、と彼は言った。しかしベギンの演説は彼の心に「ドアのちょうつがい無益なきしみ」以上の印象を与えなかった。彼にとっては「軍事シオニズム」はワイツマンの実践的シオニズムの対極であった。彼は聖書の第一行目を自分の手で書きなおした。『最初に神が創造した――政治家たちを』と。『ベギンさん、もしあなたが世界に良心が残っていると信じないのなら、あなたにはVistula川【訳注:ポーランドの中央部を流れる川】の深みに行く以外の選択は無い。』あるいは共産主義者になるか、である。

【後略】

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“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”より“10. Zionist-Revisionism and Italian Fascism”

【前略】

修正主義者たちはファシストとの関係を合理化する

ムッソリーニに対する傾倒は完全な破局に終わった。アラブ人、英国人、そしてユダヤ人の反対者に対して盲目的にハンマーを振るいながら、修正主義者たちは次に何がやってくるのかを見ようとしなかった唯一の者たちであった。エミール・シェキブ・アルスラン【Emir Shekib Arslan、訳注:親ソヴィエト的な汎イスラム主義運動の指導者】からムフティ【the Mufti、訳注:一般的にはイスラムの律法学士だがここではパレスチナのイスラム指導者を指す。】に宛てられた手紙の写真が、親イタリア・プロパガンダの広がりに関するものだったが、1935年にパレスチナの新聞に現れていたし、1936年までにはラジオ・バリがアラブ人たちに反英放送を鳴り響かせていた。その時期までに修正主義者たちはムッソリーニを弁護することに慣れていたので、彼らは彼がthe Muftiやパレスチナ人の運動に協力していたことを認めようとすらしなかった。1938年【訳注:この年の11月にイタリアはドイツに倣って「反ユダヤ法」を作った】になっても、米国の修正主義を代表する幹部のウイリアム・ジフ(William Ziff)が、その著作『パレスチナのレイプ(The Rape of Palestine)』で、イタリアがムフティと共謀していることを軽視しようと努めたのである。

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《反英国謀略と同時に反ユダヤを示唆する麗々しく選ばれた言葉で、英国外務省はイタリアにすべての非難を集中させた。自由主義の新聞全体が水の上に巧妙に撒かれたエサに惹かれる魚のように誘いにのった。狩りの後で熱くなった猟犬の群れのように、マルクス主義者の新聞は攻撃的に叫び声を上げた。》

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修正主義者たちが明らかに負け馬に賭けてきたという事実をよそに彼は続けた。

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《もしも厳格な現実主義者であるムッソリーニが、ユダヤ人たちを英国の影響から引き離すことができていたのなら、彼はそれをおいしい商売と見なしただろうということは疑う余地が無い。彼が友好的な関係であった強力な独立シオンは完璧に彼にふさわしいものであったろう。ユダヤ人たち自身が英国贔屓でがんじがらめになってこの見込みを断ち切ったのである。そしてムッソリーニはシオニズムを、英国政治の他の新設分野と地中海での経済的拡大を単に包み隠すだけのものであると見るようになっていた。このようにしてそれは、ムッソリーニの心の中に反イタリア勢力として立ち現れているのだ。にもかかわらず、イタリアの介入がパレスチナにおける最近のアラブ人反乱の要因であることを証明するための証拠はひとかけらも提示されていないのだ。》

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結局のところ、ムッソリーニにヒトラーを援助するように説得したのはパレスチナではなくスペインであった。ムッソリーニは、自分とヒトラーが今やどこであろうと革命を排除するためにまとまらなければならない、そして彼が帝国の拡張を期待できるのはドイツとの協力関係を通してだけである、ということを理解した。しかし彼はまた、ヒトラーと同盟を結びながら自分の党の中にユダヤ人を抱えることが不可能であることも知っていた。したがって彼はラテン化されたアーリア主義(a Latinised Aryanism)を調合した。党と経済からユダヤ人を追放し、戦争に向かって加速をつけた。修正主義者たちは正当な理由のゆえに誤ったと宣言した。

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《長年にわたって我々はユダヤ人たちにイタリアのファシズム政権を攻撃しないように説得してきた。イタリアにおける最近の反ユダヤ法について他の者たちを非難する前に、我々は率直になろう。まず起こったことに責任ある我々自身の過激なグループを咎めることにしようではないか。》

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ムッソリーニのヒトラーへの急接近に伴って、修正主義者自身のファシズムはユダヤ人世界の中で信頼不可能となった。そしてジャボチンスキーが1940年8月にニューヨークで死亡したときに、彼らは大あわてでRosh Betarの看板を下ろした。それはファシズムの臭いを漂わせていたのである。彼らは自分自身がファシストであったことを認めようとしなくなる。単にジャボチンスキーの靴を誰も履くことができなくなっただけだが。最近の修正主義の年代記編者は必然的にAchimeirのような彼ら内部のファシストの役割について避けようとする、あるいは過小評価しようとする傾向がある。チビタベッキア【訳注:1934年からベタールの部隊が黒シャツ隊によって訓練を受けた場所】は通常「イスラエル海軍がここで訓練を受けた」と申し訳程度の記述で済まされてしまうのだ。

【引用、訳出、終り】

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●もちろん上の訳出部分はレンニ・ブレンナーの膨大で精緻を極めた研究の中でほんのかすった程度の部分に過ぎない。忘れてならないことは、ムッソリーニと手を結んでいたのが決してジャボチンスキー率いる「修正主義者(レヴィジョニスト)」だけではなかったという事実なのだ。(もちろんブレンナーも他の研究でこれに触れている。)シオニズム創始者のチャイム・ワイツマンや主流派幹部のナウム・ソコロウなどは、もちろん自らを「ファシスト」とは見なさなかったが、ジャボチンスキーの以前に積極的にファシスト党に接近していたのである。イタリア在住のシオニストたちも1938年まではファシスト党と蜜月の関係にあったのだ。

確かに現在のシオニストたちはジャボチンスキーのことを詳しく語りたがらないようだ。またファシスト直系に近い現イタリア・ベルルスコーニ政権と彼らとの極めて親密な仲、およびベルルスコーニとADLフォックスマンの肝胆会い照らす友情の一方で、彼らは双方してシオニズムとファッショ・イタリアとの関係を覆い隠すのに必死の様子である。ジャボチンスキーを洗い始めると、「修正主義者」だけでは済まなくなり、その他の関係までボロボロと姿を表してくるからかもしれない。

そしてここに一つの重大な疑問が残る。先ほどのブレンナーの研究によると、1938年にムッソリーニが「反ユダヤ法」を制定した後で、特に1940年のジャボチンスキーの死後、「修正主義者」たちの評判と権威は地に落ちた・・・・かのように見える。しかし彼の後継者たちによる本当の意味の「ファシストらしさ」が発揮されるのは実はこの後なのだ。これはどういうことなのか? 彼らは本当にブレンナーの言うように『負け馬に賭けた』のだろうか?

このシリーズの第1回目でも触れたことだが、ヒトラーとムッソリーニの仲を取り持ったスペインのフランコが数万人にのぼるユダヤ人たちをスペイン経由で逃がし、「修正主義者」たちの望みどおり、英国の意向を無視して直接パレスチナに送り込むことすら行っていたようである。(送り込んだ、ということは「すでに合意され双方で確認された受け入れ態勢ができていた」という意味なのだ。)これは「公式な歴史」の中では決して触れられない。表向きは1938年の「反ユダヤ法」でつながりが切れたことになっているファシスト陣営とシオニストとの間に、実際には何があったのか?

そしてあれほどナチズムとファシズムが非難され排除された(はずの)大戦後にも、ベタールが失われることはなかった。またハガナーから袂を分かった(とされる)イルグンを率いたメナチェム・ベギンやイツァーク・シャミールなどのジャボチンスキーの後輩たち(彼らはチビタベッキアで黒シャツ隊から直接の訓練を受けていた!)は、ユダヤ人の移住をコントロールしようとする英国に対してテロ攻撃を仕掛け続け、なおかつ決してつぶされるようなことはなく、むしろ勢力は拡大した。さらにその政治部隊はヘルート党を経てリクード党に続き1977年にはついにベギンが首相となる。その間イスラエルはジャボチンスキーの「鉄の壁」ドクトリンを実行し続けていたのである。

私はこういった「修正主義者」の活動が、強大なパトロン無しに、彼らの思想と意思と情熱だけで達成されると信じるほどお人好しではない。「修正主義」の流れが英国に潰されずむしろ強大になっていったのは、ダブルスタンダードの英国が一方の手で彼らを支えていたか、英国も黙るほどの巨大なパトロンが控えていたか、あるいはそのすべてが茶番劇であり各関係者同士の「了解事項」として進められていたか、の、いずれか以外には考えようが無いのではないか。

確かにムッソリーニ個人は『負け馬』に違いない。いや、もっと正確に言えば『負け馬の皮』ではなかったのか。脱ぎ捨てられ放り投げられた『皮』は間違いなく『負け馬』であろう。しかしその本体は? イスラエルの一方でイタリアでもファシズムが消えることは決して無く、バチカン(オプス・デイ)や英米諜報部と密接につながりながら、公開されない部分で実力は十分に維持され拡張すらされてきている。シオニズムとイタリア・ファシズムとの関係は、本当のところ一体何だったのか?

●この第2次大戦前のシオニストとムッソリーニとの関係については、ジャボチンスキー自身からちょっと離れて他の方面からも眺めてみなければならない。しかしその前に、今現在、西アジアと欧州から米国にまたがって、茶番劇の舞台裏で世界を操るユダヤ・ファシストの影を追ってみたい。

【追補】

もう一人の『負け馬』であるヒトラーに、ロックフェラー、ブッシュ爺、ハリマン、フォードなどを含む米英資本のパトロンがちゃんと控えていたことは周知の事実であろう。どうやらシオニストもヒトラーと「浅からぬお付き合い」をしていたようだ。しかし彼もまた『皮』に過ぎなかったであろう。本体であるドイツ大資本およびそれにつながる米英大資本は、びくともしないばかりかますます繁栄を極めている。さらに「バチカン・ラットライン」からも明らかなように諜報組織にもツーカーの連絡網があった。このドイツの極悪人は、生きて利用する価値が無くなったときに捨てられて、その後にはそれぞれの立場で都合の良いようにその悪名を利用される「偉大な役」を、そのパトロンからおおせつかったとみえる。

ヒトラーを「悪の権化」に祭り上げておいて人々の怒りと警戒をそこに集中させ、その陰で好き放題に悪事をはたらく一枚上手の悪党どもが多いようである。コイツらは必ず「ホロコースト」を持ち出す。ネオコンの教祖レオ・シュトラウスとブッシュの一党はもちろん、このシリーズの(2)に登場するイタリア・ネオ・ファシストとイスラエルの直系ユダヤ・ファシストなど、格好の例だろう。(ベルルスコーニやフィニがヒトラーへの悪口を上手に利用していることは有名。)当然だが、コイツらはヒトラーのパトロンやってた連中と直接・間接の豊富なつながりを持っている。

ところで『勝ち馬』の一人となったスターリンはどうだろうか。スターリンとシオニズムの関係は、いろんな資料はあるのだが、本当のところを探るのには少々面倒なようだ。これは後年の課題としておこう。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 20 日 09:10:47: SO0fHq1bYvRzo

これは下の阿修羅投稿に続くものです。

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http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(2)ゾンビどもの跳梁

●どのような悪も悲劇も、それが「過去のこと」で終わっているのなら、悪党どもが死んでそれで終わっているのなら、あとは正確に研究して記録し、将来のための教訓とするべきものであろう。

しかしもしその悪党どもがゾンビのように生き続け、正体を誤魔化して過去にも増して活発に悪事を働き続けているにもかかわらず・・・・、「教訓とすべき過去」を語る、などとというのであれば・・・・、ましてそれを語る者たちが紛れも無いそのゾンビども自身とその手先であるとするならば・・・・、その悪と悲劇は3倍にも5倍にもなって将来に降りかかることになる。

●次の資料はJewschoolというサイトの中の1ページである。標題のLikudnik Fascholesはおそらく「ファシストのリクード党」という意味であろう。またモビウス(Mobius)という筆名の著者はどうやらユダヤ系の「オーソドックス・アナーキスト」を自称しているようだ。

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http://www.jewschool.com/2003/11/likudnik-fascholes.php

ファシストのリクード党

投稿Mobius 2003年11月24日

第2次大戦中のイタリアの独裁者であったベニト・ムッソリーニの孫娘が、世界中がイスラエルからの「許しを請わねばならない」、と言った。

ワーォ。

イタリアのネオ・ファシストである国民同盟党のメンバーであるアレッサンドリア・ムッソリーニは、ジアンフランコ・フィニ【訳注:イタリアの副首相兼外相】といっしょにイスラエルを巡回しているのだが、フィニはまた今週「自分の国のファシスト的過去を非難しそして人種主義やアンチ・セミティズムと闘うために学ぶべき教訓を語った」そうだ。

これは非常に奇妙な弁解であり、ある歴史的な疑問をもちあげるものである。たとえば、ファシスト・イタリアの中でユダヤ人たちがいかにひどい目に遭ったのか、そしてそのような言い訳が正当化されるようなものなのか。ある資料(The Jewish Pressからの引用)によると、

『イタリアのユダヤ人たちは、欧州の中で最も高度にその国に融合していたのだが、実際に他の国々の同胞たちに比べるとはるかに多く生き延びている。しかし、およそ1939年に35000名いた中の8000名のユダヤ人が収容所から戻ることは無かった。イタリア人たちが全体としては人種主義に嫌悪を覚えていた一方で、ムッソリーニはヒトラーと合意したとおりに1938年に人種主義法案を押し通すことに成功した。そしてイタリア軍はしばしばユダヤ人たちに対して人間的な態度をとったのだが、フローレンスやその他どこでもファシスト指導部はその殺人的な残酷さで悪名高かった。』

さてさて、こういうことだ。イル・ドゥーチェの殺人鬼ども、である。

しかしそれでも、他の問題が残っている。ウラジミール・ジャボチンスキーと彼の修正主義党は? しばしば「ユダヤのヒトラー」と呼ばれるジャボチンスキーは、ファシストであることとムッソリーニの友人であることを誇りにしていた。今日のリクード党が、アリエル・シャロンがメンバーの一人なのだが、実際にジャボチンスキーの修正主義党のなれの果てであることは注目されるべきことだ。修正主義党と全く同じように、リクードは、軍国主義的、拡張主義的、人種主義的な政治姿勢を提唱している。もしリクードがファシスト政党の流れにあるものならば、そのイタリア・ネオファシストたちとの関係は、ブッシュ政権との関係でもそうであるように、驚くようなことではあるまい。確かに驚くようなことではないが、しかし、どうあっても警戒すべきものである。

【引用、翻訳、終り】

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私に言わせるならば、著者の目はまだ甘い。現在のシオニストたち自身が、シオニズムにとって「イタリアではユダヤ人に対する抑圧がシオニズム発展のために必要なことであった」と事実上認めているのだ。

(参照:阿修羅投稿)

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/671.html

ベルルスコーニを罵倒する:(3)シオニズム=イスラエルとのクサ~イ関係

イタリアでの『35000名いた中の8000名のユダヤ人が収容所から戻ることは無かった』状態を本当に望んだのは、ヒトラーなのか、それともシオニストなのか。

●次に、アルゼンチン労働党のネット週刊新聞プレンサ・オブレロ(労働新聞)からの引用で、標題は『嘆きの壁の中にいるムッソリーニ』、著者はパレスチナ社会主義労働者同盟のイツァーク・ベツァレル、日付は2003年12月4日である。

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Prensa Obrera

Semanario del Partido Obrero

http://www.po.org.ar/po/po828/mussolin.htm

嘆きの壁の中にいるムッソリーニ

Ytzhak Betzalel

Liga de Trabajadores Socialistas (Palestina)

国民同盟党の党首で、イタリアのポスト・ファシストの副首相であるジアンカルロ・フィニ【訳注:本当は「ジアンフランコ」なのだが、英語圏でしばしば「ジアンカルロ」と誤って書かれるようだ】は11月の終りごろにイスラエルを訪問した。首相シャロンの与党であるリクードの指導メンバーの一人ユヴァル・ステイニッツは、クネセット(議会)の外交・防衛委員会の委員長なのだが、フィニのことを「イスラエルとユダヤ民族の友人」(Haaretz, 26/11)であると宣言した。

ホロコーストとナチズム、および北イタリアにあったヒトラーの傀儡国家であるサロ共和国を「我が民族の歴史上の汚点である」と「非難した」一方で、フィニは、単にムッソリーニの政策の後継者である自らの責任ばかりでなく、ファシズムの社会的基盤、すなわち、民衆の政治的・社会的なあらゆる抵抗を抑圧するための、ブルジョア帝国主義の過激な政治論をも覆い隠したのである。挙句の果てには、フィニは大資本の代表として、自分の政党ではなくイタリア「国民」に、ファシズムの責任を負わせたのである。

しかしながら、フィニがエルサレムのヤッド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)と嘆きの壁を訪問した理由は、第2次世界大戦中の何百万人もの虐殺されたユダヤ人(約1万人のイタリアのユダヤ人を含む)におけるイタリア・ファシズムの責任に関して悔い改めることではなく、パレスチナ人の闘いを押し潰すシャロンの政策を援助するためである。リクードの一部の政治家はそれについて『ここでの批判者の一部よりももっとシオニスト的である』と判定する。彼が「アパルトヘイトの壁」の建設を援助する数少ないヨーロッパ人の一人に違いないからである。駐イタリアのイスラエル大使エフッド・ゴルはフィニを『ヨーロッパで極めて重要性を持つ男であり、正義はイスラエルの側にあると考える男である』 (Haaretz, 26/11)と形容するのだ。

フィニは、イスラエルを中東で唯一の民主国家と持ち上げるのだが、民主主義と民主化の名をかたるファシストのやり口を表している。フィニはヤッド・ヴァシェムを訪れたときに「ショックを受け」て「恐怖を覚えた」のだが、しかし、シオニズムの本性をそのヤッド・ヴァシェム博物館で見つけられるはずがない。それはガザ、ラマラーや占領地のあらゆる通りで見つかるものなのだ。それはこのアパルトヘイト統治の中で、またイスラエル政府の資本家政治に対抗して戦うユダヤ人とパレスチナ人の労働者の持つスト権や他の権利を抑圧する意図の中に見つかるものなのだ。

結局のところ、シオニズムはホロコーストとファシズムに対する戦いを自分の手にしたことは無いのである。それはアンチ・セミティズムの協力者だったのだ。ゼエヴ・ジャボチンスキーはペティルラ(Petilura)と同盟を結ぶ交渉をしたのだが、この人物は897の異なるポグロムで28000人のユダヤ人を殺したポグロム指導者であるウクライナのファシストだった。ジャボチンスキーは、赤軍とロシア革命に対抗する反革命戦争でペティルラ軍勢と一緒に戦うためのユダヤ政治勢力を提案したのだ。

ムッソリーニはベタールの軍事組織を確立させたのだが、それはジャボチンスキーに率いられる修正シオニストの青年運動だった。彼らはそのファシスト連中に見習って黒いシャツを着ていた。メナチェム・ベギンがベタールの指導者になったときに、ヒトラー一味の茶色のシャツを好んだ。それがベギンとベタールのメンバーがすべての政治会議で使用したユニフォームであり、彼らはファシスト式の敬礼でその会議を賛美し開きそして閉会したのである。

1933年にはドイツのシオニスト支部がナチ党に援助の手紙を送った。その中でこの支部は次のように書いていた。『・・・・ドイツ人の生活に起こったような国民的生活の再生は・・・・同様にユダヤ民族グループの中にも起こらなければならない。』『新たな国家の基盤の上に、ナチはその民族の原理を確立させてきたのだが、我々は、我々の社会の構造全体、我々に割り当てられた領域の中に適用したいと熱望している。愛国心による実りのある活動は可能である・・・・』(L. Brenner, ‘Zionism in the Age of the Dictators’, Wesport. 1983:48)

「社会主義」シオニズムが何かよりましなことをやったわけではない。たとえば、ベン・グリオンは1938年に英国でのあるシオニスト労働党の会議で次のように指摘した。『もし私がドイツにいたすべての子供たちを英国に運んで救うことが可能であったと知っていたとしたら、そしてもしそのわずか半分だけがイスラエル(エレツ・イスラエル)に移送することが可能であったとしたならば、その場合には、別の選択肢を選んだであろう。(Brenner, idem:149)』 パレスチナを植民地化しアラブ人を追放するというこの妄想によって、シオニスト運動は、絶滅にさらされるユダヤ人を救出するあらゆる方法に反対したのだ。なぜなら、えり抜きの労働力をパレスチナに迂回させる可能性を妨害するかもしれなかったからだ。

1933年から35年までに、WZO(世界シオニスト組織)は、移住の許可書を請求したドイツのユダヤ人の3分の2を拒否したのである。

ヨーロッパにシオニストの政策に対する反対が盛り上がるときに、そしてパレスチナ人に対する同情が帝国主義戦争反対のデモの中や反グローバリゼーション運動の中に現れているときに、あのプロ・ファシストとシオニストの政治家たちは欧州のファシストどもの援助を必要としているのである。そして逆もまた真なのだ。

【引用、翻訳、終り】

*下は同記事の英語版へのリンク

http://www.po.org.ar/english/828art.htm

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「パレスチナ社会主義労働者同盟」に所属するというこの文章の筆者の視点は、シオニズムを本質的にはイスラエルの中の資本家階級による思想、と捉えているようだ。そして特にジャボチンスキーの流れを汲むリクード党は「労働者の敵」であると同時に「ナチスやアンチセミティズムに協力して同胞をヒトラーに売り渡したユダヤ民族の裏切り者」、「社会主義」シオニストたちにしてもそれに準ずる「多くのユダヤ人を見殺しにした裏切り者たち」である。現在においても都合が悪くなると欧州のネオ・ファシストと野合してアラブ人とユダヤ人労働者を抑圧する許しがたい暴君である、ということだろう。

筆者がシオニズムについて主に使用している情報はおそらく歴史家のレンニ・ブレンナーの研究によるものだろう。確かにブレンナーとその周辺の左翼の研究家たちが「シオニズムの裏切り」について最も豊富な研究を行っている。

●ただ、ここでちょっとジャボチンスキーから話がそれるのだが、この記事の著者イツァーク・ベツァレルだけではなく、ユダヤ人で左翼を自認する人たちのほとんどは「ホロコースト」が歴史的事実であったことを強固に信じている。その代表がブレンナーであり、『ホロコースト産業』の著者ノーマン・フィンケルシュタインであろう。

彼らのシオニストへの勇気ある挑戦と真摯な研究に対しては正直に敬服するが、ただその「ホロコースト」に対する姿勢が、彼らの中に致命的な欠陥を作りまた彼らにとってどうにもならない壁を作ってしまっているように思えてならない。(彼らほどの勇気と突っ込んだ研究も無しに尻馬に乗って彼らを自らの権威付けに利用するような連中はこの際相手にしない。)

彼らにとっては「ホロコーストとヒトラー」が「超越的・絶対的な悪そのもの」であり、これに関してはもはや「宗教的」としか言いようが無い。ちょうど「神」が超越的・絶対的な「善そのもの」であることの裏返しとなっているようなものだ。ブレンナーが自分の著作をある「レヴィジョニスト」に引用されて激怒した、と聞くが、まさに「ホロコーストとヒトラー」が『神聖不可侵な悪(?!)』となっているようだ。話がこれに及ぶともう理性も何も無くなってしまう。次のように述べるイズラエル・シャミールの方がはるかに理性的だろう。

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http://www.asyura2.com/0505/war74/msg/722.html

イスラエル・シャミールがシオニズムとの闘いを語る(レッ・ボルテール、レベリオン

【前略、引用開始】

そんな否定論の問題については全く知りません。一体どうしてフランス人が第2次世界大戦のことについてそれほど議論をするのか、それすら理解できません。それははるか昔に終わったことなのです。しかしご質問をされたのだからお答えしましょう。私が厳しく詮索するのはホロコーストに基づいた論調なのであって、その行為自体ではありません。これらの行為は一つの論調にそれをはめ込む瞬間から明確な意味合いを帯びてくるのです。そのホロコーストに基づいた論調は、一人のユダヤ人の生と死がゴイ【非ユダヤ人:訳注】のそれよりもずっと重要であるという考えに連結しています。私に言わせると、ホロコーストは、ヒロシマやドレスデンやあるいはレニングラードでの飢餓状態などの、他の戦争犯罪よりも悪い、と言えるものではありません。それは1939年から1945年までの間に作られた恐ろしい出来事の一つなのです。ホロコースト特有の宗教的・歴史的な意味は、私は拒絶します。私にとってそれは、あの戦争についてもっと平等な視点を持つ他の議論と並び立ちうる一つの思想を構築することなのです。

【後略、引用終り】

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ヒロシマの死者に対するシオニスト・ユダヤ人たちの「殺されて当然だ」と言わんばかりの傲慢な態度こそが、アウシュビッツの意味を失わせているのではないのか。すでに「肯定論者」からすら否定されている「600万人」を一歩も譲らないのが単に現在と将来の経済的な理由であることはみんなが知っていることである。

彼らの態度が上記のようである以上、現在「ホロコースト・プロパガンダ」「アンチセミティスト・レッテル貼り」に狂奔しているのが、イツァーク・ベツァレルが『あのプロ・ファシスト』と罵倒する当のシオニスト(ユダヤ・ファシスト)自身である現実を直視できないのだ。どうがんばっても精々が「絶対悪であるナチスに協力した『ユダヤ人に対する裏切り』」とその「道徳的罪」に対する非難で終わらざるをえないだろう。

現にブレンナーの著書「51の文書:ナチに対するシオニストの協力」に対して英国のシオニスト集団の機関紙Jewish NewsがAmazon.co,ukに圧力をかけた問題に関して、シオニストのJon Benjaminから「お前が言っていることは、9・11にイスラエルが絡んでいるなどという新しいアンチセミティズムを力づけるだけだぞ。それでもいいのか。」と脅しをかけられると、ブレンナーは(少々戯画化して描くが)「いやー、そのー・・・・。私も9・11とイスラエルは関係ないと言ってるんですがねぇ・・・・。私はただ独裁者時代のことを言っているだけなんでして・・・・。」と、とたんにしどろもどろになってしまう。こりゃ、だめだ。(ブレンナー氏は先日のアンマン爆破事件など、どう見ているのか? 過去の資料の研究に忙しくて現在の問題には盲目、というのなら何のための歴史研究なのか?)

(参照)

http://www.counterpunch.org/brenner05252005.html

The Plot to Stigmatize “51 Documents” on Amazon.com

事実はまさしく!Jon Benjaminの言うとおりなのだ! 『「9・11にイスラエルが関与している」と言うことが「新しいアンチセミティズム」』である!

これを多くの左翼ユダヤ人たちはどう見ているのか? かつてユダヤ人迫害を必要としていたのがシオニストであり、そのシオニストによる「ユダヤ人迫害の利用」は現在も延々と続いている、いや彼らの政治目的に沿ってますます強化されているのだ。この最も現在的な視点こそが「シオニズム研究」の眼目ではないのか?

彼らは決して「絶対悪に協力した裏切り者」などではない。ヒトラーとともに「絶対悪を演出した主犯」であり、さらにその背後に米英巨大資本(ブッシュ爺を含む)、およびその目標の実現に励む米英諜報機関がある。そして今日、またしても、「ナチズムに対する反感ゆえに?!米国のファッショ化に狂奔する!?」レオ・シュトラウスの一党と連なる極右シオニストが、「イスラム・テロの絶対悪」を演出しているのだ!

(参照)

http://asyura2.com/0505/cult2/msg/401.html

レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(3)

●ブレンナーが書きベツァレルが引用したと思われる箇所で、なぜ『1933年から35年までに、WZO(世界シオニスト組織)は、移住の許可書を請求したドイツのユダヤ人の3分の2を拒否』する必要があったと考えるのか? 『えり抜きの労働力をパレスチナに迂回させる可能性を妨害するかもしれなかった』とどうして言えるのか?

「労働力」というのなら、以下の阿修羅投稿でも明らかであるように、シオニストはアラブ諸国に「離散」していたユダヤ人たちを、爆弾テロを含むあらゆる手段を使って「迫害」を演出し、手当たり次第に強引に狩り集めていたのである。これが彼らの偽らざる基本姿勢なのだ。

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http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/454.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第1部)

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/535.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第2部)

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/622.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第3部)

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また、アウシュビッツが「ユダヤ人迫害の場」(実際はユダヤ人と同時にジプシー、同性愛者、左翼主義者、心身障害者などに対する迫害の場)だったことに一点の疑いを持つ余地は無いにしても、『ユダヤ人を絶滅させるための場』でなかったことは、当の「絶滅収容所」を信じて疑わない(疑うことを許されない)人たち自身の調査からも明らかにうかがえることであろう。以下を参照していただきたい。

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http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/123.html

ナチ収容所で死んだ5000人のスペイン人たち(エル・ムンドより)

【引用開始、エル・ムンド紙の記事より】

証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られ、両親はそこで死亡したが、彼はまだ子供だったのでマウトハウゼンに送ってこられた。

「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。私たちが解放されたときに私は彼に、私を一人にしないでくれ、と頼みました。そして彼は私を連れて出ました。私のような子供を背負っていくのは大変なことでした。私は生きるために盗みを働くことに慣れていたのです。」メイァは語った。彼は現在フォルメンテラ(Formentera)で事業を営んでいるが、ドイツには決して戻ろうとは思わなかった。「私はドイツにはアレルギーを持っています。言葉に対してすらです。これは体にしみこんでいます。」他の兵士たちとはやや異なった視点から語るこの男はこのように強調した。

【引用終り】

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/105.html

マウトハウゼン収容所でも「ガス室」の大嘘?

【引用開始】

またご紹介したエル・ムンドの記事に書かれているユダヤ人の少年シーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)についても「アレ?」と首をかしげました。両親がアウシュビッツで亡くなった、ということですが、労働力にならない小さな子供をわざわざポーランドのアウシュビッツからオーストリアのマウトハウゼンまで移送するのかな?と奇妙に感じたからです。

彼は解放の1年前、つまり1944年にマウトハウゼンに移されたようですが、アウシュビッツが本当に「絶滅収容所」なら、両親が死んだ後(その死因についてもエル・ムンドの記事には書かれていない)どうして労働力にならない彼を生かしてここに移したのか? 彼が一人のスペイン人の世話で苦しみながらも生き延びることができたのは本当に良かったのですが、それはともかく、「絶滅収容所」に関しては重大な疑問が残ります。

【引用終り】

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私は敢えてここでは他の「レヴィジョニスト」「ディナイアル」と言われる人の言葉は引用しない。あくまでも私の言葉と私自身が翻訳した文献の表現で語る。ここでこれ以上「ガス室論争」について深入りするつもりは無いが、「ホロコースト史観」に呪縛されている人たちの限界は、いかに彼らが真摯にシオニズムの邪悪さについて研究したとしても、明白であろう。彼らも結局はあの真正ゾンビどもが演出する「過去」に操られるだけのゾンビの一種と化してしまっているのではないのか。彼らが真面目な人たちであると信じるがゆえに、私はそれが残念でしょうがないのだ。

●今回はここまでとし、次回はジャボチンスキー自身と彼の「修正主義シオニズム」党の足跡を具体的にたどっていくことにしたい。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 16 日 22:20:26: SO0fHq1bYvRzo

最初にお断りしておきますが、この「ユダヤ・ファシズム」とは私の造語ではなく、シオニズムの創始者チャイム・ワイツマンが、ウラジミール・ジャボチンスキーの「修正シオニズム」運動に対してつけた名称です。

またジャボチンスキー自身もファシズムを称揚し自らをファシストとして誇示していました。彼は1940年にニューヨークで死亡しますが、彼が基礎を置いた「ユダヤ・ファシズム」の流れは、シオニストとイスラエルの中で「極右排外主義武闘派」として強力な勢力へと育ち、血に飢えたテロリスト集団イルグンを経てリクード党に連なります。

そしてイスラエル歴代の首相――イルグンの統帥者でデイル・ヤシン大虐殺の実行犯メナチェム・ベギン;同じくイルグンの中心人物だったイツァーク・シャミール;サブラとシャティラのパレスチナ難民キャンプで大殺戮を繰り広げたアリエル・シャロン;そのシャロンも恐れる凶悪な民族排外主義者ベンジャミン・ネタニヤフ――を輩出することになります。加えて、チャイム・ワイツマンの甥で前イスラエル大統領のエツェル・ワイツマン、現米国大統領ブッシュの「師匠」であるナタン・シャランスキー等々を含む、押しも押されもせぬ血まみれの極悪集団の歴史を作ることとなります。

その間イスラエルは、パレスチナ人に対する大量殺人、拷問、生活破壊はもちろん、国内の人種差別に対する告発を脅迫と暴力で押さえ込み、そして「ホロコースト」を『水戸黄門の御印籠』として全面活用して他国を沈黙させ、その上でIAEAの査察を拒否しつつ400発と言われる核兵器を所有して中東と欧州各国を脅迫し、現在「対テロ戦争」の卑劣な謀略テロを通して中東一帯への支配権拡張に励んでいます。

まさにイスラエルこそ地上最悪の民族排外主義ファシズム国家と言えるでしょう。現在、欧州や米国で繰り広げられている「アンチ・セミティズム」レッテル貼り作戦は、そのイスラエル国家の正体を隠蔽してその野望を達成するために、彼らにとってどうしても必要な「我が闘争」なのです。

何回のシリーズになるのか、はっきりした予定は立ちませんが、私が調べて文章化できた限りのことを次々と発表していきたいと思っています。私自身も「今から勉強する」といったようなテーマですので、毎回あまり統一性は無いかもしれませんが、この系譜は日本ではどうやらあまり知られていないようですので、私が「尖兵」となって突っ込んでいきましょう。どうか私よりももっと才能のある人が、この「イスラエル国家とシオニズムの正体」解明の作業を完成させていっていただきたいと思っています。

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ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

●私がスペインの現代史を調べていてすっかり当惑してしまったことがある。たまたまだが、次の記事を読んだからである。

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http://www.forward.com/issues/2001/01.11.16/arts2.html

スペイン最初のファシストの生涯を再考する

アカデミーの外ではユダヤ人の恩人としてのハイル・フランコの声が

Jane and Burt Boyar著 『フランコに止められたヒトラー』への書評

ROMAN BRACKMAN

【前略】

すべて公式文書に残されていることだが、これらの事実は同時にユダヤ人の利益に対するフランコの努力を物語っている。恐らく6万人にも上るユダヤ人をナチの収容所から救った努力である。1940年に彼は、スペインで反ユダヤ人法を制定せよとのヒトラーの要求に対し、従うことを拒否した。その代わりにフランコは、フランス占領地とスペインの国境で行われたヒトラーとの会談の数ヶ月後に、マドリッドにヘブライ・セファラディック・近東文化の研究に専念する学究組織であるアリアス・モンタノ協会設立、および世界で最も優れたユダヤ文献である学術雑誌セファラディ(スペインおよびイベリア半島のヘブライ人)発刊の便宜を図った。彼はナチの追及を逃れるユダヤ人に対してスペインの国境を開き、スペイン大使館と領事館に保護とスペインのパスポートを提供するように命令した。

そればかりではない。1945年初頭にフランコは、英国の希望に逆らって、ユダヤ機関が収容所の生存者たちをパレスチナに密かに運び込むのを手伝った。1956年からは、彼はモロッコのユダヤ人たちに、スペイン領サハラを経由して一団となってイスラエルに向かって移動するための道を開いた。彼は1492年のスペイン・ユダヤ人追放令を破棄する公式文書にサインした。アラブ諸国がイスラエルに対して起こしたあらゆる戦争の間、フランコはアラブ諸国政府に対して処刑からユダヤ人を救うように個人的に仲介役を務めたのだ。

【後略。引用、翻訳終り】

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フランシスコ・フランコ(1892-1975)と言えば、ヒトラーやムッソリーニと手を組んでスペインに誕生した人民戦線内閣をクーデターによって倒し、国際旅団に参加した各国市民を含む数十万人を虐殺し、スペインに40年近い残虐な独裁政権をひいた、押しも押されもせぬファシストの代表格である。当然だがユダヤ人たちにとってはヒトラーと並んで蛇蝎のごとく忌み嫌うべき対象である・・・、というのがアカデミックな理解として無難なところだろう。

ところがそのフランコがユダヤ人を救うために多大の努力を払った、というのである。私も最初は目を疑った。しかしこの「フランコはユダヤ人の救い主だった」という話は、意外なことに様々な立場のユダヤ人から多く聞こえるのである。たとえば(引用はしないが)、

http://www.jpi.org/cshlcst1.htm

HOLOCAUST ‘MISCONCEPTIONS’(英語)

http://revista.libertaddigital.com/articulo.php/637

¿Fue Franco un antisemita?(フランコは反ユダヤ主義者だったか?:スペイン語)

http://www.travel-watch.com/Melilla.htm

The Jews of Melilla(英語)

先ほどの書評の著者である作家のRoman Brackmanも名前や経歴や他の著作からしておそらくユダヤ系と思われる。

●確かにフランコには、1492年のユダヤ人追放令の際にキリスト教に改宗して密かにユダヤ教を守り続けた、いわゆるマラノの家系ではないか、という疑いが昔からあるようだ。これについては以下の私の阿修羅投稿を参照していただきたい。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/365.html

オプス・デイ創始者はユダヤ系か?(フランコも?カストロも?)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/662.html

否定論は未だに見つけていませんが、いくつかの興味深い資料をご紹介します。

しかしたとえ彼がユダヤ系のスペイン人であると自覚していたとしても、それだけで「ユダヤ人をヒトラーの手から救い出す」理由になるとは思えない。ユダヤ人といっても決して一枚板ではなく、ユダヤ人同士で凄惨に殺しあった例も多くある。現にフランコはスペイン内乱(1936-39)の最中に国際旅団に参加した大勢のユダヤ人たちを無残に殺害している。

次の資料を見ていただこう。これはセファラディ・ユダヤ人たちによるスペインの語サイト、Desde Sefaradの2005年8月22日の記事である。

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http://desde-sefarad.blogspot.com/2005/08/el-mito-judeo-masnico-los-judos.html

メーソン的ユダヤ人の神話:内戦時期のユダヤ人

【前略】

(ユダヤ人の)圧倒的多数派が共和国支持の立場をとった。しかしながら、英領パレスチナではジャボチンスキーの修正シオニズムがフランコとその反共主義への支持を打ち出しことは銘記されなければならない。(ワイツマンはこの潮流に対して「ユダヤ・ファシズム」と呼んだが、それは、彼の提唱する『大イスラエル構想』によってであるとともに、ムッソリーニ追随者としての媚態によってである。)

共和政府を支持する大勢のユダヤ人たちの熱烈な援助――国際旅団の中に6000人から8000人が志願した――そしてソヴィエトとヨーロッパの共産党指導部の多くがユダヤ人であったことが、ファシストのプロパガンダが共産主義をユダヤ的性格のものであると強調するのに好都合だった。こうして「ユダヤ・メーソン・共産主義」というごちゃ混ぜの神話をひろめるに至ったのである。

【後略。引用、翻訳終り】

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たとえフランコが自らの出自をユダヤ系だと認識していたとしても、要するに、共産主義を支持している(と思われる)者は何人であろうと彼の敵だったのである。しかしここに奇妙な人物の名前が見える。ジャボチンスキー。

このウラジミール・ジャボチンスキーなる人物の唱えた「修正シオニズム」とは一体何か? 『大イスラエル構想』とは? ムッソリーニとフランコの反共主義とファシズムを支持したこの男はそもそも一体誰なのか? そして彼の運動がその後の歴史にどのようにつながっていくのか? またこの「ユダヤ・ファシズム」がイタリア・ファシズムやドイツ・ナチズム、スペイン・フランキズムなどと、どのような関係にあったのだろうか。

彼がイスラエル建国はおろか第2次世界大戦の結果すら知らずに1940年にこの世を去ったために、ジャボチンスキーの名はもちろん彼が種を蒔きそれが成長していった結果の重大さについて、特に日本では、あまりにも認識がなされていないように思える。

その運動の人脈や思想的脈絡、そしてそれ以降の政治的動乱の中に刻まれるこの「ユダヤ・ファシズム」の巨大な爪跡を見るならば、それが単にリクード党の「始祖」となった、というだけでは収まらない、20世紀以降の世界の流れを形作るもっともっと巨大な実体の一部が顔を出したのではないのか、と思われてくる。

しかし相手はあまりにも大きい。一気に結論を出すことはできまい。まずはその人物像から見ていってみよう。

●電網百科事典Wikipedia(英語版)からZe’ev (Vladimir) Jabotinskyの項目を開いてみよう。そして彼の生涯の要点を拾ってみる。なお、Revisionists-Zionistsについては、日本では一般的に「修正シオニスト」と訳されており、ここではそれに従うことにする。

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http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Jabotinsky

Ze’ev (Vladimir) Jabotinsky

【翻訳と要約】

ゼエブ(ウラジミール)・ジャボチンスキーは1880年10月18日にウクライナのオデッサで、伝統的なユダヤ人の家庭に生まれた。若くしてジャーナリストを志し、16歳の時にはオデッサで新聞を発行した。後にロシアの新聞の記者としてスイスとイタリアに渡り、ローマ大学で学ぶ。ロシア語、イーディッシュ語、ヘブライ語で記事を書く非常に優秀な記者として有名であった。

しかし1903年のキシネフでのポグロムの後、ジャボチンスキーはシオニスト運動に参加し、すぐにその中で頭角を現す。ポグロムが打ち続く間、彼はロシア中のユダヤ社会の中に自衛団を組織する。そしてテオドル・ヘルツルにとって最後のものとなった第6回シオニスト会議で代表に選出される。

第1次世界大戦中は、当時パレスチナを支配していたオツマン・トルコに対してユダヤ人部隊を組織して英国と共に戦闘に参加する。その後彼はロンドンに渡り、英国軍の一部としてパレスチナで戦うユダヤ人部隊を設立させるために努力するが、英国政府はやっと1917年になってそれを認めた。そして1918年のヨルダンの谷での戦いに参加するが、英国は彼らの参加を歓迎しなかった。

戦後、ジャボチンスキーはパレスチナでの第1回代表者会議に出席し、1921年には世界シオニスト組織の代表委員会委員に選出された。しかし、その議長であるチャイム・ワイツマンと意見が対立してこの組織から離れ、「修正シオニスト同盟(Allinance of Revisionists-Zionists)」、およびその青年組織「ベタル(Betar)」を設立した。その主張は、シオニスト運動は「ヨルダン川の両岸」に沿ったユダヤ人国家(a Jewish state along both banks of the Jordan River)を作る、というものであった。そして彼の目標は大英帝国の援助を受けて近代的なユダヤ人国家を作ることだった。その哲学はシオニスト労働党(Labor Zionists)のものとは対照的であり、それは欧州の中産階級(資本家)ユダヤ人の理想とした経済・社会的政策に焦点を当てていた。彼のユダヤ人国家の理想は英国モデルを基本にした近代的自由民主主義であり、主にポーランドが支持基盤であった。

1929年にジャボチンスキーは第6回シオニスト会議に出席するためにパレスチナを離れたが、英国当局はアラブの圧力を受けて彼の帰還を許可しなかった。彼の作った運動は一枚板ではなく、三つの流れに分かれていた。ジャボチンスキーは英国の協力を望んでいたが、より民族主義的傾向が強いDavid Raziel、Abba AhimeirやUri Zvi Greenbergなどはパレスチナ委任統治領での独立運動に照準を当て、労働党や英国当局、そしてアラブ人と戦った。David Razielはイルグンの指揮官であり、Abba AhimeirとUri Zvi Greenbergは軍事組織レヒを作ろうとしていた。この修正シオニスト党のイルグン派がヘルーッ、そして中間派の汎シオニスト党を吸収してリクードとなる。ジャボチンスキーの愛弟子で最大の者の一人に、イルグンとベタルのリーダーで後にイスラエル首相となるメナチェム・ベギンがいる。

【以上。引用、翻訳と要約、終り】

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不思議なことにこのWikipediaの記事は1930年代のジャボチンスキーの言動や1940年の彼の死に関して一切触れていない。Wikipediaにしては極めて不自然であろう。さらに彼がファシストを名乗りムッソリーニに傾倒しフランコを支持していたことも、その気配すら書かれていないのだ。

つまり、ジャボチンスキーを知るに当たって最も重要な時期のことがスッポリと抜け落ちているのだ。これほど重大な人物に、最も激動の時期であったはずの最後の10年間についてのデータが残っていないはずは無い。よほど「それを書かれると都合が悪い筋」からの圧力があるのだろう。それ以外に考えられない。

●次に再びスペイン語のサイトに進もう。これはエクアドルの反体制系ネット情報誌エクアドル・インディーメディアに載せられた2003年の記事だが、ユダヤ人のジャズ(サキソフォン)演奏家、作家、左翼の思想家として有名な英国在住のジラッド・アツマンが書いた英文記事をスペイン語に翻訳したものである。(英語原文はまだ見つけていない。)

題名は『最も日常的なイスラエル国民の過ち』である。この中から抜粋してみよう。ただしどうやら自動翻訳を使用したとみえて少々分かりにくいスペイン語になっており、ひょっとすると一部の箇所が原文と異なる意味になっている可能性もある。

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http://ecuador.indymedia.org/es/2003/09/3448.shtml

LOS ERRORES MAS HABITUALES DEL PUEBLO ISRAELI

Gilad Atzmon  04.09.2003  Centro de Medios Independientes

最も日常的なイスラエル国民の過ち

ジラッド・アツマン

2003年9月4日  独立メディアセンター

【前略、翻訳開始】

7.彼らは「ユダヤ国家」という概念が正当なものであると吹き込まれている

この過ちは20世紀の文化的な変化の不正確な読み取り方の結果である。シオニズムが誕生したときにそれは一つの正当なイデオロギー的哲学以上のものであった。19世紀の欧州ナショナリズム運動の一部を形作っており、時がたつに連れて他者に対する憎悪が知的な議論の中と欧州の政治の中で激しくなっていった。修正シオニストたちは、ウラジミール・ジャボチンスキーに率いられたのだが、イタリア・ファシズムをおおっぴらに賛美し、ムッソリーニを思想的指導者と見なしていた。それどころか、ジャボチンスキーは、ヒトラーがそれをまだ口に出すことすらしなかった早い時期から、人種的な純粋性の思想を採用したのである。その時期にはシオニズムが人種的純粋性に基盤を置いた民族国家を掲げる唯一の思想というわけではなかった。しかしながら、第2次大戦とナチズムの崩壊の後に事態は変わってしまった。人種的純粋性を基盤にした国家の思想はその正当性を失った。米国型を含めて新たなファシズムは多民族型である。実際のところ、イスラエルが人種的純粋性を基盤にした国家として唯一残っているものなのだ。ユダヤ人国家は正当性の概念を捨ててしまっている。

【引用、翻訳、終り】

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著者のアツマンはイスラエルをナチス・ドイツが消滅した後に残る唯一の「人種的純粋性を基盤にしたファシズム国家」であるから正当性が無い、と語っているようにも見える。これが当を得ているかどうかは別として、ジャボチンスキーがムッソリーニのファシズムを手本にした、「アーリア民族」の優越性を説いたヒトラーをしのぐほどの激しい人種主義者であったことが述べられている。

●これに関連して、もう一つの資料を見てみよう。パレスチナでのシオニストの悪業を告発しているPalestineRemembered.comというサイトに載せられた『ゼエブ・ジャボチンスキーの簡単な紹介と発言』と題された文章からである。(原文は英語)

http://www.palestineremembered.com/Acre/Famous-Zionist-Quotes/Story640.html

Ze’ev Jabotinsky-A Brief Biography & Quotes

ゼエブ・ジャボチンスキーの簡単な紹介と発言

【前略、翻訳開始】

シオニスト指導部の主要な流れとは逆に、ジャボチンスキーはおおっぴらに彼の考えを話した。そして彼もまた、我々の意見では、パレスチナ人に対してシオニスト運動が導く方向に戦略的な影響を与えていた。最初の時点から、彼はシオニストの指導部にいるイデオローグ(たとえばベン・グリオンやモシェ・シャレット)――パレスチナ人を騙してその土地と権利を売るようにさせることができると考えていた者達――を批判した。ジャボチンスキーは、ユダヤ人の権利がパレスチナ人の権利を上回っていると考え、そして、ユダヤ人とパレスチナ人の衝突は不可避であるとシオニズム運動に対して警告した最初の人間だった。そしてこのことは無視されるべきではない。その一方で彼は、この件を解決するためにパレスチナ人たちと交渉するのではなく、避けられない衝突を抑えるために武力を使用することを主張した。この点について彼は1923年に次のように述べた。

『アラブ人たちは自分の国をユダヤ人がそうするのと同様に愛していた。本能的にだが、彼らはシオニストの願望を十分に理解した。そしてそれに抵抗する決定は全く必然的なものだった。・・・・・・ユダヤ人とアラブ人の間には何の誤解も無かった。ただ当然の衝突があっただけだ。・・・・・・パレスチナ・アラブ人とは何の合意も可能ではなかった。彼らは自分が「鉄の壁」に相対していると解った時にのみ、シオニズムを受け入れるだろう。そのときに彼らはユダヤ人国家を受け入れる以外に選択肢の無いことを気付くのだ。』

ジャボチンスキーの「鉄の壁」ドクトリンは、1920年に多くのシオニストが彼に人種主義者の烙印を押すもととなった。ところが、ドイツでナチが権力を握ったとき、ベン・グリオンと他のシオニスト指導者たちはジャボチンスキー・ドクトリンの『重要さ』を悟った。皮肉なことに、イスラエル政治的右派の主張が、1930年代から現在に至るまでパレスチナ人に対するイスラエルの政策を支配してきたのである。

【引用、翻訳、終り】

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なるほど。後のイスラエル労働党となるシオニスト主流派は「パレスチナ人を騙してその土地を取り上げる」で、ジャボチンスキーの武闘派は「パレスチナ人を殺してその土地を取り上げる」ということだったらしい。まあいずれにせよ「目クソ鼻クソ」の類であり、この文章が述べているように労働党もリクード党も本質的には何の変わりも無いのである。また『「鉄の壁」ドクトリン』は現在イスラエルにそびえる「分離壁」を連想させる。この壁を作ったのがジャボチンスキー集団の直系リクード党のアリエル・シャロンであるのもなかなか示唆に富んでいるようだ。

もちろん上記の文章はパレスチナの立場から(ただしこのサイトの本拠地がパレスチナに置かれているとは思えないが)のものなのだが、これを作成するために使った資料は、おそらくレンニ・ブレンナーを代表とする左派系のユダヤ人たちのものと思われる。ジャボチンスキーを「始祖」とする「修正シオニズム」とナチズム、ファシズムの関係についての研究は彼らの労に負うところが大きい。

●今回はここまでとして、次回からはレンニ・ブレンナーの秀逸な研究の紹介、リンドン・ラルーシュとその運動による現代ファシズム・シオニズムへの論考の紹介を中心に、20世紀の隠蔽された歴史を探っていきたいと思っている。

泥棒国家日本と闇の権力構造 

泥棒国家日本と闇の権力構造

中丸薫  ベンジャミン・フルフォード  徳間書店  2005年9月刊

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-nakamaru.html

日本がアメリカの属国のようになっているということは、いろんな人が指摘していることですが、この本で紹介されている数々の事実を知ると、そのことがよくわかります。小泉首相が必死になって推進している「郵政民営化」も、結局はアメリカの支配層から命じられてやっていることでした。

小泉首相は9.11の衆議院選挙で自民党圧勝劇の立役者となり、郵政民営化に反対した元自民党議員に対しては勝ち誇ったような態度を見せていますが、多くの日本人は、彼を「国を売った首相」として記憶することでしょう。

しかしながら、日本の政治は既にアメリカの完全支配下にあるわけですから、小泉首相だけを罪人扱いすることはできません。中丸氏もフルフォード氏も、ともにこの国の現実を憂いながら、多くの国民に気づきを与えるために思いきった情報提供をしてくれています。ここで取り上げたのはごく一部ですが、その一つひとつが、おそらく多くの人の常識を覆す内容になっていると思います。                (なわ・ふみひと)

郵政民営化の恐ろしい落とし穴 中丸薫

郵政民営化で一番大切なことは、日本国民にとっての最後の虎の子である郵貯と簡保の350兆円を、ハゲタカファンドに奪い去られてしまわないように、しっかりと歯止めをかけることです。今の法律のままだとザル法で、それができてしまうのです。

竹中大臣はとてもうまくカモフラージュして、郵政民営化法案をすっと読んだだけでは、何か歯止めがあるのかなと思ってしまいますが、歯止めはかかっていません。郵政民営化に反対した自民党の議員も、「歯止めをかける条文をつくりましょうよ」といったのですが、小泉さんと竹中大臣はそれをわざと無視して、「そんなこと後でもいい」といって、それをしないままいきなり解散して、「郵政民営化賛成か反対か」ということで衆議院選挙をした混乱の結果が、これなのです。

小泉政権の背後からの支配 中丸薫

今現在、竹中さんを操っている人物は、ブッシュ政権第一期の経済諮問委員会委員長をしていたグレン・ハバードで、現在はコロンビア大学ビジネススクールの学長をしています。この人物が竹中さんを背後から支配して、郵政民営化のほうにもっていく。

彼は、今後グリーンスパンの後を継いで、FRB議長のポジションにつきたいのです。そのためには、どうしても郵政を民営化して、350兆円をアメリカに持ち出すことが至上命令になっているのです。だから、小泉さんは狂ったようになって、このことに邁進しているのです。

そのグレンハバードさんの背後には、元FRB議長のポール・ボルカー、その背後にはデビッド・ロックフェラーが控えている。

小泉さんは、自分は郵政民営化をずっと昔から主張していたというけれども、そうではないのです。この件に関しては、2002年9月12日に、彼はブッシュ大統領とニューヨークで会っています。そのときに、「不良債権を早く処理しろ」とか、「郵政民営化をして、アメリカにとって一番おいしい部分の350兆円を早く出しなさい」という密約をしたために、帰ってきてすぐに、柳澤伯夫金融大臣を更迭して、竹中経済財政政策担当大臣の兼務としました。

この辺のところは全く隠されたまま、9・11選挙が行なわれてしまったということです。

外資の狙い 中丸薫

外資の問題は、とても根が深いと思うのです。

最初、長銀をつぶして新生銀行をつくりました。その次に、日債銀をつぶしてあおぞら銀行をつくりました。要するに、政府系銀行を2つつぶして、不良債権があるからといって政府のお金を入れることで、一時国有化する形をとる。そして、本当にぐしゃぐしゃで複雑な権利関係をきれいに洗濯させた後で、ハゲタカ外資はとても安い形で払い下げを受けたわけです。

例えばリップルウッドの代表者のクリストファー・フラワーズとティモシー・コリンズは、去年、1100億円ずつ儲けました。日本の中小企業では、自殺する人もいっぱい出ていますが、日本の国税庁はその2人に対して、普通は40%かかる税金を一銭も取らずに、2人はそのままお金を持ち出しているのです。

このように、ハゲタカファンドは日本に来て、不良債権がどこにあるかというのを一生懸命探して、公的資金を入れさせ、叩いて叩いて手に入れる。

そういう人たちは、現在は竹中さんを指南して、日本売りを迫っているわけですが、それだけでなく、金融庁、国税庁のマルサ、検察庁の特捜部のそれぞれフロントにいる人たちを、特捜部ならCIAとか、金融庁の関係の人はアメリカの理財局とか、それぞれのところに研究に送って、不良債権を抱えているような日本企業を獰猛に攻撃して、それを奪い取るやり方を徹底的に訓練する。その人たちが竹中平蔵の実働部隊になっているのです。

UFJ銀行を追い込んでいくところを調査しても、ものすごいやり方です。UFJから借りている企業、ミサワホームなどもどんどんつぷしていく。

最終的には、私は、世界的な大企業トヨタも狙われていると思うのです。トヨタの幹部たちはそういうことを薄々感じているから、デビッド・ロックフェラーの息のかかった政治家がいるようなアメリカの各地域に大きな工場をつくって、対応しています。

あらゆる日本の大企業といわれるものが、今そういう形でどんどん狙われている。これは、日本にとってはとんでもないことなのです。そのへんのところを国民はよくわかっていないで、外資が来ても構わないといっている間に、銀行の名前もどんどん変わっています。

今、「りそな」も危ないのです。公的資金が2兆円も入っています。どこに売り飛ばされるかわかりません。みずほ銀行でさえ危ないでしょう。あれよあれよという間にそうなる。本当はUFJにしても、いきなりシティ・パンクとか外資に売るはずだったのですが、それではあまりにも見え見え過ぎる。東京三菱銀行はシティ・バンクとかの向こうの銀行とかなり深い関係があるので、一応そういうところと合併させる形をとりましたが、これからどうなるか、まだわかりません。

日本全体が、金融的にはアメリカの全くの属国になってしまっている。もう90%まで押さえられてしまっています。

このような実状は、国民には全く知らされていないでしょう。ただ民営化反対か賛成かだけで、あんな劇場みたいな衆議院選挙が行なわれたのです。

これから国民は大変です。ハゲタカファンドに350兆円近いお金も行くだろうし、増税も実施されるでしょう。増税といっても、日本国民のためでなくて、アメリカがやっているイラク戦後処理とか、アメリカが抱えている大赤字を穴埋めするために、サラリーマンから搾り取っていく。

今の小泉政権では、日本の国民を守っていけないところまで来ています。これから2年間のうちに、政治家も立ち上がって、きちっとした政治をしない限り、また、国民も正しい情報を知ることがない限り、国は破産します。

マスコミも「政・官・財・業・ヤクザ」と完全にグルだ! ベンジャミン・フルフォード

2002年、石井紘基という民主党議員が、このままでは日本がおかしくなると、全力を出して日本を改革しようとして、家の前で刺殺されたのです。警察は、一人の右翼による事件であるとでっち上げようとしているのですけれども、東京高裁で、これは明らかに組織的なものだといっている。その記者会見にはマスコミ各社がみんな来てカメラを回していたのですが、例によってどこの新聞もテレビも報道しない。

このように政府にかかわる殺人事件など、裏を取って証拠を出しても、どこも取り上げない。今、日本はこれだけひどくなっている。

もう2年ぐらい前になりますが、勇気のある連中がテレビ朝日の「サンデープロジェクト」という番組で、日本が北朝鮮に裏金をたくさん回しているという証拠を出して、「日本の政府は本当にひどいことをしているんだ。北朝鮮にあれだけお金を渡して、国民にウソをついている」と、やっと放送したんです。

このあと、新聞やテレビがフォローするかと思ったら、スポーツ紙1紙が取り上げただけで、どこも報道しなかった。検察も動かない。自分たちがヤバイとなるとこうして無視するんです。

私は「朝まで生テレビ!」でこういう話をしようとしたら、いきなりコマーシャルに振られて、「あの人は問題発言が多いからテレビに呼べない」という。

いろんなことをでっち上げたりしていて、大手マスコミの人たちもよく恥ずかしくないなと思う。はっきりいって、あの人たちは奴隷、社畜です。

日本の惨状は闇の世界権力構造の縮図 中丸薫

マスコミが全部支配されている。これは怖いことです。

今、マスコミは3S政策(スポーツ・セックス・スクリーン)で、朝から、松井が何本打って、イチローが何本打ったということばかりです。だから、みんな真実を知らない。日本人はこれで完全にやられています。だから、こういう本とか、活字の世界で日本人を目覚めさせる方向に持って行くことが必要です。

今、マスコミは日本の五大権力(政界、財界、マスコミ界、官僚、知識人)の一つに成り下がっています。知識人にも変な人がいっぱいいます。一つのグループを形成していて、ウソだとわかっていることを、確信犯でいろいろなマスコミに出てしゃべっている。特に政治のことになると、ほとんどCIAの息のかかった人でないとしゃべれない体制が、だんだんつくられてきている。

民主主義といっても、言論の自由もない。真実を語り合うことは、テレビでも大新聞でもご法度です。真実を言う人は怖くて生放送に出せないのです。私もいわれました。朝日新聞とかの人たちに、ちょっとでもそういう話をすると、目を伏せてしまって発言できない。何のためにジャーナリストになったのかといいたくなる。

フルフォードさんがおっしゃるように、日本は今完全に闇の権力に支配されている状況です。しかし、それは闇の権力のミニチュア版として日本があるということではないでしょうか。

9・11で行なわれたような闇の世界権力の自作自演・ねつ造は、実は枚挙にいとまがないのです。

アメリカに巣くう闇の権力に踊らされた日本の歴代首相 中丸薫

ある時期、橋本龍太郎総理に、ちょっとした二重スパイみたいな人物が、あまりアメリカの言いなりにならないで、「時には米国債をちょっと売ってみたい気になる」といった方がいい、というようなことをいったと思うのです。

私の母校コロンビア大学での講演のときに、橋本さんがそれをちょっと口にしました。「ちょっとそういう衝動に駆られるときもあるんだ」といっただけで、彼はアメリカのエスタブリッシュメントからにらまれて、次の日、日本の株がどんと下がりました。

橋本さんは、どちらかというとすごく中国寄りの人だったのです。その進言をした人の行動を見ていると、本人は自分でちゃんと進言したと思っているのかもしれないけれども、ある意味では、橋本さんを失脚させるために橋本さんに近づいて、そういうことをいわせたのかなと、今ふっと思えるぐらいです。そのくらいのことをちょっといっただけで、アメリカは橋本さんの足を引っ張って失脚させた。日本に対しても、アメリカの国債をちょっとでも売ったら、日本人がアメリカに持っている全部の資産を凍結するとまでおどしたようです。

そういう中で、どこまで私たち日本人が自立していけるか。例えば、毎年16兆円ぐらい出る(貿易)黒字をアメリカに渡して、塩漬けになっている米国債は恐らく300兆円以上あります。

1985年、日本が多くのドルを稼ぎ出していたとき、プラザ・ホテルでプラザ合意がありました。そのときに、アメリカは瀕死の状態で破産寸前だったので、大蔵大臣の竹下登という政治家を闇の権力に抱き込むと同時に、日本の多額の貿易黒字でアメリカの国債を買いなさいということをいった。それまでは日本の利子が6%だったから、おじいちゃん、おばあちゃんでもある程度お金を預けておけば、老後はその利子で何とかなるという時期だったのです。

それを、アメリカにドルがより一層集まるように、日本からお金を吸い上げるために、日本の利子をいきなり0.2%にすることを押しつけてきた。日本はそれを受け入れて、そこからだんだんおかしくなっているのです。

そして今、竹中(平蔵)さんという人物そのものが、1980年代、ハーバード大学で、いかにして日本の大きな銀行をつぶすかという研究会に入っていた人です。シンクタンクでそういうものを徹底的に研究してきた人を送り込まれたわけです。彼の背後にはルービン(クリントン政権財務長官)とか、アメリカの現役あるいは前の経済官僚たちが3人ぐらいついて、陰からいろいろと操って、アメリカの思うとおりにやらせている。小泉さんは、自分は経済のことは全然わからないから、そういう人に丸投げした。これが現在の姿です。

今、アメリカの闇の権力は、日本の技術力のすごく高い会社を狙っています。だから、株と株を交換するみたいなことまで小泉さんは約束させられた。これは本当は2006年施行予定だったのを、ちょっとひどいからと、1年延ばしています。もしあれが発効したら、日本のすばらしい技術を持った会社、例えば日立などをどんどん買い取られていってしまう。そういう局面まで来ています。

経済のことが本当にわからないのか、確信犯なのかよくわからないけれども、小泉さんはいろんなことをブッシュにどんどん約束させられてきているということは、やはり重大なことだと思うのです。

小泉さんが一番やりたいことは、350兆円ぐらいある郵貯・簡保をアメリカに売り飛ばすことです。それを約束しているのです。マスコミはそれについてはほとんどいっていない。地方の郵便局がどうとかこうとかいっているけれども、それが一番の狙いで、それを約束させられているから、あんなに強引に郵政民営化法案を通したがっている。ブッシュが来て、「郵貯・簡保、大丈夫だろうね」といわれた。あれが一番おいしいお金で、それだけまとまったものがアメリカは欲しいわけです。

これをやられたら、日本は本当にボロボロになっていきます。そこをマスコミも全然いっていません。

アメリカは、日本の銀行を大体きれいにつぶしました。とんでもない状態です。国民は何もいわない。マスコミもそのとき、きちっと伝えない。長銀をつぶして、後で見ると、新生銀行の役員の名前には、ロックフェラーから、ボルカー(前FRB議長)から、闇の権力のフロントマンたちがみんな入っているのです。これは本当にひどい話です。

同じようなことをずっとしていこうというので、今の竹中さんが入ってきた。地方の銀行までみんな政府のお金をどんどん入れています。ということは、そういうものまで海外に売り飛ばしていく。今や青い目だけではありません。黒い目の外国人も、台湾とかいろんなところから来て狙っています。

世界の仕組みは、フリーメーソンとかいろんな言葉があるけれども、今はそういうものではなくて、アメリカの外交問題評議会とか、ビルダーバーグとか、日本もいれなければいけないというので日米欧三極委員会が、陰に隠れた世界権力構造を牛耳る人から操られて、そこからの指令で動いている。だから、日本国内でも、五大権力の中にそういう人たちがみんな入っているのです。マスコミを押さえて、政界を押さえて、いろいろなことをしているので、もう何をいっても無理じゃないのというような諦めがある。

橋本さんの一例でもわかるように、ちょっとそんなことをいわされて、権力から引きずりおろされてしまったという例を彼らは見ていますから、ほとんどの政治家はアメリカの方を向いて、怖々とやっています。新聞や何かは、そういうリサーチもしないし、国民もいわれるままになっている。

アメリカは、基軸通貨のドルを守るために、戦争をし続けなければならない。まさに戦争中毒の国になってしまっているわけです。戦争が終わることになると、ドルを発行できない大きな秘密があるみたいです。今のままだと、ドルの破産もすぐ目の前という感じです。

連邦準備制度理事会(FRB)を支配する闇の世界権力 中丸薫

アメリカが闇の世界権力=国際金融財閥の傀儡(かいらい)に過ぎないことを示す端的な証拠があります。それが連邦準備制度理事会(FRB)です。これは常識に反し、れっきとした私有銀行です。ロックフェラーのナショナル・シティ・パンクとモルガンのファースト・ナショナル・バンクがその所有者です。この2つの銀行の株主であるロスチャイルド家、クーン・ロープ商会、ウォーバーグ商会、ロックフェラー一族、モルガン財閥がFRBの真の支配者なのです。

連邦準備制度理事会(FRB)が闇の世界権力のものである以上、アメリカには紙幣を発行する自由がありません。日銀を含めて、世界各国の中央銀行も同様にみな支配されています。

日銀はFRBの日本支店とまでいわれています。あるいは日銀ロスチャイルドとも揶揄されるように、株の20%はすでにロスチャイルドが持っていて、日銀の民営化を狙ってさらに31%増やそうとしています。バブル崩壊で数兆円がロスチャイルドに渡りました。日本の有力な政治家はそのおこぼれとして大金をポケットに入れているのです!

ブッシュ家は闇の世界権力のトップ、ロスチャイルド家に続くロックフェラー家、モルガン家、ハリマン家のハリマンに仕える家柄で、第3階層に属しています。現大統領の父であるパパ・ブッシュはCIAの麻薬ビジネス、祖父のプレスコット・ブッシュは、ヒトラーに送金する仕事に関わっていました。歴史の裏側は全く醜悪かつ奇っ怪ですが、本当のことを忌避せずしっかりと知ることから始めなければなりません。

ケネディは1963年6月4日、FRBに真っ向から対抗する行政命令を発令。財務省に銀行証券を発行するように命じました。彼は連邦準備制度を廃止し、合衆国憲法に記されているように財務省に権限を戻そうとしたのです。

半年を待たずケネディは暗殺され、このとき発行した総額42億ドルの銀行証券は市場から回収されました。そして、マスメディアはこのことを一切語らないのです。

北朝鮮との関係もアメリカばかりに仕切らせない! 中丸薫

小泉さんが北朝鮮に行ったときには、拉致の問題で行くとブッシュにもちゃんと話をしていたようです。そのとき、ブッシュに頼まれて、「せっかく北朝鮮に行くなら、核の問題をちゃんと話し合ってくるように」といわれたけれども、北朝鮮自身が、「核の問題はアメリカと話さなくてはダメなんだ」ということで、拉致の情報だけだった。

アメリカ大使館の中には、CIAの日本担当のトップの女性がいるそうですが、そのとき、その人が「あれだけ約束して行ったのに、核の話なんか全然しなくて何なんだ!」と、アポイントメントもなしに、首相官邸にものすごい勢いで怒鳴り込んできたそうです。(以下略)

日本の横田にある「アメリカ幕府」 中丸薫

日本の政治体系は「幕政」なのです。天皇が象徴としてあって、将軍に委ねられた。その将軍が、占領政策でマッカーサーになった。日本の中の基地としては、横田が象徴的です。

いうことをきかない政治家を、たとえば竹下さん(元首相)も、お金のことでいろんなことがあったときに、MPが横田に連れていったそうです。飛行機に乗せて、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」といわれて、「イエスかノーか」と脅迫されたと聞きました。

今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです。そうすると、海水が入って頭がおかしくなる。これはすごく秘密の世界です。

今、横田とか座間に米軍基地の本拠地が来ている。日本がますます危ない状況です。中国包囲網で、朝鮮問題を片づけたら、あるタイミングを見て中台戦争も起こさせようとしているから、潜水艦なども中国を取り囲む状態になっている。そうしたら日本が戦場になってしまいます。深刻な事態です。

日本は敗戦によって、マッカーサーが幕府の将軍みたいなものになりました。アメリカが将軍になって、自民党は委任されて政治をしてきたけれども、その自民党自身が完全に取り込まれてしまっている。独自性を全くなくしてしまった状態なのです。

2人のウゴ・チャベス

2人のウゴ・チャベス

ガブリエル・ガルシア=マルケス(Gabriel Garcia Marquez)

コロンビアの作家、1982年ノーベル文学賞受賞

訳・渡部由紀子

1998年、ベネズエラ大統領選で華々しい勝利を収めたウゴ・チャベス隊長は、大規模な一連の政治改革に着手した。国会は解散され、新憲法が国民投票で承認された。彼は相変わらずの高支持率を誇り、2000年7月30日に新憲法の下で行われた選挙で、ためらうことなく残りの任期を国民の審判に委ねたほどであった。しかしチャベス大統領は、石油収入が大幅に伸びているにもかかわらず、憂慮すべき状態にある経済、社会状況を立て直すには至っていない。彼は次第に政治的に孤立を深めていると見られており、その大衆迎合政治が、いずれ独裁に変わるのではないかとの見方も強まっている。[訳出]

その日の夕暮れ時、スイスのダヴォスから帰国したペレス大統領は、飛行機を降りた途端、国防大臣のオチョア将軍の出迎えに意表を突かれた。不審に思った大統領は、「何があったのだ?」と詰問した。大臣がたくみに取り繕って安心させたため、大統領は首都カラカスの中心にあるミラフローレス宮(大統領府)には行かず、ラ・カサナの自邸に帰った。そこでまどろみかけていると、先ほどの大臣からの電話で起こされ、マラカイ市の方で軍の反乱が発生したことを知らされた。ミラフローレス宮に戻った矢先、ペレスの耳に最初の砲撃の音がとどろいた。

それは1992年2月4日のことだった。ウゴ・チャベス=フリアス隊長は、歴史上の事件に対する偏愛から、ラ・プラニシエ歴史博物館の敷地内に司令部をあつらえ、そこから反乱を指揮していた。国民の支持だけが頼みの綱であることを察知した大統領は、テレビ局のスタジオにたどり着き、国民に向けて語りかけた。2時間後、クーデタは不発に終わった。チャベスは投降の条件として、自分にも国民に語りかける場を用意するように求めた。

若きクリオーリョの隊長は、落下傘部隊の赤いベレー帽をかぶり、見事な弁舌家ぶりを示しながら、事件の全責任は自分にあると言い切った。このテレビ演説は、ひとつの政治的勝利であった。チャベスはカルデラ大統領により特赦を受けるまで、刑務所で2年を送った。しかし、支持者の多くは(また敵対者の多くも)、この敗北の演説を選挙運動の第一声のごとく聞いた。そして1999年、チャベスは共和国大統領の座を獲得した。

チャベス大統領がこれを私に語ったのは、数週間前のことである。私たちは、ハバナからカラカスへ向かうベネズエラ空軍機の中にいた。その3日前、キューバのカストロ国家評議会議長とコロンビアのパストラーナ大統領とともにハバナで会合したのが、チャベスとの初めての顔合わせとなった。私が真っ先に感じたのは、彼の強靭な肉体から放たれる力であった。彼にはまた、いかにも自然な親しみやすさと、生粋のベネズエラ人に特有のクリオーリョらしい気品があった。私たちはハバナにいる間に再会を試みたが、スケジュールの折り合いがつかなかった。そこで、カラカスに向かう飛行機の中で、ようやく彼の活動や計画について語り合うことができたのだ。

それは、眠っていた私のジャーナリスト魂を呼び覚ますような、実りの多い体験だった。彼が半生を語るのを聞いていると、マスコミが言うような独裁者の印象は微塵も感じられない。そこにいたのは、もう一人のチャベスだった。一体どちらが本物だったのだろう。

策謀家、クーデタ首謀者としてのチャベスの過去は、1998年の選挙運動の際、対立候補陣営によって大々的に喧伝された。しかし、ベネズエラ史を振り返れば、少なくとも4人は同類がいる。第一に、その評価が正しいかはともかくとして、ベネズエラ民主主義の父とされるベタンクールがいる。彼はアンガリータ政権を倒したが、そのアンガリータも、36年間におよぶゴメスの独裁を一掃しようとした民主派の軍人であった。ベタンクールの次に大統領となった作家のガジェゴスはペレス=ヒメネス将軍に倒され、ペレス=ヒメネスは実質的に11年間にわたってベネズエラに君臨した。その彼も、若い世代の民主派に取って代わられることになる。ペレス=ヒメネス政権に続く一時期が、これまでの史上で最長の大統領民選時代であった。

1992年2月のクーデタは、チャベス隊長が企てて失敗した唯一の出来事であったらしい。しかし、彼はそれも神の御心だったと考えている。1954年7月28日、力の印である獅子座の星の下にバリナス州サバネタで生を受けて以来、彼の行動にひらめきを与えてきた不思議な霊感から生まれるもの、つまり運命は、そのように受け止められてきたのだ。敬虔なカトリックであるチャベスは、自分の幸運を、100年以上も前から伝わるお守りを子供のころから首に掛けてきたおかげだと信じている。母方の曾祖父で、彼にとっては守護の英雄の一人、ペドロ・ペレス=デルガド隊長の形見である。

小学校教師だった両親の収入だけでは生活が苦しかったため、彼は9歳のころから道端で菓子や果物を売って、両親を助けなければならなかった。時折、ロバに乗って、母方の叔母の住む隣村ロス・ラストロホスに行くことがあった。そこは彼にとって、本物の町だった。日が暮れても2時間は電灯をともしてくれる小さな発電所があり、彼と4人の兄弟を取り上げた産婆もいたからだ。母親は息子が神父になることを望んでいたが、本人は聖歌隊の一員で終わった。教会の鐘の鳴らし方は見事で、村の人々はそれを聞いて、「ほら、あの鐘はウゴだよ」と言ったものだった。ある日、チャベスは母親の本の中から、開運百科を見つけ出した。その第1章「人生でいかにして成功するか」が、すぐさま彼を惹きつけた。

そこには、さまざまな職業がずらりと並んでいた。そしてチャベスは、そのほぼすべてを試してみた。絵描きとしてはミケランジェロとダヴィドを崇拝し、12歳の時、地方のコンクールで一等賞に輝いた。音楽ではギターの腕前と見事な声を生かし、誕生日会やセレナーデに欠かせない存在となった。野球では名捕手だった。軍人という項目は本には書かれていなかった。彼自身、野球の名門チームに入りたければバリナスの士官学校に入るのが一番だと聞かなければ、軍人になろうとは決して思わなかっただろう。

チャベスはそこで政治学を学び、マルクス主義からレーニン主義までの歴史を知った。そして、彼のもっとも偉大な「獅子」となるシモン・ボリバル(1)の生涯とその著作に夢中になり、ボリバルの演説はすべて暗唱できるまでになった。最初にぶつかった現実の政治は、1973年9月のアジェンデの死であった。チリ国民がアジェンデを大統領に選んだというのに、なぜ国軍が彼を倒さなければならないのか、チャベスには理解できなかった。それから間もなく、チャベスは上官から、共産主義者ではないかと疑われていたホセ=ビセンテ・ランヘルの息子の監視を命じられた。「人生は驚きに満ちている」と、チャベスは高らかに笑った。「今は、彼の父親が私の下で外相を務めているんですから」

運命のいたずらはほかにもあった。チャベスの軍歴の最後を飾る将校用サーベルを授与したのはペレス大統領だったが、20年後に転覆を試みた相手もまた、同じペレス大統領であった。「しかも、彼を殺しかねなかった」と私が言うと、彼は「それは絶対にない」と否定した。「我々が企てたのは憲法制定議会を設置することで、目的を達したら兵舎に戻るつもりでした」

英雄崇拝

初めて会ったときから、私は彼が生まれながらの語り手であることに気付いていた。彼はまさしく、創造力と詩情に富んだベネズエラの大衆文化の落とし子である。流れをつかむ素晴らしい感覚と、ほとんど人間技とも思えない記憶力を備え、ネルーダやホイットマンの詩は全編、ガジェゴスの作品をまるごと何頁も暗唱してのける。

ごく幼いころ、チャベスは偶然、曾祖父が母の言うような辻強盗ではなく、ゴメス大統領時代の伝説的な勇士であったことを知った。彼は曾祖父の汚名を晴らそうとの情熱に燃え、伝記を書こうと心に決めた。古文書館や軍の図書館で史料をあさり、生存者の証言にもとづいて曾祖父の足跡を再現しようと、歴史研究家の道具一式をかついで地域一帯を歩き回った。その結果、彼は曾祖父を自分の英雄に加え、そのお守りを首に掛けることにしたのだった。

ある日、調査に没頭していたチャベスは、うっかり国境のアラウカ橋を越えてしまった。コロンビアの国境警備隊長が彼の荷物を改めると、スパイとしか思えない道具がぞろぞろと出てきた。カメラにテープレコーダー、秘密文書、周辺地域の図面、軍用の図表入り地図、それに軍用拳銃2丁。身分証明書もあったが、スパイなら偽造の可能性が大いにある。

押し問答が何時間も続いた。その事務所には、馬上のボリバルの絵が掲げられていた。「私はもうげっそりでした」とチャベスは振り返る。「説明すればするほど、相手は聞く耳を持たなくなっていくんですから」。そのとき、起死回生のアイデアがひらめいた。「考えてみてください、隊長。わずか1世紀前には、我々の軍隊は1つでした。こちらを見ているあの絵の人物は、我々2人に共通の首領だったのです。どうして私がスパイのはずがありますか」。隊長はこれに心を動かされ、大コロンビア共和国の礼賛を始めた。結局その晩は、2人そろってアラウカの居酒屋に行き、互いの国のビールを飲み明かしたのだった。翌朝になると、ともに頭痛に耐えながら、隊長はチャベスに歴史研究の道具一式を返し、2人は国境に架かる橋の途上で長い抱擁をかわして別れを告げた。

「ベネズエラがどこかおかしくなっていることを悟り始めたのは、そのころでしたね」とチャベスは言った。彼は反政府ゲリラの最後の砦を始末するため、東部地方で兵士13人と通信部隊から成る小隊の隊長に任命された。ある大雨の夜、情報局の大佐と何人かの偵察部隊の兵士が、青ざめて痩せこけた数人のゲリラ兵らしき男を連れて、兵舎に泊めてくれと言ってきた。10時ごろ、チャベスがうとうとし始めていると、隣室から凄まじい悲鳴が聞こえた。「跡が残らないように布きれを巻いたバットを使い、兵士が捕虜たちを叩きのめしていたのです」。憤慨したチャベスは、捕虜を引き渡すか、さもなければただちに兵舎を出て行くよう大佐に命じた。「翌日、彼らは不服従の罪で軍事法廷にかけると脅してきたが、しばらくの間、監視を付けられただけで済みましたよ」

数日後、チャベスはさらに辛い体験をした。兵舎の庭に軍のヘリコプターが、ゲリラ兵の待ち伏せに遭い重傷を負った兵士たちを乗せて着陸した。チャベスは、何発もの弾丸を浴びた1人の若い兵士を抱きかかえた。すっかり怯えきって、「見捨てないでください、中尉殿・・・」と訴えている。その兵士を輸送車に乗せるのがやっとだった。他の7人は助からなかった。その夜、チャベスはハンモックの上で自問した。「自分はここで何をやっているのだ。一方では軍服を着た農民がゲリラ兵となった農民を拷問にかけ、もう一方ではゲリラ兵となった農民が軍服を着た農民を殺している。戦争が終わった今、撃ち合いをする意味などもはや何もないのに」。カラカスに向かう飛行機の中でチャベスは言った。「それが私の最初の実存的危機でした」

事件の翌朝、目を覚ましたチャベスは、何らかの運動を興すべき運命を確信した。それを実行に移したのは23歳の時であった。「ベネズエラ人民ボリバル軍」という名前からして堂に入っている。創設メンバーは、5人の兵士と、当時少尉だったチャベスである。「目的は?」と私は尋ねた。彼はきわめて簡潔に、「いざというときに備えること」だったと答えた。1年後、マラカイの装甲大隊で落下傘部隊の将校となったチャベスは、本気で謀議を開始した。しかし、「謀議」という言葉はあくまで比喩的に、共通の目的に向けて意気を上げる意味で使ったものなのだという。

カラカスの暴動

これが1982年12月17日の状況だった。その日、チャベスの人生にとって決定的な、思いがけない出来事が起こった。落下傘部隊第2連隊長と情報局の将校を兼務していた彼は、意外なことに、マンリケ司令官から1200人の将兵の前で演説するように求められたのだ。午後1時、一個大隊がサッカー場に集まると、司会者がチャベスを促した。彼が1枚の紙も持たずに登壇するのを見て、「君の演説は?」と司令官は尋ねた。「書いたものはありません」とチャベスは答え、即興で語り始めた。ボリバルとマルティ(2)の言葉に着想を得た短い演説だったが、そこには、独立後200年を経たラテンアメリカにおける不正義に関する彼独自の考察が加えられていた。

集まった将校たちは、無表情に聞いていた。彼の運動を好意的に見ていたフェリペ・アコスタ=カルレとヘスス・ウルダネタ=エルナンデスもいた。チャベスの演説にたいそう不満だった司令官は、聞こえよがしに非難を投げつけた。「チャベス、君はまるで政治屋みたいだな」。すると、身の丈2メートルのアコスタが司令官に近づいて言った。「それは違います、司令官殿。チャベスは政治屋などではなく、新しい世代の指揮官なのです。腐った権力者が彼の話を聞けば、震え上がってズボンの中で糞をちびることでしょう」

その後、チャベスはアコスタ、ウルダネタ両隊長とともに馬にまたがり、10キロ離れたサマン・デル・ゲレに向かった。3人はそこで、シモン・ボリバルがアヴェンチーノの丘で行った厳かな誓いをまねた。「もちろん、最後のところは少し変えましたがね」とチャベスは言う。「スペイン権力の意志により我々を締め付ける鎖を打ち砕いた暁には」と言う代わりに、「権力者の意志により我々を締め付け、人民を締め付ける鎖を打ち砕くまでは」と誓い合ったのである。

以後、彼らの秘密運動に加わる将校は、必ずこの誓いを立てることとされた。何年にもわたり、彼らは国中の軍人の代表を集めて隠密の会議を開いた。「秘密の場所で2日間の会合を持ち、国の現状を検討し、分析を行い、友好的な市民グループと連絡を取りました。10年間で5回の会議を探知されずに成功させましたよ」

チャベス隊長の人生でもっとも重要な事件となるのは、1989年2月に首都カラカスで荒れ狂い、「カラカソ」と呼ばれた民衆暴動であった。彼がよく口にする言葉に、「ナポレオンいわく、参謀の1秒のひらめきが勝敗を決する」というのがある。この発想に立って、チャベスは3つのコンセプトを展開した。歴史は時間単位、戦略は分刻み、戦術は秒速で決する。

この悲惨な事件が起こったとき、彼らはその準備ができていなかった。チャベスは認める。「いかにも、我々は分刻みの戦略に不意打ちを食らってしまったのです」。それは1989年2月27日の暴動、「カラカソ」を指している。高い支持率で選出されたペレス新大統領の就任から20日前後で、これほど激しい反乱が起ころうとは、とても考えられなかった。「27日の晩、博士課程の講義を受けに大学に向かう途中、ちょっとガソリンを入れようとティウラの兵舎に立ち寄ったんです」。チャベスが語り始めたとき、私たちの飛行機はあと数分でカラカスに着陸しようとしていた。「そうしたら、部隊が次々と出動しているじゃありませんか。大佐がいたので、『あの兵士たちはどこに向かっているのですか』と尋ねましたよ。訓練も受けず、まして市街戦なんて考えたこともない補給部隊の人間まで駆り出されてましたから。自分の銃でさえ恐がるような新兵たちですよ。そりゃ、大佐に尋ねますよ。『いったいどこに向かっているのですか』って。大佐は言いました。『街路を制圧する。なんとしても騒動を止めろと命令を受けた。それを遂行するのだ』。私は言いました。『しかし大佐殿、それでどうなるか、おわかりでしょうに』。彼は答えました。『いいか、チャベス、これは命令だ。どうすることもできない。運を天に任せるのみだ』」

チャベスはその夜、風疹の発作でひどい熱があったと言う。彼が車を発進させると、小柄な兵士が1人、頭のヘルメットは斜めにずれて、銃もぐらぐらで弾薬を地面に落としながら走って来るのが見えた。「私は車を停め、彼に声を掛けました」。チャベスは語る。「彼はすっかり興奮し、汗だくで乗り込んできましてね。18歳の青年でした。『どこに向かって走っていたんだ』と聞くと、『自分の部隊が行ってしまったんです。あのトラック、どんどん遠くなってしまう。お願いです少佐、追いついてください』。そこで私はトラックに追いつき、将校に尋ねました。『どこに向かっているんですか』。返事はこうです。『知りません。だれも知りません!』」

チャベスは一息ついた。彼の口調はうわずり、あの凄惨な一夜の苦悩に喘いでいた。「パニック状態の兵士が、銃と500発の弾を持たされて、道に放り出されたんですよ。もう、動くものを見ればとにかく発砲で、道も、スラム街も、下町も、砲弾の雨です。大惨事でした。死者は数千人。その中に、フェリペ・アコスタがいました。私は本能的に、奴らが彼をはめて殺したと考えましたよ」。チャベスはきっぱりと言った。「我々が待ち構えていた行動の瞬間が来たのです」。3年後に失敗することになるクーデタの準備は、この瞬間に開始された。

飛行機は午前3時ごろ、カラカスに着陸した。私は窓から、この忘れ難い町の灯火の海を見ていた。大統領は、カリブ式の抱擁とともに、私に別れを告げた。正装した護衛兵に囲まれて遠ざかる彼を見ながら、私は2人のまったく違った男との旅と会話を楽しんだような、奇妙な感覚に襲われた。1人は、国を救う機会に何度もめぐり合わせる強運な男。そしてもう1人は、新たな独裁者として歴史に残るかもしれない詐術師である。

(1) ラテンアメリカ独立の英雄。1819年、現在のベネズエラ、コロンビア(およびパナマ)、エクアドルにコロンビア共和国(のちの大コロンビア共和国)を築いた。

(2) ホセ・マルティはキューバの詩人で、19世紀末に独立運動を指導。

(2000年8月号)

All rights reserved, 2000, Le Monde diplomatique + Watanabe Yukiko + Hagitani Ryo + Saito Kagumi

NASA版スターウォーズに隠されたSFの夢

NASA版スターウォーズに隠されたSFの夢

ノーマン・スピンラッド(Norman Spinrad)

アメリカ人SF作家、パリ在住

著書『鉄の夢』(荒俣宏訳、早川書房、1980年)、

『星々からの歌』(宇佐川晶子訳、ハヤカワ文庫、1985年)

訳・ジャヤラット好子

ミシェル・ビュトールが次のような提案をしたことがある。世界中のSF作家たちが集まって、世界の未来図を共同で描く。こうして合意した枠に沿って小説や短篇を書いていき、未来を現実にしようというのだ。業界を知る者はみな、そんな提案がありえない理想だとわかっていた。SF作家は、ただ一つの点で一致しているにすぎない。地球人はいずれ、宇宙空間を渡り、太陽系全体に地球文明を広めることになるという点だ。

とは言っても、SF作家に力がないわけではない。彼らは長いこと、アメリカの宇宙計画の背後で、先見の明ある者として振る舞ってきた。ロシアのスプートニク発射後、1959年に始まったアメリカの宇宙計画は、10年後のアポロ計画とともに、現実としても比喩としても頂点を極めた。世界で初めて、アメリカ人が月面を歩いたのだ。

宇宙旅行、他の惑星への植民、あるいは帝国主義の夢を忍ばせた「宇宙征服」は、初めからSFという分野の美学の核心にあった。アメリカ人を月へといざなった多くの学者と技術者、そして宇宙飛行士自身も、未来小説から影響を受けてきた。

アポロ計画は、SF作家にとって無上の栄光であり、宇宙探検の黄金時代の幕開けとして歓迎された。1969年に人間が月面を歩いたのなら、70年代には確実に、火星遠征や月面植民地、さらにはスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』で見せたような太陽系の果てへの探検が実現するはずだった。

しかし1980年の時点で、こうした未来が実現しないことは明らかとなった。アポロ計画は人類の宇宙探検の始まりではなく、その頂点だったのだ。航空宇宙局(NASA)の予算は削減され、その大部分が充てられたスペースシャトル計画は、人間を地球周回軌道に乗せるだけで満足していた。人類による宇宙探検の黄金時代は終わってしまった。月面着陸は宇宙征服の最初の一歩ではなく、最後の一歩だった。

ジェリー・パーネル博士が何かしようと決意したのは、まさにこの頃だった。彼はSF作家であり、アメリカSF作家協会の元会長であり、宇宙計画へ協力していた。主に共和党の側で選挙運動に参加していたパーネルは、その政治活動を通じて、後にレーガン大統領の国家安全保障担当補佐官となるリチャード・アレンと知り合った。

パーネルは1980年11月、ロバート・A・ハインライン、ポール・アンダースン、一緒に仕事をしていたラリー・ニーヴンといったSF作家たち、また学者や宇宙産業の幹部、ダニエル・グレアム退役将軍、宇宙飛行士エドウィン(バズ)・オルドリンらとともに、国家宇宙政策市民評議会を旗揚げした。

この組織は、有人宇宙飛行という未来構想の実現に向け、共和党新政権に影響を与える目的で、私人が作った圧力団体のようなものだった。とは言っても、それ以上でも以下でもあった。政権準備チームのためにレポートを作成し、パーネルを介して直接リチャード・アレンに提出した。これはアレンが国家安全保障担当補佐官に決まってからも続けられ、1981年1月にレーガン政権が発足すると、政権の最高レベルへの直接の足がかりとなった。

私は当時、アメリカSF作家協会の会長を務めていた。でも、前任者のパーネルから例の評議会へ誘われたことは一度もない。私がレーガン大統領とその仲間を軽蔑していたのは周知の事実だった。とは言っても、パーネルとは友人で、しょっちゅうフランクに話し合う仲だった。政権移行期間、つまり大統領の選出から就任までの期間に、パーネルがNASAの局長に指名されるのではないかという噂が広まった。彼は軽い笑いをまじえて私に言った「いやだよ。もっと権力のあるポストに就く方がいいな」。冗談は半分でしかなかった。

右派と左派を問わず、SF作家の大半と同様に、パーネルは人類の宇宙探検という一大事業に愛着をいだいていた。こうした計画を受け入れさせようと企てる多くの圧力団体は、あまりに素朴な理想主義によって立っていた。ところが、緻密で政治に通じ、国家安全保障会議(NSC)にコネのあるパーネルは、マキャヴェリ的とも言える戦略を展開した。人類を大々的に宇宙へ送り出すのに必要な資金をNASAが手に入れることはない、と彼にはわかっていた。主な資金はペンタゴンから手に入れるべきだった。NASAの30倍の予算をもらい、議会からの予算獲得にずっと大きな力を持っているのだから。どうすれば、ペンタゴンを動かすことができるだろうか? パーネルは答えを見つけた。ソ連の核ミサイルから米国を防衛するためだ!

これは、例の評議会の構成にも表れている。「未来」を夢見るSF作家、ペンタゴンに耳を貸せと言える退役軍人、最大限の予算をもぎとって利益を得たい航空宇宙産業の代表といった顔ぶれである。

タキオン兵器を真に受けるなんて

パーネルの戦略ははっきりしていた。テクノロジーの楯により、飛来する敵のミサイルを破壊し、核攻撃に対して米国を不死身にすることができるという発想を、レーガン政権に受け入れさせるのだ。これは割に容易だった。レーガン政権は軍事費をどんどん増やしていった。航空宇宙産業は大喜びで、影響力を活用して最大限の資金を手に入れた。軍は超高性能のオモチャをたいそう気に入っていた。夢の戦略はとてつもなく魅力的であったのだ。そして、レーガン大統領には映画と現実の区別、つまりジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』と同じ名前の戦略防衛構想(SDI)との区別がなかなか付かなかった。

なにしろ、レーガンが一般教書演説でSDIの存在を明かした際に、そこのくだりをパーネルが書いて、理論物理学の言葉を使った比喩になじみのない大統領の口から、これは「量子ジャンプ」であると語らせたぐらいだ。

例の評議会の隠された戦略は、「スター・ウォーズ」計画を使ってペンタゴンをかつぎ、有人宇宙飛行という遠大な計画に金を出させることにあった。パーネルとSF作家たちは、そうしたシステムには宇宙基地がなくてはならないと信じていた。彼らは軌道レーザーを、軌道を周回して弾道ミサイルを発進中に迎撃する対ミサイル用ミサイルを、軌道中性子爆弾を夢見ていた。これらには、探知・指令・制御をつかさどる軌道システムと、何よりも宇宙にいる人間が必要だった。

こうしたわけで、常に数十人どころか数百人ぐらい滞在するような軌道ステーションを、軍は建設すべきだった。搭乗員を宇宙空間に運び、そこに滞在させるための輸送システムの資金も入り用になってくる。という具合で、ペンタゴンがそれと気付く前に、宇宙探検の黄金時代に必要な設備に投資してくれるはずだった。宇宙ステーション、地球と軌道を結ぶ先端的なシャトル、大型輸送機、宇宙タグボート、宇宙ジープ、軌道燃料庫などなどだ。

SF作家なら誰でも知っていることがある。エネルギーに関し、要するに資金に関し、宇宙旅行の最大の障害は最初の行程にある。資材や備品、燃料や人員を、地球の重力から引きはがして軌道に乗せなければならないのだ。これさえクリアできれば、比較的少ない予算で月や火星、さらに遠い惑星へ到達できるようになる。

しかし、この未来図はサイエンス・フィクションから出てきている。私はパーネルに訊ねた。「ペンタゴンをかついで、民間の有人宇宙計画の設備に軍事予算を出させようなんて思っているのかい?」 政治的に見て、私には幻想でしかなかった。「絶対にありえないよ。あなたも誰も、議会との予算の駆け引きで軍にハッタリをかますなんてできないさ。彼らは百戦錬磨だもの。軽くいなされちゃうよ。シャトルを量産させるとか高機能にするとか言ってペンタゴンに金を出させ、NASAの予算を増やすなんて、絶対に無理だな。軍がNASAの予算を補助するんじゃなくて、シャトル計画を軍事化して、その請求書はNASAの支払いってことになるのがオチだろうよ」

おおよそ、現実はその通りになった。シャトルが動き出した最初の数年間に、それぞれの任務の全部か一部を軍が召し上げてしまった。SDIフィーバーの最盛期、ペンタゴンの議会への影響力をかさにきた航空宇宙産業は国庫をむさぼった。機能しない対ミサイル用ミサイルのため、標的を打ち落とさない対ミサイル用レーザーのため、決して数えられたことなく、たぶん数えきれることもない無茶な「研究」のために、数十億ドルが彼らのふところに落ちた。

いったいどこまで熱狂が進んでいたか、想像するのは難しい。それが絶頂に達していた頃、私はあるパーティーに出席した。カリフォルニアのヴァンデンバーグ、結局は陽の目を見ることがなかった「スペースポート・ウエスト」予定地で航空宇宙業界が主催したものだった。多くの学者と技術者が集まって、SDIについての提案に花を咲かせていた。そこで私は、科学ジョークのつもりで話してみることにした。光より速く運動し、それゆえ時間を下るのでなく遡ることができる理論上の粒子「タキオン」のことを。言うまでもないが(それでも言っておいた方がよいのだが)、そんな粒子は生み出されたことも感知されたこともなく、想像の産物である。私は言った。「どうしてタキオン・ビーム兵器を造らないのですか? 敵のミサイルが発射する瞬間に探知して、その前に発射台の上で叩くことができますよ!」 私が非常に驚いたことに、誰も爆笑してくれなかった。話を聞いた学者のひとりが、「その研究で多分50万ドルとれますね」と夢見る調子で口にした。

それから20年間と400億ドルが費やされたが、相変わらず対ミサイル防衛システムは存在しない。そして役所の怠慢、ペンタゴンの予算獲得力、航空宇宙政策の現実主義のおかげで、SDI計画はいくらかの予算をぶんどり続けている。

地球周回軌道への輸送手段として、アメリカは4機の老朽化したスペースシャトルを持っているだけ。月へ行くことも二度となかった。火星に遠征することもなかった。シャトルの行き先となる有人宇宙ステーションは一つもない。NASAの予算の大部分はステーション建設のために使われ、少なくとも500億ドルがつぎ込まれようとしている。しかし、太陽系の探検を可能にするものではなく、7人以上は収容できない。これは、十分の一の費用で建設されたロシアのステーション「ミール」が、すでに10年前に実現していたことだ。

ソ連崩壊後ほどなく、ジェリー・パーネルとラリー・ニーヴンが米国のテレビ番組で「悪の帝国を打ち砕いた」と語った。やつらが勝てるはずのない宇宙軍拡に引きずり込み、経済力を弱らせてやったのだと言う。そうかもしれない。でも、「スター・ウォーズ」は結局、アメリカの有人宇宙飛行計画もまた弱らせることになったのだ。火星探検や月面基地に回すこともできた400億ドルをSDIが吸い上げ、星間の真空に投げ捨ててしまった。さらに悪いことに、パーネルが実直に追い求めた目的に反して、アメリカの宇宙計画は軍事計画とほとんど一体化してしまった。未来に向けた彼の目的に到達することも、近づくことさえもなかった。宇宙探検の黄金時代は1969年の頃よりも遠のいた。それを気に懸ける人の数も、ひたすら少なくなっているように見える。

(1999年7月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Jayalath Yoshiko + Saito Kagumi

ナミビアのダム開発をめぐる二つの論理

ナミビアのダム開発をめぐる二つの論理

セシル・フイヤートル(Cecile Feuillatre)

ジャーナリスト

イザベル・ブリ(Isabelle Bris)

ジャーナリスト

訳・清水眞理子

ナミビアとアンゴラの国境を流れるクネネ川の水力発電ダム建設をめぐって、何年も前から論争が繰り広げられ、さまざまな調査や協議がなされてきた。いよいよ、政府が決断を下す段階にさしかかっている。ラオスなど世界各地で見られるように、この大規模ダム計画もまた大きな波紋を投げかけてきた。開発を急務とする国家は、環境や人権で一線を引くより、経済上の必要に迫られる。その一方で、立ち退きを求められた地元住民の多くは少数民族であり、国際環境保護団体の支援を受けて反対運動を繰り広げる。[訳出]

ヘレロ語で「終わり」を意味するオホポホは、ナミビア北西部に位置するカオコランドの中心地である。世界の果てオホポホの人口は6000人。パン屋は1軒、賞味期限の切れた缶詰のならぶスーパーが2軒、ガソリンスタンドも1軒だけ。この町を過ぎると、もうガソリンスタンドはない。西洋文明の影はもはや、どこにも見当たらなくなる。岩がむき出しになった未開の丘陵をつたい、道は迷路のごとく続いていく。焼けつくような荒涼の地、カオコランドを北に進むと、ナミビア随一の絶景が開けてくる。アンゴラとの国境をなすクネネ川のエプパ滝である。この地域にはヒンバ族が生活している。16世紀半ばに大湖地方(1)から移動し、クネネ川周辺に住み着いた部族で、現在の人口は1万~1万5000人を数える。元は同じ部族であったヘレロ族とは反対に、伝統的な生活様式を守っている。遊牧民であるヒンバ族の生活の糧はもっぱら家畜であり、牛やヤギの群を連れ、カオコランドのあちらこちらにクラールというテントを張って生活している。

長いこと孤立し、あまり知られていなかったヒンバ族を表舞台に引き出したのは、「エプパ・ダム」である。植民地時代から構想のあったダム建設計画は、1990年の独立後に具体性を帯びるようになった。厳しい干ばつに悩まされ、エネルギー資源の乏しいナミビアは、旧支配国である南アフリカへ経済的に依存している(ナミビア・ドルの相場は今なお南ア通貨、ランドに左右されている)が、エプパ・ダムの建設でこれを弱めることができる。

ナミビアは現在、エプパから上流100キロのルアカナにある唯一の水力発電所だけで、年間3.5%ほどの国内電力消費の増加に対処しなければならない。エネルギーの半分以上は、南アからの輸入に頼っているのである。

鉱業省エネルギー局長のパウリヌス・シランバ氏は、「エネルギー自給率を75%に高めたい。エプパ・ダムと風力資源、埋蔵ガスの活用により、中期的には電力の輸入率を25%まで引き下げることができるはずだ」と語る。

高さ163メートル、発電量360メガワットとなるダムの建設工費は、2兆5350億ナミビア・ドル(約52兆円)と見積もられている。1991年には、ナミビアとアンゴラの間でクネネ川整備協定が結ばれた。スウェーデン、ノルウェー、スイス、イギリスの業者が応札し、技術調査も始まっている。しかし、カオコランドの首長の一人、イクミヌエ・カピカ氏に簡単な、しかも英語で書かれた書簡を送っただけのナミビア政府は、間もなくヒンバ族の反対に直面した。サバイバル・インターナショナルのような国際的な環境保護団体や人権擁護団体が、計画は経済、社会、文化の破滅をもたらすとして、ヒンバ族を支援している。

あなたたち西洋人は・・・

ダムが建設され、115億立方メートルの貯水がなされれば、ヒンバ族の放牧地である380平方キロメートルの土地が水没することになる。10万頭あまりの家畜を擁するヒンバ族は、長い歴史を通じ、季節的に転地する移動放牧と耕作のシステムを築き上げてきた。放牧地が失われれば、日常生活の基盤が破壊されるだけでなく、クネネ川沿いのヤシのような「もしもの備え」も失われる。ヤシの実や、時として栽培されるトウモロコシ、ぺポカボチャ、メロンなどは、大規模な干ばつの際に欠かせない食糧となっている。

ナミビア人権協会オホポホ支部代表のステイン・クム・カトゥパ氏は、怒りの声を発する。「この土地はヒンバ族の物だ。政府は計画に際し、ヒンバ族の移住を約束した。だが、どこに移住させると言うのだ。よそには放牧地もなければ、水場もない。もし、ヒンバ族を都市に定住させると言うなら、それは死刑執行に署名するようなものだ。家畜のいないヒンバ族などありえないからだ」

失われいく土地で恒常的に暮らしているヒンバ族は千人程度に過ぎない、とダム工事推進派は主張する。だが、最も強硬な反対派の一人であるカピカ首長は、川の両岸で1万人もの住民が影響を受けるとする。「ヒンバ族の社会は生活様式や習慣の面で重大な変化をこうむることになる」と、カピカ首長は演説のたびに繰り返す。アンゴラとナミビアの国境に歩いて渡れる浅瀬がなくなれば、川の両岸に暮らす親族たちはバラバラになる。その上、160ある先祖の墓が水に沈むことになる。「墓は、ヒンバ族のアイデンティティの中心にあり、社会や土地とのつながりの中心的存在である。交流の場であり、移動放牧の出発点である」と、カピカ首長は書いている。墓はヒンバ族にとって、単に神聖な性格を持つだけでなく、部族長の権威や社会組織の基盤でもある。埋葬された先祖の最も多い者が、共同体を代表する最有力者となるのである。

NGOは、域外からの人の流入がヒンバ社会に大きな変化をもたらす点を強調する。計画によれば、1000人の労働者(ナミビア人450人、アンゴラ人450人、100人程度の駐在員)の流入が想定されている。家族も含めると、5000人近くになる。急激に人口が増加すれば、エイズ、アルコール中毒、売春といった問題をもたらすおそれが出てくる。1000の雇用が創出されるにしても、英語を話せず、この種の仕事に必要な能力もないヒンバ族には縁のない話だろう。このような反対論に対して、建設推進派は開発の利点を挙げる。インフラもなく、投資家に見放され、60%以上の失業者を抱えるナミビアでも最貧のカオコランドが、ダム計画によって開発されるのだと政府は言う。実際、オホポホのヘレロ族住民はこうした考えを支持している。彼らにしてみれば、5年を要するダム建設は経済特需と同義語である。

シランバ・エネルギー局長は強調する。「この地域を、貧困から脱出させなければいけない。ダムはカオコランドにとって好機だ。ヒンバ族は開発を受け入れなければならない。あなたたち西洋人は、伝統的で原始的な部族の姿を残したいのかもしれないが、あなたたちを喜ばせるためだけに人々が貧困の中に取り残されるなんて、まともなことだろうか。人々は学校に行き、靴を履くべきなのだ。私自身、貧しい家の出身だ。勉強することができたからこそ、今の地位を得ている。エプパ・ダムはインフラ、ホテル、レストラン、学校をもたらすだろう・・・。スウェーデンが数十のダムを建設しても、誰も文句ひとつ言わなかったではないか。どうして我々がたった一つダムを作ろうとするだけで、よってたかって叩かれなければいけないのか」

実際、問題は国際的な広がりを見せている。ヒンバ族が外国人を魅了するからだ。その風俗、西洋化への長い間の抵抗、美しさは、観光名物となっている。オーカー土と赤い油脂を混ぜたものを身体に塗り、乳房を露出し、重い鉄のアクセサリーで身を覆い、山羊革の短いスカートを重ね着したヒンバ族の女性は、本物に飢えた欧米人にとって理想の夢として、旅行業者の手で紹介される。ヨーロッパのジャーナリストもこれに飛びつき、自らを守るすべを知らない純情無垢な野蛮人として、ヒンバ族のことを伝えてはばからない勢いである。

「まっとうに殺せ」

ところが、ヒンバ族もほどなくマスコミの使い方を学んだ。1997年には、エプパのヒンバ族のカリスマ的指導者であるカピカ首長が、NGOに担ぎ出されてヨーロッパに出向き、キャンペーンを張った。成果は上々で、多くの者が彼の抗議に耳を傾けた。旧宗主国のドイツは計画に関与しないことを約束した。怒ったナミビア政府は、NGOがヒンバ族を操っていると非難した。ヒンバ族とともに暮らした半年間の経験を著した若いフランス人女性ソラン・バルデ(2)は反論する。「いったい誰が誰を操っているのでしょう。ヒンバ族の人たちは間抜けではありません。自分たちの商業価値、象徴価値を認識しています。彼らは西洋人の後ろめたさを突くことを覚え、とりわけ墓を移転したり水没させたりするなど怪しからん、と西洋人が考えていることを感じとったのです」

1998年2月7日、ダム問題のすべての関係者がそろった集会が首都ヴィントフークで開かれた。カピカ首長はその場で演説した。「我々は変化という変化に闇雲に反対しているのではない。ダム計画について詳しく検討した結果、外国のいかなる団体とも無関係に、我々としての結論に達したのだ」。集会では、フィージビリティ・スタディ(実現可能性調査)の結果が発表された。この調査はアンゴラ、ナミビア、スウェーデン、ノルウェーの専門家が集まった合弁会社ナマンにより行われ、クネネ川流域でのダム建設地について、三つの案を対象に環境と社会に対する影響を評価した。そして、エプパより下流のベインズ地区にすれば、水没面積も57平方キロメートルに抑えられ、自然や人間に対する影響が最小になると結論付けた。

しかし、エネルギー省は「ベインズは費用がかさみ、収益性が低いので、投資家にとって魅力が少ない」とする。さらに、ダムを最大限に活用しようとすれば、アンゴラ内戦で完全に破壊されたゴヴェ・ダムとの連動が欠かせないが、和平協定の実施に追われるアンゴラ政府にとって、ダムの修復は優先課題とはなっていない。

実際のところ、ナミビア政府は否定するが、ダム建設地はエプパに決定済みのようだ。「政府はヒンバ族をどこまでもバカにしている。この問題は極めて政治的なものだ。カオコランドは政府支持派ではない。ダムができれば、政府は与党SWAPO(南西アフリカ人民機構)の発祥地であるオヴァンボの住民を入植させることができる。政府の関心はその一点にあるのだ」と、ステイン・カトゥパ氏はため息をつく。さらに強い口調でソラン・バルデも言う。「ダムはサム・ヌジョマの肝いりになっています。大統領の業績として残そうというわけです」

ヒンバ族も幻想を抱くのはやめた。すでに1994年の時点で、カオコランドの賢人の一人、カチラ・ムニヨンバラ氏は首相に対し、「殺したいなら殺せ。ただし、住民の許しを求めるような振りはやめろ。殺すなら、まっとうに殺せ」と言明している。シランバ・エネルギー局長は、安心してほしいといった口調で話す。「軍隊を出動させるのは論外だが、ダムは建設されることになる。いずれにせよ、伝統を守るヒンバ族は次第に消えていく。そのプロセスはもう始まっている」。確かに、4~5年前から旅行業者はカオコランド観光に力を入れ、訪れるヨーロッパ人の数も爆発的に伸びている。

近代的生活に引き付けられた若者たちは、白人相手にティーシャツと引き換えに自分たちのアクセサリーを売り払い、町に出て仕事を探すようになった。シランバ局長は語る。「観光に任せておけばよい。あとはもう、時間の問題だ」

(1) アフリカ東部の湖水地帯。

(2) ソラン・バルデ『赤い大地に立つ裸足の人々』ロベール・ラフォン社、1998年、パリ

(1999年7月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Shimizu Mariko + Ikawa Hiroshi + Saito Kagumi

∑(゚◇゚;)  たちぶく~~ ∑(゚◇゚;)

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