「日本の新たな軍事的野心」—[ル・モンド・ディプロマティーク日本語から]

「日本の新たな軍事的野心」—[ル・モンド・ディプロマティーク日本語から]

エミリー・ギヨネ特派員(Emilie Guyonnet)

ジャーナリスト、

「ロベール・ギラン日本報道賞」受賞

訳・阿部幸

ディプロ2006-4 – Les ambitions militaires du Japon passent par les Etats-Unis

—————————————————————————-

 アジアの地政学的な中心に位置することから「太平洋の要石」と呼ばれる沖縄は、第二次世界大戦以来、日米の戦略的決定に翻弄されてきた。太平洋戦争で、その最も悲惨な戦闘の舞台の一つとなった後(1)、米国の軍事的な植民地となり、日本の他の地域より20年も長く1972年まで米国の占領下にあった沖縄は、現在も37の米軍施設を負わされている。人口135万人の土地に将兵2万6000人がその家族とともに駐留する(2)。

 この縦100キロメートル、横15キロメートルほどの狭く、しかも人口密度の高い地域への基地の集中は、日常的に無数の問題を引き起こしている。規制値をはるかに上回る騒音や、犯罪、演習時の事故、実弾を使った訓練などに伴う危険といった問題だ。

 「基地はほんとうにいやです」と、嘉手納基地の近くに暮らす屋良朝博氏は言う。

この基地は極東にある米軍空軍施設の中で最大規模であり、最も頻繁に活用されている。

「夜中の2時3時から、飛行機の騒音で目が覚めることがあります。複数のジェット機が頭上を飛び交うのが見え、何かの金属や物体が庭に落ちてくることもあります」。基地問題は、3人の海兵隊員による少女暴行事件があった1995年に、ふたたび全国的な問題となった。

「あの事件は世論にとってまさに衝撃でした。1972年の返還後、沖縄の状況がメディアに取り上げられることはなくなっていましたから」。

沖縄タイムス編集委員である屋良氏はそう回顧する。

にもかかわらず、問題は変わらず続いている。

それを象徴するのが、人口8万人が住む市街地の中心に4800ヘクタールの面積を占める普天間の空軍基地だ。2004年8月13日に起こった米軍ヘリ墜落事故によって破壊された大学の建物の跡は、今でも間近に見ることができる。

 楽園のような浜辺が続き、ホテル群が立ち並んでいても、沖縄の空気は重い。

冷戦が終わって久しいというのに、いまだに現状が維持されていることに地元住民はうんざりしているのだ。

東京から1500キロ、太平洋と東シナ海にはさまれた日本最南の沖縄県は、別の時代に取り残されてしまったような奇妙な印象を与える。

 屋良氏は言う。

「状況は変わろうとしています。日本は国民も指導者も、国防に関わる問題について考えてきませんでした。というのも、冷戦の間は、米国の核の傘に守られていたからです。

しかし、常に米国を当てにできるとは限りません。今日ではこの議論を避けることは不可能です」。これこそまさに日米の新たな戦略協議の主題である。その骨子は中間報告に示されており(3)、原則的に3月31日までに最終合意文書に調印することが予定されていた(4)。中間報告には米軍部隊の再配置、すなわち、海兵隊7000人の沖縄から米領マリアナ諸島グアム島への移転が盛り込まれてい

る。グアムは沖縄より広く、人口が少ないだけでない。米国防総省によれば、東南アジアの急進イスラム主義グループの活動に対処するのにより適した位置にある。

 この決定(実施日程はまだ詰められていない)は、在日米軍の総規模や、韓国における計画と比較すれば、見た目ほどめざましいものではない。

89の米軍施設を擁する日本は、グアム移転後もなお4万人の米軍兵を抱えることになる。

この移転費用のうちほぼ90億ドルは、日刊全国紙ジャパンタイムズが伝えるところによれば、日本政府が負担する(5)。

日本はアジアにおける米国の最も親密な同盟国として、また軍事戦略の支柱としての役割を果たしつづけることになる。

 一方、この地域におけるもう一つの米軍の拠点たる韓国では、2008年までに駐留米軍3万7500人のうち1万2500人の削減が予定されている(6)。

国民の反対が大きく、また北朝鮮との和解を模索しているため、米国との同盟関係に距離をおき、より多角的な外交を重視する方向に向かっている。

ただし、1954年の条約が問題視されているわけではない(7)。

 日韓の違いは財政面にも表れている。

日本が在外米軍の「最も気前のいい受け入れ先」であり、年間40億ドル以上、駐留経費の75%を負担しているのに対し、韓国の負担率は40%、拠出総額は8億4000万ドルあまりにすぎない(8)。

グローバルな同盟への歴史的転換

 日米の新たな二国間合意は、冷戦後のアジアにおける米軍再編というだけにとどまらない。

そこには日本の外交・国防政策の変化があますところなく表れている。

すなわち、米国との政治的、軍事的な同盟関係のかつてないほどの強化である。

2005年10月29日の中間報告発表の場でライス米国務長官が述べたように、「日本の防衛を唯一

の目的とし、地域の安定を潜在的な目的とする協力関係」から「グローバルな同盟」への転換が、この合意によって実現されることになる(9)。

 「歴史的」と評されるこの合意は、1945年9月2日の降伏文書調印に始まる日米関係の第三期を画するものである。

1951年9月、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安全保障条約では、日本に米国の基地と軍を維持することが定められた。

この頃、武装解除されていた広大な日本の目と鼻の先で、朝鮮戦争が勃発していた。

1960年1月、この条約は、その前提となっていた力関係の変化を受け、日米相互協力および安全保障条約に改定された。期限は10年で、その後はどちらかの通告後1年で終了する。新条約では、相互性の概念が導入されるとともに、基地の使用や核兵器の日本への持ち込みに際して日本政府と事前協議をすることが米国に義務付けられた。

それから46年後の新たな同盟合意により、両国の戦略的パートナーシップはあらゆる状況に対処できるものへと拡大される。

 こうした展開は、湾岸戦争で日本の「小切手外交」が「国際社会」の批判を浴びた1991年以降の流れの中に位置付けられる。2001年9月11日以降、米国政府が「対テロ戦争」に乗り出し、日本政府が同盟に基づく協力姿勢を打ち出していることで、この動きはさらに加速した。しかも2001年4月には、ブッシュ大統領寄りの小泉純一郎が日本政府のトップに就任している。

 新同盟の布石となったのは、2001年以後の情勢を受けて可決された特別措置法である。これにより自衛隊は、1992年のカンボジアに始まる従来の海外派遣とは異なり、国連の枠外でグローバルな任務に当たることを認められるようになった(10)。

日本の外交と国防の専門家レジーヌ・セラ氏の見解によれば、これらの任務は法的にも形式的にも1960年の日米条約の対象には含まれない(11)。

2001年10月には「テロ対策特措法」成立によって、アフガニスタンのタリバン政権と交戦する多国籍軍の後方支援のために自衛隊がインド洋に派遣され、2003年には「イラク復興支援特措法」によって、イラク南部サマワに出動した。

 日米のパートナーシップの拡大は、2005年10月29日にワシントンで開かれた中間報告の記者会見でラムズフェルド米国防長官が言った「テロとの戦い」にとどまるものではない。

大きな動機となっているのは中国が大国として台頭しつつあることだ。

2005年6月28日のインドとの防衛協定の調印から1年足らずのうちに進められた日本との新たな同盟協議は、米国政府にとって中国「封じ込め」戦略の一環として位置付けられている。

米国政府から軍事支出が不透明だと指弾される中国は、日本政府の新防衛大綱でも北朝鮮とともに安全保障上の懸念材料として名指しされている。

 アジアの二大国間の勢力争いの背景には、尖閣諸島(中国名は釣魚島)をはじめとする領土問題と、日中双方の国民のナショナリズムをかき立てる歴史問題がある(12)。

グローバルな同盟をめざした中間報告でも、新たな脅威を例示した個所に「島嶼部への侵略」を挙げている。

 中国に対する日本の戦略上の懸念を強めているのが、「朝鮮半島が統一されるかもしれない」という見通しである。

そうなれば核保有の可能性のあるミドルパワーが誕生し、平壌のみならずソウルにおいても外交の重心が中国にシフトして、現在進行中の社会的、政治的な変化がいっそう進むことになるだろうからだ。

 米国の国家情報会議がCIAに提出した2020年報告の中で「アジアにおいて大規模な国家間紛争が起こる可能性は依然として他の地域より高い」とされている状況下で(13)、日本政府は、この地域においても国際舞台においても「外交・軍事の両面で第一級国」たらんと決意しているように見える。

 第二次世界大戦後かつてなかった姿勢である。

 日本は非常に高度な軍備を保有し、年間400億ドルという巨額の防衛予算(米国、英国、フランスに次いで世界第四位)を持っている。しかしながら平和憲法を備えていること、国連安保理常任理事国入りが行き詰まっていることにより、海外への出動を制限されている。

 欠落分野のない外交を展開し、「普通」の軍事大国としての地位を回復するには、米国との防衛協力を強化することが最も有効な方法と見るのはそのためだ。

「統合運用体制」への変革

 この政策の主な手段の一つが、2005年10月29日の中間報告が掲げているような、両国の部隊の「相互運用性の向上」である。この方針は米軍再編の柱の一つであり、具体的には、情報の共有および共同の演習や作戦を円滑に行うために日米の意思決定中枢が抜本的に再編される。沖縄に関しては、米国側は一部の施設の共同使用を認めるつもりがあると強調する。

「日米両政府が明言しているのとは裏腹に、グアム移転によって沖縄の基地の負担が軽減されるとは限りません。自衛隊が米軍に代わることになる可能性が高いからです」と琉球大学教育学部で教鞭を執る山口剛史氏は嘆く。

 この他に、東京の北西部にある横田飛行場には、日本の航空総隊司令部を移転して米空軍司令部との連携をはかるとともに、共同統合運用調整所を設置することが予定されている。

 同じく東京近郊にあるキャンプ座間では、現在の米陸軍司令部が改編され、統合任務が可能な作戦司令部組織が設置される。

 このような相互運用性の必然の帰結として、「自衛隊を統合運用体制に変革する」ことが予定されている。

 

この新たな機構の役割・任務は、中間報告では明確に定められていないものの、現在の自衛隊のように狭義の国土防衛のための出動のみに限定されるわけではない。

 この点、合意は実に巧妙に書かれている。

 あいまいで、制約が設けられていないため、両国政府が自由に運用できるようになっているのである。

 自衛隊の「このような変革は憲法違反です」と山口氏は憤慨する。

 マッカーサー将軍の指揮のもと米占領軍によって原案が作られた1947年の憲法は、第9条において、日本国民が、戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を放棄し、戦力は保持しないと規定している。

 この憲法はすぐに暗黙の変更を加えられることになった。

 冷戦という状況下で、マッカーサーは1950年、日本に対し7万5000人からなる警察予備隊の設置を求め、これが母体となって4年後に自衛隊が生まれており、現在では約24万の隊員を数えるに至っているからだ。自衛隊の合憲性をめぐっては大きな議論があり、たとえば社会党は1994年になるまで公式には合憲と認めていなかった。

 米国との同盟の枠組みに沿った自衛隊の地位の変更は、憲法改正議論の渦中で提案された。

 小泉首相率いる自民党は、2005年11月22日、自衛隊を「軍隊」にする内容を含んだ新憲法草案を発表した。しかしながら、今のところ改正が具体的日程にのぼっているわけではない。改正には両院それぞれ3分の2以上の賛成と、国民投票による過半数の賛成が必要とされる。

 政界では1945年の降伏以来の謙虚な姿勢が薄れ、ナショナリズムへの回帰が見られるとはいえ、国民は今なお憲法の平和主義にこだわりを持っている。

 駒澤大学法学部教授の西修氏は言う。

 「世論の大半が憲法改正に前向きだからといって、9条の改正が賛同を得るとは限りません」。しかし、「国民の意識は変わりつつあります」と国立公文書館アジア歴史資料センター研究員、牟田昌平氏は言う。「景気が後退した時期に、保守派の考えが世論のうちに浸透し、右傾化が進みました。小泉首相はこれまでの首相より保守的な路線をとっており、ことに歴史問題に関してはそれが際立っています。もう一つ兆候があります。特にここ数年、一部のメディアが非常に右寄りになってきているのです。左の意見が聞かれることはますます少なくなってきました」

 1960年の安保条約改定時には、国民の反対運動が巻き起こって国政が2カ月にわたって麻痺し、アイゼンハワー大統領の訪日取りやめという事態となった。

 反対派による最大の非難は、1951年の条約が勝者によって占領末期に押し付けられたものだった

のに対して、1960年の条約は判断と行動の自由のある政府が行った交渉の結果である点に向けられた(14)。

 衆議院での抜き打ち採決だったとはいえ、1960年の条約は民主主義の枠内で成立したと言えるものだった。今回の改定をめぐっては、とりわけ米軍施設のある県の政治家と住民の間に、強い反対が起こっている。たとえば広島の南西方向にあり、米軍再編計画による部隊の増強が予定されている岩国市は、2006年3月12日に住民投票を実施した。

 この住民投票には象徴的な意味しかないとはいえ、反対票が89%と圧倒的多数を占めた。

 しかし、地元の抗議は何らの重みとなることもなく、再編計画は住民にも議会にも諮られないまま両国政府の上層部のみによって決定されつつある。

平和主義体制の終焉か

 相互運用性の向上は、日本の部隊がとりわけ技術面で米軍と同じ水準を維持するために、変革を必要とするということも意味している。将来の合意文書に「双方がそれぞれの防衛力を向上」させ、「技術革新の成果を最大限に活用」するという二重の動きが規定されているのも、これによる。

 日本はアジア太平洋地域における米国の他の同盟諸国と同様、自国の能力と米国の能力との格差拡大を恐れている。

 しかも、米国防総省付設のアジア太平洋安全保障研究センター(APCSS)が主催した会議の議事録でも指摘されているように、日本では予算や制度、官僚機構が壁となって、米国が進めているほどの軍事再編は歯止めをかけられ、妨げられている(15)。

 両国間の協力分野の中でも、特に1998年に北朝鮮の弾道ミサイルが日本領空を通過した事件以後、中心課題となったのが弾道ミサイル防衛(BMD)である。

 10月29日の中間報告にも、BMDに関する「それぞれの能力の向上を連携させる」と記されている。

  1967年以降、日本が政府の方針によって武器と軍事技術の輸出を禁止してきた現状からして(16)、米国の軍事技術の移転は産業界にとって重要な意義を持つ。

 とはいえ、この方針は2004年12月に小泉内閣によって部分的に解除された。視野にあるのはミサイル防衛における米国との協力である。

 「三菱重工と川崎重工という日本の2大軍需企業にしてみれば、解除を正当化する理由として、技術的課題があることを主張できるだろう」とレジーヌ・セラ氏は指摘する(17)。

 防衛庁は2010年末までにパトリオット・ミサイル124発を調達する意向を表明している。当初は米国から輸入し、続いて三菱重工に製造させるという計画である(18)。

 日本が20世紀に行った植民地化を今なお記憶にとどめている近隣アジア諸国は、平和主義に貫かれた戦後体制の見直しに向かおうとする日本の変化を快く見てはいない。

 アジア太平洋地域では、ナショナリズムが高まり、戦略上の問題も抱えているうえに、米国が数多くの安全保障条約や相互協力条約を交わしてきた結果、軍拡競争が止まらずにいる。

 この地域は今や中東に次ぐ世界第二の武器市場となっており、1990年から2002年の間の購入額は1500億ドルを超えた(19)。

 日本にとっても、豪州、韓国、台湾をはじめとする他の対米同盟国・協力国にとっても、米軍との連携上の運用能力を維持することが目標となっている。

 アフガニスタンやイラクに見られるように、米国との共同作戦を実施する可能性が増大しているからだ。多くの国が米国の新型装備を調達しており、たとえば豪州、日本、韓国は艦隊戦闘システム「イージス」を導入した。

 しかし、米国が「軍事革命(RMA)」に乗り出して以降、アジアに向けて行ってきた先端軍事技術の輸出が度を越していることは、地域内でも批判する国が出てきている。

 APCSS主催の別の会議の議事録によれば、これらは「テクノロジーそのものの偏愛」に傾いた「思い付き、技術革新、テクノロジーの世界」に属するものであって、「低強度の脅威、特にテロへの対処や暴動鎮圧作戦には不向き」である(20)。

 この会議の参加者たちは、米軍再編がアジア太平洋地域に及ぼす波及効果を懸念した。「米国の軍事的優位の確定と強化を目的としている」限り、米軍再編は「新たな脅威を創出する」ことになりかねない。

 防衛力を進化させることのできない国々は、「低強度の攻撃(暴動やゲリラなどの戦術)のように非対称的な手段に出るか、大量破壊兵器(核・生物・化学弾頭を搭載したミサイル)の能力を増強する」可能性があるのだ。米国政府がアジア太平洋地域で展開する安全保障政策のパラドックスはまさしくここにある。

(1) 1945年4月から6月に繰り広げられた沖縄戦は、23万人以上の死者を出した。そのうち9万4000人が民間人である。

(2) 2004年に公表された県庁報告書「US military issues in Okinawa」によると、県内の米国籍者の総数は5万826人にのぼる。

(3) 2005年10月29日にワシントンで日米防衛・外務担当閣僚が行った会議を受けて発

表された中間報告書「日米同盟:未来のための変革と再編」参照http://www.jda.go.jp/j/news/youjin/2005/10/1029_2plus2/29_e.htm

(4) 2006年3月末の時点で最終合意は4月以降に持ち越しとなり、4月23日、日本がグアム移転費のうち60億9000万ドルを負担することで合意、協議は大筋で決着した。

[訳註]

(5) << US eyes $9 billion to move marines >>, The Japan Times, Tokyo, 25 November 2005.

(6) この決定は2004年10月6日、ラムズフェルド米国防長官によって発表されたhttp://www.defenselink.mil/releases/2004/nr20041006-1356.html

(7) 1954年に調印された韓米相互防衛条約が米軍の韓国駐留の根拠となっており、米軍は韓国が国外から攻撃を受けた場合に援助する義務を負う。

(8) 入手可能な最新情報は、同盟諸国の貢献に関する米国防総省の2004年報告であり、それによると、2002年の日本の負担額は44億1000万ドル、韓国の負担額は8億4280万ドルである。

(9) 前掲「日米同盟」。

(10) それまでは自衛隊の行動は国土の防衛に限定されていた。

(11) レジーヌ・セラ『日本の戦略の変遷:EUにとっての課題』(EU安全保障研究所、ブリュッセル、2005年6月)。

(12) マルティーヌ・ビュラール「中国が展開する非対称外交」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年8月号)参照。http://www.diplo.jp/articles05/0508.html

(13) Mapping the Global Future, Report of the National Intelligence Council’s 2020 Project, National Intelligence Council, December 2004.

(14) E・O・ライシャワー『ライシャワーの日本史』(國広正雄訳、講談社学術文庫、2001年)。

(15) Asia-Pacific Center for Security Studies (APCSS), << Defense Transformation in the Asia-Pacific Region : Meeting the Challenge >>, Hawai,

30 March – 1 April 2004,

http://www.apcss.org/core/Conference/CR_ES/DefenseTrans.doc

(16) 「三原則」と呼ばれる方針。共産圏の国、国連により武器輸出が禁じられている国、国際紛争の当事国またはそのおそれのある国に対する武器の売却と軍事技術の移転を禁止している。1976年には禁止の範囲がすべての国に拡大された。

(17) レジーヌ・セラ、前掲書。

(18) << Japan to build own Patriot missiles for defense shield >>, The Japan Times, Tokyo, 13 November 2005.

(19) Richard A. Bitzinger, << The Asia-Pacific Arms Market : Emerging

Capabilities, Emerging Concerns >>, APCSS, Hawai, March 2004.

(20) APCSS, << US Defense Transformation : Implications for Security in the

Asia-Pacific Region >>, Hawai, 1-3 December 2004.

 米国産基地外牛肉大好きの日本フード協会 こぴぺ

五十音学習帳


アイツノナマエハ

カンジンカナメノ

サンザンサワイデ

タイシタタイドデ

ナニガナンダカ

ハマヤラアンパデ

マンナカマルアキ

ヤケノヤンパチ

ワスレタ・・ナンダッケ・

を ん



株式会社アートコーヒー

アートコーヒー/アートサンズ/ルパン

株式会社アーバン

西海/深大寺そば/オーラ/八王子市夕やけ小やけふれあいの里お食事処いろりばた/高尾山ビアマウント

株式会社アールディーシー

がってん寿司/かつ敏/焼肉ダイニング・ダイ/唐麺や十兵衛/鮨ダイニング・ダイ

株式会社青学サービス

青学会館

株式会社アグネス

びっくりドンキー(FC)/ビッグ・エコー(FC)/タリーズコーヒー(FC)

株式会社あさくま

ステーキのあさくま

株式会社アサヒビール園

グルメランド小樽/ロイン亭/レストランピルゼン/羊々亭/トマム亭

アサヒフードクリエイト株式会社

スーパードライ/スタジオフレスコ/他

株式会社アジアル

ミスタードーナツ/びっくりドンキー/どれ味れど

株式会社アストジャパン

大阪ふくちぁんラーメン 他

株式会社あっぷるアイビー

あっぷるぐりむ/ピッツエリア/あっぷるぐりむバーンズ/きらび/サワディ・カフェ/たま

株式会社アペックス インターナショナル

廻鮮寿司しまなみ

有限会社あづまや

東屋/あづまや/東きち屋/Zippy’s DINING

株式会社アブ・アウト

らーめん山頭火

株式会社アマポーラ

アマポーラ/アランフェス

株式会社アミノ

うまい鮨勘

アムゼ株式会社

寧々家

株式会社アレフ

びっくりドンキー/ペペサーレ/小樽倉庫NO.1/ハーフダイム/十夜一夜/天空回廊

株式会社安楽亭

安楽亭/アグリコ/春秋亭/素材市場

↑top


イートアンド株式会社

大阪王将/よってこや/コートロザリアン

株式会社石焼ビビンパ

石焼ビビンパ/ビビンパ・グリル

泉レストラン株式会社

どんと/しゃぶ泉/パルク/ディナギャン/リーべンハウス

株式会社伊勢丹プチモンド

プチモンド/とんじゅう/松澄/好蘭/信州/ティネロ/ガンガー/チャンパー/エディアール/ウィタード

株式会社伊太利亜飯店 華婦里蝶座

カプリチョーザ

株式会社イタリアントマト

イタリアントマト/伊太都麻/カフェジュニア

株式会社壱番屋

カレーハウスCoCo壱番屋/カレーパン屋ココイチ/パスタ・デ・ココ/麺屋黄粉壱

一冨士フードサービス株式会社

../notfound.html

株式会社一六

レストラン北斗/釜めし茶屋北斗/うどん茶屋北斗/海鮮北斗/カフェマドーヌ/カフェレストラン北斗/フレッシュネスバーガー

株式会社一心亭

一心亭

株式会社一寸法師

魚鮮

株式会社一丁

魚や一丁

株式会社一品香

一品香/老饕

株式会社伊藤組

ケンタッキーフライドチキン

イフスコヘルスケア株式会社

病院給食等請負

今井観光株式会社(徳川チェーン)

徳川/とんかつ・徳/とくとく

株式会社今佐

イレブンイマサ/カレーハウスイマサ/山海旬焼今佐/木曽路/銀座今佐/西口今佐

株式会社イワイ

おむすび権米衛

↑top


株式会社ウエスト

ウエスト味の街

株式会社歌行燈

歌行燈/やじろべえ/おちょぼ餃子/麺つる亭

株式会社梅丘寿司の美登利総本店

美登利寿司

株式会社梅の花

湯葉と豆腐の店 梅の花

株式会社梅屋

ラーメン北斗/麺菜家北斗

↑top


株式会社エイエイエスケータリング

航空機内食/食堂・喫茶店及び給食業

株式会社エイチ・エス・ティー

牛民/プロント

株式会社エーディーエモーション

カーディナス/焼酎天国黒ぶたや

株式会社エーワンベーカリー

エーワンベーカリー

株式会社江戸一

すたみな太郎/グローバルバイキング/割烹江戸一/こう福や/万来館/石舟庵

株式会社江戸沢

相撲茶屋ちゃんこ江戸沢

株式会社エヌゼット

炭火焼肉久太郎/焼肉居酒屋はなどり

↑top


株式会社おあしす

おあしす/ドラゴンゲート/からめんや/イタリアのクレープ屋さん

株式会社扇屋コーポレーション

総本家 備長扇屋

大倉実業株式会社

弁天/酒楽亭/六根/たらふく/ポピーズ/パパラギ/チャーリーブラウン/ルース/キッチンスタジアム/ソウル トゥ ソウル

大阪フード株式会社

ケンタッキーフライドチキン

株式会社大志満

大志満/すし勘六

株式会社王将フードサービス

餃子の王将

株式会社王滝

寿司広場2代目あっちゃん/とと祭り/海鮮居酒屋つきぢや

株式会社大戸屋

大戸屋ごはん処

有限会社大沼

大沼

株式会社オーバン

やっこ凧/グッディーズ/pimo(ピモ)

株式会社小田急レストランシステム

本陣/ロッテリア/さわらび庵・ガルロネロ/カフェランコントル・コパドール

株式会社音羽

とれとれ屋/音羽鮨/音羽茶屋/おとわ/篭(こもり)/音羽ケータリングサービス

オリジン東秀株式会社

東秀/香雅

↑top


株式会社加賀屋レストランシステム

トンカツわくら/加賀屋/とんかつ和ダイニングわくら亭

株式会社ガキ大将フードサービス

ラーメンガキ大将

株式会社柿安本店

柿安本店/柿次郎/米飯/柿安ダイニング/柿安グルメプラザ/ご馳走や/上海デリ/三尺三寸箸/おかずや

株式会社雅秀殿

きくや/かつ福/雅秀殿/食KingFun

株式会社加寿翁コーポレーション

祢保希/加寿翁/酔鯨亭/司

株式会社家族亭

家族亭/おいでやす/三宝庵/蕎菜

株式会社片岡フードサービス

トワイニング/ラバッツァ/ガルバニヤーティ

株式会社片山商店

レストランカタヤマ/駅そばやなぎ

株式会社金沢プレミナンス

プレミナンス

株式会社かに道楽

かに道楽/いけす道楽/網元/千石船/北海丸/しゃぶらく/錦城閣/かに篭/花どうらく

株式会社かまどや

肴菜料理の店”かまどや”

株式会社鴨川グランドホテル

日本料理鴨川/かもがわ茶寮/ザ・サイアム

株式会社カリーナ

DUCCA(デュッカ)

株式会社カルラ

そば処丸松/まるまつ/かつ兵衛/すし兵衛/かに政宗/のみくいや魚膳

がんこフードサービス株式会社

がんこ寿司/がんこ炉ばた焼/とんかつ/いってつ屋/一徹庵

関西国際空港産業株式会社

株式会社神田きくかわ

神田きくかわ

株式会社かんなん丸

庄や/日本海庄や 他

株式会社関門海

玄品ふぐ

↑top


株式会社菊富士

そば処菊富士/郷土料理追手門/お食事処菊富士/創作郷土料理の店

株式会社木曽路

木曽路/素材屋/じゃんじゃん亭/炎風/とりかく/ステラコーレ/ふく兆

株式会社キタカタ

会津喜多方ラーメン蔵

北の家族株式会社

和風居酒屋北の家族/旬彩庵/二葉鮨/アラビアンロック/ミステリアス/遊邑RAKUZA/

株式会社吉光

ラーメン古潭/家庭小菜古潭/わした

キッコーマンレストラン株式会社

コルザ

株式会社吉祥

吉祥

キトクフーズ株式会社

ユーマート、パルイン/あじ彩

株式会社木村家

木村家/カフェ・ド・アンリ

株式会社キャニー

Ginzaかなえ/55楼菜館/福龍/プロポ/グリルフローラ/竜神亭

キャラバンコーヒー株式会社

キャラバンコーヒーショップ

株式会社キューズファクトリーズ

旗籠家

株式会社崎陽軒

中華食堂/ピアット/味々/嘉宮/イルサッジオ

株式会社京樽

京樽/関山/SUSHICOAST/重吉/ほうらく亭/ファミリーレストラン海鮮三崎港

協和株式会社

とんかつ和幸/そば処松万/そば・やきとり処松万/浜松華膳楼/飛騨高山ラーメン/一本どっこ

株式会社喜代村

すしざんまい/お弁当喜代村

株式会社きらく

大阪うどんきらく/大阪の味ラーメン喜らく/大阪ラーメンぐるめん/とんかつかつ喜

株式会社桐山レストラン

キリ・フレッシュ

株式会社キリンシティ

キリンシティ/カフェセボール

キリンダイニング株式会社

ビアホール/シェーキーズ/カフェセボール/秋吉/レストラン等

際コーポレーション株式会社

万豚記/紅虎餃子房/胡同マンダリン/葱や平吉/lee scorpion

有限会社キングベーク

ミスタードーナツ/キングベーク

銀座アスター食品株式会社

銀座アスター

株式会社銀装

心斎橋ラサール/フロリードハウス(高石)

株式会社銀たなべ

銀たなべ/銀禅/銀粋/アジュール銀禅/銀兵衛

近鉄観光株式会社

月日亭/江戸川/百楽/銀座四川/味楽座

株式会社キンレイ

かごの屋/グロッタ/華宮/籠乃屋/華都飯店

↑top


株式会社クオリス

安兵衛/庄屋/肴いちば/庄屋安兵衛/ろんどん亭/ピアット/雪ん子/まつ/信濃川

株式会社熊五郎

熊五郎/風土記/あらうま堂/めっせ熊/古今亭/おちゃらん屋/ざんまい屋

株式会社グリーンハウス

謝朋殿/西安餃子/粥餐庁

株式会社グリーンハウスフーズ

とんかつ「さぼてん」/串処「蔵」/大皿料理「蔵田家」/とんかつ「デリカさぼてん」

株式会社クリエイト・レストランツ

香港蒸籠/ポルトフィーノ/デザート天国/雛鮨 他

株式会社グルメ杵屋

杵屋/めん坊/穂の香/そじ坊/そば野/しゃぽーるじゅ/ラ・ベル/ロムレット/イルプリモ/天はな/丼丼亭等

株式会社グルメドール

グルメドール/和ぐるめ/花ぐるめ/カフェ・エスポワール等

クレバー物産株式会社

信州庵/弦/カフェ・ド・クレバー/コーヒーハウスクレバー

グロービート・ジャパン株式会社

らあめん花月 嵐/ニンニクげんこつらあめん花月 寅 他

↑top


株式会社ケイコーポレーション

かもがた茶屋/さすが家/カルビ市場/幸兵衛/旬や/甲羅

京品実業株式会社

七兵衛/ぎやまん亭/鳥華/さが野/いの字/京品ホテル

株式会社玄海

玄海/かこみ

元気寿司株式会社

元気寿司/すしおんど/千両/東京元気寿司

↑top


株式会社神戸屋レストラン

神戸屋ベーカリーレストラン/神戸屋キッチン/神戸屋イートイン付キッチン

株式会社幸楽苑

会津っぽ/幸楽苑

株式会社ゴエン・コーポレーション

アジア食堂 OH CHA CHA/オー・カルカッタ/香港テーブル/武漢/黄鶴楼

興国産業株式会社

麦と葡萄/プロント/高田屋/ザ・ベーカーリー

康正産業株式会社

ふぁみり庵/はいから亭/寿司まどか/清か亭/睦み亭/泉波動21

有限会社高知パレスホテル

ラ・プランセス/かつれつ亭/エズ

珈琲館株式会社

Juju/道頓堀/珈琲館

ゴールデンイーグルグループ株式会社

モハン グレート・インドヤ/ガザナラ・ポーテ・デ・インダス

株式会社ココスジャパン

ココス/宝島/エルトリート/焼肉いちばん

株式会社ココネット

コックボーイ

株式会社小嶋屋

雪中庵/越後十日町小嶋屋

株式会社小僧寿し本部

小僧寿しチェーン

コックドール株式会社

からなべ屋/コックドール/ファームハウス/カフェスタージュ

株式会社鼓福

博多らぁめん専門店「福のれん」/らあめん堂堂/ひよりこ

株式会社コロワイド

甘太郎/ラパウザ/NINJU-MARU/三間堂/一瑳/北海道/濱町

株式会社コロワイド北海道

地鶏と旬魚と手作り豆冨「ととと」

株式会社金剛園

金剛園

↑top


株式会社サイゼリヤ

サイゼリヤ

株式会社サガミチェーン

サガミ/じゅうはち家/URARAKA亭/あいそ家/Aiso-Ya

株式会社サッポロライオン

リオンドール/翠香園/蘭々/安曇野庵/ライオン/銀座ライオン/ブラッスリー銀座ライオン/ダブリナーズ/安具楽/五合庵/ライオンキット/サンセイラス

さつま麺業株式会社

仏跳麺/麺どころさつま/一徹庵/鯛ぐるま/鮮太君/海鮮すし鯛ぐるま/お届けさつま

サトレストランシステムズ株式会社

和食さと/さとすし半/馳走厨房芳醇

サムカワフードプランニング株式会社

鳥良/酉の舞/良庵/鳥良ダイニング等

株式会社さわやか

ケンタッキーフライドチキン等

株式会社三栄本社

モスバーガー/なか卯/とん八/天霧

サンエバー株式会社

サンエバーコーヒーハウス/カフェ・フロール ブランカ

株式会社三晃

はないちばん/はな膳

株式会社三光マーケティングフーズ

東方見聞録/月の雫/葡萄屋/パスタmama

株式会社サンデーサン

ジョリーパスタ/サンデーサン/フラカッソ/ジョリーオックス/ジーナジーノ

サンフード株式会社

サングリア

株式会社サンフレックス永谷園

和食処永谷園/天○/すし嘉/嘉の香

株式会社三宝

さんぽう亭/レストラン三宝/ラ・ピアンタ/三宝茶楼

株式会社サンマーチ

お寿司のマーチ/寿しかぶ吉/ぴんとこな

株式会社三油商会

吉野家

株式会社サンライズサービス

つきじ海賓

さんれーく株式会社

さんれーく/ホルツshop

株式会社サンローリー

ロッテリア、サンQ/フープラザ/エーデル/ミスタードーナツ/サンローリー/マリオネット/サンマリオ/いずみ茶屋/梅一輪/向日葵/ティアラ/ドトールコーヒー

株式会社さんわ一番

三和実業株式会社

英国屋/英国倶楽部

↑top


株式会社椎野商事

相州鳥ぎん/相州長屋/横浜鳥ぎん

ジェイアール東海フードサービス株式会社

株式会社ジェイアール西日本フードサービスネット

ジェイアール東日本フードビジネス株式会社

あずみ/ベッカーズ/タイム/うず潮/ベックスコーヒーショップ等

株式会社J&Kフーズ・インターナショナル

韓国家庭料理 ノルブネ

株式会社ジェイアンドジェイ

寿里庵/十徳や/さかな市場/魚座等

ジェイティーダイニングサービス株式会社

バルダルノ/アルフィオ/アルマンドリーノ

株式会社JBイレブン

だんらん中華11ばん

株式会社ジェーシー・コムサ

一番どり/京鳥/都どり/春川ダッカルビ/牛傅

株式会社資生堂パーラー

資生堂パーラー

株式会社シチエ

ウェアハウス

株式会社芝寿し

芝寿し

株式会社芝パークホテル

プリムラ/彩館/北京/花山椒/フィフティーン

株式会社治兵衛

治兵衛

株式会社シャノアール

コーヒーハウスシャノアール/カフェベローチェ/カフェセジュール/リアナ・パデッラ

株式会社ジャパンフーズコーポレーション

しゃぶしゃぶうどん茶屋 花咲/伊太利亜料理 ラ・パスタ 陶

株式会社聚楽

じゅらく/びいどろ/ビアエクスプレス/百万両/Orchid cafe/お茶の水ホテルじゅらく

株式会社春陽堂

大名/百花撰/茶月/神田一番寿司/松寿/海鮮大名/こまち/春陽堂/サンマルコ/スパイシー

株式会社ジョイフル

ジョイフル

株式会社小洞天

小洞天

昭和食品工業株式会社

釜揚げうどん/小麦冶/黒田藩うどん/博多ラーメン

株式会社食道園

食道園

株式会社食文化総研

黒澤

株式会社ジョナサン

ジョナサン

株式会社ジョリーショップ

ビア・ジョリー/シャン・ド・ベリー/ポプリンキッチン/花かりん

白樺フードサービス株式会社

アマルフィー/ベリーストロベリー/チーズカフェ/伊太利庵/伝兵衛

株式会社欣葉ジャパン

欣葉

シンエーフーヅ株式会社

ブーン/デルパパ/カトレア/ディアナ/東京田村/高くら/胡蝶蘭/たか浜/京/金龍閣/香蘭/加西レストハウス

株式会社心斎橋ミツヤ

ブレーク/トロアメゾン/心斎橋ミツヤ/モンルージュミツヤ/イタリア料理ダジュール/ピッコロ/しゃぶしゃぶミツヤ/みつけ/トロアメゾン/カフェテリアミツヤ

↑top


スエヒロ商事株式会社

スエヒロ

株式会社スエヒロ芳隆

スエヒロ/末広家/スエヒロ食堂

株式会社スエヒロレストランシステム

スエヒロ/SUEHIRO/楽市/炭火焼肉「かるび肉」/牛しゃぶ「スエヒロ」

株式会社すかいらーく

ガスト/バーミヤン/夢庵/すかいらーく/藍屋/スカイラークガーデンズ/スカイラークグリル/マルコ/魚屋路(ととやみち)/焼肉ほたる苑

株式会社寿司田

寿司田/写楽/桂/古径/乾山/Tenku/アメリカ

株式会社鈴木

勝烈亭/鈴の家/ブランジェリー/ちゃお

株式会社スターホテル

プラネット/いっこてん/ミストラル/鳥味庵/ビアガーデン/スターライト/ブルーライト/コスモス

株式会社ストロベリーコーンズ

ストロベリーコーンズ

株式会社スパイシー

スパイシー/春陽堂/サンマルコ

株式会社スペースワールド

スペースワールド

株式会社スワン

グリーンドームカレーショップ/朔詩舎/桐生カントリークラブ/スワン/マック・スクエアスワン/ザ・ジョージアンハウス/シャロン・ゴスペル・チャーチ前橋/アン・ジュール/スワン・パーティーサービス/ヴォレ・シーニェ

↑top


株式会社西洋フードシステムズ

CASA/小吃坊/糸ぐるま/パスタベラ/藩/ルノートル/ぽるとがる

セガフレード・ザネッティ・エスプレッソ・ワールドワイド・ジャパン株式会社

セガフレード・ザネッティ・エスプレッソ

株式会社セラリア

株式会社せんざん

せんざん/かつ泉/熱烈カルビ/楽雅/海鮮市場/さがみの庄

株式会社ゼンショク

焼肉でん/本家さぬきや/イル・マーレ/常夜燈/どんでん/焼肉げん/旨いもん屋まる

↑top


※ナシ

↑top


第一フードサービス株式会社

ケンタッキーフライドチキン/モスバーガー/なか卯/マザーリーフ/TSUTAYA,紅虎餃子房/万豚記/いち

株式会社大広

和食処「本陣」他

株式会社大庄

オー・ララ、マ・メゾン/大和路/庄や/やる気茶屋/ちゃぽん/日本海庄や/うたうんだ村

株式会社ダイナック

響/膳丸/鳥どり/パパ・ミラノ/卯乃家

株式会社大美膳

光林坊/月亭/いけす/無門/喜多やま/あかべこ

ダイヤ食品サービス株式会社

素菜亭/パルテール/ダイヤスーパー

大和実業株式会社

エスカイヤクラブ/ザ・ワインバー/櫓茶屋/アジアンキッチン/エスプリ/ごだいご/山ぼうしの花咲いた/クッチーナ ディ イタリア/小姐颱風

株式会社高繁フードサービス

フライングドック/焼窪ベーカリー/猫飴本舗/イルプルチーノ/レーベン/ジェスパ/ぶらじあん/エルザ/浪漫亭/かっぺ亭チェーン/九龍チェーン/満月廬/点心工房

株式会社ダスキン

ミスタードーナツ/かつアンドかつ/ジョーズ/フォグシティーダイナー/カフェデュモンド/ツチ・バヌーチ/ザ・どん

株式会社タスコシステム

北前そば「高田屋」/北前あぶり高田屋/暖中/上海月/とり鉄/升屋/月の虎/リビングBar

タニザワフーズ株式会社

ケンタッキーフライドチキン/吉野家/サーティワン/デニーズ/びっくりドンキー/五味八珍

株式会社WDI

トニーローマ、スパゴ、センチュリーコート/カプリチョーザ/ハードロックカフェ/巨牛莊/ババ・ガンプ シュリンプ/アウトバックステーキハウス/プリミバチ

↑top


チタカ・インターナショナル・フーズ株式会社

ケンタッキーフライドチキン/ミスタードーナツ/カレーデポ/パステル/とんかつ知多家/OSF

千葉フ-ズ株式会社

つぼ八

千房商事株式会社

お好み焼き千房

チムニー株式会社

チムニー/炎/はなの舞/こだわりやま他

株式会社茶月

茶月/小町寿司

茶月イースト株式会社

茶月/神田一番/百花撰/海鮮大名

株式会社中納言

中納言/オステリアガウダンテ

千代田交易株式会社

ドトールコーヒー/ミラノ食堂/エルテカフェファインダイニング/馬亜車/エルテカフェ/カフェ ラポート/和幸

株式会社チヨダコーポレーション

ケンタッキーフライドチキン

株式会社珍丼亭

珍丼亭

株式会社青冥

青冥

↑top


株式会社つな八

つな八

株式会社つばめ

つばめグリル

株式会社つぼ八

つぼ八

↑top


株式会社ティージーアイ・フライデーズ・ジャパン

T.G.I.フライデーズ

ティー・ワイ・エクスプレス株式会社

ティー・ワイ・ハーバーブルワリー/シカダ

ディ・エヌ・フード株式会社

デイナイト/百代茶屋/味檪

株式会社デニーズジャパン

デニーズ

株式会社テラケン

さくら水産

テンアライド株式会社

和食れすとらん天狗/Enjoy! 天狗/旬鮮酒場天狗/くわい家/鳥ごっつおう

株式会社テンコーポレーション

てんや

↑top


東京ジューキ食品株式会社

ボンベイ/新撰組/千人同心

株式会社東京正直屋

すし正/かつ正/正&SYO/いいな一番

株式会社東京ステーション

グリル丸の内/ばら

株式会社東京ドーム

../notfound.html

東京明治フーズ株式会社

株式会社東天紅

東天紅/ロゼリアン/海燕亭

東武食品サービス株式会社

ケンタッキーフライドチキン

東洋ビレッヂ株式会社

おらんだ屋敷/海鮮山鮮

東和産業株式会社

プチカフェ、カフェグレ/ココナッツ

東和フードサービス株式会社

ぱすたかん/ダッキーダック/椿屋珈琲店/スパゲッティ屋ドナ

株式会社徳寿

徳寿

株式会社ドトールコーヒー

ドトールコーヒーショップ/カフェコロラド/マウカメドウズ、エクセルシオールカフェ

株式会社トマトアンドアソシエイツ

トマト&オニオン/じゅうじゅうカルビ/エグスンカフェ

トヨサキ産業株式会社

菅田庵/アレマアレマ・アルレッキーノ・ラ パッキア/チャチャクラブ/トヨサキ・ボン、クォーレ/マルティーナ・フランカ/ブリチェ/アンシャーリー/TSプラザ

虎コーポレーション株式会社

寿司虎

有限会社童人夢農場

ドリームファーム

株式会社トリコロール

マーガレット、アーチャー/シェフズグリル/晋風樓/ラ・ピアッツァ/銀座トリコロール/サロン・ド・テ/デザートパーラー ハロッズ

株式会社どん

ステーキのどん/don-italiano/しゃぶしゃぶどん亭

株式会社どんぐり

どんぐり

株式会社とんでん

とんでん

↑top


株式会社なか卯

なか卯

株式会社中村屋

オリーブハウス/花冠/イルベローネ/中村屋本店

株式会社ナショナルフーズ

どんどん亭

株式会社南京軒食品

元祖札幌や

株式会社南部家敷

南部屋敷/六星軒/蔵八

↑top


株式会社二幸

カフェウィーン/むろまち

株式会社西鉄プラザ

ミスタードーナツ/ハーゲンダッツ/やりうどん/ぎおん茶屋/グランシェフレストラン/ビッグカップ/づく坊

株式会社西原屋

弁当/社員食堂

株式会社にっぱん

魚がし日本一/ICH12/青柚子

日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社

ケンタッキーフライドチキン/ピザハット/菱膳

株式会社日本珈琲販売共同機構

ぽえむ

日本サブウェイ株式会社

サブウェイ

日本パーティーサービス株式会社

マーシイマーサ/日本パーティーサービス/ブルーリーフ/霞ガーデン

株式会社日本ヒュウマップ

オールド・スパゲッティ・ファクトリー/めん太郎

日本マクドナルド株式会社

マクドナルド

株式会社日本レストランエンタプライズ

そば処あじさい/サンディーヌ/どん亭/ハローJ/グッドタイムス/あじさい宿/萩の茶屋/ぶんか亭/アーリータイムス/あ文字屋/オレンジアベニュー

ニュージャパン観光株式会社

すたんど割烹日本/中国新名菜敦煌/チャコール/ロアデロア/ファーマーハウス/B.B.Q’S/JOJO

株式会社ニユートーキヨー

庄屋/さがみ/ミュンヘン/桃杏花

株式会社ニューミュンヘン

ニューミュンヘン/ハーフェンブルク

ニラックス株式会社

カーニバルブッフェ/パパゲーノ/フェスタガーデン/ビビンバ亭南大門/洋食むさし/うまめん処深川屋

株式会社人形町今半

今半/今半フーズプラント

↑top


※なし

↑top


株式会社ねぎしフードサービス

新宿ねぎし/コパンコパン

↑top


※のし

↑top


株式会社ハークスレイ

ほっかほっか亭

株式会社ハートランド

らーめんむつみ屋/らーめんぶう/竹麓輔商店他

株式会社ハイデイ日高

中華そば日高屋/中華食堂日高屋/台南市場/TAINAN/文楽座・和っ母

株式会社ハイネット

TACO/舞妓/SEISUI(セイスイ)

株式会社馬車道

馬車道/モダンパスタ/はいから亭/徳樹庵

株式会社はせ川観光

仙洞座所/さっぽろっこ/北海道時代/北○

株式会社八王子エルシイ

アンシャンテ/龍皇/芙蓉/アップル・アイ

株式会社ハチバン

8番ラーメン/広東麺屋/らーめん元八/八番麺屋/チャイナパン他

株式会社八仙閣

八仙閣/玲玲

有限会社はっと庵

麺喰い処あんじん亭/釜揚げのきむらうどん

株式会社八百八町

八百八町/かたりべ/ひもの屋

株式会社ハナマサ

カジュアル花まさ館/肉のハナマサ

株式会社はなまる

まんまるはなまるうどん

株式会社華屋与兵衛

華屋与兵衛

株式会社ハブ

HUB

株式会社浜田屋

レストラン「花はん」/濱田屋

株式会社浜木綿

浜木綿/四季亭

株式会社はや

株式会社パワーアップ

イタリア家庭料理 元祖にんにくや/フードコートにんにん

株式会社ハングリータイガー

ハングリータイガー

株式会社半田屋

めしのはんだや・大衆食堂半田屋/きらら寿司

株式会社坂東太郎

ばんどう太郎/かつ太郎他

株式会社パンドラ

ステーキパンドラ

↑top


株式会社ピアーサーティー

ピア・ジョリー

B-Rサーティワンアイスクリーム株式会社

サーティワンアイスクリーム

株式会社ビーエム

ステーキハウスB.M/B・M.R.C.C.

株式会社ビー・エル・アイ

寿しExpress/吉野家

株式会社ピーシーエス

ピザ・カリフォルニア

株式会社ピエトロ

ピエトロ

株式会社ヒガ・インダストリーズ

ドミノピザ

株式会社ビッグボーイジャパン

ビッグボーイ

ヒッコリー株式会社

オールドヒッコリー

有限会社日比谷松本楼

日比谷マツモトロー/日比谷松本楼

株式会社ヒューマックス

エラワン/コード他

ヒューマンライフ株式会社

ゆくり/ベントマン

広越株式会社

和伊和伊/かつ膳/寿司福/八雲/味々亭/広徳樓/アランチャ/ルッソクラブ/クラブ穂/ニュークラブデビュー

↑top


ファーストキッチン株式会社

ファーストキッチン

株式会社ファイブスター

ココス/海座/とりあえず吾平

株式会社ファスト・フード・サービス

ピザハット

株式会社ファミリーフーズ

大同門・やきにく家

株式会社風

泥武士

風月フーズ株式会社

クリームランド

フードゲート株式会社

ごはんや一芯/豆腐料理空ノ庭

株式会社フードリーム

ベッラベ~ラ/双喜亭/オーブン亭/ベーカリー&カフェ/花づくし

株式会社フォーシーズ

KUA’AINA/柿家鮓/TO THE HERBS/宇明家/有季銚/天あさ/寅福

株式会社フォルクス

フォルクス

福島明星株式会社

味の民芸

株式会社福しん

福しん

株式会社福助

ほり川・福助

ふくちゃんフーズ株式会社

ふくちゃん/上々(しゃんしゃん)ふくちゃん/ふく竹

株式会社フクナガ・ティアンドフーズ

ハーゲンダッツ/ハニービー/リプトンティーショップ/かつくら/御蔵/串くら

株式会社フジオフードシステム

神楽食堂串家物語/手作り居酒屋かっぽうぎ/火の音水の音

富士産業株式会社

山峰/ふじ

株式会社フジファミリーフーズ

ミスタードーナツ/どんと他

株式会社不二家

不二家レストラン/ブロンズパロット/カプリ/ヘンリーアフリカ/不二家ティーサロン

株式会社不二家フードサービス

不二家レストラン/ブロンズパロット他

株式会社鮒忠

鮒忠

株式会社フライングガーデン

フライングガーデン

株式会社フレッシュネス

フレッシュネスバーガー/おはち/ワインズダイナー/きつね屋/フレッシュネスカフェ

株式会社プレナス

ほっかほっか亭/めしや丼

株式会社フレンドリー

フレンドリー/団欒レストラン・ボンズ/イルパローネ

株式会社ブロンコビリー

ブロンコビリー

株式会社プロントコーポレーション

プロント/アマート アマート/カフェソラーレ

↑top


株式会社平城苑

平城苑/魚平/麺屋黒船

株式会社聘珍樓

聘珍茶寮/SARIO/聘珍樓/康記酒家

株式会社平八亭

魚河岸平八亭(タイ)/平八亭/いもたこなんきん

平禄株式会社

平禄寿司

株式会社平和園

焼肉 平和園

株式会社ペッパーフードサービス

くにえもん/かつき亭/ペッパーランチ他

株式会社紅花

ロッキーズ/レストラン紅花/アルコ

↑top


株式会社ホイッスル三好

活力ラーメン元気一般/中国ラーメン楊州商人

株式会社ポールスター

ケンタッキーフライドチキン/大福ラーメン

北欧フードサービス株式会社

北欧

株式会社ぼちぼち

大阪風お好み焼 ぼちぼち

株式会社ほっかほっか亭総本部

ほっかほっか亭

株式会社ホッコク

どさん子/どさん子茶や/紅虎餃子房/みそ膳

株式会社ホットランド

築地銀だこ/月のあかり亭他

株式会社ホテル ザ・エルシィ

ホテル ザ・エルシィ

株式会社ボネール

一休庵/のんべんだらり/ファミリーマート/シャトレーゼ

株式会社ポポラーレ

ポポラマーマ

↑top


株式会社マコト

マコト/味彩/香林/ゑびす大黒

株式会社升本フ-ズ

兆一/升本/六右衛門

株式会社松屋

焼肉松屋/焼肉カルビの王様/石焼ピビンバの王様

株式会社松屋フーズ

松屋/地蔵ラーメン/甍亭/田無柳麺

マルシェ株式会社

酔虎伝/八剣伝/海鮮居酒屋マルシェ

株式会社丸喜

焼肉屋マルキ市場/明洞カルビ

株式会社万世

万世パーコーメン/万世

↑top


株式会社三笠会館

銀座フランス屋/ダパオラ/三笠会館/ブォーノ・ブォーノ他

三島食品株式会社

サラヤ

株式会社Misumi

ケンタッキーフライドチキン/ピエトロバルコーネ

株式会社ミタニ

ケンタッキーフライドチキン

株式会社ミツオ

ランチボックス菜の花/ミツオ菜の花/カフェレスト三の丸/サンレモディマーレ/サンレモ/ミツオ

株式会社三ツ星レストランシステム

なごやか亭/かつ善/有き家/朴然

三素株式会社

株式会社三ツ和

小諸そば/酒肆大関/銀しゃり亭/華屋/嵯峨野

株式会社みなかわ

長者蔵/喰道楽/マゼランの冒険

株式会社美濃吉

和食NOWジョイ/竹茂楼/京懐石美濃吉/京懐石みのきち/京料理美濃吉

株式会社美濃吉食品

京料理 美濃吉

株式会社味の花

味の花/花いちもんめ

株式会社 宮

ステーキ宮/北海道楽

宮田企業株式会社

南国酒家/ヤングファラオ

株式会社宮田商事

南国酒家

株式会社ミュープランニングアンドオペレーターズ

モルトバー DEN/ジャパニーズ トラットリア他

明星外食事業株式会社

手づくりうどん味の民芸/釜揚げうどん水山/とんかつ民芸/JIN JIN(ジンジン)/らーめん専門店ぶぶか

株式会社三好野本店

えきまえミヨシノ

↑top


株式会社ムーン

カラオケスタジオムーン

株式会社無州

蕉庵

株式会社村さ来本社

村さ来

↑top


株式会社メイアイ

おたる寿司/港の定食家さん

明治飲料株式会社

レストラン505/あるふあ/ビアインステーション

↑top


株式会社モスフードサービス

モスバーガー

株式会社モスフードサービス関西

モスバーガー

株式会社モスフードサービス北関東

モスバーガー

株式会社モスフードサービス九州

モスバーガー

株式会社モスフードサービス東北

モスバーガー

株式会社モスフードサービス南関東

モスバーガー

株式会社元廣

びっくりドンキー/かつ丼 元/丸源ラーメン

株式会社物語コーポレーション

げん屋/源氏総本店/上海豚麺/一番カルビ/丸源ラーメン

株式会社モンテローザ

居楽屋白木屋/手作り居酒屋日本や/のみくい処魚民/刺身居酒屋北海道魚萬/夢屋歌之助/都寿司/海鮮寿司めちゃんこ/横綱屋/のみくい処笑兵衛/炭火焼処紙風船/居楽屋笑笑/台湾家庭小皿料理神龍門

↑top


株式会社焼肉屋さかい

焼肉屋さかい/炭火焼肉屋さかい

株式会社安江

../notfound.html

株式会社八千代

鮨処八千代

山大産業株式会社

ケンタッキーフライドチキン

大和フーヅ株式会社

ミスタードーナツ/モスバーガー/久兵衛屋

↑top


UCC上島珈琲株式会社

ユーシーシーフードサービスシステムズ株式会社

UCCカフェプラザ/ウィーンの森/UCCコーヒーショップ/パッセカフェ・カフェッサ/UCCカフェメルカード

株式会社ユニ・ピーアール

クレープハウス・ユニ/G・カフェ

↑top


株式会社吉野家ディー・アンド・シー

吉野家/おかずの華 他

↑top


株式会社ライフフーズ

ザ・めしや/めんむす

株式会社ラケル

ラケル

株式会社ラムラ

中国大陸料理 過門香/和食やうめあん/手造りDining 蔵人/味工房/にほんばし亭/土風炉/鳥元

株式会社蘭館

蘭館コーヒーハウス

↑top


株式会社リバーストーン

ロッテリア/京都さぬき/山海里/浪花ろばた/野宴/なにわ焼き

株式会社リンガーハット

リンガーハット/浜勝

↑top


ロイヤル株式会社

ロイヤルホスト/シズラー/アペティート/コントラクトフードサービス

ロイヤル関西株式会社

ロイヤルホスト/ロイヤルキャフェテリア/浪華/カレー・ホット&ホット/なみはな/ざ-U-don

株式会社鹿鳴春

株式会社ロック・フィールド

RF1/神戸コロッケ/そうざいや地球健康家族 他

株式会社ロッテリア

ロッテリア

↑top


株式会社ワイズ

カレーハウスCOCO壱番屋

株式会社若水

うどん・そば若水/若水

株式会社わくわくコーポレーション

風風ラーメン/わが街の台所ごちまる

和幸株式会社

飛騨の高山らーめん/銀座羽衣チャイナ/とんかついなば和幸/とんかついな葉/江戸ッ幸/北浜/八郭

和幸商事株式会社

和幸/恵亭/幸亭(さき亭)/ペスカロッソ/ポルトデマーレ/ボッカータ/和蘭亭/さが野/月花亭/東紅/鳥仙/豚丼/ひよく/アルテリーベ/とんかつ和幸/ジェラートカリーノ

株式会社渡辺ハゲ天

ハゲ天

ワタミ株式会社

和み亭/居酒屋 和民/ゴハン/然の家/わたみん家

ワタミダイレクトフランチャイズシステムズ株式会社

わたみん家

株式会社ワンダーテーブル

東京ベリーニ/水の賦/モーモーパラダイス/すみか/三四味屋/ラヂオホール/月の兎

↑top


 -2006年1月現在-

 【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(3)

http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/267.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 1 月 04 日 09:46:44: SO0fHq1bYvRzo

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(3)

この投稿は↓に続くもので、今回が最終回です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0601/war77/msg/171.html

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

http://asyura2.com/0601/war77/msg/218.html

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(2)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訳文中の「・・・・・・・」と《 》で囲まれた部分は、著者による他の資料の引用部分、【 】は私からの訳注です。(もし誤訳や訂正すべき箇所などを発見されましたら、ご遠慮なくご指摘願いたいと思います。)

****************************************

http://globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=CHO20051221&articleId=1576

『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』

ミシェル・チョスドウスキー著

2005年12月21日

the Perdana Global Peace Forum 2005で紹介された論文

Putra World Trade Centre, Kuala Lumpur, Malaysia,

14-17 December 2005

【(2)からの続き】

●対テロリズム

CIAは、アブ・ムサブ・アル・ザルカウイの率いる「メソポタミアのアル・カイダ」を含む自らのテロリスト組織群を作ってきた。

そして同時に、テロ組織に関する自らのテロリスト警報を作りだす。それはCIA自らが作り出してきたものなのである。そうやって、それらのテロ組織を「追いかけるための」対テロリズム・プログラムに何百、何千億ドルもの費用を膨らませているのだ。

対テロリズムと戦争プロパガンダは深く絡み合っている。プロパガンダ機関はニュース網の中に偽情報を与える。テロ警報は「本物」のように見えなければならない。その目的はテロリスト集団を「アメリカの敵」として紹介することである。

強調すべき目的は、世論が米国の「対テロ戦争」作戦を指示するように電気刺激を与えることなのだ。

「対テロ戦争」は人々の委任を必要とする。この戦争は「正義の戦争」として提示される。それは「不当に苦しむ人々を救済する」という道徳的な基盤の上に戦われなければならないものである。

それが外交政策の目的とまでなるには、テロリズムのイメージが国民の心に生き生きと残っていなければならない。国民がテロの脅威を常に思い出すようにである。

プロパガンダ・キャンペーンはテロ・ネットワークの背後にいる指導者の顔写真を提示する。言い換えると、「宣伝」キャンペーンを繰り広げるレベルで、「それはテロに顔を与える」のだ。

●情報の捏造

プロパガンダ・キャンペーンは広範囲な情報の捏造によって支えられる。

物議をかもしているダウニング・ストリート・メモや捏造されたニジェール・ウラニウム文書の暴露は氷山の一角に過ぎない。

イラク侵略の以前に知られ文書化されたことなのだが、コリン・パウエルが国連安全保障委員会で示した品々は、単に偽造されただけではなく、明らかな盗用で作られたもの、一人の学生がインターネットから「持ち上げた(コピーして貼り付けた)」文章に基づくものだったのだ。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《コリン・パウエルによって2003年2月5日に国連演説で引用された英国諜報機関の報告に対する綿密な分析は、英国でその報告を書いた者たちが諜報機関による一次資料をほとんど使用しておらず、その代わりに学術研究論文を元にして、それをこっそりと作り変えたものであった、ということを示している。

その文書の作者たちは、ホワイト・ホールにあるトニー・ブレアーの広報室のメンバーである。英国シークレット・サービス(MI6)は、それには関わっていないか、あるいはもっとありそうなことは、政治家たちの求めに不適合な指示を与えたのか、であろう。要するに、偽情報が紡がれ大安売りされていたのである。

19ページの文書の大部分(6~16ページ)が、雑誌Middle East Review of International Affairsに昨年(2002年)9月に掲載された「イラクの安全保障と諜報ネットワーク:手引きと分析」と題される記事から、何の知識も無しに直接にコピーされたものであった。この記事の著者はイブラヒム・アル・マラシという、モンテレイ国際問題研究所の大学院生である。彼は私に、MI6は彼に許可を得なかった、と断言した。実際に彼は、私が説明するまでこの英国の書類を知ってさえいなかったのだ。》

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●結論として

いわゆる「対テロ戦争」は虚構である。

幅広く文書化されていることだが、この戦争を行う前提となったものは総て捏造されているのである。

真実が転倒させられる。戦争の行為が『民主主義』の債権を目指す「人道的介入」として宣告される。

軍事占領と市民の殺害が「平和維持作戦」として紹介される。

いわゆる「反テロ立法」による市民的権利の侵害は、「国内の治安」を施し市民の自由を擁護するための手段としてアピールされる。

一方では、国民経済は危機に陥れられる。健康と教育に対する予算が軍産複合体と警察国家のために削減される。

アメリカ帝国の下で、世界中の何千万もの人々が極貧に追いやられ、国々は開かれた狩場に変えられる。

米国の保護領がいわゆる「国際社会」の祝福を受けて設置される。「暫定政府」が作られる。米国の巨大石油企業によってデザインされた政治的傀儡が普通の顔をして国連のお墨付きを受ける。国連は徐々に米国政府のためのハンコ押し係りの役になりつつある。

戦争の潮流に対する反撃は米国の戦争日程への批判に止まることはできない。問題となるのはつまるところ政治的・軍事的行為と経済的な権力構造の正当性である。それが結局は米国外交政策の定式化と方向性をコントロールするのである。

ブッシュ政権が「対テロ戦争」を遂行する一方で、歴代の米国大統領が国際テロリズムを支え、そそのかし、かくまってきたという明確な証拠(山のような公的文書を含む)があるのだ。

この事実は、本来的には押さえて隠しておかねばならないものである。もしそれが広い世間に漏れこぼれるようなことがあればいわゆる「対テロ戦争」の正当性は「一組のカード」のようにハラハラと崩れ落ちてしまう。そしてその過程でこの仕組みの背後にいる主役たちの正当性も脅かされるかもしれないのだ。

どのようにしたらこの戦争と警察国家を効果的に打ち破ることができるだろうか。基本的には、米国の安全保障ドクトリンのまさしく土台を形作る「対テロ戦争」を論駁することによって、である。

戦争計画というものは反戦気分を通して解体できるものではない。ブッシュ大統領に「どうかジュネーブ協定やニュルンベルグの方針に従ってください」などと頼むことでこの潮流を変えることはできない。結局のところ、継続する反戦の計画のためには、ニュー・ワールド・オーダーの機構と協力体制を武装解除する第一歩として、高い地位にいる戦争犯罪人たちをその席から引きずりおろす必要があるのだ。

この異端審問体制を打ち破るために、我々は同時にそのプロパガンダを、その恐怖と脅迫のキャンペーンを打ち破らなければならない。それは「対テロ戦争」を受け入れさせるために世論に電気刺激を与えるものだからである。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ミシェル・チョスドウスキーは11ヶ国語で出版されているベストセラー

「貧困の世界化”The Globalization of Poverty “の著者である。

彼はオタワ大学経済学部教授であり、

極めて評判を得ているウエッブ・サイト

www.globalresearch.ca

を主催するグローバリゼーション研究センター所長でもある。

彼は同時にEncyclopaedia Britannicaの編集協力者でもある。

彼の最新の著書は次である。:

America’s “War on Terrorism”, Global Research, 2005

http://www.globalresearch.ca/globaloutlook/truth911.html

【訳注:チョスドウスキー著「貧困の世界化」(日本語訳)】

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806804223.html

【原著”The Globalization of Poverty “】

http://globalresearch.ca/globaloutlook/GofP.html

★補足

アル・カイダの役割について膨大な量の文書による証拠がある。テロリストの背後に米国が支える諜報機関が存在するという証拠の数がますます増えつつある。

1.エイブル・デインジャー作戦

ペンタゴンの公式文書は、9・11の主犯とされるモハメド・アッタと他の3名のハイジャッカーたちが9・11の1年以上前からペンタゴンの秘密作戦の一部として密着した監視をされていたことを明らかにしている。

これらの文書は9・11委員会による米国政府の説明を大きく否定するものである。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《過去4年の間我々は、ジョージ・ブッシュ政府、およびトーマス・キーン議長とフィリップ・ゼリコウ代表委員長による、エジプト人過激派モハメド・アッタが2001年9月11日のテロ攻撃の中心人物であった、という公式な9・11委員会報告を聞かされてきた。キーンの報告によると、アッタは「9・11謀略の実戦的リーダー」であった。彼はあの恐ろしい朝に、最初にニューヨークの世界貿易センター北タワーに激突した飛行機、つまりアメリカン・エアーライン11号のパイロットだった。世界中のテレビと新聞で、イスラム・テロリストのシンボルとなったのがアッタの顔だった。そして、国際的な保安調査官たちによって取り上げられたのは、アッタに率いられたと思われる他のハイジャッカー18名のどの名前でもなく、アッタの名前だけだっただ。キーン報告が強調するところによると、アッタは「米国における作戦の実行司令官」だった。ブッシュ政権および9・11委員会報告によれば、彼は、遠く離れたアフガニスタンにいて作戦全体をコントロールしたオサマ・ビン・ラディンの命令で動いていたのである。

現在、9・11からほとんど4年後、事実が転倒させられてきたことが明らかになっている。我々は今や、アッタが同時に米国でペンタゴンの特別作戦司令部(SOCOM)の重大秘密作戦と結び付いていたことを知っている。陸軍予備少佐アーサー・シャッファーによると、エイブル・デインジャーという暗号名が付けられたペンタゴンの重大機密作戦は、あの攻撃の1年以上も前に、アッタとアル・カイダのメンバーである他の9・11ハイジャッカー3名を特定していたのである。

シェッファーによれば、エイブル・デインジャーは18ヶ月の最高機密事項であった。それは「アル・カイダにとっての世界的規模での攻撃情報」を増やしていく作業であり、「パターン、組織、連絡網」を探すためのデータ探査テクニックを使用した。彼は、2000年半ばに4人のハイジャッカーの名前を彼自身で始めて見つけた、と語った。》

(Daniele Ganser, Able Danger adds twist to 9/11, 9/11 Ringleader connected to secret Pentagon operationを参照せよ。)

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=20050827&articleId=867

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2.2002年バリ島爆破事件:最近の露見

インドネシアの元大統領アブドゥラフマン・ワヒッドはインドネシアの軍と警察が2002年のバリ島爆破事件で共謀する役割を演じたと認めた。(次を見よ。)

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=20051014&articleId=1085)

他の報告はインドネシア諜報局(BIN)とテロ組織と見られているジェミアー・イスラミ(JI)との連結を指摘している。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《誰が第2の爆弾を仕掛けたのか、と聞かれて、ワヒッド氏は言った。「おそらく、警察か・・・・あるいは軍が。」

「あれとこれをせよという命令は我が軍の内部から来た。原理主義者からではなかった。」と彼は言う。

この(オーストラリアSBSデイトラインの)番組はテロ組織ジェマアー・イスマミアーの背後にいる重要人物はインドネシアのスパイであったと主張する。

元テロリストウマル・アブドゥーは、現在は研究員で作家なのだが、デイトラインに対して、インドネシア当局者たちは多くのテロ組織とつながっている、と語った。

「運動体でも政治グループでも、(インドネシア)諜報機関にコントロールされていないイスラム。グループは唯の一つも無い。」(the Australian, 12 October 2005を見よ。)》

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3.2005年9月、バスラでの英国の秘密作戦

アラブ風の被り物と衣服を身に付けた2名の英国秘密「兵士」が、武器と爆薬を積んだ車を運転して、バスラの中心部に向かっていた。

その2名のSAS特殊隊員はイラク警察当局に逮捕された。彼らはその後すぐに英国軍によって、彼らが監禁されている建物に対する大掛かりな軍事的襲撃で「救出」されたのだ。

「刑務所の壁を壊して2名の英国諜報員を逃がすために」「英国軍は(ヘリコプターに護衛された)10台の戦車を使った」。

その事件は、数多くの一般市民と一般警官を呼び集めたのだが、「政治的な騒乱」を引き起こした。

そのSASの作戦がアル・カイダの「テロリスト」を装って大きな宗教行事の最中にバスラの中心部で爆弾を破裂させる計画であったことを、多くのメディアが報道し多くの目撃者の証言が指し示した。

バスラ市民たちは逮捕を目撃した。ブリッグ・ロリマーの指揮の元にある英国軍が刑務所に対して武力侵入を行ったときに、複数の警察官が殺され負傷させられたのだ。アル・ジャジーラは、イラク国会の議員であるファッター・アル・シャイクフとのインタビューの中で、この逮捕の状況を次のように報道した。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《もしあなたが真実を求めようとするなら、我々は、バスラの人々に対する英国の挑発行為に程遠いイラクの正義の下に集まるべきだろう。特に本日バスラの市民が2名の非イラク人を捕らえたときに起こったことである。彼らは英国人と見られクレシダ・タイプの車に乗っていた。それは爆薬を積んだ自動車爆弾であり、バスラの中心部、人が集まる市場を爆破する予定であったことを意味する。しかしバスラの人々は彼らを逮捕した。彼ら(2名の非イラク人)はその時人々に向かって発砲し何人かを殺した。逮捕された2名は今、バスラの諜報部にいる。そして彼らは国防部隊によって拘束されている。しかし英国占領軍は、彼らをその罪から免れさせようとしてその建物を包囲しているのだ。》 (Al Jazeera TV 20 Sept 2005)

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バスラの誰一人その2名のSAS隊員が「イランが関連する武装勢力に対する秘密の作業をしていた」などと信じない。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《「イラク警察が、2名のアラブ人の服装をした外国人が乗り武器と爆発物を満載した車を止めた」と彼は言った。「バスラでは多くのテロ攻撃と爆破が起こっていたのだ。もちろん警察は捜査をしたがっていた。」・・・・ハキム氏は、その兵士たちがイラン関連の武装勢力を隠密に調べていたなどという報道を「プロパガンダだ」と一蹴した。バスラの当局者たちはイラクの法廷でのスパイ裁判を要求している。英国兵士の武器の合法性は「制服を脱いでいるときには適用されない」のだ、とハキム氏は語る。》(Mr. Hakim is a leading official in Iraq’s largest Shia Muslim party, quoted in the Financial Times, 29 Sept 2005)

調査の妨害

バスラにおける王室軍警察の特別捜査支部指揮官であるケン・マスターズは、彼の能力の範囲内で、このイラク人の服装をした2名のSAS隊員の、イラク警察によるバスラでの逮捕の状況を調査する責任を負った。調査は完了しなかった。ケン・マスターズは3週間後に不自然な状況の下で死亡したのである。

ケン・マスターズ隊長は、彼の調査の中でイラク当局の文民を協力する任務を持っていた。彼の任務の一部として彼は「英国兵士がイラク市民を殺害あるいは不当な扱いをしたという申し立て」を調査しなければならなかった。特にこの件では、聞き取り調査が9月19日に起こった刑務所への英国軍の襲撃の状況に関わるものとなった。新聞報道と当局公式発表は、この刑務所への襲撃が国防省によって承認されたことを示唆した。

英国軍がマスターズ隊長の調査を妨害していたのか?

英国軍司令部と、軍人たちの行動や態度の調査に携わる役目で戦場に派遣される軍警察司令部との間に、明らかな不一致があった。(The Independent 17 Oct 2005)

マスターズ隊長に対して国防省からの圧力がかけられたのだろうか。マイケル・キーファーによれば、ブリッグ・ロリマーに率いられる英国軍の行動は次のように断定される。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《「これらの男たち【訳注:2名のSAS隊員を指す】を、英国人が支えている政府内の同盟者と考えられている者達による取調べの危険から救い出すこと。たとえ、彼らの救出がイラクの刑務所の破壊を招き、他の多くの囚人どもを逃がすことになり、イラク警察やアル・サドルのマフディ武装勢力との銃撃戦になり、英国占領軍に対する大きな大衆行動が起こり、そしてその結果としてこの地方政府の一部で協力が失われるような事態が起こったとしても、たとえどうあろうと、(英国軍の恐ろしい決定は)この事件が、単にその時点での怒りを燃え上がらせることよりももっとどす黒くもっと深刻な何かを包み込んでいた、という見方を採らせるものなのである。」(以下を参照せよ。)

(See Michael Keefer, Were British Special Forces Soldiers Planting Bombs in Basra? 25 September 2005, )

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=KEE20050925&articleId=994

★推薦参照記事

この論文は、米国の戦争計画の基礎にある重要事項の概観を提供することを意図して書かれている。推薦参照記事と参照すべき文書が下に示されている。

米国の戦争の様々な側面に関する広範囲な記事は、次のthe Centre for Research on Globalizationのウエッブサイトで読むことができる。

www.globalresearch.ca

Niloufer Bhagwat, The Security Council Resolution on Syria is a pretext for the bombing and occupation of Syria, by, November 2, 2005, GlobalResearch.ca

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=BHA20051102&articleId=1175

Michel Chossudovsky, America’s “War on Terrorism”, Second edition, Global Research, 2005, 387 p.

http://www.globalresearch.ca/globaloutlook/truth911.html

Michel Chossudovsky, Planned US-Israeli Attack on Iran, May 1, 2005, GlobalResearch.ca,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=%20CH20050501&articleId=66

Michel Chossudovsky, Al Qaeda and the Iraqi Resistance Movement, September 18, 2005, GlobalResearch.ca,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=CHO20050918&articleId=967

CIA Uses German Bases to Transport Terrorists, Deutsche Welle, 27 november 2005

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=20051127&articleId=1332

Thomas Eley, Did Big Oil participate in planning invasion of Iraq? December 11, 2005, wsws.org,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=ELE20051211&articleId=1444

Chris Floyd, Sacred Terror: The Global Death Squad of George W. Bush, December 10, 2005,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=FLO20051210&articleId=1434

Max Fuller, Crying Wolf: Media Disinformation and Death Squads in Occupied Iraq, November 10, 2005, GlobalResearch.ca

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=FUL20051110&articleId=1230

Daniele Ganser, Able Danger adds twist to 9/11, 9/11 Ringleader connected to secret Pentagon operation, GlobalResearch.ca, 27 August 2005

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=20050827&articleId=867

Seymour Hersh, Where is the Iraq war headed next? December 10, 2005, The New Yorker,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=HER20051210&articleId=1436

Michael Keefer, Were British Special Forces Soldiers Planting Bombs in Basra? Suspicions Strengthened by Earlier Reports, Globalresearch.ca, 25 September 2005

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=KEE20050925&articleId=994 )

Uzi Mahnaimi and Sarah Baxter, Israel Readies Force to Strike on Nuclear Iran, December 11, 2005 , Sunday Times

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=MAH20051211&articleId=1446

Serendepity, Torture and the CIA, December 10, 2005, GlobalResearch.ca.

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=SER20051210&articleId=1441

Eric Waddell, The Battle for Oil, December 14, 2004, GlobalResearch.ca,

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=WAD20041214&articleId=311

Mike Whitney, Why Iran will lead to World War 3, GlobalResearch.ca, 9 August 2005

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=WHI20050809&articleId=825

【以上、訳出、紹介終り】

 【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(2)

http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/218.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 1 月 02 日 06:49:55: SO0fHq1bYvRzo

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(2)

この投稿は↓に続くものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0601/war77/msg/171.html

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訳文中の「・・・・・・・」と《 》で囲まれた部分は、著者による他の資料の引用部分、【 】は私からの訳注です。(もし誤訳や訂正すべき箇所などを発見されましたら、ご遠慮なくご指摘願いたいと思います。)

****************************************

http://globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=CHO20051221&articleId=1576

『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』

ミシェル・チョスドウスキー著

2005年12月21日

the Perdana Global Peace Forum 2005で紹介された論文

Putra World Trade Centre, Kuala Lumpur, Malaysia,

14-17 December 2005

【(1)からの続き】

●国家防衛戦略

200年以来、PNACの基本姿勢は多くの国防文書の中で繰り返し主張されている。2005年5月にペンタゴンは国家防衛戦略文書を公表した。それがアメリカ新世紀計画(PNAC)によって詳しく述べられた現政府の「先制攻撃」戦争ドクトリンの足跡に従うものである一方で、それはもっと進んでワシントンの世界的な軍事日程の概容を定めている。

それは戦争行為に対して「より先を行く」アプローチを求めている。「先制攻撃」や防衛行動では「宣言された敵」に対抗して「平和を維持」し「アメリカを守る」という観点から軍事行動がおこされるのだが、これはそういった弱い概念をはるかに超えているのだ。

この文書は、地域的な戦争の舞台を越えて、米国の世界的な軍事統治を明確に認識している。この統治はまた国々に対して導かれる戦争の計画を含んでいる。その国々が米国に敵対しているからではなく、米国の利益の観点から戦略上必要であるとみなされるという理由による戦争である。先制攻撃の戦争が米国に「敵対的」であると分類される国々に対する「自己防衛」の手段としての軍事行動であるのだが、新たなペンタゴンのドクトリンは、ある国々が米国国土の安全保障に対する脅威であることが明らかな形にならなくても、それらに対して軍事的な介入を行う可能性を想定しているのだ。

この文書は「米国に対する4つの主要な脅威」を次のように概説する。

★「伝統的な挑戦”Traditional challenges”」は、「十分に理解される戦争の形態」を使用する、よく知られ認識された軍事勢力によって起こされるものである。

★「不定の脅威”Irregular threats”」は、いわゆる「より強力な敵と立ち向かうための型にはまらない方法」を使用する軍事力から来る。

★「破局的な挑戦”The catastrophic challenge”」は、「ある敵による大量破壊兵器の使用」に関わるものである。

★「妨害的な挑戦”Disruptive challenges”」は、「米国の優越性に対抗して新しい技術を使用する潜在的な敵対者」に関するものである。

(Michel Chossudovsky, From “Rogue States” to “Unstable Nations”: America’s New National Security Doctrineを見よ)

http://www.globalresearch.ca/articles/CHO504A.html)

●巨大な防衛予算

この軍事的青写真は世界的な軍事支配権を握る計画の概要を形作る。それは防衛経費の巨大な増額に基づくものである。強調すべき目的は、防衛支出の用語で言うと、欧州での米国の同盟者を含む地球上の米国以外のあらゆる国家をその影で覆う、ということに尽きる。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《この年(2005年)の米国軍はそれに続く25カ国を寄せ集めたよりももっとおおきいであろう。そこで、特に防衛支出を取り上げると、欧州のそれは減少しつつあるのだか、米国では上昇しており、およそ5年で、米国は防衛に関して世界の残りを合わせたよりも多くの費用を使うことになるだろう、ということがわかる。》 (Council on Foreign Relations, Annual Corporate conference, 10 March 2005).

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4017億ドル(2005年次)と推測される防衛予算は、イラクとアフガニスタンでの軍事作戦の続行に充当された「緊急防衛予備費」を含まない。同時に「対テロ戦争」への国防総省の参加もこの防衛予算には含まれていないのだ。(次を参照せよ。)

http://64.177.207.201/static/budget/annual/fy05/

さらにはネグロポンテに率いられる米国の諜報活動へ充てられた4百億ドルもこれには含まれない。米国のスパイ衛星システムも含む米国諜報活動の予算のおよそ80%は、直接に米国の軍事的な主導権を支えているのである。

●広範囲にわたる戦争犯罪

この戦争の背後にある経済的なそして戦略的な目的はほとんど語られることが無い。この軍事計画は、アル・カイダが紛れも無く敵対者として持ち上げられる「対テロ世界戦争”global war on terrorism”」の一部として世論に対して提示されている。一般市民への拷問を含む戦争犯罪はたまたま「二次的な被害」として紹介される。

このような観点で、イラクの軍事占領は10万人以上のイラク国民の死をもたらしたのである(the Lancet, John Hopkins School of Public health studyによる)。

拷問の日常的な適用と多数の強制収容所の設置は現在十分に公文書化されている。子供を含む一般市民の誘拐は言うに及ばない。彼らはキューバのグアンタナモ収容所に送られているのだ。

情報伝達者の殺害:米国軍は同時にイラクで独立系ジャーナリストを目標にして殺害している。彼らは英・米軍事枢軸による虚偽と捏造を記事にしないのである。

国際社会がイランと北朝鮮の核計画に集中する間に、米国主導の軍事連合が禁止されている兵器の使用を日常的に行っている証拠がある。そしてこの戦争の次の展開では核兵器を使用する計画がある。

ナパームと白リン弾は、イラクで人口が密集する市街地に住む市民に対して使用されている。西側のメディア(特にBBC)はこれらの兵器システム使用をカモフラージュしようとしている。

●拷問

拷問は米国政府の公式な政策である。イラクとグアンタナモでの戦争捕虜に対する拷問の命令はブッシュ政権の最高レベルから発せられた。米国軍とCIAの尋問で、看守たちは詳細な指導要綱に従っていた。

米国大統領は、「睡眠妨害、苦痛を与える姿勢、軍用犬の使用、そしてフードを用いて感覚を遮断すること等々」を含む拷問の使用を直接に承認したのだ。(次のACLUを見よ。)

http://globalresearch.ca/articles/ACL412A.html

【訳注:ACLUはThe American Civil Liberties Unionの略】

欧州連合内を含む数多くの国に作られているCIAの秘密の拷問室と収容所は、ペンタゴンの拷問使用ガイドラインに従っている。

拷問がブッシュ政権によって承認されている一方で、米国内での論争では、拷問それ自体ではなく、拷問の使用を通してテロリスト容疑者から得られた情報が「テロリスト」とされる人物を起訴するために法廷で使うことができるかどうかに関心が集中するのである。

●司法の犯罪化

世論の怒りにも関わらず、この傾向は米国の拷問計画への黙認と受容の方向に向かっている。政府の高いレベルでのこの戦争犯罪の合法化は、公式にこのような犯罪を命令したものであるが、疑問に付されることがない。戦争犯罪人の命令の草案に書かれる「合法性についての意見」は拷問の「合法化」と司法の再定義を行うために利用されている。

戦争犯罪人たちは合法的に当局者の地位を占領している。それによって彼らは、法システムと法的強制の過程についての概要を再定義することを可能にするのだ。

それによって彼らは「誰が犯罪者か」を決定する命令を発することができる。実際には彼らが犯罪者であるのに。

言い換えると、我々が取り扱っているのは、司法の犯罪化を含む、国家とその様々な機構の犯罪化なのだ。

真実は捻じ曲げられ転倒させられる。国家的なプロパガンダが指導部、米国議会、そして米国軍の中で意思一致を作り出す。この意思一致は、続いて合法的であからさまな操作のプロセスを経て、司法権によって承認されるのである。

メディアによる偽情報は、米国人に次のようなことを吹き込む。拷問の使用や強制収容所の存在や「敵のゴロツキども」に対する法の適用外での殺害は、これらはすべて起こっていることなのだが、「ある特殊な状況でのこと」であり「容認できる」ことであり、そして、法制局(OLG: Office of Legal Counsel)の司法部が「それは合法的である」と言うのだから、それは完全に「合法的」なのだ、と。

祖国を脅かしている外的な敵が存在するという幻想は、プロパガンダ作戦の要石なのだ。これは、「対テロ戦争」に都合よく利用するだけでなく、人権や民主主義や自由等々を守るための正当化できる手段として「テロリスト」に対する合法的な拷問の使用を掲げる社会秩序を支えるために、米国国民に電気刺激を与えることに他ならないのだ。

●人種主義と反テロリスト立法

一方で、イスラム教徒に向けられる人種主義と排外主義の波が西側世界中で湧き上がっている。でっち上げられた罪によるイスラム教徒の予断に満ちた逮捕と投獄がごく普通の行為になってきているのだ。

「反テロリスト」立法は数多くの西側諸国で採用されている。それは、テロ容疑者たちの犯罪行為が無くても逮捕・拘留できるというものであり、それはいわゆる「国内の過激派グループ」(反戦活動家を意味する)の指導者を含んでいるのだ。彼らは今や国家安全保障にとっての脅威として分類されている。

いわゆる国際社会は、人権侵害に関する「懸念を表明する」一方で、「対テロ戦争」の正当性をにべもなく受け入れる。さらに、9・11の驚愕の中で、反戦運動の重要な部門が、米国主導の戦争を非難しながら、「対テロ戦争」の正当性を護持し続けているのである。

他方で国連は「対テロ戦争」を是認している。平和維持の偽装の下で、国連は、自らの基本方針と戦争犯罪についてのニュルンベルグ法体系に違反して、米国主導の軍事同盟に協力しているのである。

●戦争プロパガンダ

メディアによる偽情報キャンペーンの強調すべき目的は、米国の「対テロ戦争」日程への支持へと世論を煽り立てながら、米国主導の戦争に対する人々の委任状を提供することである。テロリスト容疑者への予断に満ちた逮捕を含む人種主義と排外主義は、戦争プロパガンダの重要な一部分なのだ。

戦争プロパガンダの主要目的の一つは「敵を捏造する」ことである。反戦感情が膨らみブッシュ政権の政治的な正当性がぐらつくときに、この幻想的な「外的な敵」の存在に関する疑念は追い払われなければならない。

プロパガンダは、事実を圧殺するためだけではなく、いかにこのビン・ラディンのアル・カイダと称される「外的な敵」が捏造され「第1の敵」に仕立て上げられたものであるか、ということの「証拠を隠滅する」ために、あれこれ言い立てる。国家安全保障ドクトリンの総体が、国を脅かしている「外的な敵」の存在に集中しているのだ。

戦争を遂行する「正当な理由」を有することが、ブッシュ政権にとってアフガニスタンとイラクの両国への侵略と占領を正当化するための中心なのである。

この「対テロ戦争」と「先制攻撃」という概念は、「自己防衛」の権利に基づいて断定されたものである。彼らは「戦争を行うことが許されるとき」を定義する。これは『正義の戦争Jus ad bellum』なのだ。

『正義の戦争』は軍隊の指揮系統の中での意思一致を作り上げるためのものでもある。それはまた、兵士たちに「正当な理由」のために自分たちが闘っているのだと説得するためのものでもある。もっと一般的には、この正義の戦争という理屈の現代ヴァージョンは戦争プロパガンダとメディアによる偽情報の重要な一部である。それは戦争計画に対する大衆的な指示を得るために適用されるのだ。

2001年10月に、アフガニスタンが爆撃されその後侵略されたときに、多くの「進歩主義者たち」が政府の「正当な理由」に基づく軍事政策を強く支持した。「自己防衛」の議論は9・11への正当な返答として額面どおりに受け入れられた。米国政府が「イスラム・テロ・ネットワーク」を支えてきただけではなく1995~96年のタリバン政権設立に力を貸したという事実を検討すること無しに、である。さらに、アフガニスタンへの侵略は2001年9月11日のはるか以前から計画されていたのだ。

9・11の驚愕の中で、アフガニスタンへの不法な侵略に対する反戦の運動は孤立した。労働組合と市民運動組織はメディアの嘘と政府のプロパガンダを鵜呑みにしてしまった。彼らはアル・カイダとタリバンに対する報復戦争を承認したのである。

メディアによる偽情報は圧倒的だった。人々はアフガニスタン侵略を基本に置いた本性と目的に向かってデタラメに誘導された。オサマ・ビン・ラディンとタリバンが9・11襲撃の第1容疑者として特定されたが、一片の証拠も無く、アル・カイダと米国諜報機関の歴史的な関係への追究も無かった。この意味で、9・11を理解することが確固たる反戦の姿勢の構築にとって決定的なのだ。

この「対テロ戦争」は米国のプロパガンダとメディアによる偽情報キャンペーンの要石である。全くデタラメな理論の中でアル・カイダが、米国に対して核攻撃を行う能力を持って登場しつつある、スーパーパワーであるかのように紹介されている。

●「対テロ戦争」

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《幅広く報告されていることだが、対テロ戦争は捏造である。アル・カイダは米国に支えられた「諜報機関」なのだ。サウジアラビア生まれのオサマ・ビン・ラディンは米国外交政策が作り出したものである。彼はソヴィエト・アフガン戦争の最中に「ソヴィエトの侵略者と戦うために皮肉にもCIAの保護の元に」リクルートされた。冷戦中、そしてその後も同様に、CIAはパキスタンの軍諜報機関を媒介役として、ムジャヒディーンを訓練する中心的な役割を担った。CIAとパキスタン統合情報局(ISI: Inter Services Intelligence)は、アフガニスタンのジハードをソヴィエト連邦に対抗するイスラム諸国によって遂行される世界的な戦争へと転化させることを望んでいたのだが、その積極的な支援を受けて、1982年と1992年との間に、40カ国の出身のイスラム過激派およそ35000人がアフガニスタンの戦闘に参加した。パキスタンのイスラム学校madrasahにはそれよりも何万人も多くの者が勉強のためにやってきた。結果として、10万を超える外国のイスラム過激派がアフガニスタンのジハードによって直接の影響を受けた。 》

(Ahmed Rashid, The Taliban: Exporting Extremism, Foreign Affairs, November-December 1999)

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリントンとブッシュのどちらの政権も、いわゆる「イスラム武装基地」を支えてきているのだ。それにはオサマ・ビン・ラディンのアル・カイダも、彼らの軍事・諜報計画の一部として含まれている。ボスニアやコソボでのオサマ・ビン・ラディンとクリントン政権とのリンクは、議会の記録によっても文書化されているのだ。

皮肉なことだが、米国政府がボスニアで展開した軍事・諜報作戦の隠蔽は、共和党によって十分に文書化されている。1997年に公表された共和党委員会(RPC)による長々とした議会報告は、クリントン政権が「ボスニアをイスラム武装基地に変えることを支援してきた」と非難した。イスラム世界からやってきた何万人ものムジャヒディーンたちを、いわゆる「イスラム戦士ネットワーク」を通してリクルートする道をつけながら、である。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《クリントン政権によるイスラム戦士ネットワークのパイプラインとの「実地の」共同作業は、米国政府当局によるイランからのミサイルの検査をも含んでいた。・・・・第三世界解放機関(TWRA: the Third World Relief Agency)はスーダンを拠点とする人道組織を擬したものだが・・・・TWRAは、シェイク・オマル・アブデル・ラーマン(1993年の世界貿易センタービル爆破の背後で指導した容疑者)や、数多くの武装グループを財政支援していると思われる富豪のサウジ移民オサマ・ビン・ラディンといった、イスラム・テロ・ネットワークの構築に関連があると信じられている。》(Congressional Press Release, Republican, Party Committee (RPC)、米国議会、クリントンが承認したイランからの武器移送がボスニアをイスラム武装基地に変える役を果す、1997年1月16日。オリジナル文書はthe U.S. Senate Republican Party Committee (Senator Larry Craig)のウエッブ・サイトにある。こちらを見よ。太文字による強調が加えられている)

http://www.senate.gov/~rpc/releases/1997/iran.htm; emphasis added.

【(3)へ続く】

 【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/171.html

WA 171 2005/12/30 07:39:42

投稿者: バルセロナより愛を込めて

【全訳】『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』byミシェル・チョスドウスキー(1)

これはモントリオール大学経済学教授ミシェル・チョスドウスキーの論文The Anglo-American War of Terror: An Overviewの和訳です。長い文章ですので、3~4回に分けて、1週間ほどかけて和訳して投稿します。

この論文は2005年12月14~17日に、マレーシアのクアラルンプールで行われたペルダナ世界平和フォーラム(the Perdana Global Peace Forum 2005)で発表されたもので、同年12月21日付でグローバル・リサーチ誌に掲載されました。

この中でチョスドウスキーはwar on terror(テロに対する戦争)に代えて、war of terror(テロの戦争)という表現を使っています。つまり英・米勢力が第2次大戦後から一貫してテロによる戦争、あるいは、テロを戦争と呼び換えた犯罪を行ってきたことを指します。現在そこにイスラエルが本格参加しようとしています。

原文中の“Anglo-American”という表現には、私の訳文では「英・米勢力(の)」「アングロ・アメリカ(の)」の2つの訳を使い分けています。この表現は単なる「英・米両国」ではなく、表向きの姿に関わらず昔から両国を根底の部分で結び付けるアングロ・サクソン支配階層を示唆します。ただチョスドウスキーは敢えて文章化していないのですが、そこには当然ユダヤ系資本が介在します。「言わずもがな」ということでしょう。

(参照)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/194.html

【全訳】米国はネオ・リベラリズムをどのようにイラクに移植してきたのか(ハーバート・ドセナ:CSCAweb)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/439.html

ウオール・ストリートに住む「ブッシュの神」(IAR-Noticias:マニュエル・フレイタス)

なお、「・・・・・・・」と《 》で囲まれた部分は、著者による他の資料の引用部分、【 】は私からの訳注です。(もし誤訳や訂正すべき箇所などを発見されましたら、ご遠慮なくご指摘願いたいと思います。)

****************************************

http://globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=CHO20051221&articleId=1576

『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』

ミシェル・チョスドウスキー著

2005年12月21日

the Perdana Global Peace Forum 2005で紹介された論文

Putra World Trade Centre, Kuala Lumpur, Malaysia,

14-17 December 2005

戦争と軍事化に関する討論は、国の主権についての幅広い論争を引き起こす。

マレーシアの首都で開かれたこの重要なイヴェントに参加できたことに、私は経済学者として格別の喜びを感じる。この国は、その歴史の中での極めて重大な時期、1997年のいわゆるアジア危機の高まりの中で、ワシントン合意と国際的な金融支配者に立ち向かう勇気に満ちた姿勢をとったのである。

マハティール・モハマド博士閣下の舵取りのもとで、リンジット【訳注:マレーシアの通貨単位】の崩落を防ぐために注意深く計画された財政措置がとられた。それが起こっていたら、タイやインドネシアや韓国で起こったと同様の、経済的な混乱、倒産と貧窮が続くところだったのだ。

これらの1997年の措置は主要なネオリベラルの政策に力強く対抗した。振り返ってみると、これは実に重大な決定だった。それはこの国の歴史に語り継がれるだろう。それは、「経済・財政戦争」として端的に表現される事柄の理解にとっての基本を形作るものである。

今日我々は、戦争とマクロ経済操作は絡み合ったものである、と理解するに至っている。軍事化は経済戦争を支える。またその逆に、「経済改革」として婉曲的に語られるものが軍事化と地政学的な政策を支えるのである。

●序論

この世界は近代史の中で最も深刻な危機の十字路に立っている。第2次世界大戦以来最大級の軍事展開の中で、アメリカ合衆国と英国の不朽の同盟が軍事的冒険に乗り出してしまったようである。それは人類の未来を危機にさらすものだ。

その下に横たわる歴史的な背景を理解することは極めて重要である。この戦争計画はネオコンの計画による産物に限られるのではない。冷戦時代の出発点以来、「トルーマン・ドクトリン」からブッシュによる「対テロ戦争」に至るまで、そこには延々と続く糸、一貫した米国軍事ドクトリンが存在するのだ。

外交政策顧問のジョージ・F.コナンは、後に「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれるようになった国務省報告を1948年にまとめた。

この1948年の文書が伝えるものは、「封じ込め」から「先制攻撃」の戦争に至るまでの、米国外交政策の一貫性である。この観点からすれば、ブッシュ政権下でのネオコンの政策は第2次大戦後の外交政策大綱の絶頂として受け取るべきであろう。後者【訳注:「先制攻撃」を指す】は、世界の大部分の地域における米国が主導した一連の戦争と軍事侵略によって特徴付けられる。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガニスタンから、CIAに後押しされたラテンアメリカと東南アジアでの軍事クーデターに至るまで、その目的は米国の軍事的優位と世界的な経済支配を確保することであった。それが最初に形作られたのは冷戦開始時の「トルーマン・ドクトリン」の下においてである。

明らかな政治姿勢の相違にも関わらず、一連の民主党と共和党の政権は、ハリー・トルーマンからジョージ・W.ブッシュにいたるまで、この世界規模の軍事政策を実行してきたのだ。

さらに、ケナンの文章は英・米同盟(an Anglo-American alliance)の形成を指し示した。それは最近におけるワシントンとロンドンの間の密接な関係を特徴付けている。この同盟は、石油産業、防衛産業、および国際金融の甚大な経済利益に対応している。それは、多くの観点から、公式には第2次世界大戦の結果として解体されたことになっている大英帝国の、アングロ・アメリカ的拡大である。

トルーマン・ドクトリンは同様にこのアングロ・アメリカ軍事枢軸の中にカナダが含まれることを示唆している。もっと言うと、ケナンは米国と対抗しうる大陸欧州権力の発展を阻止することの重要性をも理解していた。

中国とインドを含むアジアを視野に入れて、ケナンは軍事的な解決を打ち出すことの重要性を指し示した。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《直接的な軍事力という概念に関わらなければならないであろう時は近づいている。そのときには理想主義的なスローガンに邪魔されることが少なければ少ないほど、より良いことであろう。》

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●国連を弱体化させる

冷戦の開始からは、その目的はソヴィエト連邦の究極的な破壊に置かれるべきものであった。ワシントンは純然たる国際機関としての国連の弱体化を目指していた。それはブッシュ政権のもとで大幅に達成されてきた目的である。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《米国において国連に対する世論の最初の盛り上がり方が極めて大きなものであったため、これは繰り返し主張されているとおりだが、我々がこの戦後の時代にこれ【訳注:国連を指す】を我々の政治方針の礎石とする以外に選択の余地が無い、ということは多分真実だろう。時としてそれは有益な目的に仕えてきた。しかし次第にそれは解決よりも問題のほうを多く作るようになっている。そして我々の外交的努力を相当に消耗させるものになってきている。そして、主要な政治目的にとって国連の多数派を利用しようとする我々の努力の中で、我々はいつの日か我々に立ち向かってくるかもしれない危険な武器をもてあそんでいるのだ。我々の側で極めて注意深い研究と見通しが必要とされる、そのような状況である。》(ケナン、1948年)

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●冷戦後

ユーゴスラビア、アフガニスタン、そしてイラクの戦争は同一の「軍事道程表」の各部分である。軍関係書類によって明らかなことだが、米国の戦争日程はイラン、シリアそして北朝鮮だけではなく、同時に以前の冷戦時の敵であるロシアと中国をも標的としている。

我々は介入の種々の形態よって特徴付けられた世界的な軍事計画にかかわりあっている。それには、国内の準軍人グループといわゆる武装解放勢力の支援を受ける隠密の軍事・諜報作戦が含まれている。これらの作戦は、国の社会体制の中で、社会的、民族的、政治的な分裂を作り出すことを目的として大掛かりに仕掛けられ、最終的には国々の全面的な破壊をもたらす。ユーゴスラヴィアで起こったように、である。

その一方で、米国が後ろ盾となる「民主化」日程が含むものは、国々の国内事情への介入である。しばしばその国の政府を不安定化させ全面的な「自由市場」改革を強制する目的を持っている。この見地からすれば、米国に後押しされた軍事クーデターに続くハイチへの不法な侵略は、それは同時にカナダとフランスに支援されたものだったが、ワシントンの世界的軍事計画で必須の一部分となっているのだ。

●戦争とグローバリゼイション

戦争とグローバリゼイションは密接に関係付けられた過程である。軍事・諜報作戦は新しい経済的な地平の開拓と国家経済の改革を支える。ウオール・ストリートの権力、石油巨大企業、そして米国・英国の防衛産業が、否定のしようもなくこの過程の背後に控えている。

最終的に、米国の「対テロ戦争」の目的は、主権を持った国々を、開かれた地域(言い換えると「自由貿易地域」)に変えることなのだ。致命的なマクロ経済改革を押し付けることと同時に「軍事的手段」を通して、である。このマクロ経済改革はIMFと世界銀行の保護の下に遂行されるもので、しばしば何百万人もの人々を赤貧に陥れながら、国家経済を切り崩し破壊する役に立つものである。その結果、戦争に引き続いて債務者と保証人たちによって押し付けられる、いわゆる「再建計画」が、対外債務を限りなく膨れ上がらせていくのだ。

捻じ曲げられた論理によって、対外債務に財源を与えられる「戦後復興」は、米国の侵略者に対して支払われているのだ。何十億ものドルが、ベクテルやハリーバートンなどといった欧米の総合建設企業に流れ込んでいる。この二つとも米国国防総省と密接につながっているのである。

●イランとシリア:次の戦争の場面

国家安全保障文書の中で明らかにされることだが、この戦争の中心的な目標は中東の石油の富を征服し奪い取ることである。この見方によると、中東から中央アジアの広い地域は世界の石油と天然ガス資源の70%を包み持っている。それは米国のそれの30倍である。

ウオール・ストリートと軍産複合体に同盟する英・米巨大石油産業は、米国の軍事行程の背後に消しがたく存在している。

この戦争の次の場面はイランとシリアである。両国はすでに標的として特定されている。

イランはサウジアラビア(25%)とイラク(11%)に続き世界第3の石油とガス埋蔵量を誇っている。米国はイラン爆撃のための口実を作るために国連安全保障委員会の共犯を求めている。それは世界の平和に対する脅威という形で持ち出されているのだ。

イスラエルがイランに対する軍事作戦を立ち上げる中心的な役割を果すことが予定されている。

この作戦は準備完了の状態である。もしもそれが起こったならば、戦争は中東全体およびそれを超える範囲に広がることになるだろう。同時に、イスラエルが英・米勢力軍事枢軸の公式メンバーとなることだろう。

2005年の初期に、数々の大規模な軍事演習が東地中海で行われた。それには軍隊の展開と兵器システムのテストが含まれる。軍事計画会議が米国、イスラエル、トルコの間で持たれた。ワシントン、テルアヴィヴ、アンカラの間で軍と政府の要人たちが行き来しているのである。

軍事協力の分野を確保する見通しを持った、そして(あるいは)、イランと対決する方向を持つ米国・イスラエル主導の軍事作戦を支える目的を持った集中的な外交交渉が、国際的なレベルで行われてきているのだ。イランの核計画に関する国連安保委員会の解決案が口実を準備する。それは米国の計画にとって軍事侵略を正当化するために用いられるものだ。

2004年11月のNATOとイスラエル間での軍事協力合意は実に重要である。数ヶ月後にイスラエルは始めてNATOと合同軍事訓練を行った。それには同時に多くのアラブ諸国も参加したのだ。

膨大な軍事ハードウエアーの構築は、起こりうるイランに対する攻撃のための準備として行われているのだ。イスラエルは米国からおよそ5千の「高性能飛行兵器”smart air launched weapons”」の供与を受けている。それには約5百のBLU「バンカー・バスター爆弾」が含まれている。

●通常の戦闘場面での核兵器:「市民にとっては安全である」

戦術核兵器(ミニ・ニューク)を用いるイランへの攻撃が同時に予想されてきた。ヒロシマ原爆の3分の1から6分の1に当たる爆発能力を持った戦術核兵器は通常の戦闘場面での使用が認められている。

このミニ・ニュークは防御用の兵器としても再定義されている。それは「市民にとって安全である」「なぜなら爆発が地下で起こるからである」。2003年12月の上院での決定は、それの通常の戦闘場面での使用を承認しているのである。

イランに対する空爆は、中東から中央アジアの幅広い地域にこの戦争を拡大させる働きをするかもしれない。テヘランはもし攻撃を受けたら、イスラエルに対する直接の弾道ミサイル攻撃の形で復讐するだろう、と明言している(CNN, 8 Feb 2005)。これらの攻撃はまたペルシャ湾の米国軍事基地を目標にする可能性がある。それは戦闘拡大から全面戦争へのシナリオへと我々を導くものであろう。

最近の展開では、イスラエル軍はアリエル・シャロン首相によって、イランの核濃縮施設への「起こりうる攻撃に対して(2006年の)3月の終りまでに準備を整えておく」ように命令されている(The Sunday Times, 11 December 2005)。

一方では、イランが防空能力を構築しつつある。ロシアは最近、イランに対して29ほどのM1対ミサイル・システムを売る計画であると発表している。

イランに対する計画された攻撃はちょうど都合よく起きたシリア軍のレバノンからの撤退とも関連があると理解すべきである。それはイスラエル軍の展開にとって新たな空間を開いてくれたのだ。アンカラとテル・アヴィヴの間の合意に続き、米国・英国・イスラエルの軍事計画へのトルコの参加もまた一つの要点である。

●世界規模の軍事日程

中東での戦争は用心深く決定された軍事日程の一部なのだ。アメリカ新世紀計画(the Project for a New American Century :PNAC)が、2000年9月、つまりジョージ・W.ブッシュがホワイトハウスに登る数ヶ月前に形成されたのだが、それは「アメリカ防衛再構築」というタイトルのもとに世界支配のための青写真を発表した。

このPNACは、国防総省の諜報幹部、共和党、そして米国の外交政策形成に黒幕的役割を果す強力な外交問題評議会(the Council on Foreign Relations :CFR)と結び付いている、一つのネオコン系シンク・タンクである。

PNACが宣言した目的は

  ・アメリカの祖国を守る

  ・複合的で同時進行する主要な戦闘場面で戦い断固として勝利する

  ・安全保障の形成に関連する「保安隊」の役を演ずる

  ・「軍事における革命」を推し進めるために米国軍を改革する

国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツ(現在は世界銀行総裁だが)、国防長官ドナルド・ラムズフェルド、そして副大統領ディック・チェイニーが、2000年の大統領選挙に先立ってPNACの青写真を依頼していたのである。

PNACは征服の道程表の概要を作る。それは次のように求めている。《米国の直接的な任務は、中央アジアと中東全域で『経済的な世界支配を確保する観点を持って』『基地を前進させる』。その一方で可能性のあるいかなる『ライバル』をも、つまりアメリカの「自由市場」経済のヴィジョンに取って代わるいかなる実行可能な方策をも、圧殺していく。》(Chris FloydのBush’s Crusade for Empire, Global Outlook, No. 6, 2003を見よ。)

戦場における戦闘とは異なり、いわゆる「保安隊の機能」は、懲罰的な爆撃、隠密の諜報作戦、そして米軍特殊部隊の派遣などを含む様々な軍事干渉の方法を使用する、世界的な軍警察機能の形態を伴う。

●新たな兵器システム

PNACの「軍事における革命」(これは新しい兵器システムの発達を意味するが)は、「戦略的防衛主導権”Strategic Defense Initiative”」から成り立っている。それは宇宙空間の軍事化および新世代核兵器開発の二本立てである。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《核兵器を核攻撃に対する反撃のために使う、というのが長い間米国の方針だったが、新しい方針は米国に、紛争を米国の望む条件で早期に終結させることや米軍の成功を確保させることを含む数多くの理由によって、核兵器を持たない国々に対しても核兵器を使用することを許す。》(Jorge Hirshの声明。Global Researchを見よ。)

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=MCD20051101&articleId=1173

Danger of US sponsored Nuclear War

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/411.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 12 月 07 日 09:52:33: SO0fHq1bYvRzo

ユダヤ・ファシズムの系譜(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

これは以下の阿修羅投稿に続くものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/398.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

********************************************************************************

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(5)イスラエルの真の開祖、ウラジミール・ヒトラー

●まず米国ジョージア州にあるHeritage TVのプロデューサー/ホストで伝統的な自由を愛する南部人、頑固な伝統保守主義者だが、ブッシュ政権、ネオコンとシオニズムが大嫌いなGeorgia Heritage Councilのメンバー、ジム・W.ディーン(Jim W Dean)の文章を見ていただこう。題して『クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか』。

この文章は2002年2月1日にジョージアSCVサイトに寄稿されたものだが、現在ではいくつかのイスラム系ウエッブ・サイトに転載されている。ここではAl-Bushraで保存されている文章を使用する。伝統保守主義者としてのディーンの見解はともかく、冷静にシオニズムとジャボチンスキー、現代イスラエルと米国プロテスタントに関する事実関係を読み取っていただきたい。

なお、訳文中に(・・・j.d.)とあるのはジム・ディーン自身が引用文につけた感想である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www.al-bushra.org/zionism/dean.html

Where Christian Zionism came from?

From:

Subj: Bringing in the sheep…..Jim Dean

Date: 1/2/2002 1:38:48 PM Pacific Standard Time

From: Jim W Dean

To: scvemail@yahoogroups.com

クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか?

【前略】

AIPAC (American Israeli Political Action Committee)がクリスチャン・シオニストの誕生を助ける…’bringing in the sheep’…… by Jim Dean

AIPACは現在ワシントンでのロビー活動で傑出した力量を持っている。(Jewish Power, J.J. Goldberg, p 13)

今日私は、一つのフランケンシュタイン物語をお聞かせしよう。良き意思にも関わらずいかにして怪物が我々の中を歩き回るべく創造されたのか。

2001年の年末休暇の間、私は米国ユダヤ・ロビーの力に関する4つの重要な本を買った。すべて何年にもわたって資料を調べ多くの重要人物を取材してきた私の友人のユダヤ人によって書かれたものである。

私は今日、「クリスチャン・シオニズムはどこから来たのか」についての話、その原因となる物事の実際の背後関係、そして聖地でのキリスト教徒絶滅を含む恐るべきモラルの悲劇を覆い隠すためにそれがどのように操作されているのか、について話をしてみたい。

ヨルダン川西岸とレバノンの侵略――そこでは一般市民への大量殺戮(ベイルートで主に砲撃によって2万人が殺された)が起こったのだが――の以前には、米国の左翼がイスラエルに対する主導的な援助者となっていた。彼らは何年間もユダヤ人の左翼活動家と一緒になって市民権闘争を行ってきた。中絶を支援し、米国市民と教育現場からあらゆるキリスト教のモラルを抹殺しながら、ラディカルなフェミニズムやゲイの権利運動などなどをやってきた。

あるAIPACのインサイダーの話によると、「そのもう一つの面は、パレスチナ問題を人権問題、つまり米国人の琴線に触れる事柄として(しかし十分ではないが j.d.)持ち上げることなのだ。我々はイスラエルが左翼に見捨てられてきたこと(レバノン侵略と蛮行を指す j.d.)を埋め合わせておきたい。だからこそ我々はよけいに‘ネオ・コンサーバティヴ’になっていくのだ。我々はイスラエルへの支援を右翼の側に――西岸地区で何が起こっているのかに関心を持たないがソビエト連合には重大な関心を持っている人々と共に(正確に言うと大部分のネオコンのことをいっているのだが j.d.)――広げていきたいと願っている。’ [The Lobby…by Edward Tivnan, p 181]

「こうしてロビーは同時に、米国政府のイスラエルに対する伝統的な支援にほとんど差し障りの無い発言を行う極右勢力に新たな親イスラエル勢力を作ろうとし始めた。…[同書…p 181]. 言い換えると、彼らは極右勢力に手を結ぶつながりを探していたのだ。伝統的な米国の国益が「面倒さ」の要因にならないような方法で、である。これはまさに非常な愛国主義を装う極右に対する告発である。ユダヤ・ロビーの人々は彼らを少しの隠ぺい工作で協力者にできる間抜けなお人好しだと見ている。

この「極右」騙しの重要なカモたちは、「米国が生き残るための政治的な――そして精神的な――鍵としてイスラエルを支持する、何百万人もの米国プロテスタント原理主義者たち」であった。 [同書…p 181]. 私はこれが、パレスチナに残っているクリスチャンの絶滅に、そして道徳的伝統を保持してきたクリスチャンたちの信じられないほどの悲劇に、どのように関与しているのかを示す他の資料についてお話しよう。

メナチェム・ベギンが首相であったときに彼はJerry Falwellに、イスラエルに尽くした者に与えられる「栄誉ある」ジャボチンスキー賞を授与することで、クリスチャン・シオニストたちを釣った。私はこれを『イスラエル・テロリスト/アメリカ売国奴』賞と言い直したい。ジャボチンスキーさんについてちょっと見てみよう。彼は右翼リクード党の元祖であり、この党は現在の【訳注:2002年現在】国家首脳でイスラエル・テロリストのアリエル・シャロンの政党なのだ。

【訳注:Jerry Falwellはクリスチャン・シオニストを代表する牧師でADLのフォックスマンと大統領ブッシュが最も信頼をおく人物の一人。彼がジャボチンスキー賞を受けたのは1981年である。またFalwellは1977年にイスラエル政府からイスラエル訪問用に専用のジェット機をプレゼントされている。】

1925年までにジャボチンスキーは世界シオニスト機構の内部の一部として修正主義(レヴィジョニスト)運動を創設した。そしてパレスチナ信託統治地区のすべて【訳注:現在のイスラエルとヨルダン】の中でヨルダン川の両岸にまたがるユダヤ人国家をすぐさま要求し、また未だに萌芽状態にあったシオニスト組織に不屈の好戦性を求めた。

パレスチナのアラブ人と約束をしないように、そしてパレスチナの分かち合いをしないように主張したのは、元々がジャボチンスキーだったのだ。すべての離散ユダヤ人が流入されなければならないと、つまりあらゆるユダヤ「民族」が正当なエレツ・イスラエルの祖国に戻らねばならない、と言い張ったのはジャボチンスキーである。(Bruzonksy…Washington Post, 1980)

そして、一部の米国人クリスチャン最高指導者たちがその名のもとに与えられる「栄誉ある」賞を受け取った、このジャボチンスキーという人物は、どのような種類の人間なのか。彼の言葉を聞いてみよう。

『愚かなのは隣人を信用する者である。隣人としての善良さと愛は愚かなものだろう。拳と不屈さによって、このような者たちにそれを悟らしめることを可能にする者たちのためにのみ、正義が存在する。・・・誰をも信用するな。常に構えておけ。常に棒を手に持っておけ。これが残忍な総力戦の中で生き残る唯一の道なのだ。』

『この世に国家と祖国よりも高い価値を持つものは無いのだ。』と彼は書いた。『明らかな特質を所有するあらゆる民族は一つの民族国家となろうとする。…自らの国家の中でのみ心地よさを感じるものだからである。』

.

もう分かっただろう。こいつはファシストだ。今日に生きているシオニスト・ファシストのテロ組織を植えつけた、一人のシオニスト・ファシストなのだ。そして、そう、Falwellさんは、その口の片側でユダヤ人の優越性を説き、もう片方で多文化主義を説くような者なのだ。あなた方は南部魂がどこでこの鳥の突付き順序に陥ると想像できるだろうか。あなた方は彼がBedford Forrest将軍賞を受け入れると考えるだろうか。【訳注:Bedford Forrestは南北戦争での南軍の英雄で後にKKKの総代表となる。】

ジャボチンスキーの最もお気に入りの2名の弟子は、一人は、シオニスト・テロリスト・グループのリーダーとして名声をはせ後にイスラエルの首相となったメナチェム・ベギンである。彼はかつてイルグン・グループを率いた。そしてもう一人がイツァーク・シャミールである。彼はレヒ・グループ(スターン・ギャング)を率いた。たとえばシャミールは、1944年11月に起こったレヒによる英国中東特使Moyne卿殺害、および1948年9月に起きたスゥエーデン人国連和平仲介者であるでFolke-Bernadotte伯爵暗殺で、中心的な役割を果した。ベギンのテロ・グループであるイルグンは、1946年にキング・デイヴィッド・ホテルを爆破して、100名を超える英国人、ユダヤ人、アラブ人を殺害した。アリエル・シャロンは、キブヤとサブラとシャティラの難民キャンプでの大虐殺で、このユダヤ・ファシストの伝統を引き継いでいる。アラブ人市民殺害でのその能力の誇示は、常にイスラエルの政治で優勢な道であり続けている。

ユダヤ・テロリズムは米国にユダヤ防衛連盟(JDL)のご親切なオフィスを通して上陸してきた。JDLは1968年にラビMeir Kahaneによって設立されたのである。Martin David Kahaneは1932年にニューヨークのブルックリンで生まれたのだが、ゴリゴリのシオニストであるゼエブ・ジャボチンスキーの「修正主義者(レヴィジョニスト)」活動を積極的に担っていた正統派ラビの長子であった。Kahaneは何でも屋の売国奴であり、彼ができることなら誰のためにでもけしからぬ仕事をやった。FBIの密告屋をやったこともあった。現在のJDL指導者の一人であるIrv Rubinは、米国のアラブ人たちを狙った爆弾テロを計画したかどで先月逮捕された。彼らに「目覚まし時計」を与えるためであった。あるアラブ系議員がそのターゲットになった。一方でIrv Rubinは、メディアに登場するときには「市民権運動活動家」とされている。これが、宗教指導者を含むあらゆるものを売りにかける米国流逆転の倫理のもう一つの例なのだ。

ユダヤ・ロビーはクリスチャン・シオニストが彼ら自身の道徳的尺度を表に出すことを大して気にもかけていない。彼らは牧師たちが投票に行くように語るときにすぐにそれに従う聴衆になるのである。(‘Power, Glory, and Politics,’ TIME cover on TV preachers, Feb 17th, 1986)

ユダヤ・ロビーの一部は、3千万人の福音主義クリスチャンの最終目標がユダヤ人の改宗であるため、彼らと行動を共にすることに困難を感じた。(イスラエルでそんなことを言ったら逮捕されるだろう。タリバンでもそうだが・・・j.d.)これらの福音主義クリスチャンたちが大多数のリベラルなユダヤ人たちの社会・政治目標と対立するばかりだったので、ナタン・パールムッターADLディレクターは次のように注意した。「神を褒め称えよ。そして武器を手渡せ。」(同書…p 182)『武器』とはもちろん、イスラエルが指定した敵に対する銃弾として放たれる愚かなクリスチャンのことである。ユダヤ人嫌いが手にする最高の賞は、彼らのためにその汚い仕事を行う協力的な非ユダヤ人のためにある。

以前のAIPACの調査主任であるレンニ・デイヴィスは、次のような笑えない皮肉を弄んだ。「当然だが、この連中は私をいらいらさせる。しかしイエスが丘を登るのを私が見るまでは、私はイスラエルが受け入れることのできるすべての友人たちのために動く。防衛組織(ADLとAJC)を国内情勢に気を遣うようにさせよ。」(同書…p 182)

我々がここに提示したことは両極端を使って中庸を保つ人たちを攻撃する、昔からあるトリックなのだ。一方の端はこの組織と手を結んでその支持を得ようとするユダヤ人グループであり、他方の端はそれと闘うユダヤ人グループである。そして彼らは伝統的なアメリカの価値を攻撃する。フィリップ・ウエイスは確信する。「ウエイスは市民権運動、フェミニズム、メディア、民衆的文化、そして法律と財政におけるユダヤ人の影響力の詳細を誇り高く述べる。彼はその短いお説教を次のように主張して終わる。『社会道徳的価値観に対する教会の影響力が非常に減少したことは文化的なパワーを手にしている世俗化したユダヤ人抜きでは起こり得なかっただろう。』」 (Philip Weiss’s “Jews in Bush’s Cabinet? Don’t Hold Your Breath” (New York Observer, December 22, 2001)

だからJerry Falwellよ。そのジャボチンスキーのメダルを自慢げに身に付けているがよい。しかし覚えておくことだ。お前が、お前のシオニストの相棒、ジャボチンスキー、ベギン、シャミールとシャロンの犠牲者たちに、面と向かい合う日が来るだろう。そして私は彼らがそのメダルを受け入れるとは思わない。お前のクリスチャン・シオニストの支持者たちもそれを受け入れようとしないだろう。彼らが本当のことを学んだならば。お前は自分の神と自分の国と自分の支持者を辱めた。お前の魂に神のお慈悲があらんことを。

そしてもし良ければ・・・・お前にもっとふさわしい賞をプレゼントしてやろう。「タリバン・ジョン賞」だ。キリスト教の聖地とアメリカの伝統的価値を破壊した目覚ましい働きと、アメリカのキリスト教への裏切りに対してである。

ジム・ディーン

ヘリティッジTV

【翻訳、引用、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

上の訳文中に出てくる『ジャボチンスキー賞』だが、1988年に反名誉毀損同盟(ADL)は、同名の賞を、かの「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィセンタールに授与した。『世界がホロコーストを決して忘れないことを確実にさせた勇気あるユダヤの指導力』によってである。受賞に臨んだヴィセンタールはジャボチンスキーを「正しいと思う自らの道を進んだ闘士」と褒め称えた。先日この男が死んだときに盛大に追悼の文句を書いていた者たちは、このことを知っているのだろうか?

http://www.adl.org/ADL_Opinions/Holocaust/20050922-Jewish+Week.htm

またクリスチャン・シオニストのリーダーJerry FalwellがSDLからこの賞を受け取ったのが1981年、つまりイスラエルがイラクの核施設を爆撃し、またレーガン=ブッシュ(父)政権が始まった年であることにも注目すべきであろう。その前のカーターを追い落とすために、イスラエルが、前回お知らせしたマイケル・レディーンやイラン内部のイスラエル内通者を通して工作した可能性がある。そしてこの辺りから米国中枢が彼らに乗っ取られていったと思われる。

●もう一つ、オーストラリアにあるラルーシュ運動の団体Citizens Electoral Councilのインターネット・サイトを覗くことにする。ここにはThe Struggle for the Soul of Judaismの副題を持つJudaismというページがある。

http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=judaism.htm

その中のPart 3 — The Crimes of the fascist Jabotinskyites

http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=part3.htm

の中から、Today’s Likud Is The Party of Fascist Vladimir Jabotinskyという記事をご紹介しよう。ただしこれも長い記事なので、その一部だけを和訳してお伝えする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www.cecaust.com.au/main.asp?sub=culture/jewish&id=p3/article2.htm

今日のリクードはファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキーの政党である

【前略】

シャロンは、彼に先立つリクードの首相たち――メナチェム・ベギン、イツァーク・シャミール、そしてベンジャミン・ネタニヤフ――と同様に、ウラジミール・ジャボチンスキーの人種主義と反人間的な観点を真に受け継ぐ者である。イスラエルの初代首相であるベン・グリオンはジャボチンスキーを「ウラジミール・ヒトラー」と呼んだ。これらのリクード党出身の首相はみな、まとめて「ジャボチンスキーのプリンスたち」と言われるのだが、そろいもそろってユダヤ主義の普遍的な観点に対する拒絶を共有している。モーゼの最初の本である創世記にある神から出た次の言葉に対する拒絶である。「我々の姿で人間を作ろう。我々の似姿によって。」つまり、すべての男性と女性は創造者の似姿として作られている、ということである。

この観点はもう一人のジャボチンスキー支持者にも共有された。後のラビ・メイァ・カハネである。彼はテロリスト組織のユダヤ防衛連盟(JDL)の創始者であり、その今日の追随者はKachとKahane Chaiのメンバーである。これらは米国政府がテロ組織としてリストに載せているもので、彼らの多くは最近、パレスチナの女学校を爆破する計画を立てた罪でイスラエルで逮捕された。

メイァ・カハネの父親は米国におけるウラジミール・ジャボチンスキーのための資金調達係だった。若いころのカハネは、JDLを創設しイスラエルでそれに続く活動を行うに際して、ジャボチンスキーの持ったユダヤ人の優越性の思想を採用した。彼はこう書いた。「我々は異なっている。我々は選ばれた民だ。そして特別な民だ。純粋性と神聖さによって選ばれたのだ。もしあるユダヤ人に他と本質的に違う何かが無いとしたら、彼がユダヤ人である理由など何も無い。そうだ。我々は紳士たちと同じではない。我々は違う。我々の方が上なのだ。」

1972年のパンフレットでカハネは書いた。「アラブ人たちはこの地に属する者ではない。彼らは立ち去らねばならない。」1977年にクネセット(イスラエル国会)に立候補する一方で、彼は「我々のアラブ人追放計画」や、もし「ユダヤ人が何万もの空になったアラブ人の家にすむならば」それは「イスラエル経済への巨大な貢献」を為すだろう、という発言を行った。1985年のクネセットへの再選キャンペーンで、彼はがなり立てた。「こいつらアラブの獣ども、このゴキブリどもの魂など、誰一人理解できない。我々はヤツラの喉を切り裂くかあるいは放り出すだろう。私はただあなた方が考えていることを語っているだけなのだ。この2年内に、やつらはラジオのスイッチを入れてそしてカハネが国防長官になったと聞くだろう。それでやつらは私のところにやってきて私の足をなめるだろう。そうして私は憐みを垂れ、やつらが立ち去ることを許すだろう。立ち去らない者は誰であろうと皆殺しにされることだろう。」

【後略、訳出終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

シオニストの本音はこのメイァ・カハネの言葉の中に十分に読み取れる。これはヒトラーの言葉ではない。シオニスト・ファシストの本性なのだ。そして多かれ少なかれ歴史的にイスラエルが実行してきたことである。

なお文中のKachとKahane Chaiはイスラエルのテロリスト・グループで、数多くのパレスチナ人を殺害してきた。1994年に起きたヘブロンのモスクで29名のパレスチナ人をマシンガンで殺害したゴールドシュタインはKachの関係者と言われる。また2002年に東エルサレムにある女学校と病院の爆破未遂事件でKachのメンバーが逮捕されたが、この事件の本当の首謀者は彼らと無関係の他のユダヤ・テロ組織だ、という説もある。いずれにせよイスラエル当局としては「反テロ戦争」を進めている以上、コントロールの効かない「民間テロ組織」の動きは抑えておかねばなるまい。またそうしないと、イスラエル最大の武器の一つである「ホロコースト」が使いづらくなるだろう。

●米国はジャボチンスキーが死去した地であるばかりでなく、イスラエルの外ではそのファシズムが最も強く浸透している土地なのだ。前回ご紹介したマイケル・レディーンにしてもそうだが、彼らは自分の正体を隠そうともしない。そしてこのユダヤ・ファシズムの流れが米国でネオコンと連結していることに何一つ不思議は無い。彼らはみな同根なのだ。

米国だけではない。エルンスト・ツンデルをドイツに強制連行させミシェル・チョスドウスキーを「ホロコースト否定」で告発したカナダのブナイ・ブリスは、ジャボチンスキー・メモリアル・イベントを毎年各地で行っている。

(参照)

http://www.bnaibrith.ca/article.php?id=590

http://www.jewishtribune.ca/tribune/jt-050811-07.html

●これをお読みの方の中で、すでに1948年に、イスラエルを「組織、方法、政治哲学そして社会的主張においてナチ党とファシスト党に極めて近い政党」が動かしていると警告する文書が作られ、アルバート・アインシュタインを含む大勢のユダヤの知識人たちがこれに署名していた、という事実をご存知の方がどれくらいいるだろうか。

(参照)

http://www.socialistviewpoint.org/sept_02/sept_02_1.html

不幸なことにイスラエルという国を作り実質的に運営し拡大させてきたのは、「社会主義者」ではなくファシストたちだったのである。以前に申し上げたように、レンニ・ブレンナーなどのユダヤ左翼知識人が持つ「ジャボチンスキーがムッソリーニという負け馬に賭けた」などという認識は、致命的に誤っているのだ。

イスラエルには、ジャボチンスキーが創設したベタールと彼の運動の延長であるリクード党、彼が創設に尽力したハガナーとイルグンの流れを汲むイスラエル国防軍のほかに、ジャボチンスキー基金、ジャボチンスキー研究所、ジャボチンスキー博物館などもあり、ヘルツルの丘には彼の墓がある。そして何よりもイスラエルという国家そのものが、このファシストの最大の遺産であろう。

現在イスラエルでは、ジャボチンスキーを「ファシスト」と呼んでムッソリーニやヒトラーとの関係を取り沙汰すことはタブーであるようだ。ブナイ・ブリスは彼のことを「修正主義者(レヴィジョニスト)」ではなく「シオニスト・ナショナリスト(Zionist nationalist)」と呼んでいる。イスラエルは紛れも無く、このユダヤ・ファシストを「開祖」として認知しているのである。

●今後は時間的な余裕が取れそうもなく、次回がいつになるか見当がつかないが、ジャボチンスキー最大の政治方針(そしてイスラエルの歴史を貫く政治方針)である「鉄の壁(The Iron Wall)」に関してまとめたいと思っている。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/398.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 30 日 09:49:24: SO0fHq1bYvRzo

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(4)嘘で世界を操る野郎ども

この文章は下記の投稿に続くものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

****************************************

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(4)嘘で世界を操る野郎ども

●理屈と膏薬はどこにでも貼り付くが「果実」はその本質を裏切ることは無い。悪党どもがどれほどの言辞を弄して飾り立てようと、それが「果」を実らせるための政治プロパガンダである以上、彼らの語る言葉や著述の表現などは、すべて彼らの「果実」に向けられてのみ理解されなければならない。

人間は平気で意図して嘘を付く存在である。「悪の果実」を作る者は騙すことだけを目的にした発言をする。「この人はこうも言ってる、ああも言ってる」ではなく、「コイツが実現させたことが実際にこれだからこの言葉はこんな意味だ」ということなのだ。

「嘘」を血肉化させた悪党は数多く生きているが、その中の一人、米国シオニスト・ユダヤとイスラエルのエージェント、ネオコンの悪徳詐欺師であり、同時にイタリア・フリーメーソンP2ロッジ幹部であるマイケル・レディーン(Michael Ledeen)に注目してみよう。この人物の言動が、ウラジミール・ジャボチンスキーのユダヤ・ファシズムの理想を現在の世界で結実させつつある勢力の本当の姿を、象徴的に表現していると思うからである。

●先日の私は阿修羅に次のような投稿をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0505/bd41/msg/826.html

「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これはインターネット新聞Daily Kosに寄せられた『Niger Yellowcake and The Man Who Forged Too Much』(by Pen Fri Jul 22, 2005 at 05:56:03 AM PDT)を翻訳したものだが、その一部を再掲する。(ぜひとも上記阿修羅投稿で全文をご参照いただきたい。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://pen.dailykos.com/story/2005/7/22/7563/12283

「ニジェール・ウラン偽文書と捏造しすぎた男」【和訳】:ネオ・ファシズムの尻尾?

【前略、引用開始】

1984年にさかのぼるが、Michael Ledeenはイランに対する武器の違法な販売を行うというManucher Ghorbanifarのアイデアを実行に移した。CIAの作戦部長補佐官(Deputy Director for Operations)であるClair GeorgeはGhorbanifarを全く信用が置けないと考えた。彼はGhorbanifarがモサドのダブルスパイであってイスラエルの治安だけを優先させていると感じたのだ。しかしジョージ・ブッシュSr.は、ロナルド・レーガンを当選させた悪名高い「10月の驚き(October Surprise)」に先立って、パリにいたGhorbanifarと関係を持っていたのだが、Ledeenに同意し、こうしてGhorbanifarはイラン・コントラ事件として知られるようになった事柄の中心人物となったのである。実際に、オリバー・ノースはコントラに資金を振り向けるように1986年の1月にGhorbanifarと会った際に提案されたと証言した。

【中略】

1:この会合【注釈:米国をイラク戦争に引きずり出すための、具体的にはニジェールの偽ウラン文書を捏造するための会合】にいた二人の米国人は

(a) 特別計画室(Office of Special Plans)のメンバーであり、Michael Ledeenの舎弟、そして政府とAhmed Chalabiのつなぎ役であったHarold Rhode。(b) 特別計画室の元メンバーであるLarry Franklin。彼はAIPAC組織を通してイスラエルに機密を横流ししたとしてFBIに逮捕された

2:そこにいた2名のイタリア人は

(a) SISMI(イタリア諜報機関)チーフのNicolo Pollari。(b)イタリア国防長官Antonio Martino。

3:会合はローマにて2001年12月のことであった。

Newsweekが我々に伝えていないことは、最初の会合に第3の米国人が出席していたことであり、そしてその男がその会合をお膳立てしたのであった。Michael Ledeenである。

【中略】

Rocco Martino、Michael Ledeen、Francesco Pazienza、Silvio BerlusconiおよびNicolo Pollariは全員がP2のメンバーである。P2はSISMIのエージェントを雇い入れてそれと並行して存在する諜報機関として活動してきていることがわかっている。PollariはAbu Omarの誘拐を承認した。この誘拐はRobert Ladyの協力を得たと言われている。ある未だ知られていないSISMIエージェントがMartinoと接触し、彼にニジェールの文書を渡すことのできる”lady”と接触させた。ニジェール大使館は盗みに入られた。この正体不明のSISMIエージェントは”lady”に、偽造した文書と一緒に本物のニジェールの書類を渡した。この”lady”はそれをMartinoに渡した。

【中略】

Michael Ledeenは国家安全保障ユダヤ人協会the Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人の一人である。彼はAIPACのシンクタンクであるthe American Enterprise Institute (AEI)に出入り自由の特権を持っている。彼はイランの民主連合の共同発起人である。1980年にさかのぼれば、CIAはLedeenをイスラエルの重要なエージェントと格付けしていたと言われる。LedeenはKarl Roveの主要な外交政策アドバイザーである。Ledeensの主な妄想はイランを倒すことであるように見える。

1972年に彼はUniversal Fascismという本を出した。その中で彼は「ファシストの目的の正しさ」について詳しく述べている。Universal Fascismの中で、Ledeenは最初に、ファシズムが「20世紀革命」であったこと、そして「人々は本当のこと、つまりファシズムにあこがれる」という彼の主張を打ち立てる。それはファシズム革命の青写真なのだ。

1980年に彼は、”BillyGate” 事件でSISMI とP2のFrancesco Pazienzaに協力した。【訳注:”BillyGate” 事件:70年代の終盤にジミー・カーターの弟ビリーが、自分の経営するビール会社の製品をリビアで売ろうとしてリビア政府から経済的な計らいを受けた、とされた事件で、イランの米国大使館人質事件とともにカーター再選の障害物になった。これには「ユダヤが仕掛けた」という説がある。】これは、最近イタリアの影の諜報機関に所属していることが明らかになったPazienzeと同一人物である。1985年にPazienzeは政治的な操作、偽造、そしてテロリストを匿ったことで有罪とされた。Ledeenは裁判資料の中でSISMIのエージェントとして身元を明らかにされている。

ペンタゴンは1980年代の半ばにLedeenの機密事項認可をSCI最高機密から普通の機密に格下げした。それはLedeenが禁輸品目をある外国に、イスラエルだと信じられているが、横流ししていることをFBIが調べ始めた後のことである。

2001年にLedeenは特別計画室と契約する仕事をするためにFeithに雇われた。

イスラエルのスパイであるJonathon Pollardに海軍で仕事をさせたのはLedeenである。

イラン・コントラ事件で、モサドのダブル・スパイManucher Ghorbanifarを使うように言い張ったのはLedeenである。

2001年の12月1日にローマでRhodesとFranklinとGhorbanifarの会合をお膳立てしたのはLedeenである。

2001年12月12日に、米国大使SemblerはLedeenおよびイタリア国防長官Antonio Martinoと私的に昼食を共にした。LedeenとMartinoは、彼らが共に出席するGhorbanifarとの次の会合について話し合った。その秘密会合で二つのCIA「でっち上げ情報」の受け渡しが行われたことに深い関心を持ったSemblerは、それをすぐにホワイトハウスに、特にStephen Hadleyに知らせるように、CIAに連絡した。Hadley はLedeenとその協力者にGhorbanifarから離れるように命じた。しかしその命令は無視され、GhorbanifarとRhodeの間の連絡は2003年の2回目の会合に至るまで続いた。

【後略、引用終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

このレディーンを中心に捏造された「ニジェール・イエローケーキ」だけではなく、数々の嘘がイラク戦争の「理由」とされたことは記憶に新しい。9・11でも先ごろのロンドン7・7でも、我々は嘘と隠蔽によって『新たな歴史』が作られる現場を目撃している。嘘と隠蔽による重大事件によって世界が揺り動かされる歴史は1898年のメイン号事件以来散々に繰り返されてきた。『公式の歴史』では「嘘は無かった」ことになっている。要はその『公式の歴史』が嘘によって編修されている、ということだろう。そこに巧妙に隠されているのはあるエリート集団の「世界支配へ向けての意図」である。

このマイケル・レディーンという男も嘘のために生まれてきたような奴とみえる。その知性は、嘘をつき新たな嘘で嘘を覆い隠すために、常に研ぎ澄まされている。これはネオコンやシオニスト中枢にいる連中の最大の特徴でもあろう。彼らの脳の中は虚数空間ならぬ「嘘数空間」であり本心から嘘をつく。嘘発見器などは効かないのではないか。

もちろんレディーン一人が《イスラエル》-《イタリア》-《米国(ネオコン・シオニスト)》を結び付ける人物であるはずが無い。彼も一人の「スター」に過ぎまい。しかしこのような人物を追うことによって、その背後にあるものの全体像を推測していくことができるはずである。

●ここでやはりWikipediaを覗いてみることにしたい。表面ヅラではあるがこの人物の略歴が分かる。『Michael Ledeen』の項目を概訳してみよう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Ledeen

マイケル・レディーン(1941年8月1日生まれ)はアメリカン・エンタープライズ研究所【訳注:正式名はThe American Enterprise Institute for Public Policy Research:ヘリティッジ・ファウンデーションとともにブッシュ政権を支えるネオ・ファシスト系シンクタンクで1943年に設立】の研究員である。彼の政治的理想、歴史観と哲学はイラク戦争に向かうブッシュ政権に影響を与えた。彼はNational ReviewとJewish World Reviewの編集人の一人であり、国家安全保障ユダヤ人協会The Jewish Institute for National Security Affairs (JINSA)の発起人、および相談役の一人でもある。同時に米国ネオコンサーヴァティヴと多くの人から見なされている。

レディーンはウイスコンシン大学で哲学博士号を取得、ドイツとイタリアのファシズム史を比較研究した。レディーンの初期の指導者の一人にドイツ生まれのジョージ・モッセがいた。もう一人イタリアの歴史家レンツォ・デ・フェリーチェが彼に影響を与えた。【訳注:George Mosse(1918-1999)とRenzo De Felice(1929-996)については後述】レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。

レディーンはロナルド・レーガン政権最大の外交スキャンダルの中で中心的な人物となった。いわゆるイランコントラ事件である。【訳注:これに関しては前述の記事にもあるし、また後で詳しく触れることになる。】彼はまたヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件がブルガリアの秘密諜報機関の陰謀であると語ったが、後に否定された。

中東地域での政権転換に関して、レディーンは2002年に国防顧問のスコウクラフトに反論して、「対テロ戦争」を主張した。2002年9月に「The War Against the Terror Masters」を出版。

レディーンは1972年に「ユニバーサル・ファシズム(Universal Fascism)」「国際ファシズムの理論と実践1928-1936(The Theory and Practice of the Fascist International, 1928-1936)」を出版したが、いまは絶版となっている。レディーンは革命的な「ファシスト運動」と失敗した「ファシズム政権」を区別し、イタリア・ファシズムを批判した。

2003年には、「我々はテロに対する戦争を中東の範囲を超えて西欧の中心部にまで持ち込まなければならない。そこでは中東と同様に、我々の最大の武器は政治的なものである。つまり我々に反対する国々にいる人々の自由への願望の提示である。」と書いた。

レディーンはイランの政権転覆を唱え、イランがイラクの抵抗勢力の背後にいてアル・ザルカウイのアルカイダ・ネットワークをも支えていると主張する。

ニジェール・イエローケーキ捏造【訳注:これは前述の投稿に詳しいので省略する】

【後略、概訳終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

レディーンが属するアメリカン・エンタープライズ研究所はムッソリーニ政権が崩壊した1943年に設立された。このことは我々に重大な示唆を与えてくれる。ファシズム運動の中心がイタリアから米国に移ったように思えるのだ。以後この機関はヘリティッジ・ファウンデーションと共に米国による中南米侵略・支配の中枢機関となり、また「対テロ世界戦争」やユーラシア各国の軍事・非軍事クーデターを通して「世界の自由化・民主化」を推進する中心的な役割を果している。

それにしてもWikipediaもよく言うよ。『レディーンの政治思想は「集中化された国家権力に対する戦いの緊急性、および人間の自由を中心とすること」を強調する堅固にアンチ・ファシスト的なものであり、これがブッシュ政権に影響を与えたと言われる。』だってサ。嘘つき野郎の屁理屈をそのマンマ宣伝している。「張り付いた膏薬」でしかモノを考えないような人間はコロリと言わされるのだろうな。

●ここまで来ると、どうしてもリンドン・ラルーシュJr.と彼が主催する運動に登場してもらわなければならない。彼らの主張がすべての面に渡って当を得ているかどうかはともかく、第2次大戦後から現在までの欧米権力者集団による嘘と謀略を調査し告発し警告を発している最大のグループだからである。彼らは世界のファシズム化を策謀するこの権力者集団の動きを「シナーキズム(synarchism)」という用語で標記している。

ラルーシュ運動のサイトの一つであるExecutive Intelligence Reviewの中から、2003年7月11日に寄稿されたScott Thompsonによる『シナーキズム-ナチ/共産主義:マイケル・レディーンはイランの「政権転覆」を要求(’SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM’  Michael Ledeen Demands `Regime Change’ in Iran)』という論文の一部を翻訳しよう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

Executive Intelligence Review

http://www.larouchepub.com/other/2003/3027ledeen_iran.html

SYNARCHISM-NAZI/COMMUNISM’

Michael Ledeen Demands `Regime Change’ in Iran

by Scott Thompson

【前略、翻訳開始】

レディーンの「シナーキスト」のルーツ

レディーンの生涯に最初の重要なインパクトを与えたのはドイツ系ユダヤ人移民のジョージ・モッセ(George Mosse)だった。彼はあのナチのリーダーであるヨーゼフ・ゲッペルス(Joseph Goebbels)やヘルマン・ゲーリング(Herman Goering)と良い仲であった。モッセはゲーリングが彼の父親を「アーリアン」であるとするほどに親密であり、家族は法律が変わる15分前にドイツを離れることを許された。

ケンブリッジで学んだモッセは、ウイスコンシン大学でレディーンの教官となるのだが、ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきであると彼に教えた。なぜなら西側諸国のガイスト(精神)が窒息しておりファシズムかナチズムを通してのみ再生させることができるから、というのである。レディーンはその大学の哲学科で働いているときに、ウラジミール・ゼエヴ・ジャボチンスキー(Vladimir Ze’ev Jabotinsky)と結びつくイスラエル諜報部関連の運動の支部――それはモッセの影響下にあった――に参加していたことで排斥された、と言われる。このジャボチンスキーはイスラエルの指導者ダヴィッド・ベン・グリオン(David Ben Gurion)が『ウラジミール・ヒトラー』と呼んだ男なのだ。

レディーンが後の大統領府対外諜報顧問委員会(Presidential Foreign Intelligence Advisory Board)メンバーであるデイヴィッド・アブシャイァ(David Abshire)に紹介されたのはモッセを通してであった。この男は戦略国際研究センター(CSIS;the Center for Strategic and International Studies)の創設者であり、レディーンを政治情報参謀として雇った。

しかしむしろもっと重要なレディーンの師匠はレンツォ・デ・フェリーチェ(Renzo de Felice)であった。彼は、最初の近代ファシストであるナポレオン・ボナパルトの登場を導いたフランスのジャコバン革命の擁護者であった。デ・フェリーチェは、『イルミナティと革命的神秘主義1789-1900(The Illuminati and Revolutionary Mysticism, 1789-1900)』を書いた際に、自分のファシズムを隠さなかった。「私のジャコバン主義とある種のファシズムとの間には共通の何かがある。・・・・文明の歴史の新たな面に向かって・・・・ファシズムは社会と個人の変革の達成を求めた。」

1966年と1967年のイタリアで研究したレディーンは、そこで文明戦争の「魔法使いたち」であるヴェネチアの寡頭政治支配者たちの子孫に会ったのだが、その後『普遍的ファシズム(Universal Fascism)(1972)』、Journal of Contemporary History(July 1969)の記事『イタリア・ファシズムと青年(Italian Fascism and Youth)』、アーヴィング・ルイス・ホロヴィッツ(Irving Louis Horowitz)編集のThe Use and Abuse of Social Scienceの記事『ファシストの社会政策(Fascist Social Policy)』を書き、そしてその他にレンツォ・デ・フェリーチェ著でレディーンによるインタビューを含む『ファシズム、その論理と実践への非公式な招待(Fascism, An Informal Introduction to Its Theory and Practice)』を出版した。

レディーンは拘束の無いジャコバン・スタイルのファシズムを好んだ。1900年代初期のガブリエレ・ダヌンツィオ(Gabrielle D’Annunzio)のそれのようなものである。1972年の『普遍的ファシズム』で、レディーンはベニト・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を、あまりにも厳格である、として非難した。「彼は決してイタリア人に十分な信頼を置かずファシズムへの純真な参加を人々に許さなかった。」

レディーンの犯罪暦

レディーンは、過去20年を通して、いくつかの最も浅ましい犯罪に関与してきている。政府高官たちや諜報機関員たち、そして私的な「シナーキスト」ネットワークと共謀しながら。

イランゲート:

レディーンが今日イランの「政権転覆」を呼びかけているのは特に皮肉なことである。彼が1980年代を通してイランの政権と手を結んでの民主化計画の秘密作戦で主犯の一人となっていたからである。彼はフランスに住むイラン人マヌチャル・ゴールバニファル(Manuchar Ghorbanifar)と密接につながって働いたが、イスラエルの政治諜報エージェントであるダヴィッド・キムチェエ(David Kimchee)がレディーンにこの男を紹介したのである。レディーンは1985年10月8日にゴールバニファルを国家安全保障委員会補佐官のオリヴァー・ノース(Oliver North)とのミーティングに連れて行った。その場にはイスラエルの武器商人ヤアコヴ・ニモルディ(Ya’acov Nimrodi)も出席していたが、この男はノースの「エンタープライズ」の中で重要人物だった。レディーンはこの件で1985年中ひんぱんにノースと会った。CIAがゴールバニファルを信頼が置けないとしているにも関わらず、である。500基のTOWミサイルがイランに輸送されたのはゴールバニファルを通してである。続いて19基のホークSAMミサイルもである。その見返りとしてレバノンでテロリストによって捕縛されていた米国人人質が解放された。これがイラン・コントラ事件の中心をなす『武器と人質の交換』取引であった。イランに行った武器は、米国の武器庫から、あるいはイスラエルの巨大兵器産業から、直接にやってきた。これにはイスラエル政府のトップの高官も関わっていた。

レディーンは、単にイランに対する「調査計画」に関わっただけだ、と主張し続けた。これは「たまたま偶然」に「行動計画」に変更された、というわけである。しかしながらこの時期の間中、CIAの計画補佐官テオドール・シャックリィ(Theodor Shackley)とともにEATSCO【訳注:the Egyptian American Transport and Services Corporation】という企業を利用して、彼は関与し続けたのである。なおこのシャックリィはイラン・コントラ人脈のもう一人の中心人物なのだ。

イタリアのプロパガンダ2(P2)ロッジ:

大西洋両岸からの数え切れないほどの情報源によると、CSISでキッシンジャー(Kissinger)とアレクサンダー・ヘイグ(Alexander Haig)の下で働きながら、レディーンはプロパガンダ・デュウ(P2、Propaganda Due)ロッジのメンバーになっていた。そこは1981年5月20日に白日の下に曝されることとなった。この暴露が起こったのは、メフメット・アリ・アグカ(Mehmet Ali Agca)による教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件のちょうど7日後のことである。この事件にP2ロッジが関与していたと考えられたのである。P2が明るみに出されたことによって、47名のイタリア陸軍の将軍と6名の海軍指揮官が辞任せざるを得なかった。同時にブリュッセルのNATO本部で働く海軍の高官ブルーノ・ジ・ファビオ(Bruno di Fabio)が名指しされたのだが、彼のデスクを通してあらゆるNATO加盟国の秘密諜報機関の報告が受け渡されていたのである。この秘密組織のメンバーであることが明らかにされた他の著名なイタリア人たちは、軍の最高スタッフ、ジォバンニ・トリッシ(Giovanni Torriss)、秘密諜報機関の協力団体の責任者ワルター・ペロッシ(Walter Pelosi)、軍諜報機関(SISMI)の責任者ジゥセッペ・サントヴィト(Giuseppe Santovito)、文民諜報機関(SISDE)の責任者ジゥリアーノ・グラッシーニ(Giuliano Grassini)であった。彼らは地位を失い、また彼らがレディーンの親密な付き合いの中に含まれていたことが明らかにされた。P2ロッジのグランド・マスターであるリチオ・ジェッリ自身について言えば、彼は完璧な「シナーキスト」であり、レディーンなら「普遍的ファシスト(universal Fascist)」と呼んだかも知れないが、ナチSSの連絡将校であり、少なくとも1956年まではソヴィエトのエージェントでもあった。

「神殿の丘」謀略

レディーンと彼の妻バーバラは、イスラム教徒にとって第3の聖地であるエルサレムのアル・ハラーム・アル・シャリフ(アラビア語で「神殿の丘”Temple Mount”」)の上に、ソロモン第3神殿を再建する『ハルマゲドン・プロジェクト』に参加し続けている。聖なる岩のドームの上にあるアル・アクサ・モスクの破壊計画は、中東での止めることが不可能な戦争を勃発させるかもしれない。バーバラ・レディーンは最近まで「聖書考古学誌(Biblical Archeology Review)の編集幹部を務めていた。この雑誌は、英国フリメーソンリーのthe Quatuor Cornati (“Four Crowns”)とともに、その第3神殿が置かれるべき場所を決定する中心的な役割を果している。

【以上、訳出、終了】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●この論文のイラン・コントラ事件に関する部分に出てくるイラン人マヌチャル・ゴールバニファルやフリーメーソンP2ロッジに関しては、最初にご紹介した私の阿修羅投稿にも書かれている。さらにP2はオプス・デイとも深く関わると言われ(というかオプス・デイがP2の宗教部門といっても良いほどの関係)、当然だがバチカンの中枢とつながる。SISMIだけではなくCIA、モサド、MI6とも強く連結されているのは言うまでも無い。

(参照)

http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/1006.html

「使命」を終えたヨハネ・パウロ2世;『バチカン=オプス・デイ=CIA』軸への考察

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/444.html

超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ

そしてその人脈の中にユダヤ・ファシストの直系マイケル・レディーンが顔を見せる。

さてさて、イタリア半島には余程とんでもない妖怪が住み付いているようだ。前回「(3)『負け馬に賭けた』?」で、私は、ムッソリーニは『負け馬の皮』ではなかったのか、と申し上げた。脱いだ『皮』は投げ捨てて野良犬どもが食いちぎるに任せれば良い。『本体』はとうに先のほうを走っているのである。レディーンがファシズムを称揚してムッソリーニをけなしたのは、『本体』に属する者として当然のことだろう。ちょうどレオ・シュトラウスがヒトラーのナチズムをけなしてネオコン主義の元祖となったように、である。彼らも先を行く『本体』に属する者たちに違いあるまい。

ヒトラーも東条もしょせんは『本体』に投げ捨てられた『負け馬の皮』だが、それを未だに唸り声を上げながら噛み付き食いちぎるのに余念の無い人たちや、逆に後生大事に守ろうとする人たちが跡を絶たないようだ。どっちもご苦労さんなことで!

●ところでユダヤ・ファシストの元祖ウラジミール(ゼエヴ)・ジャボチンスキーはこの「妖怪の郷」イタリア半島で一体何に出会ったのか。

マイケル・レディーンの師匠の一人ジョージ・モッセは、『ファシズムが、アンチ・セミティズムによる「悪用」であったのだが、科学的に研究されるべきである』と彼に教えたようだが、要は「アンチ・セミティズムでなければ良い」というわけだ。このモッセの論調がジャボチンスキーの運動から直結していることは火を見るより明らかだろうし、その論法はレオ・シュトラウスの屁理屈と極めて類似している。

また、現在の欧州で「ホロコースト」を使って「アンチ・セミティスト」レッテル貼りキャンペーンを展開するシオニストどもが現代のイタリア・ネオファシストと肝胆相照らす仲であるのも、この観点からすれば当然と言える。

またもう一人の師匠レンツォ・デ・フェリーチェは第2次大戦後にイタリア共産党に属していたようだが(後に脱退)、彼がP2とどんな関係を持っていたのかは不明だ。しかし彼の視点は明らかに『本体』のものだろう。彼はファシズムの根源を啓蒙主義(Enlightenment:「(理性の?)光を当てること」の意味で、イルミナティIlluminatiを連想させる)以来の中産階級(ブルジョアジー)のイデオロギーであると見なし、中産階級の独自のパワーを発揮させる断固たる運動である、と考えていたようだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Renzo_De_Felice

Renzo De Felice

ひょっとすると同様の主張はフェリーチェよりもはるか以前から存在しており、ゼエヴ・ジャボチンスキーが惚れ込んだのもそのようなものではなかったのだろうか。これは憶測に過ぎないのだが、現在の欧米のネオファシストども――間違いなくシオニストやネオコンと同根(ラルーシュ流に言えば全部併せて「シナーキスト」となるか)――がたくらんでいる彼らなりの「革命(=ワンワールド・オーダーの実現)」について考えるときに、非常に示唆的である。ジャボチンスキーがその根っ子の一つになっていることが明らかだからである。

●次回は再びこのユダヤ・ファシズムが現在の世界でどのように姿を現しているのか、について、いくつかの異なった視点を持つ文章を通して、このジャボチンスキー以来の系譜を見つめなおしてみたい。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(3)『負け馬に賭けた』?

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/393.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 26 日 07:26:11: SO0fHq1bYvRzo

これは次の阿修羅投稿に続くものです。

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(2)ゾンビどもの跳梁

****************************************

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(3)『負け馬に賭けた』?

●アブラハム以来(?)のユダヤ歴史年表がイスラエルのサイトJewishhistory.orgで作られて公表されている。

http://www.jewishhistory.org.il/

The History of Jewish Pweple

この中からウラジミール(ゼエブ)・ジャボチンスキーの略歴を取り上げてみよう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www.jewishhistory.org.il/1880.htm#Jabotinsky

1880(10月5日)-1939【訳注:これは1940の誤植と思われる】

ウラジミール・ジャボチンスキー(オデッサ-エレツ・イスラエル)

新シオニスト機構(the New Zionist Organization:1935)、ハガナー(the Haganah、1920)、ユダヤ人部隊(the Jewish legion:1917)、Brit Trumpeldor、ベタール(Betar:1917)、修正主義者党(the Revisionist Party)、イルグン(the Irgun:1937)の創始者。世界シオニスト機構に参加する前には、ジャボチンスキーはトルストイとプーシキンによってロシアの最も有能な作家と見なされた。彼はじきに優れた政治家、言語学者(7ヶ国語を書きポーとダンテをヘブライ語に翻訳)そして優秀な語り手として認識されるようになった。1935年に彼は、生ぬるい敗北主義の政策であると非難して世界シオニスト機構と別れた。彼は90%の移民と10%の政治家からなるイスラエル建設を信じ、同時に唯一の国語としてヘブライ語を使用させる政策を信じた(エスタブリッシュメントたちは彼を非現実的だと見なした)。1930年代には欧州に空軍と海軍の学校を作り、一方で同時に東欧からの完全な避難を呼びかけた。彼の書いた何百ものパンフレットの最後の一つは「11番目の時(The Eleventh Hour )」(1939)と名付けられ、それは60万人のポーランド・ユダヤ人の即時移住を求めていた。彼は誇大な警告者という烙印を推された。彼はニューヨークのハンターにあるベタールの支部を訪問している最中に心臓病で死亡した。

【引用、翻訳、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

さすがにイスラエルで作られている年表だけあって、ムッソリーニのムの字も出てこない。そしてジャボチンスキーを「少々行き過ぎの面はあるが紛れも無い愛国者で欧州のユダヤ人の悲劇を予測して強く警告した人」というイメージで紹介している。「隠蔽と虚構」という大衆支配の原則に忠実に作られているようだ。またハガナーやイルグンなどの「創始者」と書かれているがこれは不正確で、「創設に関与した」という意味だろう。

なお、ハガナー(Haganah:「防衛隊」の意味)は、1909年に創設されたHaShomer(「自警団」の意味)がその前身で、1920年のアラブ人との戦いの時期からHaganahと改名され軍事組織として確立した。そして1948年のイスラエル建国の際に、イスラエル国防軍に変えられた。出身者の中にはイツァーク・ラビン元首相、アルエル・シャロン現首相、モシェ・ダヤン元国防相などがいる。

イルグン(Irgun:「民族軍事機構」)は1937年にハガナーから分離した過激組織で1948年にイスラエル国防軍に吸収される。創設者はAvraham Tehomi。英国はこれをテロリスト組織と見なした。1946年にはエルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆弾テロを起こし、1948年のデイル・ヤシン村での大虐殺の中心となる。メナチェム・ベギン、イツァーク・シャミール両元首相、モシェ・アレンス元国防相が代表的なメンバーである。

ベタール(Betar)は修正シオニスト青年運動で、上のイスラエル製の年表では1917年となっているがWikipediaでは1923年にラトヴィアのリガで、ゼエブ(ウラジミール)・ジャボチンスキーによって創設された、となっている。最初は過激な政治運動だったがやがてムッソリーニの協力で正式な軍事訓練を受けることになる。イルグンのベギン、シャミール、アレンスも所属していた。この組織は現在でも存在し、リクード党を支える様々な活動を行っている。

それにしても「心臓病で死亡」というのはどうも引っかかる。後にバチカンで、オプス・デイに都合の悪い教皇とバチカン幹部がやはり「心臓病」で急死している。ジャボチンスキーの60才の死は、1930年代に「東欧からの完全な避難」を、「(1939年に)60万人のポーランド・ユダヤ人の即時移住」を求めた後のことだった。何か臭うが今はそれには触れないでおこう。

●次に挙げるのは、ユダヤ人のシオニズム研究家レンニ・ブレンナーの作品である。これはインターネットではデンマークにある次のサイトに納められているもので、

REDS – Die Roten

http://www.marxists.de/index.htm

このHPの最初に次のような挨拶文が書かれている。

『マルクス主義者と社会思想に興味を持つすべての人々を歓迎します』

ここでの“Israel & Palestine”という項目の中に

http://www.marxists.de/middleast/isrpalndx.htm

ブレンナーの2つの長大で精緻な研究成果が記録されている。

一つは“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”

http://www.marxists.de/middleast/brenner/index.htm

そして“The Iron Wall”

http://www.marxists.de/middleast/ironwall/

である。

2つとも膨大な量であり、とても全部をご紹介するわけにはいかない。重要な箇所は数え切れないほどあるのだが、ここでは“The Iron Wall”の中に納められる“8. The Years of Fascism and Terror”

http://www.marxists.de/middleast/ironwall/08-fascter.htm

および“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”にある“10. Zionist-Revisionism and Italian Fascism”

http://www.marxists.de/middleast/brenner/ch10.htm

そのごく一部だけを日本語訳してご紹介したい。ほんの短い紹介なのだが、日本でほとんど知る人のいない「ユダヤ・ファシズム」の問題について、一人でも多くの人が関心を持つきっかけになれば幸いである。

(本文にある出典を示す注釈は割愛するので、興味のある人は本文を参照していただきたい。また以下の訳文中で「・・・・・」と《 》で挟まれた箇所は、著者による他の文章からの引用である。Revisionismという用語に関しては、あまり良い訳とは思わないが、とりあえず最も一般的である「修正主義」と訳しておく。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

“The Iron Wall”より“8. The Years of Fascism and Terror”

【翻訳開始、前略】

ファシスト・イタリアへの一層の接近

1930年代半ばには、システムとしてのファシズムに対する小さな異論を言い続けてはいたが、ジャボチンスキーは次第にイタリアの方に向かっていった。1934年9月にムッソリーニはチビタベッキア【Civitavecchia、訳注:ローマに近い港町】のscuola marittima(海軍学校)にベタールの部隊を作り上げた。そこで134名の研修生たちが有名な黒シャツ隊によって訓練を受け、1936年にイル・ドゥーチェ【訳注:ムッソリーニのこと】自身が彼のシオニストの言葉を論評した。イタリアに学校を作ったことによって、世界は修正主義(Revisionism)に対してファシストというイメージを固めただけだったのだが、傲慢なジャボチンスキーはほとんど気に留めなかった。彼はムッソリーニ政権との交渉を引き受けるイタリア人の支持者の一人に手紙で次のように書いた。我々はどこにでも学校を作ることができたかもしれないがしかし「我々は・・・ イタリアにそれを作り上げることを望んだのだ」と。1935年の4月までには、ジャボチンスキーはムッソリーニの弁護人ともいえるようなものになっていた。そして米国訪問中に、彼はシオニスト英字新聞the Jewish Daily Bulletinに『ユダヤ人とファシズム――いくつかの所見――そして一つの注意』という記事を書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《ファシズムの他の点についてほとんどの人が何一つ考慮しないにしても、ファシスト思想のイタリア版が、少なくとも人種的平等性のイデオロギーであることは疑う余地が無い。これを大したことでもないというふりをするほどに卑屈にならないでおこう。人種的平等性とはあまりにも些細な考えであって市民的自由の欠如とはつりあいが取れない、などと。これは正しくない。私は出版の自由が無ければ息が詰まってしまうジャーナリストなのだ。しかし私は、市民的権利の尺度の中で、たとえ出版の自由であっても、すべての人間の平等より優先すると言うことは単に冒涜的なだけである、と断言する。平等が最初だ。常に最初だ。絶対に最初だ。そしてユダヤ人はそれを覚えておくべきである。そして、この原則を維持する政権がある状況で部分的に共食いをする動物のようになっても、十分にその欠陥を償うのだということを心にとどめるべきだ。それは批判されるかもしれないが排除されるべきではない。他にも十分に多く呪いのための言葉がある。ナチズム、ヒトラー主義、警察国家など。しかし「ファシスモ(“fascismo”)」という言葉はイタリアが使用権を持つ用語であり、そしてそれゆえに、Billingsgate【訳注:ロンドンの下町にある地区で、そこで話される下品な言葉、という意味で使われている】の練習ではなく、正しい種類の討論のためだけにとっておかれるべきものである。特にそれが非常に有害な姿を表すかもしれないときには。その用語の【訳注:ファシスモの】政府は非常に強力な要素であり、イタリアが持つユダヤへの共感は、たとえば国際連盟の委員会で、多くの攻撃をかわすことになるかもしれない。偶然だが、パレスチナ問題を監督する議会の統治委員会議長はイタリア人である。つまり――私は孤児たち(年齢とは無関係だが)【訳注:ここではユダヤ人を指すと思われる】が警戒の呼びかけに従うことを期待しないのだ――責任ある指導者たちは注目すべきである。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ファシスモ」への弁明は必然的に、イタリアのエチオピアに対する侵略によって相当に印象付けられる。英国はいまや地中海での最強の権力とは言い難く、1936年までに彼は新たな支配地域のために活動する時だと言い含められるようになった。喜んでアラブ人に対する最も厳しい方法を使用する意思を持って、である。「必然的に」と彼は友人に書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《the Ersatz【訳注:本来は「代用品」などの意味だが、ここでは英国の代わりにシオニズムの保護者となる国を指すものと思われる】はイタリアでも良いし、あるいは他のよりアンチ・セミティズムが少なくユダヤ人の移民に興味を示す国々の共同管理地でも、ジュネーブ【訳注:国際連盟】の直接の委任統治領でも、私が後で述べる第4の選択肢でも良い。6月10日-7月15日の以前に私は他の候補の第一を打ち出した。結論を言うと、まだ機は全く熟していないのだ。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘルツル(Herzl)の同僚であったジャコブ・デ・ハアス(Jacob de Haas)は1930年代の半ばに修正主義に転向していた。そしてこの老シオニスト戦士は1935年にウイーンにあった新シオニスト機構(NZO)の設立会議に出席していた。彼は米国に戻るとすぐに、シカゴのJewish Chronicleに彼が持っていた毎週のコラムにそのまとめを次のように書いた。『代表者たちはファシストではなかったが、民主主義への忠誠を失っていた彼らはアンチ・ファシストではなかった。しかしながら彼らは極めて反共産主義的であった。』この老人は米国で書いていたのだが、自分自身をファシストとは見なさなかった。ファシストと言う言葉は米国では珍妙であったのかもしれない。そこで彼は自分の同僚を単に反民主主義であると考えるようにした。しかしNZOの資金担当者であり東欧での彼らの外交担当者だったウォルフガング・フォン・ワイスル(Wolfgang von Weisl)が、「修正主義者たちの中には様々な意見があったが、一般的には彼らはファシズムに親近感を覚えていた」とブカレストの外交文書で語ったとき、彼は間違いなくずっと正確であった。彼は質問者に対して「彼【訳注:ジャボチンスキー】は個人的にはファシズムの支持者であり、アビシニアでのファシスト・イタリアの勝利を白人種の黒人に対する勝利として喜んだ」と断言した。このような意見はローマで多くの人気を得ており、後にローマのチーフ・ラビとなるダヴィッド・プラト(David Prato)に次のように語ったのはムッソリーニ自身である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《シオニズムが成功するためにはあなた方はユダヤの旗とユダヤの言語を持つユダヤ人国家を持たなければならない。このことを本当に理解する人物はあなた方のファシスト、ジャボチンスキーである。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このようなことが、1936年のアラブ人反乱に直面した運動だったのだ。

【中略】

1938年のベタール会議

メナチェム・ウォルフォヴィッチ・ベギン(Menachem Wolfovitch Begin)は1930年代の修正主義の若き唱導者であった。そして、膨らみつつあったナチの脅威に直面して次第にベタール軍事組織の熱狂的な精神を高めて表現していったのは彼である。彼らの自暴自棄の激情はパレスチナの即座の征服を叫ぶ形をとった。1938年9月11日のワルシャワでのベタール世界会議で、この若い過激主義者は彼らの誓いを修正するために登場した。アルロソロフ(Arlosoroff)暗殺の後、ジャボチンスキーは一つの言葉をその中に挿入していた。『私は防衛のためにのみ私の腕を挙げる』しかしそのときにベギンはそれを次のように修正するように主張した。『私は我が民族を防衛し我が祖国を勝ち取ることのために私の腕を挙げる』ジャボチンスキーは英国を倒すどんな小さなチャンスも無い事を知っていた。1940年にはまだ、パレスチナへの侵攻という包括的な思考は彼の心の中では半信半疑のものであった。(おそらく彼の関心を引いたのは今この場面で武器を手に入れて訓練を行うチャンスだということであったろう。)彼はベギンを責めた。それは悪評を立てるだけだ、と彼は言った。しかしベギンの演説は彼の心に「ドアのちょうつがい無益なきしみ」以上の印象を与えなかった。彼にとっては「軍事シオニズム」はワイツマンの実践的シオニズムの対極であった。彼は聖書の第一行目を自分の手で書きなおした。『最初に神が創造した――政治家たちを』と。『ベギンさん、もしあなたが世界に良心が残っていると信じないのなら、あなたにはVistula川【訳注:ポーランドの中央部を流れる川】の深みに行く以外の選択は無い。』あるいは共産主義者になるか、である。

【後略】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

“Zionism in the Age of the Dictators(1—26)”より“10. Zionist-Revisionism and Italian Fascism”

【前略】

修正主義者たちはファシストとの関係を合理化する

ムッソリーニに対する傾倒は完全な破局に終わった。アラブ人、英国人、そしてユダヤ人の反対者に対して盲目的にハンマーを振るいながら、修正主義者たちは次に何がやってくるのかを見ようとしなかった唯一の者たちであった。エミール・シェキブ・アルスラン【Emir Shekib Arslan、訳注:親ソヴィエト的な汎イスラム主義運動の指導者】からムフティ【the Mufti、訳注:一般的にはイスラムの律法学士だがここではパレスチナのイスラム指導者を指す。】に宛てられた手紙の写真が、親イタリア・プロパガンダの広がりに関するものだったが、1935年にパレスチナの新聞に現れていたし、1936年までにはラジオ・バリがアラブ人たちに反英放送を鳴り響かせていた。その時期までに修正主義者たちはムッソリーニを弁護することに慣れていたので、彼らは彼がthe Muftiやパレスチナ人の運動に協力していたことを認めようとすらしなかった。1938年【訳注:この年の11月にイタリアはドイツに倣って「反ユダヤ法」を作った】になっても、米国の修正主義を代表する幹部のウイリアム・ジフ(William Ziff)が、その著作『パレスチナのレイプ(The Rape of Palestine)』で、イタリアがムフティと共謀していることを軽視しようと努めたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《反英国謀略と同時に反ユダヤを示唆する麗々しく選ばれた言葉で、英国外務省はイタリアにすべての非難を集中させた。自由主義の新聞全体が水の上に巧妙に撒かれたエサに惹かれる魚のように誘いにのった。狩りの後で熱くなった猟犬の群れのように、マルクス主義者の新聞は攻撃的に叫び声を上げた。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

修正主義者たちが明らかに負け馬に賭けてきたという事実をよそに彼は続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《もしも厳格な現実主義者であるムッソリーニが、ユダヤ人たちを英国の影響から引き離すことができていたのなら、彼はそれをおいしい商売と見なしただろうということは疑う余地が無い。彼が友好的な関係であった強力な独立シオンは完璧に彼にふさわしいものであったろう。ユダヤ人たち自身が英国贔屓でがんじがらめになってこの見込みを断ち切ったのである。そしてムッソリーニはシオニズムを、英国政治の他の新設分野と地中海での経済的拡大を単に包み隠すだけのものであると見るようになっていた。このようにしてそれは、ムッソリーニの心の中に反イタリア勢力として立ち現れているのだ。にもかかわらず、イタリアの介入がパレスチナにおける最近のアラブ人反乱の要因であることを証明するための証拠はひとかけらも提示されていないのだ。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結局のところ、ムッソリーニにヒトラーを援助するように説得したのはパレスチナではなくスペインであった。ムッソリーニは、自分とヒトラーが今やどこであろうと革命を排除するためにまとまらなければならない、そして彼が帝国の拡張を期待できるのはドイツとの協力関係を通してだけである、ということを理解した。しかし彼はまた、ヒトラーと同盟を結びながら自分の党の中にユダヤ人を抱えることが不可能であることも知っていた。したがって彼はラテン化されたアーリア主義(a Latinised Aryanism)を調合した。党と経済からユダヤ人を追放し、戦争に向かって加速をつけた。修正主義者たちは正当な理由のゆえに誤ったと宣言した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《長年にわたって我々はユダヤ人たちにイタリアのファシズム政権を攻撃しないように説得してきた。イタリアにおける最近の反ユダヤ法について他の者たちを非難する前に、我々は率直になろう。まず起こったことに責任ある我々自身の過激なグループを咎めることにしようではないか。》

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ムッソリーニのヒトラーへの急接近に伴って、修正主義者自身のファシズムはユダヤ人世界の中で信頼不可能となった。そしてジャボチンスキーが1940年8月にニューヨークで死亡したときに、彼らは大あわてでRosh Betarの看板を下ろした。それはファシズムの臭いを漂わせていたのである。彼らは自分自身がファシストであったことを認めようとしなくなる。単にジャボチンスキーの靴を誰も履くことができなくなっただけだが。最近の修正主義の年代記編者は必然的にAchimeirのような彼ら内部のファシストの役割について避けようとする、あるいは過小評価しようとする傾向がある。チビタベッキア【訳注:1934年からベタールの部隊が黒シャツ隊によって訓練を受けた場所】は通常「イスラエル海軍がここで訓練を受けた」と申し訳程度の記述で済まされてしまうのだ。

【引用、訳出、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●もちろん上の訳出部分はレンニ・ブレンナーの膨大で精緻を極めた研究の中でほんのかすった程度の部分に過ぎない。忘れてならないことは、ムッソリーニと手を結んでいたのが決してジャボチンスキー率いる「修正主義者(レヴィジョニスト)」だけではなかったという事実なのだ。(もちろんブレンナーも他の研究でこれに触れている。)シオニズム創始者のチャイム・ワイツマンや主流派幹部のナウム・ソコロウなどは、もちろん自らを「ファシスト」とは見なさなかったが、ジャボチンスキーの以前に積極的にファシスト党に接近していたのである。イタリア在住のシオニストたちも1938年まではファシスト党と蜜月の関係にあったのだ。

確かに現在のシオニストたちはジャボチンスキーのことを詳しく語りたがらないようだ。またファシスト直系に近い現イタリア・ベルルスコーニ政権と彼らとの極めて親密な仲、およびベルルスコーニとADLフォックスマンの肝胆会い照らす友情の一方で、彼らは双方してシオニズムとファッショ・イタリアとの関係を覆い隠すのに必死の様子である。ジャボチンスキーを洗い始めると、「修正主義者」だけでは済まなくなり、その他の関係までボロボロと姿を表してくるからかもしれない。

そしてここに一つの重大な疑問が残る。先ほどのブレンナーの研究によると、1938年にムッソリーニが「反ユダヤ法」を制定した後で、特に1940年のジャボチンスキーの死後、「修正主義者」たちの評判と権威は地に落ちた・・・・かのように見える。しかし彼の後継者たちによる本当の意味の「ファシストらしさ」が発揮されるのは実はこの後なのだ。これはどういうことなのか? 彼らは本当にブレンナーの言うように『負け馬に賭けた』のだろうか?

このシリーズの第1回目でも触れたことだが、ヒトラーとムッソリーニの仲を取り持ったスペインのフランコが数万人にのぼるユダヤ人たちをスペイン経由で逃がし、「修正主義者」たちの望みどおり、英国の意向を無視して直接パレスチナに送り込むことすら行っていたようである。(送り込んだ、ということは「すでに合意され双方で確認された受け入れ態勢ができていた」という意味なのだ。)これは「公式な歴史」の中では決して触れられない。表向きは1938年の「反ユダヤ法」でつながりが切れたことになっているファシスト陣営とシオニストとの間に、実際には何があったのか?

そしてあれほどナチズムとファシズムが非難され排除された(はずの)大戦後にも、ベタールが失われることはなかった。またハガナーから袂を分かった(とされる)イルグンを率いたメナチェム・ベギンやイツァーク・シャミールなどのジャボチンスキーの後輩たち(彼らはチビタベッキアで黒シャツ隊から直接の訓練を受けていた!)は、ユダヤ人の移住をコントロールしようとする英国に対してテロ攻撃を仕掛け続け、なおかつ決してつぶされるようなことはなく、むしろ勢力は拡大した。さらにその政治部隊はヘルート党を経てリクード党に続き1977年にはついにベギンが首相となる。その間イスラエルはジャボチンスキーの「鉄の壁」ドクトリンを実行し続けていたのである。

私はこういった「修正主義者」の活動が、強大なパトロン無しに、彼らの思想と意思と情熱だけで達成されると信じるほどお人好しではない。「修正主義」の流れが英国に潰されずむしろ強大になっていったのは、ダブルスタンダードの英国が一方の手で彼らを支えていたか、英国も黙るほどの巨大なパトロンが控えていたか、あるいはそのすべてが茶番劇であり各関係者同士の「了解事項」として進められていたか、の、いずれか以外には考えようが無いのではないか。

確かにムッソリーニ個人は『負け馬』に違いない。いや、もっと正確に言えば『負け馬の皮』ではなかったのか。脱ぎ捨てられ放り投げられた『皮』は間違いなく『負け馬』であろう。しかしその本体は? イスラエルの一方でイタリアでもファシズムが消えることは決して無く、バチカン(オプス・デイ)や英米諜報部と密接につながりながら、公開されない部分で実力は十分に維持され拡張すらされてきている。シオニズムとイタリア・ファシズムとの関係は、本当のところ一体何だったのか?

●この第2次大戦前のシオニストとムッソリーニとの関係については、ジャボチンスキー自身からちょっと離れて他の方面からも眺めてみなければならない。しかしその前に、今現在、西アジアと欧州から米国にまたがって、茶番劇の舞台裏で世界を操るユダヤ・ファシストの影を追ってみたい。

【追補】

もう一人の『負け馬』であるヒトラーに、ロックフェラー、ブッシュ爺、ハリマン、フォードなどを含む米英資本のパトロンがちゃんと控えていたことは周知の事実であろう。どうやらシオニストもヒトラーと「浅からぬお付き合い」をしていたようだ。しかし彼もまた『皮』に過ぎなかったであろう。本体であるドイツ大資本およびそれにつながる米英大資本は、びくともしないばかりかますます繁栄を極めている。さらに「バチカン・ラットライン」からも明らかなように諜報組織にもツーカーの連絡網があった。このドイツの極悪人は、生きて利用する価値が無くなったときに捨てられて、その後にはそれぞれの立場で都合の良いようにその悪名を利用される「偉大な役」を、そのパトロンからおおせつかったとみえる。

ヒトラーを「悪の権化」に祭り上げておいて人々の怒りと警戒をそこに集中させ、その陰で好き放題に悪事をはたらく一枚上手の悪党どもが多いようである。コイツらは必ず「ホロコースト」を持ち出す。ネオコンの教祖レオ・シュトラウスとブッシュの一党はもちろん、このシリーズの(2)に登場するイタリア・ネオ・ファシストとイスラエルの直系ユダヤ・ファシストなど、格好の例だろう。(ベルルスコーニやフィニがヒトラーへの悪口を上手に利用していることは有名。)当然だが、コイツらはヒトラーのパトロンやってた連中と直接・間接の豊富なつながりを持っている。

ところで『勝ち馬』の一人となったスターリンはどうだろうか。スターリンとシオニズムの関係は、いろんな資料はあるのだが、本当のところを探るのには少々面倒なようだ。これは後年の課題としておこう。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(2)ゾンビどもの跳梁

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/389.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 20 日 09:10:47: SO0fHq1bYvRzo

これは下の阿修羅投稿に続くものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

****************************************

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(2)ゾンビどもの跳梁

●どのような悪も悲劇も、それが「過去のこと」で終わっているのなら、悪党どもが死んでそれで終わっているのなら、あとは正確に研究して記録し、将来のための教訓とするべきものであろう。

しかしもしその悪党どもがゾンビのように生き続け、正体を誤魔化して過去にも増して活発に悪事を働き続けているにもかかわらず・・・・、「教訓とすべき過去」を語る、などとというのであれば・・・・、ましてそれを語る者たちが紛れも無いそのゾンビども自身とその手先であるとするならば・・・・、その悪と悲劇は3倍にも5倍にもなって将来に降りかかることになる。

●次の資料はJewschoolというサイトの中の1ページである。標題のLikudnik Fascholesはおそらく「ファシストのリクード党」という意味であろう。またモビウス(Mobius)という筆名の著者はどうやらユダヤ系の「オーソドックス・アナーキスト」を自称しているようだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www.jewschool.com/2003/11/likudnik-fascholes.php

ファシストのリクード党

投稿Mobius 2003年11月24日

第2次大戦中のイタリアの独裁者であったベニト・ムッソリーニの孫娘が、世界中がイスラエルからの「許しを請わねばならない」、と言った。

ワーォ。

イタリアのネオ・ファシストである国民同盟党のメンバーであるアレッサンドリア・ムッソリーニは、ジアンフランコ・フィニ【訳注:イタリアの副首相兼外相】といっしょにイスラエルを巡回しているのだが、フィニはまた今週「自分の国のファシスト的過去を非難しそして人種主義やアンチ・セミティズムと闘うために学ぶべき教訓を語った」そうだ。

これは非常に奇妙な弁解であり、ある歴史的な疑問をもちあげるものである。たとえば、ファシスト・イタリアの中でユダヤ人たちがいかにひどい目に遭ったのか、そしてそのような言い訳が正当化されるようなものなのか。ある資料(The Jewish Pressからの引用)によると、

『イタリアのユダヤ人たちは、欧州の中で最も高度にその国に融合していたのだが、実際に他の国々の同胞たちに比べるとはるかに多く生き延びている。しかし、およそ1939年に35000名いた中の8000名のユダヤ人が収容所から戻ることは無かった。イタリア人たちが全体としては人種主義に嫌悪を覚えていた一方で、ムッソリーニはヒトラーと合意したとおりに1938年に人種主義法案を押し通すことに成功した。そしてイタリア軍はしばしばユダヤ人たちに対して人間的な態度をとったのだが、フローレンスやその他どこでもファシスト指導部はその殺人的な残酷さで悪名高かった。』

さてさて、こういうことだ。イル・ドゥーチェの殺人鬼ども、である。

しかしそれでも、他の問題が残っている。ウラジミール・ジャボチンスキーと彼の修正主義党は? しばしば「ユダヤのヒトラー」と呼ばれるジャボチンスキーは、ファシストであることとムッソリーニの友人であることを誇りにしていた。今日のリクード党が、アリエル・シャロンがメンバーの一人なのだが、実際にジャボチンスキーの修正主義党のなれの果てであることは注目されるべきことだ。修正主義党と全く同じように、リクードは、軍国主義的、拡張主義的、人種主義的な政治姿勢を提唱している。もしリクードがファシスト政党の流れにあるものならば、そのイタリア・ネオファシストたちとの関係は、ブッシュ政権との関係でもそうであるように、驚くようなことではあるまい。確かに驚くようなことではないが、しかし、どうあっても警戒すべきものである。

【引用、翻訳、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

私に言わせるならば、著者の目はまだ甘い。現在のシオニストたち自身が、シオニズムにとって「イタリアではユダヤ人に対する抑圧がシオニズム発展のために必要なことであった」と事実上認めているのだ。

(参照:阿修羅投稿)

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/671.html

ベルルスコーニを罵倒する:(3)シオニズム=イスラエルとのクサ~イ関係

イタリアでの『35000名いた中の8000名のユダヤ人が収容所から戻ることは無かった』状態を本当に望んだのは、ヒトラーなのか、それともシオニストなのか。

●次に、アルゼンチン労働党のネット週刊新聞プレンサ・オブレロ(労働新聞)からの引用で、標題は『嘆きの壁の中にいるムッソリーニ』、著者はパレスチナ社会主義労働者同盟のイツァーク・ベツァレル、日付は2003年12月4日である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

Prensa Obrera

Semanario del Partido Obrero

http://www.po.org.ar/po/po828/mussolin.htm

嘆きの壁の中にいるムッソリーニ

Ytzhak Betzalel

Liga de Trabajadores Socialistas (Palestina)

国民同盟党の党首で、イタリアのポスト・ファシストの副首相であるジアンカルロ・フィニ【訳注:本当は「ジアンフランコ」なのだが、英語圏でしばしば「ジアンカルロ」と誤って書かれるようだ】は11月の終りごろにイスラエルを訪問した。首相シャロンの与党であるリクードの指導メンバーの一人ユヴァル・ステイニッツは、クネセット(議会)の外交・防衛委員会の委員長なのだが、フィニのことを「イスラエルとユダヤ民族の友人」(Haaretz, 26/11)であると宣言した。

ホロコーストとナチズム、および北イタリアにあったヒトラーの傀儡国家であるサロ共和国を「我が民族の歴史上の汚点である」と「非難した」一方で、フィニは、単にムッソリーニの政策の後継者である自らの責任ばかりでなく、ファシズムの社会的基盤、すなわち、民衆の政治的・社会的なあらゆる抵抗を抑圧するための、ブルジョア帝国主義の過激な政治論をも覆い隠したのである。挙句の果てには、フィニは大資本の代表として、自分の政党ではなくイタリア「国民」に、ファシズムの責任を負わせたのである。

しかしながら、フィニがエルサレムのヤッド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)と嘆きの壁を訪問した理由は、第2次世界大戦中の何百万人もの虐殺されたユダヤ人(約1万人のイタリアのユダヤ人を含む)におけるイタリア・ファシズムの責任に関して悔い改めることではなく、パレスチナ人の闘いを押し潰すシャロンの政策を援助するためである。リクードの一部の政治家はそれについて『ここでの批判者の一部よりももっとシオニスト的である』と判定する。彼が「アパルトヘイトの壁」の建設を援助する数少ないヨーロッパ人の一人に違いないからである。駐イタリアのイスラエル大使エフッド・ゴルはフィニを『ヨーロッパで極めて重要性を持つ男であり、正義はイスラエルの側にあると考える男である』 (Haaretz, 26/11)と形容するのだ。

フィニは、イスラエルを中東で唯一の民主国家と持ち上げるのだが、民主主義と民主化の名をかたるファシストのやり口を表している。フィニはヤッド・ヴァシェムを訪れたときに「ショックを受け」て「恐怖を覚えた」のだが、しかし、シオニズムの本性をそのヤッド・ヴァシェム博物館で見つけられるはずがない。それはガザ、ラマラーや占領地のあらゆる通りで見つかるものなのだ。それはこのアパルトヘイト統治の中で、またイスラエル政府の資本家政治に対抗して戦うユダヤ人とパレスチナ人の労働者の持つスト権や他の権利を抑圧する意図の中に見つかるものなのだ。

結局のところ、シオニズムはホロコーストとファシズムに対する戦いを自分の手にしたことは無いのである。それはアンチ・セミティズムの協力者だったのだ。ゼエヴ・ジャボチンスキーはペティルラ(Petilura)と同盟を結ぶ交渉をしたのだが、この人物は897の異なるポグロムで28000人のユダヤ人を殺したポグロム指導者であるウクライナのファシストだった。ジャボチンスキーは、赤軍とロシア革命に対抗する反革命戦争でペティルラ軍勢と一緒に戦うためのユダヤ政治勢力を提案したのだ。

ムッソリーニはベタールの軍事組織を確立させたのだが、それはジャボチンスキーに率いられる修正シオニストの青年運動だった。彼らはそのファシスト連中に見習って黒いシャツを着ていた。メナチェム・ベギンがベタールの指導者になったときに、ヒトラー一味の茶色のシャツを好んだ。それがベギンとベタールのメンバーがすべての政治会議で使用したユニフォームであり、彼らはファシスト式の敬礼でその会議を賛美し開きそして閉会したのである。

1933年にはドイツのシオニスト支部がナチ党に援助の手紙を送った。その中でこの支部は次のように書いていた。『・・・・ドイツ人の生活に起こったような国民的生活の再生は・・・・同様にユダヤ民族グループの中にも起こらなければならない。』『新たな国家の基盤の上に、ナチはその民族の原理を確立させてきたのだが、我々は、我々の社会の構造全体、我々に割り当てられた領域の中に適用したいと熱望している。愛国心による実りのある活動は可能である・・・・』(L. Brenner, ‘Zionism in the Age of the Dictators’, Wesport. 1983:48)

「社会主義」シオニズムが何かよりましなことをやったわけではない。たとえば、ベン・グリオンは1938年に英国でのあるシオニスト労働党の会議で次のように指摘した。『もし私がドイツにいたすべての子供たちを英国に運んで救うことが可能であったと知っていたとしたら、そしてもしそのわずか半分だけがイスラエル(エレツ・イスラエル)に移送することが可能であったとしたならば、その場合には、別の選択肢を選んだであろう。(Brenner, idem:149)』 パレスチナを植民地化しアラブ人を追放するというこの妄想によって、シオニスト運動は、絶滅にさらされるユダヤ人を救出するあらゆる方法に反対したのだ。なぜなら、えり抜きの労働力をパレスチナに迂回させる可能性を妨害するかもしれなかったからだ。

1933年から35年までに、WZO(世界シオニスト組織)は、移住の許可書を請求したドイツのユダヤ人の3分の2を拒否したのである。

ヨーロッパにシオニストの政策に対する反対が盛り上がるときに、そしてパレスチナ人に対する同情が帝国主義戦争反対のデモの中や反グローバリゼーション運動の中に現れているときに、あのプロ・ファシストとシオニストの政治家たちは欧州のファシストどもの援助を必要としているのである。そして逆もまた真なのだ。

【引用、翻訳、終り】

*下は同記事の英語版へのリンク

http://www.po.org.ar/english/828art.htm

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「パレスチナ社会主義労働者同盟」に所属するというこの文章の筆者の視点は、シオニズムを本質的にはイスラエルの中の資本家階級による思想、と捉えているようだ。そして特にジャボチンスキーの流れを汲むリクード党は「労働者の敵」であると同時に「ナチスやアンチセミティズムに協力して同胞をヒトラーに売り渡したユダヤ民族の裏切り者」、「社会主義」シオニストたちにしてもそれに準ずる「多くのユダヤ人を見殺しにした裏切り者たち」である。現在においても都合が悪くなると欧州のネオ・ファシストと野合してアラブ人とユダヤ人労働者を抑圧する許しがたい暴君である、ということだろう。

筆者がシオニズムについて主に使用している情報はおそらく歴史家のレンニ・ブレンナーの研究によるものだろう。確かにブレンナーとその周辺の左翼の研究家たちが「シオニズムの裏切り」について最も豊富な研究を行っている。

●ただ、ここでちょっとジャボチンスキーから話がそれるのだが、この記事の著者イツァーク・ベツァレルだけではなく、ユダヤ人で左翼を自認する人たちのほとんどは「ホロコースト」が歴史的事実であったことを強固に信じている。その代表がブレンナーであり、『ホロコースト産業』の著者ノーマン・フィンケルシュタインであろう。

彼らのシオニストへの勇気ある挑戦と真摯な研究に対しては正直に敬服するが、ただその「ホロコースト」に対する姿勢が、彼らの中に致命的な欠陥を作りまた彼らにとってどうにもならない壁を作ってしまっているように思えてならない。(彼らほどの勇気と突っ込んだ研究も無しに尻馬に乗って彼らを自らの権威付けに利用するような連中はこの際相手にしない。)

彼らにとっては「ホロコーストとヒトラー」が「超越的・絶対的な悪そのもの」であり、これに関してはもはや「宗教的」としか言いようが無い。ちょうど「神」が超越的・絶対的な「善そのもの」であることの裏返しとなっているようなものだ。ブレンナーが自分の著作をある「レヴィジョニスト」に引用されて激怒した、と聞くが、まさに「ホロコーストとヒトラー」が『神聖不可侵な悪(?!)』となっているようだ。話がこれに及ぶともう理性も何も無くなってしまう。次のように述べるイズラエル・シャミールの方がはるかに理性的だろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.asyura2.com/0505/war74/msg/722.html

イスラエル・シャミールがシオニズムとの闘いを語る(レッ・ボルテール、レベリオン

【前略、引用開始】

そんな否定論の問題については全く知りません。一体どうしてフランス人が第2次世界大戦のことについてそれほど議論をするのか、それすら理解できません。それははるか昔に終わったことなのです。しかしご質問をされたのだからお答えしましょう。私が厳しく詮索するのはホロコーストに基づいた論調なのであって、その行為自体ではありません。これらの行為は一つの論調にそれをはめ込む瞬間から明確な意味合いを帯びてくるのです。そのホロコーストに基づいた論調は、一人のユダヤ人の生と死がゴイ【非ユダヤ人:訳注】のそれよりもずっと重要であるという考えに連結しています。私に言わせると、ホロコーストは、ヒロシマやドレスデンやあるいはレニングラードでの飢餓状態などの、他の戦争犯罪よりも悪い、と言えるものではありません。それは1939年から1945年までの間に作られた恐ろしい出来事の一つなのです。ホロコースト特有の宗教的・歴史的な意味は、私は拒絶します。私にとってそれは、あの戦争についてもっと平等な視点を持つ他の議論と並び立ちうる一つの思想を構築することなのです。

【後略、引用終り】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヒロシマの死者に対するシオニスト・ユダヤ人たちの「殺されて当然だ」と言わんばかりの傲慢な態度こそが、アウシュビッツの意味を失わせているのではないのか。すでに「肯定論者」からすら否定されている「600万人」を一歩も譲らないのが単に現在と将来の経済的な理由であることはみんなが知っていることである。

彼らの態度が上記のようである以上、現在「ホロコースト・プロパガンダ」「アンチセミティスト・レッテル貼り」に狂奔しているのが、イツァーク・ベツァレルが『あのプロ・ファシスト』と罵倒する当のシオニスト(ユダヤ・ファシスト)自身である現実を直視できないのだ。どうがんばっても精々が「絶対悪であるナチスに協力した『ユダヤ人に対する裏切り』」とその「道徳的罪」に対する非難で終わらざるをえないだろう。

現にブレンナーの著書「51の文書:ナチに対するシオニストの協力」に対して英国のシオニスト集団の機関紙Jewish NewsがAmazon.co,ukに圧力をかけた問題に関して、シオニストのJon Benjaminから「お前が言っていることは、9・11にイスラエルが絡んでいるなどという新しいアンチセミティズムを力づけるだけだぞ。それでもいいのか。」と脅しをかけられると、ブレンナーは(少々戯画化して描くが)「いやー、そのー・・・・。私も9・11とイスラエルは関係ないと言ってるんですがねぇ・・・・。私はただ独裁者時代のことを言っているだけなんでして・・・・。」と、とたんにしどろもどろになってしまう。こりゃ、だめだ。(ブレンナー氏は先日のアンマン爆破事件など、どう見ているのか? 過去の資料の研究に忙しくて現在の問題には盲目、というのなら何のための歴史研究なのか?)

(参照)

http://www.counterpunch.org/brenner05252005.html

The Plot to Stigmatize “51 Documents” on Amazon.com

事実はまさしく!Jon Benjaminの言うとおりなのだ! 『「9・11にイスラエルが関与している」と言うことが「新しいアンチセミティズム」』である!

これを多くの左翼ユダヤ人たちはどう見ているのか? かつてユダヤ人迫害を必要としていたのがシオニストであり、そのシオニストによる「ユダヤ人迫害の利用」は現在も延々と続いている、いや彼らの政治目的に沿ってますます強化されているのだ。この最も現在的な視点こそが「シオニズム研究」の眼目ではないのか?

彼らは決して「絶対悪に協力した裏切り者」などではない。ヒトラーとともに「絶対悪を演出した主犯」であり、さらにその背後に米英巨大資本(ブッシュ爺を含む)、およびその目標の実現に励む米英諜報機関がある。そして今日、またしても、「ナチズムに対する反感ゆえに?!米国のファッショ化に狂奔する!?」レオ・シュトラウスの一党と連なる極右シオニストが、「イスラム・テロの絶対悪」を演出しているのだ!

(参照)

http://asyura2.com/0505/cult2/msg/401.html

レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(3)

●ブレンナーが書きベツァレルが引用したと思われる箇所で、なぜ『1933年から35年までに、WZO(世界シオニスト組織)は、移住の許可書を請求したドイツのユダヤ人の3分の2を拒否』する必要があったと考えるのか? 『えり抜きの労働力をパレスチナに迂回させる可能性を妨害するかもしれなかった』とどうして言えるのか?

「労働力」というのなら、以下の阿修羅投稿でも明らかであるように、シオニストはアラブ諸国に「離散」していたユダヤ人たちを、爆弾テロを含むあらゆる手段を使って「迫害」を演出し、手当たり次第に強引に狩り集めていたのである。これが彼らの偽らざる基本姿勢なのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/454.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第1部)

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/535.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第2部)

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/622.html

「シオニズムと対決するユダヤ人たち」からの翻訳:『イラクのユダヤ人』(第3部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、アウシュビッツが「ユダヤ人迫害の場」(実際はユダヤ人と同時にジプシー、同性愛者、左翼主義者、心身障害者などに対する迫害の場)だったことに一点の疑いを持つ余地は無いにしても、『ユダヤ人を絶滅させるための場』でなかったことは、当の「絶滅収容所」を信じて疑わない(疑うことを許されない)人たち自身の調査からも明らかにうかがえることであろう。以下を参照していただきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/123.html

ナチ収容所で死んだ5000人のスペイン人たち(エル・ムンドより)

【引用開始、エル・ムンド紙の記事より】

証人の中に、唯一の女性であるアンへリネス・マルチネス、およびドイツ系ユダヤ人のシーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)がいる。メイァは最初両親と一緒にアウシュビッツに送られ、両親はそこで死亡したが、彼はまだ子供だったのでマウトハウゼンに送ってこられた。

「そこで1年を過ごしました。そしてその間にスペイン人の共和主義者、サトゥルニノ・ナバソと知り合いました。私たちが解放されたときに私は彼に、私を一人にしないでくれ、と頼みました。そして彼は私を連れて出ました。私のような子供を背負っていくのは大変なことでした。私は生きるために盗みを働くことに慣れていたのです。」メイァは語った。彼は現在フォルメンテラ(Formentera)で事業を営んでいるが、ドイツには決して戻ろうとは思わなかった。「私はドイツにはアレルギーを持っています。言葉に対してすらです。これは体にしみこんでいます。」他の兵士たちとはやや異なった視点から語るこの男はこのように強調した。

【引用終り】

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/105.html

マウトハウゼン収容所でも「ガス室」の大嘘?

【引用開始】

またご紹介したエル・ムンドの記事に書かれているユダヤ人の少年シーグフィールド・メイァ(Siegfried Meir)についても「アレ?」と首をかしげました。両親がアウシュビッツで亡くなった、ということですが、労働力にならない小さな子供をわざわざポーランドのアウシュビッツからオーストリアのマウトハウゼンまで移送するのかな?と奇妙に感じたからです。

彼は解放の1年前、つまり1944年にマウトハウゼンに移されたようですが、アウシュビッツが本当に「絶滅収容所」なら、両親が死んだ後(その死因についてもエル・ムンドの記事には書かれていない)どうして労働力にならない彼を生かしてここに移したのか? 彼が一人のスペイン人の世話で苦しみながらも生き延びることができたのは本当に良かったのですが、それはともかく、「絶滅収容所」に関しては重大な疑問が残ります。

【引用終り】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は敢えてここでは他の「レヴィジョニスト」「ディナイアル」と言われる人の言葉は引用しない。あくまでも私の言葉と私自身が翻訳した文献の表現で語る。ここでこれ以上「ガス室論争」について深入りするつもりは無いが、「ホロコースト史観」に呪縛されている人たちの限界は、いかに彼らが真摯にシオニズムの邪悪さについて研究したとしても、明白であろう。彼らも結局はあの真正ゾンビどもが演出する「過去」に操られるだけのゾンビの一種と化してしまっているのではないのか。彼らが真面目な人たちであると信じるがゆえに、私はそれが残念でしょうがないのだ。

●今回はここまでとし、次回はジャボチンスキー自身と彼の「修正主義シオニズム」党の足跡を具体的にたどっていくことにしたい。

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで(1)

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/380.html

投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 16 日 22:20:26: SO0fHq1bYvRzo

最初にお断りしておきますが、この「ユダヤ・ファシズム」とは私の造語ではなく、シオニズムの創始者チャイム・ワイツマンが、ウラジミール・ジャボチンスキーの「修正シオニズム」運動に対してつけた名称です。

またジャボチンスキー自身もファシズムを称揚し自らをファシストとして誇示していました。彼は1940年にニューヨークで死亡しますが、彼が基礎を置いた「ユダヤ・ファシズム」の流れは、シオニストとイスラエルの中で「極右排外主義武闘派」として強力な勢力へと育ち、血に飢えたテロリスト集団イルグンを経てリクード党に連なります。

そしてイスラエル歴代の首相――イルグンの統帥者でデイル・ヤシン大虐殺の実行犯メナチェム・ベギン;同じくイルグンの中心人物だったイツァーク・シャミール;サブラとシャティラのパレスチナ難民キャンプで大殺戮を繰り広げたアリエル・シャロン;そのシャロンも恐れる凶悪な民族排外主義者ベンジャミン・ネタニヤフ――を輩出することになります。加えて、チャイム・ワイツマンの甥で前イスラエル大統領のエツェル・ワイツマン、現米国大統領ブッシュの「師匠」であるナタン・シャランスキー等々を含む、押しも押されもせぬ血まみれの極悪集団の歴史を作ることとなります。

その間イスラエルは、パレスチナ人に対する大量殺人、拷問、生活破壊はもちろん、国内の人種差別に対する告発を脅迫と暴力で押さえ込み、そして「ホロコースト」を『水戸黄門の御印籠』として全面活用して他国を沈黙させ、その上でIAEAの査察を拒否しつつ400発と言われる核兵器を所有して中東と欧州各国を脅迫し、現在「対テロ戦争」の卑劣な謀略テロを通して中東一帯への支配権拡張に励んでいます。

まさにイスラエルこそ地上最悪の民族排外主義ファシズム国家と言えるでしょう。現在、欧州や米国で繰り広げられている「アンチ・セミティズム」レッテル貼り作戦は、そのイスラエル国家の正体を隠蔽してその野望を達成するために、彼らにとってどうしても必要な「我が闘争」なのです。

何回のシリーズになるのか、はっきりした予定は立ちませんが、私が調べて文章化できた限りのことを次々と発表していきたいと思っています。私自身も「今から勉強する」といったようなテーマですので、毎回あまり統一性は無いかもしれませんが、この系譜は日本ではどうやらあまり知られていないようですので、私が「尖兵」となって突っ込んでいきましょう。どうか私よりももっと才能のある人が、この「イスラエル国家とシオニズムの正体」解明の作業を完成させていっていただきたいと思っています。

****************************************

ユダヤ・ファシズムの系譜:ジャボチンスキーからシャロンまで

(1)ユダヤ・ファシスト、ウラジミール・ジャボチンスキー

●私がスペインの現代史を調べていてすっかり当惑してしまったことがある。たまたまだが、次の記事を読んだからである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www.forward.com/issues/2001/01.11.16/arts2.html

スペイン最初のファシストの生涯を再考する

アカデミーの外ではユダヤ人の恩人としてのハイル・フランコの声が

Jane and Burt Boyar著 『フランコに止められたヒトラー』への書評

ROMAN BRACKMAN

【前略】

すべて公式文書に残されていることだが、これらの事実は同時にユダヤ人の利益に対するフランコの努力を物語っている。恐らく6万人にも上るユダヤ人をナチの収容所から救った努力である。1940年に彼は、スペインで反ユダヤ人法を制定せよとのヒトラーの要求に対し、従うことを拒否した。その代わりにフランコは、フランス占領地とスペインの国境で行われたヒトラーとの会談の数ヶ月後に、マドリッドにヘブライ・セファラディック・近東文化の研究に専念する学究組織であるアリアス・モンタノ協会設立、および世界で最も優れたユダヤ文献である学術雑誌セファラディ(スペインおよびイベリア半島のヘブライ人)発刊の便宜を図った。彼はナチの追及を逃れるユダヤ人に対してスペインの国境を開き、スペイン大使館と領事館に保護とスペインのパスポートを提供するように命令した。

そればかりではない。1945年初頭にフランコは、英国の希望に逆らって、ユダヤ機関が収容所の生存者たちをパレスチナに密かに運び込むのを手伝った。1956年からは、彼はモロッコのユダヤ人たちに、スペイン領サハラを経由して一団となってイスラエルに向かって移動するための道を開いた。彼は1492年のスペイン・ユダヤ人追放令を破棄する公式文書にサインした。アラブ諸国がイスラエルに対して起こしたあらゆる戦争の間、フランコはアラブ諸国政府に対して処刑からユダヤ人を救うように個人的に仲介役を務めたのだ。

【後略。引用、翻訳終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

フランシスコ・フランコ(1892-1975)と言えば、ヒトラーやムッソリーニと手を組んでスペインに誕生した人民戦線内閣をクーデターによって倒し、国際旅団に参加した各国市民を含む数十万人を虐殺し、スペインに40年近い残虐な独裁政権をひいた、押しも押されもせぬファシストの代表格である。当然だがユダヤ人たちにとってはヒトラーと並んで蛇蝎のごとく忌み嫌うべき対象である・・・、というのがアカデミックな理解として無難なところだろう。

ところがそのフランコがユダヤ人を救うために多大の努力を払った、というのである。私も最初は目を疑った。しかしこの「フランコはユダヤ人の救い主だった」という話は、意外なことに様々な立場のユダヤ人から多く聞こえるのである。たとえば(引用はしないが)、

http://www.jpi.org/cshlcst1.htm

HOLOCAUST ‘MISCONCEPTIONS’(英語)

http://revista.libertaddigital.com/articulo.php/637

¿Fue Franco un antisemita?(フランコは反ユダヤ主義者だったか?:スペイン語)

http://www.travel-watch.com/Melilla.htm

The Jews of Melilla(英語)

先ほどの書評の著者である作家のRoman Brackmanも名前や経歴や他の著作からしておそらくユダヤ系と思われる。

●確かにフランコには、1492年のユダヤ人追放令の際にキリスト教に改宗して密かにユダヤ教を守り続けた、いわゆるマラノの家系ではないか、という疑いが昔からあるようだ。これについては以下の私の阿修羅投稿を参照していただきたい。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/365.html

オプス・デイ創始者はユダヤ系か?(フランコも?カストロも?)

http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/662.html

否定論は未だに見つけていませんが、いくつかの興味深い資料をご紹介します。

しかしたとえ彼がユダヤ系のスペイン人であると自覚していたとしても、それだけで「ユダヤ人をヒトラーの手から救い出す」理由になるとは思えない。ユダヤ人といっても決して一枚板ではなく、ユダヤ人同士で凄惨に殺しあった例も多くある。現にフランコはスペイン内乱(1936-39)の最中に国際旅団に参加した大勢のユダヤ人たちを無残に殺害している。

次の資料を見ていただこう。これはセファラディ・ユダヤ人たちによるスペインの語サイト、Desde Sefaradの2005年8月22日の記事である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://desde-sefarad.blogspot.com/2005/08/el-mito-judeo-masnico-los-judos.html

メーソン的ユダヤ人の神話:内戦時期のユダヤ人

【前略】

(ユダヤ人の)圧倒的多数派が共和国支持の立場をとった。しかしながら、英領パレスチナではジャボチンスキーの修正シオニズムがフランコとその反共主義への支持を打ち出しことは銘記されなければならない。(ワイツマンはこの潮流に対して「ユダヤ・ファシズム」と呼んだが、それは、彼の提唱する『大イスラエル構想』によってであるとともに、ムッソリーニ追随者としての媚態によってである。)

共和政府を支持する大勢のユダヤ人たちの熱烈な援助――国際旅団の中に6000人から8000人が志願した――そしてソヴィエトとヨーロッパの共産党指導部の多くがユダヤ人であったことが、ファシストのプロパガンダが共産主義をユダヤ的性格のものであると強調するのに好都合だった。こうして「ユダヤ・メーソン・共産主義」というごちゃ混ぜの神話をひろめるに至ったのである。

【後略。引用、翻訳終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

たとえフランコが自らの出自をユダヤ系だと認識していたとしても、要するに、共産主義を支持している(と思われる)者は何人であろうと彼の敵だったのである。しかしここに奇妙な人物の名前が見える。ジャボチンスキー。

このウラジミール・ジャボチンスキーなる人物の唱えた「修正シオニズム」とは一体何か? 『大イスラエル構想』とは? ムッソリーニとフランコの反共主義とファシズムを支持したこの男はそもそも一体誰なのか? そして彼の運動がその後の歴史にどのようにつながっていくのか? またこの「ユダヤ・ファシズム」がイタリア・ファシズムやドイツ・ナチズム、スペイン・フランキズムなどと、どのような関係にあったのだろうか。

彼がイスラエル建国はおろか第2次世界大戦の結果すら知らずに1940年にこの世を去ったために、ジャボチンスキーの名はもちろん彼が種を蒔きそれが成長していった結果の重大さについて、特に日本では、あまりにも認識がなされていないように思える。

その運動の人脈や思想的脈絡、そしてそれ以降の政治的動乱の中に刻まれるこの「ユダヤ・ファシズム」の巨大な爪跡を見るならば、それが単にリクード党の「始祖」となった、というだけでは収まらない、20世紀以降の世界の流れを形作るもっともっと巨大な実体の一部が顔を出したのではないのか、と思われてくる。

しかし相手はあまりにも大きい。一気に結論を出すことはできまい。まずはその人物像から見ていってみよう。

●電網百科事典Wikipedia(英語版)からZe’ev (Vladimir) Jabotinskyの項目を開いてみよう。そして彼の生涯の要点を拾ってみる。なお、Revisionists-Zionistsについては、日本では一般的に「修正シオニスト」と訳されており、ここではそれに従うことにする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Jabotinsky

Ze’ev (Vladimir) Jabotinsky

【翻訳と要約】

ゼエブ(ウラジミール)・ジャボチンスキーは1880年10月18日にウクライナのオデッサで、伝統的なユダヤ人の家庭に生まれた。若くしてジャーナリストを志し、16歳の時にはオデッサで新聞を発行した。後にロシアの新聞の記者としてスイスとイタリアに渡り、ローマ大学で学ぶ。ロシア語、イーディッシュ語、ヘブライ語で記事を書く非常に優秀な記者として有名であった。

しかし1903年のキシネフでのポグロムの後、ジャボチンスキーはシオニスト運動に参加し、すぐにその中で頭角を現す。ポグロムが打ち続く間、彼はロシア中のユダヤ社会の中に自衛団を組織する。そしてテオドル・ヘルツルにとって最後のものとなった第6回シオニスト会議で代表に選出される。

第1次世界大戦中は、当時パレスチナを支配していたオツマン・トルコに対してユダヤ人部隊を組織して英国と共に戦闘に参加する。その後彼はロンドンに渡り、英国軍の一部としてパレスチナで戦うユダヤ人部隊を設立させるために努力するが、英国政府はやっと1917年になってそれを認めた。そして1918年のヨルダンの谷での戦いに参加するが、英国は彼らの参加を歓迎しなかった。

戦後、ジャボチンスキーはパレスチナでの第1回代表者会議に出席し、1921年には世界シオニスト組織の代表委員会委員に選出された。しかし、その議長であるチャイム・ワイツマンと意見が対立してこの組織から離れ、「修正シオニスト同盟(Allinance of Revisionists-Zionists)」、およびその青年組織「ベタル(Betar)」を設立した。その主張は、シオニスト運動は「ヨルダン川の両岸」に沿ったユダヤ人国家(a Jewish state along both banks of the Jordan River)を作る、というものであった。そして彼の目標は大英帝国の援助を受けて近代的なユダヤ人国家を作ることだった。その哲学はシオニスト労働党(Labor Zionists)のものとは対照的であり、それは欧州の中産階級(資本家)ユダヤ人の理想とした経済・社会的政策に焦点を当てていた。彼のユダヤ人国家の理想は英国モデルを基本にした近代的自由民主主義であり、主にポーランドが支持基盤であった。

1929年にジャボチンスキーは第6回シオニスト会議に出席するためにパレスチナを離れたが、英国当局はアラブの圧力を受けて彼の帰還を許可しなかった。彼の作った運動は一枚板ではなく、三つの流れに分かれていた。ジャボチンスキーは英国の協力を望んでいたが、より民族主義的傾向が強いDavid Raziel、Abba AhimeirやUri Zvi Greenbergなどはパレスチナ委任統治領での独立運動に照準を当て、労働党や英国当局、そしてアラブ人と戦った。David Razielはイルグンの指揮官であり、Abba AhimeirとUri Zvi Greenbergは軍事組織レヒを作ろうとしていた。この修正シオニスト党のイルグン派がヘルーッ、そして中間派の汎シオニスト党を吸収してリクードとなる。ジャボチンスキーの愛弟子で最大の者の一人に、イルグンとベタルのリーダーで後にイスラエル首相となるメナチェム・ベギンがいる。

【以上。引用、翻訳と要約、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

不思議なことにこのWikipediaの記事は1930年代のジャボチンスキーの言動や1940年の彼の死に関して一切触れていない。Wikipediaにしては極めて不自然であろう。さらに彼がファシストを名乗りムッソリーニに傾倒しフランコを支持していたことも、その気配すら書かれていないのだ。

つまり、ジャボチンスキーを知るに当たって最も重要な時期のことがスッポリと抜け落ちているのだ。これほど重大な人物に、最も激動の時期であったはずの最後の10年間についてのデータが残っていないはずは無い。よほど「それを書かれると都合が悪い筋」からの圧力があるのだろう。それ以外に考えられない。

●次に再びスペイン語のサイトに進もう。これはエクアドルの反体制系ネット情報誌エクアドル・インディーメディアに載せられた2003年の記事だが、ユダヤ人のジャズ(サキソフォン)演奏家、作家、左翼の思想家として有名な英国在住のジラッド・アツマンが書いた英文記事をスペイン語に翻訳したものである。(英語原文はまだ見つけていない。)

題名は『最も日常的なイスラエル国民の過ち』である。この中から抜粋してみよう。ただしどうやら自動翻訳を使用したとみえて少々分かりにくいスペイン語になっており、ひょっとすると一部の箇所が原文と異なる意味になっている可能性もある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://ecuador.indymedia.org/es/2003/09/3448.shtml

LOS ERRORES MAS HABITUALES DEL PUEBLO ISRAELI

Gilad Atzmon  04.09.2003  Centro de Medios Independientes

最も日常的なイスラエル国民の過ち

ジラッド・アツマン

2003年9月4日  独立メディアセンター

【前略、翻訳開始】

7.彼らは「ユダヤ国家」という概念が正当なものであると吹き込まれている

この過ちは20世紀の文化的な変化の不正確な読み取り方の結果である。シオニズムが誕生したときにそれは一つの正当なイデオロギー的哲学以上のものであった。19世紀の欧州ナショナリズム運動の一部を形作っており、時がたつに連れて他者に対する憎悪が知的な議論の中と欧州の政治の中で激しくなっていった。修正シオニストたちは、ウラジミール・ジャボチンスキーに率いられたのだが、イタリア・ファシズムをおおっぴらに賛美し、ムッソリーニを思想的指導者と見なしていた。それどころか、ジャボチンスキーは、ヒトラーがそれをまだ口に出すことすらしなかった早い時期から、人種的な純粋性の思想を採用したのである。その時期にはシオニズムが人種的純粋性に基盤を置いた民族国家を掲げる唯一の思想というわけではなかった。しかしながら、第2次大戦とナチズムの崩壊の後に事態は変わってしまった。人種的純粋性を基盤にした国家の思想はその正当性を失った。米国型を含めて新たなファシズムは多民族型である。実際のところ、イスラエルが人種的純粋性を基盤にした国家として唯一残っているものなのだ。ユダヤ人国家は正当性の概念を捨ててしまっている。

【引用、翻訳、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

著者のアツマンはイスラエルをナチス・ドイツが消滅した後に残る唯一の「人種的純粋性を基盤にしたファシズム国家」であるから正当性が無い、と語っているようにも見える。これが当を得ているかどうかは別として、ジャボチンスキーがムッソリーニのファシズムを手本にした、「アーリア民族」の優越性を説いたヒトラーをしのぐほどの激しい人種主義者であったことが述べられている。

●これに関連して、もう一つの資料を見てみよう。パレスチナでのシオニストの悪業を告発しているPalestineRemembered.comというサイトに載せられた『ゼエブ・ジャボチンスキーの簡単な紹介と発言』と題された文章からである。(原文は英語)

http://www.palestineremembered.com/Acre/Famous-Zionist-Quotes/Story640.html

Ze’ev Jabotinsky-A Brief Biography & Quotes

ゼエブ・ジャボチンスキーの簡単な紹介と発言

【前略、翻訳開始】

シオニスト指導部の主要な流れとは逆に、ジャボチンスキーはおおっぴらに彼の考えを話した。そして彼もまた、我々の意見では、パレスチナ人に対してシオニスト運動が導く方向に戦略的な影響を与えていた。最初の時点から、彼はシオニストの指導部にいるイデオローグ(たとえばベン・グリオンやモシェ・シャレット)――パレスチナ人を騙してその土地と権利を売るようにさせることができると考えていた者達――を批判した。ジャボチンスキーは、ユダヤ人の権利がパレスチナ人の権利を上回っていると考え、そして、ユダヤ人とパレスチナ人の衝突は不可避であるとシオニズム運動に対して警告した最初の人間だった。そしてこのことは無視されるべきではない。その一方で彼は、この件を解決するためにパレスチナ人たちと交渉するのではなく、避けられない衝突を抑えるために武力を使用することを主張した。この点について彼は1923年に次のように述べた。

『アラブ人たちは自分の国をユダヤ人がそうするのと同様に愛していた。本能的にだが、彼らはシオニストの願望を十分に理解した。そしてそれに抵抗する決定は全く必然的なものだった。・・・・・・ユダヤ人とアラブ人の間には何の誤解も無かった。ただ当然の衝突があっただけだ。・・・・・・パレスチナ・アラブ人とは何の合意も可能ではなかった。彼らは自分が「鉄の壁」に相対していると解った時にのみ、シオニズムを受け入れるだろう。そのときに彼らはユダヤ人国家を受け入れる以外に選択肢の無いことを気付くのだ。』

ジャボチンスキーの「鉄の壁」ドクトリンは、1920年に多くのシオニストが彼に人種主義者の烙印を押すもととなった。ところが、ドイツでナチが権力を握ったとき、ベン・グリオンと他のシオニスト指導者たちはジャボチンスキー・ドクトリンの『重要さ』を悟った。皮肉なことに、イスラエル政治的右派の主張が、1930年代から現在に至るまでパレスチナ人に対するイスラエルの政策を支配してきたのである。

【引用、翻訳、終り】

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

なるほど。後のイスラエル労働党となるシオニスト主流派は「パレスチナ人を騙してその土地を取り上げる」で、ジャボチンスキーの武闘派は「パレスチナ人を殺してその土地を取り上げる」ということだったらしい。まあいずれにせよ「目クソ鼻クソ」の類であり、この文章が述べているように労働党もリクード党も本質的には何の変わりも無いのである。また『「鉄の壁」ドクトリン』は現在イスラエルにそびえる「分離壁」を連想させる。この壁を作ったのがジャボチンスキー集団の直系リクード党のアリエル・シャロンであるのもなかなか示唆に富んでいるようだ。

もちろん上記の文章はパレスチナの立場から(ただしこのサイトの本拠地がパレスチナに置かれているとは思えないが)のものなのだが、これを作成するために使った資料は、おそらくレンニ・ブレンナーを代表とする左派系のユダヤ人たちのものと思われる。ジャボチンスキーを「始祖」とする「修正シオニズム」とナチズム、ファシズムの関係についての研究は彼らの労に負うところが大きい。

●今回はここまでとして、次回からはレンニ・ブレンナーの秀逸な研究の紹介、リンドン・ラルーシュとその運動による現代ファシズム・シオニズムへの論考の紹介を中心に、20世紀の隠蔽された歴史を探っていきたいと思っている。

∑(゚◇゚;)  たちぶく~~ ∑(゚◇゚;)

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。