「チェチェン」カテゴリーアーカイブ

またまたチェチェンで人権活動家暗殺

チェチェンの女性人権活動家殺害される

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2621514/4362083

【7月16日 AFP】ロシア南部チェチェン共和国(Chechnya)の人権活動家、ナタリヤ・エステミロワ(Natalya Estemirova)さん(50)が15日、同共和国で拉致され、数時間後、隣接するイングーシ共和国(Ingushetia)で遺体で発見された。

エステミロワさんはロシアの人権団体「メモリアル(Memorial)」で活動していた。同団体は紛争の絶えない北コーカサス地域で行われた数々の人権侵害を明らかにしてきた。

ロシアの検察当局によると、イングーシ共和国の高速道路脇で発見されたエステミロワさんの遺体には、頭部と胸部に銃撃された跡があったという。

ロシアでは、2006年のジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ(Anna Politkovskaya)さんの殺害など、人権活動家や調査活動を行うジャーナリストの殺害が相次いでいる。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch)のTatyana Lokshina氏はAFPに対し、「この殺害はナタリヤの(人権)活動に関連していることは間違いない。恐ろしい悲劇だ。チェチェン情勢は制御不能だ」と語った。

ロシアの報道各社はクレムリン報道官の話として、ドミトリー・メドベージェフ(Dmitry Medvedev)大統領がこの殺人に怒りをあらわにし、トップレベルの調査を命令したと伝えている。

ノーベル賞を受賞した女性が設立した団体「ノーベル女性の会(Nobel Women’s Initiative)」は2007年、エステミロワさんに「アンナ・ポリトコフスカヤ賞」を与えている。(c)AFP/Stuart Williams and Olga Nedbayeva

No.299 ナターリヤ・エステミロワが殺された! – チェチェン総合情報 Annex

Natalia Estemirova: Award-winning human rights campaigner murdered in Chechnya |
World news |
guardian.co.uk

-=Memorial=- (International historical-enlightment,human rights and humanitarian society Memorial)

[チェチェン]記事一覧

チェチェン やめられない戦争

チェチェン やめられない戦争

 また暗殺です。

Global Voices 日本語 » ロシア:マルケロフ弁護士とジャーナリストのバブローワ氏、射殺される(モスクワ)

ロシアの人権弁護士、スタニスラフ・マルケロフ氏(34歳)は1月19日、モスクワ中心部での記者会見を後にし、移動中に射殺された。マルケロフ氏と共にいたジャーナリストのアナスターシア・バブローワ氏(25歳)は間に入ろうとした際に撃たれ、数時間後、入院先の病院で死亡した。

バブローワ氏はノーヴァヤ・ガゼータ紙のフリージャーナリストだった。

マルケロフ弁護士はエルザ(ケーダ)・クンガエワさん一家の弁護を担当していた。チェチェン人のケーダさんは18歳だった2000年3月、ロシア人のユーリ・ブダノフ大佐に殺害された。ブダノフは2009年1月15日、早期の保釈を得て収容先の刑務所から釈放された。1月19日に行われた記者会見でマルケロフ弁護士は、ブダノフ氏の早期釈放について欧州人権裁判所に控訴する予定であると発言していた。

マルケロフ弁護士のクライアントには有名なジャーナリスト、ミハイル・ベケトフ氏がいる。彼は2008年11月、襲撃を受け激しい暴力を受けている(シカゴトリビューン紙の記事を参照)。

ニューヨーク・タイムズ紙はノーヴァヤ・ガゼータ紙広報担当者の話を引用し、マルケロフ氏は「アンナ・ポリトコフスカヤの活動が明らかにしたほぼ全ての事件」に取り組んでいたという。アンナ・ポリトコフスカヤは名の通ったジャーナリストで、2006年10月に銃弾を受けて死亡している。

f:id:takapapa:20090123124512j:image

Anna Politkovskaya’s lawyer Stanislav Markelov shot dead in Moscow – Times Online

Lawyer killed after opposing Russian colonel’s release – World – smh.com.au

Leading Russian defence lawyer shot dead in Moscow |
World news |
guardian.co.uk

チェチェン問題の弁護士がモスクワで射殺された – バイナフ自由通信

人権派弁護士と若いジャーナリストがモスクワで暗殺された! – バイナフ自由通信

モスクワ発:マルケーロフ弁護士とバブローワのための追悼行動 – バイナフ自由通信

[チェチェン]記事一覧 – 【ねこまたぎ通信】

 未だに謎が残るモスクワ劇場占拠事件

チェチェン総合情報

今日、10月26日は、モスクワ劇場占拠事件の強行突入の日-199人もの人々がロシア特殊部隊が使用した毒ガスによって殺害された日から5年目です。この事件で初めてチェチェンの存在を知った方も多いのではないでしょうか。最近のモスクワタイムスに、ガスの種類が判明したという記事が載りました。しかしその報道と抱き合わせの結論は、「血の海にならなかったからよい」という、ちょっと信じられない展開でした。

あれだけの人々が死んでいるのに、まだロシア政府のやり方が擁護されるのは驚きというほかありません。ところで、あの突入が正しかったとするロシア政府の立場、あるいはその擁護論には、ある危うい前提が欠かせません。今回のチェチェンニュースでは、この点についての考察をお届けします。

INDEX

* ノルド・オスト-モスクワ劇場占拠事件から5年

* 『プーチニズム』ロシア語版がネットに登場

* 鳥賀陽弘道のU-NOTEでチェチェンを語る

* 旧ソ連反体制派作家一時帰国 『秘密警察の支配は死に絶えていない』

* イベント情報

▼公式発表が語らない事実

  • チェチェン人「テロリスト」の要求は、チェチェンからのロシア軍の撤退だった
  • 特殊部隊による突入作戦が行なわれたのは、アンナ・ポリトコフスカヤの仲介によって、ゲリラ側が人質の解放に合意した直後だった
  • 軍用ガスを使用した特殊部隊の「救出作戦」によって、多数の人質の命が犠牲になった
  • 実行犯グループの中にロシアの特務機関員が混ざっていた可能性がある
  • ロシア当局は事件の発生を予期していながら予防しようとしなかった

▼人質と被害者の数

  • 人質数:923人 [Caucasian Knot 10/23]

 http://eng.kavkaz.memo.ru/newstext/engnews/id/1200195.html

  • ゲリラの数:42人 [The Moscow Times 10/22]

 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071023/1193103564

  • 死者数(人質):137人 [Chechnya-sl 10/23]

 http://groups.yahoo.com/group/chechnya-sl/message/53895

  • 死者数(ゲリラ):40人 [Caucasian Knot 10/23]

 http://eng.kavkaz.memo.ru/newstext/engnews/id/1200195.html

  • 行方不明者数(人質):67人 [Chechnya-sl 10/23]

 http://groups.yahoo.com/group/chechnya-sl/message/53895

  • 行方不明者数(ゲリラ):2人 [Prague Watchdog 10/23]

 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071024/1193217594

▼ノルド・オストという実験

当局の発表によると、特殊部隊が使用したガスには即効性はなく、特殊部隊はゲリラに応戦され、やむをえず彼らを「殲滅」したのだという。だが、ゲリラを無力化させるためにガスを撒いたというのなら(これも当局の言い分だが)、なぜ即効性のあるガスを用いなかったのか。

ロシアでは、当局に恫喝された被害者が偽の証言をすることは、あまりにもありふれた現象として知られている。したがって、後に紹介する記事とは矛盾するのだけれど、私の考える答えはこうだ。

「特殊部隊が使用したガスに即効性がなかったという発表は嘘であり、ゲリラを無力化させるためにガスを撒いたという説明は正しくない」

産経新聞の記事の元になっているモスクワ・タイムズによると、ロシア保安当局が開発したカフェンタニルは、欧米の毒物狂(ドクター・ストレンジラブ?)あたりに言わせると、「極めて理想的な特性を備えた興味深い」物質であるらしい。

Unmasking Dubrovka’s Mysterious Gas

http://www.themoscowtimes.com/stories/2007/10/23/002.html

どういうことかというと、カフェンタニルは極少量で効果を発揮し、即効性があり、かつ痕跡が残りにくいために、証拠の隠滅が容易なのである。つまり、ノルド・オストは、ロシア当局が開発した新化学兵器の実験場にされたのだ。そう言ってしまってよいのではないか。

単にゲリラを無力化させるためにガスを撒いたなら、彼らを殺害する必要はどこにもなかった。当局の目的は、最初から、ゲリラを殺害することで、裁判を通じた事件の解明を防ぐことにあったのではないか。そして、当局が「救出作戦」という大義を掲げてノルド・オストという実験を行なった、その証拠を隠滅することにも。そう考えてみると、すべて辻褄が合ってくる。

元FSB将校のアナトリー・エルモリンが、ラジオ「モスクワのこだま」に出演して、「『ノルド・オスト』によって、このガスを使用できないことが明らかになった――我々が出さなければならない最初の結論は、そのことだと思う」と述べたことは、極めて示唆的だ。もしかすると、当局がベスランでガスを用いなかったのは、人体実験に使えそうな新種のガスが、たまたまなかったからではないのか。そんなふうにさえ思えてくる。

 ポリトコフスカヤ暗殺の犯人が逮捕

Russian Police Arrest 10 in Murder of Journalist Politkovskaya

By Sebastian Alison

no title

Aug. 27 (Bloomberg) — Russian police have arrested 10 people in connection with the murder of journalist Anna Politkovskaya and prosecutors will charge them “soon”.

The investigation into the Novaya Gazeta correspondent’s killing has made “serious progress”, state broadcaster Vesti 24 cited Prosecutor General Yuri Chaika as telling President Vladimir Putin at his Novo Ogaryovo residence outside Moscow today.

Politkovskaya was shot dead in her central Moscow apartment building in October. She was an outspoken critic of Putin, especially for his conduct in the second war in Chechnya starting in 1999. Prosecutors have said they suspect her death was linked to her “professional activities.”

To contact the reporter on this story: Sebastian Alison in Moscow at Salison1@bloomberg.net .

Last Updated: August 27, 2007 04:57 EDT

28.Aug 2007 ポリトコフスカヤ暗殺で治安当局者を逮捕

Russian Police Arrest 10 in Murder of Journalist Politkovskaya

アンナ・ポリトコフスカヤ

チェチェン総合情報

27日、ロシア最高検察庁のユーリー・チャイカ検事総長(プーチンの腹心中の腹心)は、アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺事件の容疑者10名を逮捕したと発表しました。

チャイカ検事総長は「逮捕した犯人グループを主導していたのは、ロシア南部のチェチェン出身者からなるモスクワの組織犯罪集団の指導者で、犯人の中には、内務省と連邦保安局(FSB)の現役と退役の要員が含まれていた」「(背後には)ロシアの不安定化をもくろむ外国在住のロシアのオリガルヒ(政商)たちがいる」と指摘しました。暗殺の動機は「ロシア国内情勢を不安定化させ、ロシアの指導者の評判を落とすこと」で、プーチン政権の事件への関与は当然否定されています。

思うに、当局の発表は、(1) チェチェン人や亡命オルガリヒへの弾圧を正当化し、(2) 治安機関の統制に退陣後のプーチンが辣腕(?)を振るうための条件を整え、(3) 国際社会の関心が再び高まる10月のポリトコフスカヤ一周忌を前に事件の幕引きを図る、ためのものではないでしょうか。それにしても、逮捕された10人中 5人がFSBと内務省の元職員(うち2人は拘束時現職)というのは、どういうことなのでしょうか?(邦枝)

 アンナの死 – 【ねこまたぎ通信】

 信じられねー アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された! – 【ねこまたぎ通信】

チェチェンニュース Vol.04 No.39 2004.11.10 – 【ねこまたぎ通信】

真実はどこにあるのか? – 【ねこまたぎ通信】

■共同声明への賛同のお願い – 【ねこまたぎ通信】

学校占拠で“官製報道” ロシア・メディア – 【ねこまたぎ通信】

PUBLICITY No.1007(2004/09/07/火) – 【ねこまたぎ通信】

チェチェンニュース Vol.04 No.29 2004.09.06 – 【ねこまたぎ通信】

一体何が起こっているの? – 【ねこまたぎ通信】

チェチェンニュース – 【ねこまたぎ通信】

 アンナの死

悲しみが先行していましたが,最近になってむかむか腹が立ってきたので,やっぱりアンナのことを取り上げないわけにはいきません.

 信じられねー アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された! – 【ねこまたぎ通信】

涙を禁じ得ませんでした.

アンナ・ポリトコフスカヤ追悼 石川逸子 – バイナフ自由通信

アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺の衝撃は,かつてのジョン・レノン暗殺に匹敵するか,それ以上でありました.

ま,まさか,ということが現実に起こるのが今の世界の状況でもあります.これほど著名なジャーナリストが,あからさまに,いとも簡単に殺されてしまうなんて.

チェチェンでの拷問に関する取材をまとめていたアンナの家からは,捜査のためと云うことでパソコンや記憶メディア,写真等の映像全てが警察に押収されたそうです.一部はネット上にも流出していますが*1,彼女の成果の全てが日の目を見ることを願ってやみません.すでに神経ガスがチェチェンで使用されているという報道は,アンナ自身の記事で配信されていますが,暗殺者が怖れたのはそれだけではないのでしょう.

Anna Politkovskaya reports on suspected mass poisoning of schoolchildren in Chechnya |
World news |
The Guardian

tnfuk [today’s news from uk+]: アンナ・ポリトコフスカヤの最後の記事

● – 今日の覚書、集めてみました

一方,アンナの死について日本のマスメディアは,黙殺といっていいほど取り上げることがありません.チェチェンがらみの報道関係者がどれほど多く闇に葬られてきたかを知ってか知らいでか,よくもまあ,これだけ露骨に無視出来たものであるとまったく感心いたします.チェチェンはおいそれと無視出来るような状況じゃないんだが,それとも,命に関わるほどの重大な事件は,おれ,かんけーねーもん,というわけでしょうか.だったら,ジャーナリズムは要りませんな.通信社や大本営発表をコピーして写すだけなら,年収150万くらいで十分じゃないでしょうか.

自分たちの使命を再考してもらいたいものです.

ここんとこPublicityもブログとメルマガで立て続けにアンナの暗殺についての記事を配信しています.

ジャーナリズムとして正しいです.

真にジャーナリストの魂を持つのであれば,アンナの心と体の痛みを共有出来るはずです.

●http://takeyama.jugem.cc/trackback/656

悔しい。なんだ、この悔しさは。感情を抑えて書いているが、これ以上書いたら抑えきれない。新聞を読んで涙が出たのは、子どもが親に殺された記事以来だ。

体も、心も、痛かったろう。どれほど無念だったろうか!

しかし。彼女は殺されたが、断じて【負けたのではない】。

そして、【彼女を勝たさねばならない】。

何十、何百のアンナ・ポリトコフスカヤが、今までもいたし、今もいるし、今からも生まれるだろう。

この「自由な言論」の流れに目を瞑って論じられる「愛国」は畢竟、「売国」に通じるに違いない。

本気で喧嘩する時は、結局、殺されるように書くしかないのだろうか。未来のわが身に事寄せて考える以外、いまは、感情を抑える手立てが見つからない。

その情況で、その立場で、その能力で、その感情で、何に事寄せて・言寄せて書くべきか──海の彼方から、チェチェンの地から、言論の根本基準を教えてくれた彼女に、ぼくは、ぼくの果てのない感謝を捧げる。

そして彼女の親族と、彼女の恩恵を受けた人々の、そしてこれから恩恵を受ける人々の、幸福と幸運を祈る。

日本では,どうして,これほどまでこの事件は無視されるのでしょうか?

また,朝鮮人や中国人に対しては俄然強気を発揮するニポンジンたちですが,相手が白人種や偽ユダヤ人になるとぐぅの音も出せないのはどういうわけでしょうか?

日本のジャーナリズムが単に終わっている,ということなのでしょうか?

NHKもよくやる「偏向報道」は,相手が見えるだけまだ良いのです.嘘は嘘として残り続けますが,黙殺というのはホントに不気味です.

大事なものは何も伝えない,これが,B層衆愚政治のやり方です.

そういえば,最近我が国の外相が核保有議論絡みで,「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということにくみしないという以上に明確な答えはない」などと云った発言を聞くに及んでほんとむかついたよ.よくゆーよ.

言論は「核保有論」だけじゃないぞ.

●現在休止中です | 無料ブログ作成サービス JUGEM

f:id:takapapa:20061020161412j:image

彼女の記事は大した影響はなかった.現政権にとって、こうした事件の発生自体が、彼女の書いてきた批判記事より痛手だよ.けけけけけ.

プ,プーチン,こわい.

f:id:takapapa:20041130102756j:image

結構ーいい女なのにもったいないね~.おれ,夢精しちゃうんだよね.

よろ↓

 信じられねー アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された!

信じたくねー。

また、真実がいかさまと手を組みました。これも911です。

チェチェンニュース Vol.06 No.20 2006.10.08

http://chechennews.org/chn/0620.htm (HTML版) 発行部数:1531部

チェチェン紛争の情報+αを発信するメルマガです。 購読は無料です。

INDEX

* アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された!

* ジャーナリストの林克明さんのサイトより

* チェチェン戦争のレポーター、遺体で見つかる[BBC]

* BS世界のドキュメンタリー

* その他イベント

■アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された!

 チェチェン戦争を追ってきたロシア人のジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが、きのう7日、モスクワで暗殺されました。自宅の集合住宅のエレベーターで銃殺された遺体が発見されたそうです。10月7日はプーチン大統領の誕生日でもあります。こんな悪趣味なプレゼントは見たことがありません。今回はニュースへのリンク、林克明さんによるインタビュー、それから、BBCの第一報をこのメールでお送りします。

 第一報がモスクワから発信されて、まだ3時間ほどしか経っていません。この知らせが、何かの間違いでありますように。 (大富亮)


 ロシア政権批判の女性記者が殺害される[共同通信]:

 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061007STXKG053107102006.html

 アンナ・ポリトコフスカヤ人物情報:  

 http://chechennews.org/basic/biograph.htm#politkovskaya

 

 ロシア大使館への抗議のための連絡先:

 

〒106-0041 東京都港区麻布台2-1-1

Tel: 03-3583-4224 / 03-3583-5982 Fax: 03-3505-0593

legal@rusconsul.jp

■ジャーナリストの林克明さんのサイトより

 チェチェン報道で知られるアンナ・ポリトコフスカヤさんが10月7日、自宅近くで暗殺された。彼女は決死の覚悟で、ロシア軍に侵略されるチェチェンの民衆の姿を伝えてきた。04年9月に起きた学校人質事件(死者330人)のときも、犯人グループと交渉するために現地に向かおうとしたところ、飛行機内で毒を盛られたものの、一命をとりとめた。そのときのインタビュー記事をぜひ読んでください。[チェチェン未来日記]

http://www.actiblog.com/hayashi/17189

■チェチェン戦争のレポーター、遺体で見つかる[BBC]

 クレムリンによるチェチェンに対する戦争の批判的な報道で知られるアンナ・ポリトコフスカヤが、モスクワで殺害されているのが発見された。インターファックス通信は、彼女は集合住宅のエレベーターで射殺されていたと伝えている。遺体の周辺には、4発の銃弾と、拳銃一丁が発見された。彼女は2004年にも、飲み物に毒薬を混入され、殺害されかかっている。(北オセチア・ベスラン学校占拠事件で、現地に向かう飛行機の機中で。訳注)

 ポリトコフスカヤ女史はモスクワの「ノーヴァヤ・ガゼータ」氏に勤務しており、ロシ軍による、チェチェンでの人権侵害についての報道で知られている。

 モスクワをベースに活動している緊急事態ジャーナリズムセンターのオレグ・パンフィーロフ氏は、ポリトコフスカヤ女史が頻繁に脅迫を受けていたと話している。「アンナの身にいずれ何かが起こるのではないかと心配していました。一番大きな理由はやはり、チェチェンです。私がロシアで最も誠実なジャーナリストが誰かと聞かれるたび、ポリトコフスカヤの名前が浮かびました」

 BBCによる二年前のインタビューの時、ポリトコフスカヤ女史は「脅迫を受けても、報道を続けなければならないと信じている」と語っている。「リスクは、私の仕事の一部だと考えています。ロシアでジャーナリストという仕事をしているからです。私は止めることはできないのです。それは私の義務(duty)だから。私はこんな風に考えているんです。医者の義務は患者を治療すること、歌い手の義務は歌うことです。ジャーナリストにとってのそれは、現実の中で自分自身が見てきたことを、書くことなんです」

 http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5416218.stm   

■BS世界のドキュメンタリー

 10月9日、22日の夜に、NHK-BS世界のドキュメンタリで、ロシアについてのドキュメンタリが放送されます。可能な方は、ぜひご覧ください。

 ● 10月9日 22:10~24:00

 「ロシアの新興財閥 繁栄と没落の軌跡)」

  http://www.nhk.or.jp/bs/wdoc/wdoc.html#yote

 ● 10月22日 22:15~23:00

 「問われる警察と司法(仮題)」

  http://www.nhk.or.jp/bs/wdoc/wdoc.html#yote

■その他イベント

 

 ●10/10 東京:ドキュメンタリー・ドリーム・ショー(「ルート181」上映あり)

 http://www.cinematrix.jp/dds/2006/08/181.html

 ●10/12,13 東京:戦場体験を語り継ぐ元兵士・軍属1000人展

 http://www.notnet.jp/topindex.htm

 ●10/18 東京:ドキュメンタリー・ドリーム・ショー(「メランコリア 3つの部屋」上映あり)

 http://www.cinematrix.jp/dds/2006/08/_3.html

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いただいたメールは、内容により、サイトでご紹介いたします。公開を希望されない方は、その旨お書き添えください。

▼ 編集人:邦枝律 発行人:大富亮

たった今知ったばかりで、ただただ、絶句するのみです。

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/searchdiary?word=*%5B%A5%C1%A5%A7%A5%C1%A5%A7%A5%F3%5D&.submit=%B0%DC%C6%B0

ポリトコフスカヤは,チェチェンにおける拷問の実態について執筆中だったそうです.

●MosNews.com

●CNN.com – Page not found

報道関係者への脅し・暗殺はあとを絶ちませんね.

全てとは云いませんが,これもその一つかと思います.この数字は異常です.

 イラクで殺害されたジャーナリストたち – 【ねこまたぎ通信】

これらの事実は,何を物語っているのでしょうか?

是非ご一読ください.合掌.

チェチェン やめられない戦争

チェチェン やめられない戦争

プーチニズム 報道されないロシアの現実

プーチニズム 報道されないロシアの現実

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 チェチェンニュースの気になる記事

■独立派・サドゥラーエフ大統領の殺害について

チェチェン独立派のサドゥラーエフ大統領が、6月17日の早朝に親ロシア派部隊によって殺害されたというニュースが入った。独立派のザカーエフ外相がこれを認めたので、おそらく確かなのだろう。

サドゥラーエフのあとは野戦司令官・副大統領のドック・ウマーロフが繰り上がるようだが、選挙を経ずに大統領が交代していくと、権威の低下は否めない。05年3月のマスハドフの暗殺の後、サドゥラーエフの1年3ヶ月の任期の中で目立った動きはなく、「独立派の実権は、モスクワの劇場占拠など数々のテロ事件に関与したとされるバサエフ野戦司令官らに移っており、チェチェン情勢に与える影響は少ないと見られる」[5/17 朝日]という指摘は大体正しいのではないだろうか。

●この事件の意味

ウマーロフの大統領就任が実現すれば、独立派の実権は、政治家から野戦司令官に移ることになり、チェチェン情勢の転換点の一つ(悪いほうへの)となる可能性がある。

事件が示す特徴を私なりに書くと、これは今までも見られた、ロシア側の拒否主義・暗殺主義の例の一つだと思う。ロシア側との交渉姿勢を多少でも持った人物から、順番に消されていき、残るのはロシア側との徹底対決を主張する野戦司令官だけになってきている。(ウマーロフについて私は不勉強だが、とりあえずインタビュー記事あたりを読んでみる)

●親ロシア派が殺害を実行したとすれば・・・

サドゥラーエフの殺害を、おそらくラムザン・カディロフが請け負ったのは、もしロシア政府が、交渉の相手としての独立派地下政府を認めた場合、自分たち親ロシア派政権の存在意義がなくなってしまうという計算もあるはずだ。またこの場合、ロシア側による暗殺攻撃というより、チェチェン人同士の内紛または内戦というイメージに近くなり、ロシア政府にとって好都合だ。今後はますます親ロシア派を手先に使った攻勢が強まるだろう。見かけ上の「内戦」は、現実のそれへと変化していく恐ろしい可能性があるのだが。

●ロシア政府と過激派の「合作」

「チェチェンの権力は過激派に移った」とする見解は、拒否・暗殺主義を結果として補強、あるいは追認している。こういうのを、遂行的というのだろうか。「そんな連中と交渉など、できるわけがない」と言いたいのは、誰よりもプーチン政権だからだ。99年に第二次チェチェン戦争がはじまって以来のロシア政府の主張は、「和平交渉に値する相手はいない」というものだ。事実はそうでないにも関わらず、いないと言い続けるためには、交渉の可能性を持った人物を消し続けるしかない。私個人はバサーエフとでも誰とでも、平和のためなら交渉すべきだと思うのだが。

さらに、今回のサドゥラーエフ殺害のわずか2日前、バサーエフは2004年のアフメド・カディロフ(親ロシア派大統領)暗殺を「自分が5万ドルで某人物に依頼した」と、ビデオテープを使って公表し、各国のメディアに流れた。意味の読み取り方は何通りもあるとはいえ、事件はそういうタイミングで起こっている。

私は、戦争を続けたいプーチン政権と、同じく戦争を続けたいバサーエフたちの合作によってチェチェン戦争が続いているのだと考えている。こうした合作説、あるいは陰謀説には批判も多いのだが、実際の打ち合わせのあるなしには関係なく、結果として両者の意図と推移は一致している。イングーシほか、北カフカスを旅行してもバサーエフは殺されることがなく、チェチェンを出ないマスハドフや、マスハドフの系譜にある政治家は次々と潜伏地で殺されていく。そして戦争は終わらない。

●取り残される人々

想像してみると、カディロフ暗殺を得意に公表して再び「勇名」をはせたバサーエフは、その翌々日のサドゥラーエフ殺害のニュースを知り、ある種の孤独感を抱いたのではないだろうか。自分がこうして交渉の不可能性の象徴として利用されていることに気づくセンスが残っているとすれば。彼は、浜辺の引き潮の中の石ころのように取り残されようとしている。

けれど、本当の意味でこの殺人ゲームから取り残されているのは、ゲームとはまったく別のレベルにいる人々だ。たとえば、チェチェン内の10万人の難民や、5万人のイングーシの難民、数知れない、南コーカサスやヨーロッパにいる難民たち、それから、ロシア軍の空爆で家族を失い、掃討作戦で拉致され、消された人々にとってこそ、戦争は災厄なのだと思う。(大富亮)

関連記事

 Заявление МИД ЧРИ: http://chechenpress.net/events/2006/06/17/11.shtml

 サドゥラーエフの人物情報:http://chechennews.org/basic/biograph.htm#sadulaev

「チェチェン独立派の後継大統領を殺害 ロシア治安当局」[6/17 朝日] :

 http://www.asahi.com/international/update/0617/012.html

「ロシアマスコミ、サドゥラーエフ大統領殺害を報道」[6/17 ChechenWatch]

 http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1922

アフマド・カディーロフ抹殺には5万ドルを支払った」[6/15 ChechenWatch]

 http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1919

よろ↓

チェチェンニュース Vol.04 No.39 2004.11.10

INDEX: ファルージャ攻撃に反対の声を

ポリトコフスカヤ:すべては忘れられてしまう

■ファルージャ攻撃に反対の声を

 今日、イラクの都市ファルージャが米軍に包囲され、病院が破壊されるなど、すさまじい被害が出ています。当然ですが、チェチェンでしてはならないことは、イラクでも、してはならないことです。

 最新情報: http://teanotwar.blogtribe.org/

 95年4月、チェチェンのサマーシキ村を包囲していたロシア軍が、この村にテロリストがいるとして攻撃を開始し、人口1万5千人のうち、数百人から千人の村人が殺害されました。どこまでも似通った状況。

 この掃討作戦の発端から追う良書「ファルージャ2004年4月」:  

 http://books.rakuten.co.jp/afvc/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1683860&rbx=X

 ほかにも米国防総省への抗議: 

 http://humphrey.blogtribe.org/entry-37372d1ddd8cb6807a78fa8e0e676512.html

 街頭での緊急行動: http://www.worldpeacenow.jp/

 これが、ジョージの選出にともなう世界への祝福、最初の一撃。(富)

■すべては忘れられてしまう

9月18日/ラジオ・リバティ(米国系放送局)の番組「今週のテーマ」より

<記事について>ポリトコフスカヤの最近の記事の続き。ラジオ番組で、視聴者の質問に答えるかたちで、北オセチアの事件についての彼女の考えを述べている。

ドミトリー・ヴォルチェク(司会) :これまでにプーチン大統領が提案した選挙制度の改正に対する反応と、ベスランのテロ事件の犠牲者の遺体確認について語ってきました。ここからは、「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙のアンナ・ポリトコフスカヤ評論員とともに続けたいと思います。

アンナ・ポリトコフスカヤ:こんばんは。

<司会>:あなたの新聞は独自の調査をおこなっていることで有名ですが、ことに、モスクワでの数々の爆破事件や「ノルド・オスト」(2002年のモスクワ劇場占拠事件/訳注)で、一般の捜査が隠してきた多くのディテールが、まさにあなたがたの新聞のおかげで明らかにされました。今はもちろん、ベスランのテロ事件の状況を独自に調査しておられるのでしょう。まず伺いたいのは、検察が公表した事実についてと、バザーエフが声明に述べた事実です。それぞれ矛盾しており、ことにテロリストの頭目「大佐」の名前が合っていません。どちらを信じるべきなんでしょうか?

 あなたはどんなデータを持っていますか?あなたのジャーナリストとしての調査はどういう方向に向けられているのでしょうか?テロ事件のどの部分に注目すべきなんでしょうか?あなたの判断では、コレスニコフ副検事総長が隠しているのは何でしょうか?

<アンナ>:今のところ副検事総長はなににも注目していないようです。もしかするとこれは捜査上の秘密かもしれませんが。しかし、それでもわたしたち「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者たちにとってばかりでなく、他のジャーナリストにとっても最大の問題は、いまだに自分の身内を見つけ出せない家族を、どう支援するかと言うことです。

 つまり、いまだに行方不明になっている人たちの家族に支援し、不明の人たちはどこに今いるのか、明らかにさせることです。ご存じのとおり、そういう身内の人たちは あの突入の後でもすでに無事なところを見ていたり、直接抱いて運んだりして、誰かに手渡した、それっきり誰も見た者がいないんです。これが一番おおきな問題です。(事件の解決直後には無事の姿がビデオなどに写っているのに、その後行方不明になってしまった人々がいる/訳注)

 第二に、調査をおこなっている報道関係者が抱える課題というのは、どうして政府が嘘をついたのか(人質の人数を意図的に少なく発表した/訳注)、その説明を見つけることです。それが人質の家族の不信感を極限追いやり、結局その父親、夫、兄弟などがみずから武器を手にして突入してしまい、結果として余分な悲劇を引き起こしました。

 結局、9月3日(突入の日)に起きたことについての責任は誰にあるのでしょうか? いくつかの事情が偶然にかさなりあったと言う説はあまり信じられません。連邦保安局 (FSB)のパトルシェフ局長や、その他参謀本部にいた人々はどう関わっていたのか?これはとても重要な課題です。誰も、こんな事件が繰り返されることを望んでいませんし、もっとひどいことが起きてしまうことをおそれていて、だれもカサンドラ(ギリシャ神話の人物。将来を見る能力を持つが、呪いにより、誰もその予言に耳を傾けない/訳注)になりたくないのは間違いないからです。「ノルド・オスト」やベスランでいやというほど苦い思いを味わっている人たちは、政府や国の代表が何かする能力があるとは思っていない。人々は自分で人質の解放作戦を行い、私刑を行うでしょう。真実を見つけることがどうしても大事です。検察庁にとってだってそうでしょう。さもなければ混乱するばかりです。

<司会>:あなたが触れた第一の問題、突入のあとで消えた子どもたちのことです。どこにいるか、全然わからないのですか。あなたの意見は? オセチアでは、武装勢力の多くが逃げおおせていて、子どもたちを人質として連れ去ったという噂が広がっています。そういうこともあり得ますか?

<アンナ>:もちろんそんなことは恐ろしいことですが、あり得ると思います。まず第一に、いろいろなディテールから見ると、武装勢力の一部は逃げおおせています。遺体がなければ、その人たちはどこかへ行ったということです。そして、まだ人質になっている子たちがいるのかもしれない、そして恐ろしい結末を知ることになるのかも。これまで人質になった人たちを探したのと同じように、今行方不明の人たちを探すべきです。

 今、ジャーナリストたちの課題は、行方不明者を人質とみなして、第一次、第二次チェチェン戦争のあいだチェチェンやダゲスタンで仕事をしてきた者は、みなそれぞれが知っているルートを伝って、その人たちを探すことです。いま行方不明となっている人たちの全員ではないかもしれないけれど、誰かは見つかる、その人たちを救い、身内の人たちのもとに返してあげる希望はあるんです。

<視聴者>:こんばんは。まず、ポリトコフスカヤの勇気、豪胆さ、美しさに感激していることを伝えたい。わが国全体の報道が彼女のそれにほんのわずかでも近付いていれば、事態はもっと違ったものになったでしょう。将来の検事総長は、今の検事総長とプーチン大統領を追及すべきだと思いませんか?これは世界にとっても、ことにわが国の世論にとっても、有益だと思いますが。オセチアで起きたことは再び起きうる、そういう政策なんです。自業自得なんですから。

<アンナ>:もちろんそれは極めて正義にかなった、そして必要な考えだと思います。今はそんなことは夢のまた夢ですけど。というのも、わが国の大統領はますます皇帝のようになってきているし、検察が手をあげられない、特別の神が使わした皇帝のようになってきていて、ますます治安機構の管理からはずれてきている。しかし、もちろん、そういう問題提起は必要です。まさにそこに鍵があると思います。

<司会>:今週マスコミ各社が、バサーエフ(チェチェンの強硬派野戦司令官/訳注)の犯行声明を伝えていました。バサーエフはどうしてあんなに詳細に、かなり乏しい財政状態まで含めて、テロ活動の準備を書き記す必要があったのか、どう考えますか?

<アンナ>:まったくわかりません。だいたいあの声明について、わたしは極めて懐疑的です。もうこのあと、バサーエフは首をくくるしかないと思います。彼があれを書いたと言うことが確認されたなら、それしかしかたないでしょ? 以前にはそう思っていなかった人にとってすら、彼は嫌われ者なのです。第二にあの声明が発表されたサイト(カフカスセンター)です。わたしが取材してきた経験でも、このサイトで発表されたマスハードフの声明が本当にマスハードフのものかと、証明を求めざるを得なかったことが何度かあり、結局作り物だと分かった例があるんです。

 私自身がチェチェンで調べた二つの事件にも関わっていました。2002年と03年に起きた二つの悲劇に対しても、カフカスセンターは嘘を発表していた。だから、あれが発表されたとき、本当にバサーエフの声明なのかどうか確かめる必要があった。何かとバサーエフにこだわる、私たちだけでなく、検事総局も、プーチンも同じで、何か非常にたちの悪いゲームです。(野戦司令官は)バサーエフの他にもたくさんいて、その名前があまり知られていないのけれど、だからといって残虐性が減るわけではないのです。

 エヴローエフの名はどこへ行ってしまったんです? 最も残虐な野戦司令官の一人ですが。エヴローエフがまったく話題にならないということは実にけしからんと思います。わたしも、他のジャーナリストも、エヴローエフが今回のベスラン事件やイングーシでの6月21日、22日の事件に積極的に関与していたという間接的な情報を得ています。バサーエフ捜しはわが国の治安体勢の慢性的な癌のようになっています。この癌がチェチェンで起きているすべての隠れ蓑になっているんです。すでに5年になる第二次チェチェン戦争、あるいはいわゆる対テロ作戦の結果、新たな名前(人物たち)が生まれつつあるのに。その人物はバサーエフより数倍恐ろしいのに。

<司会>:カフカス・センターで公表されたマスハードフの声明の偽物のことですが、ラジオ・スヴォボダにマスハードフ自身の声の録音テープが届きました。ここではベスランの事件への関わりを否定しています。聴いてみましょう。

<マスハドフ(独立派・チェチェン大統領)>:ロシアの特務機関とマスコミは、最近ベスラン事件の首謀者が、マスハードフを初めとする、チェチェンのレジスタンスの直接のリーダーたちだと主張している。これに関して以下のことを言いたい。このような主張はこれまでもなされていたし、いまさら驚くことではない。「ノルド・オスト」を思い出して欲しい。レフォルトヴォ監獄(モスクワにある、KGB時代からの監獄)やチェルノコソヴォの収容所(チェチェン北西部の選別収容所)で、どんな方法によって人々が自白を強要されてきたかを、われわれはよく知っている。

 一週間前、ロシアの特務機関はその手の芝居を打ってきた。私の親族を女子どもを含めて片端から人質に取り、テレビの前に据えてこう言わせようとした、マスハードフに向かって、ベスランの子どもたちを解放するよう訴えると。これを見た一般の人たちに、これらのことのすべてはマスハードフがやらせていること、彼の命令によって行われているのだと思いこませるためだ。事実はそうではない。

 もし、ロシアの指導者たちが、私があの類のテロ活動の指導をしていることを強く望んでも、残念ながらその願いは叶わない。わたしにはそんなことはできない。われわれはプーチンの譲歩など必要としていないし、幼い子どもたちの命とひきかえにプーチンに戦争をやめさせる必要もない。われわれはロシアに戦争をやめさせるのに、十分な方法も手段も力も持っている。

 われわれは外交によって、国際社会と、国際機関の眼をひらかせ、チェチェンでおきていることを見せたいのだ。ロシアの特務機関や軍がチェチェンで行っている獣のような残虐行為を、ロシアの虚偽を明らかにしたいのだ。そして世界に納得して貰いたい、われわれはテロリストでも過激派でもなく、国際テロリズムとは何ら関係がなく、この戦いはまったく別のものであることを。

 国内政策として、われわれはプーチンやその配下の特務機関に、内戦を挑発されないように努力している。チェチェンのレジスタンスの軍事政策としては、ロシア連邦軍に対して組織的に、近代的な、通常許される方法によって闘うということであって、われわれの敵がそこに引き込もうとしているような方法に移行するまいとしているのだ。(テープここまで)

<視聴者>:こんばんは。いろいろなテロ事件のすべてに、とても憤激を憶える。なぜか、テロ活動の目標にされるのがいつも一般市民で、死ぬことは大した意味がないような人たちが選ばれてきた。ロシア革命の前のテロ事件を見れば、その標的はつねにロシア帝国の指導部であり、そのもくろみは成功してきた。なぜ、今おきるテロはロシア下院も、政府のメンバーも、プーチンもその身内も狙わないのか?こういうことすべてに疑念を持っている。

<アンナ>:高官だろうと普通の人だろうと、テロの犠牲にはなってほしくありません。でもあなたの気持ちは分かります。わたしもレジスタンスの人たちと話しました。あなたがたは同じ仲間の、自分の共和国の中で連邦の協力者を敵に回している、カディロフ(親ロシア・傀儡政権の大統領。2004年5月に暗殺された/訳注) を憎み、そのあとはラムザン・カディロフ(前者の息子で、武装勢力を率いて住民の人権を抑圧している。現在同政権の副首相/訳注)を憎み、アル・アルハーノフ(現在の傀儡政権の大統領/訳注)を憎んでいる

 そう言う人たちとは好きなように闘えばいいわ。それによって、何も変わらず、チェチェンはこれまでどおり、真空地帯のまま(混乱して権力の所在がはっきりしない状態/訳注)でいくんだから。それがチェチェンのレジスタンスだし、ラムザン・カディロフなわけ。カディロフの死でツエントロエ村 (カディロフの生地)が喪に伏しているとき、大統領代行のセルゲイ・アブラーモフの息子誕生を祝って騎馬武者が集まってきた。あの人たちにとってはこんなテロ事件なんかどうでもいいということです。そういうお祝いの一方で子どもたちが命を落としている。

 今、マスハードフの声明を聞いて、私たちはこれには関わりがないという彼の立場は理解した。でもベスランに行った人たち(ゲリラたち)はその行動を第二次チェチェン戦争をやめさせるためだと説明している。だから、チェチェンのレジスタンスがこれに関わりがあったのだろうと、わたしたちはどうしても思ってしまう。もしかしたら、マスハードフ派ではないかもしれない。そう言わざるを得ない。だから、どうぞクレムリンの協力者をねらって闘うならそれも結構、ただ、あの子どもたちはもう学校からどこへも出ていけないのに、ラムザン・カディロフはお祝いの騎馬隊に参加しているなんて、どうしても気に入らない。(8月末に行われた親ロシア派の大統領選挙の結果、わずか27歳のラムザンは副首相に任命された。その祝いを指すのかも知れない/訳注)

<司会>:でも彼の父親は爆殺された。そのことを、ベスランの作戦本部にいたニコライ・モシンツエフ・アゼランスキーが語っています。プーチンは人質事件の二日目には、テロリストのあらゆる要求を受け入れ、チェチェンからの軍の撤退にサインする覚悟だったと。あなたがもっているデータから、この話は信じられますか?

<アンナ>:わたしは信じられません。その人を信じられないからではありません。わたしが持っている情報では、プーチンがその用意があったのは9月1日の17時までで、それからは違います。一方、わたしたちは大統領府の異なる人々から球を投げられ、内容はそれぞれに異なるものでした。

<視聴者>:こんばんは。アンナの声が聞こえて嬉しい。彼女が元気になったので嬉しい。テロ事件というものが起きるようになったのがいつか、と訊きたい。わたしの記憶が確かなら(わたしは年寄りだから)初めてのテロ事件は99年のマネージナヤ広場だった。エリツイン大統領が戦争をしていたころにテロはありませんでした。プーチンがはっきりと浮上してきた時からテロ事件が起き始めた。初めて住宅が爆破されたとき、「地下室、天井裏をふさぎなさい」と言われた。家(集合アパートを指す)の地下室はまさに誰でも入れた。うちの建物は特別の人たちが住んでいました。わたしは隣人に言ったんです「ここの地下室はどうしてきちんと閉めてしまわないの?」その答えは「心配ないわ。FSBは誰の家を爆破すべきか間違えないから。都心から離れた普通の人の住宅しか狙わないわ」これは一般のひとでなく、ある大学の学長が言った言葉です。

 でも彼女はもう亡くなりました。それから次々にテロ事件が始まりました。「ノルド・オスト」、あれは私に言わせればFSBが実に上手に仕組んだ作戦だったのだと思います。テロリストは全員殺され、誰も処罰されず、逆に報奨され、首尾良くいった作戦をたたえられて、連邦保安局のパトルシェフ長官はロシア連邦英雄の称号を受け取ったのです。129人の人たちは、テロリストの弾丸でではなく、毒ガスで殺されたのですよ。中毒性ガスの実験が行われたのです。アメリカはいったいこのガスはなんだったのだ?と警戒心を強めました。何だったのかつきとめられたのかどうか・・・、

<司会>;アンナ、ノルドオストが連邦保安局の挑発だったという意見に賛成ですか?あなたはこの事件の調査をしていますね。

<アンナ>:いいえ、あれはFSBの挑発ではなかった、あれはFSBによって化学兵器が使われ一部の市民を殺戮したということです。使用した化学物質によって死がもたらされることを、意識して行ったのです。でも、私もタチヤーナさん(視聴者)の意見に同意しないわけにはいきませんが、ジャーナリストとして求められる確証がないのです、FSBが住宅爆破にかかわっているということの。もちろん、そういう説がありますし、それを信じてさえいますが、いまに至るまで確証がありません。それに、もちろん、わたしはなんでも特務機関のせいにするつもりではありません。

 「ノルド・オスト」について言えば、あれはもちろん現代の恥辱です、あの後で孤立無援になった、かつての人質や、犠牲者の家族たちにとって、あの悲劇は。わたしはショックをうけました。あの人たちが、「ノルド・オスト」で子どもたちを失った父親や母親たちが、今度はベスランに出かけていったのです。その人たちがお金を集めたんです。このすべてを乗り越えて、せめて、そばにいてあげるために、あるいは立ち直る助けになれるかもしれないと出かけていった。ベスランで自分の一番幼い子どもたちを失った親たちが自殺してしまったことも、知ったからです。

 わたしは、特務機関の関与(の証拠)を探すだけでは足りないと思います。社会はこのテロ事件の被害者たちを支えてあげることに集中すべきです。そういう人たちが忘れられています。地下鉄で亡くなった人たち、ノルドオストの被害者たちも、忘れられています。考えるのも恐ろしいことですが、わたしたちの社会では、その気になって努力しなければ、ベスランの犠牲者のことすら忘れてしまうでしょう。

原文: http://www.svoboda.org/ll/terror/0904/ll.091804-1.asp

訳:TK

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チェチェン人とは誰か?

チェチェン人とは誰か?

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kafkas/people/2-che01.html

【原文】Who are the Chenchen?

by Johanna Nichols, on Linguist list 13 Jan. 1995

イントロダクション

チェチェン人とその西に隣り合うイングーシ人は別個の言語を持つ別の民族グループである。

しかしその関係には非常に近い関連性があり、似通っているため、彼らについてはともに記述するのが適当である。

「チェチェン(Chechen)」とはロシア語による民族名であるが、これはある低地の村の名から採用されたもので、国名の「チェチェニャ(Chechnya)」もまたここから由来している。(いずれもロシア語では最後の音節にアクセントがある)

この単語は明らかにトルコ系言語からロシア語に入ったもので、それはおそらくクムク語(コーカサス平野の北部および東部地域で使用される)であろう。

チェチェン人は自らを「ノクチ(Nokhchi)」と呼ぶ。(単数形は「ノクチュオ(Nokhchuo)」)

同様に、イングーシもまた彼らの自称で はなく、ある村の名を元にしたロシア語による民族名にすぎない。

イングーシ人は自らを「ガルガイ(Ghalghay)」と呼ぶ。

人口統計

1989年の統計では、チェチェン人は95万6879人、イングーシ人は23万7438人である。

チェチェン人は北コーカサスでは最大の民族グループで、(南コーカサスを含む)コーカサス全体では、グルジア人に次いで第2番目のグループである。

地勢

チェチェンとイングーシの土地は、ダリアル峠を経由して中央コーカサスを縦断する幹線道路の東方に位置しており、山麓及び平地から山岳高地に向かって広がっている。

低地は土壌が豊かで、雨も多く、農作物の成長時期は長い。また小規模ながら油田も存在する。

その東隣には、ダゲスタンのさまざまな民族が暮らしている。(彼らの多くはチェチェン語に関連性のある言語を使用する【注1】)

北部平野部にはトルコ系言語を話すクムク人【注2】、そして(この3世紀の結果として)ロシア人が居住している。

西にはイングーシ人、そしてさらにその西にはインド=ヨーロッパ語族イラン系言語を話すオセチア人が暮らす。南は(中央コーカサス山脈を越えて)南オセチア人およびグルジア人がいる。

チェチェンおよびイングーシ領には、実質的な都市が二つある。

グロズヌィ(1995年当時で人口約40万人)は、ロシアによるコーカサス征服の間に、ロシアの要塞として建 設されたチェチェンの近代的首都である。

ウラジカフカス(人口約30万人、ソ連時代には「オルジョニキジェ」として知られた)は、イングーシ高地のイングーシ=オセチア領土境界にあるが、これもやはりダリアル峠を監視するために建設されたロシアの軍事要塞を起源としている。

イングー シ低地にあるナズランは今も昔も重要な商業都市である。

これらの都市は相当数のロシア人や非チェチェン、非イングーシ人口を抱えていた。

ウラジカフカスにはイングーシ人とオセチア人、それに非常に多くのロシア人、グルジア人が混住していた。(グロズヌィは現在(94~96年のチェチェン戦争時を指す)ロシアの爆撃によって破壊され人口が激減 している。

ウラジカフカスとそれに隣接するイングーシ人の土地では、1992年後半にイングーシ人の民族浄化が行なわれた)

帝政時代、ソヴィエト時代、ポスト・ソ連と、いずれのロシア政府もさまざまな方法を用いて、チェチェン人およびイングーシ人を経済的に重要な地域から排除し、その地域にロシア人およびロシアのコサックが居住するように奨励してきた。こうして都市および低地における混住がもたらされたのである。

言語

コーカサス地方は、古代からその言語の多種多様性と、この地特有の語族に見られる特異な文法構造で、知られている。

こうした多様性が保持されてきたことは、数千年にわたって、この地域の独立 した各民族グループが概して平和的な関係にあったことを証明している。

チェチェン語とイングーシ語は、Batsbi あるいは Tsova-Tush(絶滅に瀕しているグルジアの少数民族言語)とともに、ナク=ダゲスタン語族もしくは北東コーカサス語族のナク方言群を形成している。

北東コーカサスには30以上の言語があり、そのほとんどがチェチェンの東にあるダゲスタンにおいて使用されているものである。

ナク方言群が他の言語から分離し たのは5000~6000年前に溯るが(すなわちナク=ダゲスタン語族の歴史は古く、英語やフランス語、ロシア語、ギリシャ語、ヒンドゥー語の属するインド=ヨーロッパ語族のそれに匹敵する)、チェチェン語とイングーシ語から分離したのは中世の頃と考えられる。

ナク=ダゲスタン語族全体はコーカサス山脈の土着言語であって、コーカサス内外の他のどの言語とも明白な関係は認められない。

ほとんどのコーカサス言語と同様に、チェチェン語は多くの子音を有し、アラビア語にみられるような口蓋垂音や咽頭音、それにアメリカ先住民族言語に多くみられるような声門閉鎖音や破裂音の子音を含んでいる。

音声構造はスウェーデン語やドイツ語にいくらか似ているところがある。

チェチェン語は、その姉妹諸語と同様、12の主格変化といくつかの性変化を含む語尾変化を持っており、 主文節をつなぎ合わせて、長く複雑な文を形成する。

格変化は、他動詞の主語が間接格の形で現れ、直接目的語は自動詞の主語のように主格となる。動詞は人称に一致しないが、直接目的語あるいは自動詞の主語に関しては、性に一致する場合もある。

チェチェン人の97%もしくはそれ以上がチェチェン語を自分の第一言語と主張する。

またほとんどの人はロシア語も話し、非常に流暢である。

チェチェン語とイングーシ語は互いに非常に近い関係にあるので、少し練習すれば相手の言うことをよく理解できるようになる。

両言語が接している地域においては両方が使用される。チェチェン人はイングーシ人にチェチェン語で話しかけ、イングーシ人はイングーシ語で受け答えし、会話はだいたいスムーズに成り立つ。

チェチェン語は伝統的に文字で書かれる言語ではなかった。

1930年代にロシア語のアルファベットを用いた音声表記が創出され、さまざまな出版物で使用されており、ほとんどのチェチェン人にとって読み書きのの手段は主にロシア語である。

伝統的にほとんどの北コーカサス社会がそうであったように、多くの人がバイリンガルもしくはマルチリンガルで、異民族間のコミュニケーションには重要度の高い低地語が使用され(例えば、商業言語であり、早期にイスラムに改宗した人々が用いたクムク語)、読み書きにはアラビア語が使用された。

こうした役割において、今やロシア語がクミク語やアラブ語に取って代わるようになっている。

特に、チェチェンやイングーシ経済の破壊が進み、失業、大量の流民化が社会構造を覆し続ければ、チェチェン語とイングーシ語が機能的に家庭内のみの言語となり、完全にロシア語に屈することになるだろう。

これは多くの文化的遺産が失われることを意味する。

歴史

チェチェン人が、6000年あるいはさらに長期にわたって、現在の領土内もしくはその近くに居住してきたことは明らかである。

それは、中央ダゲスタンに8000年もの途切れることのない考古学上の連続性があり、「ナク=ダゲスタン」語族が古くから土着のものであったことを示しているからである。

コーカサス高地は古代、比較的人口が多く、繁栄していたようである。

中世後期から19世紀までの「小氷河期」として知られる世界的な低温期は、高地の寒冷化を進め、植物の成育期季節を短くした。高地経済は弱まり、低地移住の引き金となり、高地の村々は放棄された。

この経済危機は1500年代末から1800年代半ばまで続き、ロシアのコーカサス征服と時期を同じくしている。

記録に残された歴史上、そして推定可能な有史以前においても、チェチェン人は(これについてはイングーシ人も同様に)防衛以外での戦闘を起こしたことはなかった。

ロシアによるコーカサス征服は困難で、多くの血が流された。

広大な低地領土を持つチェチェン人とイングーシ人、そして中央峠への通路は第一のターゲットとされたが、それは同時に最も強固に防御されていた。

そこでロシアは、低地の村々を破壊し、住民を追放、虐殺し、高地を降伏させた。

おびただしい数の避難民が中東のさまざまなイスラム諸国に移住し、あるいは追放された。

そして今日に至るまでチェチェン人はヨルダンやトルコに居住している。

以来、さまざまなチェチェン反抗勢力が存在 し続けている。それはロシア軍やソビエト軍に対するものであったり、集団化、反宗教政策、ロシア化に抵抗するものであった。

1944年、チェチェン人とイングーシ人は、カラチャイ=バルカル、クリミア・タタール他の民族とともに、カザフスタンやシベリアに集団追放された。その際、総人口の1/4もしくは半分が命を落とした。

1956年に「名誉回復」され、1957年に故郷への帰還は許されたものの、彼らは土地、経済資源、そして市民的権利を失った。

以来、ソ ビエトおよびポスト・ソ連政府の下で、彼らは(公式あるいは非公式に)差別と差別的論調の対象 であり続けている。

最近でも、ロシアのマスメディアは、チェチェンの国家や民族を、 ロシアでの組織犯罪や暴力事件を引き起こす殺し屋や盗賊のように描写している。

1992年末、ロシア軍の戦車と部隊が北コーカサスに送り込まれた。

表向きには、1944年の強制移住後に北オセチアに政治的に編入された伝統的イングーシの土地をめぐるイングーシ人とオセチア人の民族紛争の平和維持軍ということになっていたが、実際には北オセチアからイングーシ人を強制的に排除し、そこにあったイングーシ人の村々を破壊したにすぎなかった。

多くの死者が出、そのときの避難民は6万人に上る(イングーシの総人口の1/4に当たる)と現在も言われている。

(中略)

現在進行中のチェチェン侵攻(94~96年のチェチェン戦争時を指す)は、これはチェチェンの低地に居住する、ロシア人を含む全住民に、多大な人的損害をもたらすことを意味する。

だが、チェチェン民族にとっては、民族浄化、経済破壊、言語的文化的遺産損失の危機なのである。

宗教

チェチェン人およびイングーシ人は、ハナフィー学派【注3】のスンニー派ムスリムであり、17世紀後半から19世紀初頭にかけてイスラムを受け入れた。

以来ずっとそうであったように、現在もイスラムは穏やかではあるが、強く信じられており、彼らの文化的・民族的アイデンティティの中心的な要素である。

経済・慣習

低地のチェチェン人は伝統的に穀物栽培者であり、高地のチェチェン人は羊を飼育している。

ロシアが現れた当時、低地は豊かで余剰穀物を生産する一方、高地は食糧自給ができず、羊毛と卵を低地の穀物と交換していた。

チェチェンの社会構造と民族的アイデンティティは、家族及び氏族の名誉という諸原則、 年長者に対する敬意と服従、客へのもてなし、家族と氏族間の公式な威厳ある関係、そして公私にわたる礼儀正しいふるまいによって成り立っている。

親族関係と氏族の構造は、家長制度的ではあるが、女性は社会的、職業的に男性と平等であって、経済的にも自立することを認められている。

概して、学者、作家、芸術家、知識人らは、ヨーロッパとイスラム世界の双方によく 精通している。

社会全体としては、北コーカサス固有の芸術的・知的伝統とともに、ヨーロッパやイスラム世界の遺産もまた自らのものと見なしていると言えよう。

社会組織

ロシアに征服されるまで、チェチェン人は独自の言語と領土を持つ独立した民族でありながら、そこに正式な政治組織は存在しなかった。

村々は、氏族がそうであったように、自治を行なっていた。

村々は戦時における相互防衛義務を担っており、氏族間には支援関係があった。そしてそれは、より大きな氏族連合(それらは概して方言と一致する)に結びついていた。

個々の氏族は尊敬される年長者に統率されており、年齢、親族関係、獲得した社会的名誉以外に、社会的階層や身分といった区別は存在しなかった。

【注】(日本カフカスクラブ)http://www5e.biglobe.ne.jp/~kafkas/

クムク人は平野部の都市に居住する。ダゲスタンおよびチェチェンの北部ステップには、同じくトルコ系でもキプチャク系のノガイ人が居住している。

原文「many of them speaking languages related to Chechen」であるが、実際のところダゲスタンで話されている言語(北東カフカス語族ダゲスタン方言群)がチェチェン語(北東カフカス語族ナク方言群)に近い、という意味ではない。筆者自身、改訂版では「… languages distantly related to Chechen and Ingush」と表現を変えている。

民衆の間では歴史的にスーフィー教団のナクシュバンディとカーディリーヤの影響力が強い。

真実はどこにあるのか?

東京新聞 学校占拠事件 狂気の背景

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040919/mng_____tokuho__000.shtml

 彼らは銃を手に生まれてくる-。チェチェン人に対する、そんなロシア人の固定観念を、さらにかたくなにさせたのが北オセチア共和国・ベスランの学校占拠事件だ。だが、三百三十人余りの犠牲者を出したせい惨な結末を招いた非は、チェチェン独立派と目される武装集団だけにあるのか。「狂気」の根をあらためて、検証した。 (外報部・稲熊均)

 ロシア司法当局が事件をチェチェン独立派の犯行と断定した七日、ロシア紙ブレーミャ・ノーボスチェイにこんな証言が載った。

 「彼はチェチェンで逮捕され服役しているはずだ。なぜ、あんな悪事(学校占拠事件)に加われたんだ」

 「彼」とは犯人三十二人のうち唯一の生き残りとされ、当局に拘束、起訴されたクラエフ被告(24)だ。証言したのはチェチェン共和国民警部隊の副司令官。テレビに映し出された同被告を見て、刑務所にいるはずの人物が実行犯に挙げられている疑問を口にした。

 同被告はテレビでは犯行を否定していたが、取り調べでは、事件に加わっていたことを認め、チェチェン独立派のバサエフ野戦司令官とマスハドフ元共和国大統領に指示されたと供述。これが事件の黒幕を特定する決め手となった。

 治安部隊突入のきっかけとなった体育館での爆発についても、ロシア司法当局は、犯人側が爆発物の配置を変えようとした際に偶発的に起きたと断定した。さらにクラエフ被告の供述から、そもそも「犯人側の最終的な目的は人質とともに全員が死ぬことだった」と結論づけている。

 しかし、治安部隊の突入直前まで犯人側と交渉に当たっていたイングーシ共和国のアウシェフ前大統領は話し合いの余地はあったことをロシア紙に明かしている。校舎内に入った同前大統領は犯人側から、チェチェンからのロシア軍の撤退などの要求を書いたプーチン大統領あての手紙を受け取り「あんたらの手紙は必ずロシア大統領に届けられるから」と繰り返した。

 その上で、アウシェフ前大統領は、いくつかの説得材料を得て、三日夕に、犯人側との直接交渉に臨む予定だった。「彼ら(犯人)の方だって、自分らの携帯電話番号を教えて、ロシアの高官の誰でも電話をかけてこられるようにしていたんだ」(同前大統領)。だが、交渉開始の数時間前の同日午後一時すぎ、治安部隊が突入、「すべてが水泡に帰した」(同)という。

 プーチン政権には「テロリストとは交渉せず」の原則がある。しかし、人質の解放に道を開く第三者の仲介をもロシア治安当局は嫌っていたようだ。それは、もう一つの「事件」も示唆している。ノーバヤ・ガゼータ紙の女性記者ポリトコフスカヤ氏が今回の事件現場に向う機中で、出された紅茶を飲んだところ重体となった“毒殺未遂事件”だ。

 同記者は飛行機に乗る直前、ロンドンのマスハドフ派と連絡をとり、マスハドフ氏自身が人質解放のため犯人側を説得する意志のあることを確認している。彼女自身、こうした情報などを材料に、犯人側との仲介に入る意志があった。

 実は、ポリトコフスカヤ記者は、二〇〇二年十月のモスクワ劇場占拠事件でも犯人側との交渉に当たっている。チェチェン問題を追い続けるジャーナリストの林克明氏は、彼女へのインタビューで、この交渉の詳細を聞いている。

 「犯人側の要求は当初、ロシア軍のチェチェン共和国からの完全撤退だったのですが、彼女は交渉で、チェチェン共和国内の一地区からのロシア部隊撤退にまで譲歩させ、撤退の動きが確認できた段階で人質全員を解放するとの妥協案を引き出した。しかし、その四時間後、ロシア特殊部隊の突入で、百二十人を超す犠牲者が出るわけです」

 プーチン政権がチェチェン独立派との交渉を避ける理由は、一九九五年六月のロシア南部ブジョンノフスク病院占拠事件の「教訓」からといわれる。バサエフ野戦司令官が直接指揮したこの事件での交渉により、ロシア軍との停戦協議開始という合意を引き出した。

 バサエフ野戦司令官は九六年六月、本紙との会見で「国際的にチェチェンは忘れ去られかねない民族だ。われわれが仕掛ける作戦の狙いはロシアが招いたチェチェンの惨状を世界に知らせることだ」と話した。

 実際、第一次チェチェン戦争では市民を中心に約八万人の死者を出す悲惨な実態が明らかになり、エリツィン政権には国内外から非難が集まり、独立派が勝利した。

 その「反省」からかプーチン政権のチェチェン政策は「情報統制」に重点が置かれている。第二次チェチェン戦争開始直後の九九年十月には当時、首相だったプーチン氏はテレビでこんな言葉を発している。「危険なのはテロリストではなく、ジャーナリストだ」

 林氏は「発言の直前、ロシア軍はチェチェン避難民の列を空爆し、数十人の死者を出している。これを目撃し世界に発信したジャーナリストに激怒したとみられます」と解説する。

 第二次チェチェン戦争のきっかけとなったのは同年九月の連続アパート爆破テロだ。チェチェン武装勢力の犯行とされているが、不明な点も多い。ロシア治安当局の関与を疑い取材中だったノーバヤ・ガゼータ紙のシェカチヒン編集長は食中毒死している。そのほかにもチェチェン問題の真相を追う下院議員らがなぞの死を遂げている。

 これまで十五回、のべ百八十日以上チェチェンで取材に当たってきた林氏は、「拷問や虐殺の証言はいくらでもある。ロシア軍の契約兵には、軍務につくことを条件に刑務所から釈放された犯罪者も多い。彼らによる略奪や強姦(ごうかん)も聞くが、報じられることは少ない。自分も今はチェチェンに入れない。チェチェンは密室になっている」と訴える。

 学校占拠事件で武装集団には女性兵士がいた。「黒衣の寡婦」と呼ばれ、戦争未亡人とみられる。だが、「未亡人」という表現は正確ではない。

 林氏は「チェチェンの女性は、兵士である夫が死ぬことは仕方ないと考える。しかし、ロシア軍の攻撃などで子どもが死んだことに大きなショックを受けている。一人息子が死んだ場合は、武装勢力への参加を認めている」と話す。

 イングーシに避難するチェチェン兵士の母親委員会の元メンバーはこういう。

 「今は言論が封じ込められ、何の訴えも発信できない。学校占拠は許し難い犯罪だが、誰が何のために起こしたか。真相が解明されなければチェチェンはただのテロ民族にされる。本当に忘れられた民族となる」

 ◇メモ チェチェンとロシア

 チェチェンがロシア帝国に併合されたのは1859年。第2次世界大戦末期には、ナチスに協力したとの理由で中央アジアに強制移住させられた。ロシアからの独立を宣言したことから1994年、エリツィン政権が武力介入、第1次チェチェン戦争が始まる。96年に停戦したが、99年、ロシアの再進攻で、第2次チェチェン戦争が始まる。チェチェンは良質の石油が産出されるほか、カスピ海油田のパイプライン・ルートに当たることから、戦争の背景には多大な利権も絡んでいる。