思わぬ事で巡礼列車に乗り合わせる羽目になった.
早朝,私と友人トラヤンがブッダガヤを発ってタンガ(馬車)に揺られてガヤの駅に到着したのは,ハウラー発デリー行 Weekly Janasa Exp.がガヤ駅を発車(7時17分発)する30分前だった.急いでヴァラナシまでの2等チケットを購入し,駅員に件の列車の発着ホームを尋ねると,ホー ムへと急いだ.
「このホームで間違いないですか?」と何度も確認した.
「ああ,このホームだよ,お前はジャパニか? 良い時計してるな,いくらだ」
「2000ドル」
彼は目を丸くして仰天した.しまった,一桁間違えた,ま,いいか.
朝食も摂らずにゲストハウスを出てきたため,ホームで売っていたチャイとサモサを買った.そろそろ時間だなと思う頃,もう一度時刻表まで見せて確認した.
「ああ,これは向かいのホームだよ」
「え」
その時,折しも向かい側のホームに列車が入ってきた.時刻は7時10分.
「定刻通りや,この列車や」
あわてて私たちはサモサをほおばりながら,陸橋の階段を駆け登り,そして駆け下り,列車に飛び込んだ.
列車は空いていてすぐに窓際の席を確保することが出来,再びサモサにとりかかった.この列車だとヴァラナシに到着するのは昼前になる,と時刻表を眺めながら,”スケジュール通りに事が運んでいる,インド何するものぞ”とほくそ笑んだ.
しばらく,窓外の景色を眺めながら,のんびりしていると改札の車掌が我々の客車にやってきた.切符を車掌に手渡すとにわかに車掌の表情が,「むむ,これ は」と変化した.車掌の表情につられて私の顔も「な,何か問題が...」と変化した.「こ,これは」と車掌の顔がさらに険しくなった.
「ジャパニ,お前たちはどこへ行くつもりだ」
「え,あの,この時計は200ドルです,ごめんなさい」
「私は,どこへ行くつもりかと尋ねているのだ.お前たち英語が分かるか?」
「ヴァ,ヴァラナシ・・」
「お前たちは今カルカッタに向かっている」
座席からずり落ちた.
「お前たちは,列車を乗り間違えたのだ.この先にコダマという駅があるから,そこで降りて上りの列車を待て.ここまでの料金はサルビスしてやる」
コダマ駅は人気の少ない駅だった.ホームの床に腰を下ろして上りの各駅停車を待った.そういえばと,途中で列車の窓から見えた列車事故の残骸を思い出した.ハウラー駅で足止めをくった列車事故というのは,あれだったのだ.
そうこうしているうちに,鈍行列車がやってきた.時はすでに昼前,予定ではヴァラナシについている時間であった.
実はこの列車がくせ者だった.乗り込んで再び窓際の席をトラヤンと向かい合わせで確保できたのは良かったのだが,さすがに鈍行列車,時刻表に記載されて いない無人駅―それはホームすらなく看板だけが立っている所もある―にも停車する.列車事故の現場を再び通過し,ガヤに戻った.ようやく振り出しに戻るこ とが出来た.ここから延々と続く各駅停車,まるで同じところをぐるぐる廻っているような錯覚すら覚える.違うのはじわじわと押し寄せる人の波であった.駅 に着くたびに乗客が増えてくる.座席は瞬時にして無くなり,通路の床も網棚も人と荷物で埋め尽くされていく.体の小さい子供は,網棚の上から珍しいジャパ ニをじっと見つめている.たちまち車内は飽和状態に達し,やがて人々は座席の隙間という隙間に収まっていく.おばちゃんたちは私の足下にも座り込み,私の 膝に肘を乗せてくる.「おいおい」とは云えなかった.外は見ることが出来なかったが,おそらく屋根の上にも大勢の人がのっかっているに違いない.
この人たちは,どこへ行くのだ.突然,誰かが叫びだした.
「モケナヘテナ、ゴテナムレ、ハイ!」
声に呼応して,乗客たちが掛け声を上げる.
「イェー!」
「サラナステレ、コチャナスレ、ハイ!」
「イェー!」
「テレスナムレ、コチェナスレ、アチャナヒン、ヘ!」
「イェー!」
おいおい何が始まったのだ.掛け声は,その後も止むことなく続いた.駅に着く度,声は大きく増幅されていく.どうやらヴァラナシへ巡礼に行くのだ,この 人たちは...大合唱が始まった.意味は分からないが,神を讃える歌であることは歌の響きから容易に推察できた.そして,掛け声が上がる.
私も小さな声で歌った.
「♪インドの山奥で~しゅ~ぎょ~してダーイヴァ~ダッタの~」
やがて外は暗くなり,雨が降り始めた.一斉に窓を閉める.外にいる人を気にしている余裕はない.一寸の隙間もないほどに人と人が重なり合い,私たちは硬 直して微動だに出来ないのだ.彼らの果てしないエネルギーに気圧されて,あわれなジャパニはトイレに立つことすら出来ない.雨はますます激しくなり,時折 稲妻が闇夜に走った.閉め切った車内は息苦しい.
私たちにはまるで永遠の時を果てしなく走り続けているように思われた巡礼列車は,ムガール・サライを過ぎて偉大なるガンガーに跨るマラヴィヤ橋にさしか かった.すると,乗客たちは突然叫び声とともに窓際に押し寄せて,窓を開け放った.雨風がぶわっと車内に吹き込んでくる.
私とトラヤンは,押し寄せる人波によって窓際の壁に押しつぶされ,乗客たちは窓に向かって一斉にお賽銭を投げ始めた.そして,先にも増して歓喜の叫び声を上げ始めた.列車が鉄橋を渡り切ったところで止まった.人々は我先にと荷物をかかえて脱兎の如く駆け降りていった.
列車は,まさに嵐の過ぎ去った後であった.車内に残っているのは私たち二人だけだった.暫くしてヴァラナシ駅に着いた時,私たちは体力も精神力も使い果 たしたぼろ切れ状態で,ホームでつかまったリクシャーマンに引きずられるようにして外へ出た.時刻は夜の11時前であった.生も根も尽き果てた私たちは, もはや自力でホテルを探す気力は残っていなかった.
「チープで快適なホテルへ」と云って,リクシャーに乗り込んだ.
「ノープロブレム!」
そして,リクシャーはその上で泥状になったジャパニふたりを乗せて,ヴァラナシの街中へと消えていくのであった.

(この日,私のお腹に収まったものは,朝ガヤ駅のホームで買ったチャイとサモサだけであった)


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