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戒厳令の夜は更けて(朴大統領時代)
それまでの、台湾の穏やかな日差しに慣れていた僕には、韓国に着いた途端、震え上がるような寒気に、始まってもいない旅の厳しさを想像してしまった。以 外とすんなり通れたイミグレーションに感謝しつつも、何処か陰鬱な面影を見せる韓国の人々に、この先どうなるのやらと思わずにいられなかった。
一日目の宿は立派なホテルに汚いバックパックを、無造作に皴一つ無いベッドメイキングされたベッドの上に放りだした。真鍮の金具がバスルームの中で眩く 光り、不似合いな自分が此処に紛れ込んでいると鏡をみて、そう思った。夜の食事は当然このホテルの中では、取りたくなかった。近くの繁華街の焼き肉屋で、 他人の食べているものを指さし、壁に書いていあるハングル文字を見ながら食べた。さっぱり読めない、こんなに近い国で、書いてある文字が読めないなんて、 どう云う訳や。店を出ると日本とよく似た酔っ払い達は大きな声を張り上げ、右や左にふらつく足で歩いている。
通の脇にはゲロを吐いて倒れている酔客もいる。昨日までいた台湾ではそう簡単に見なかった光景が、此処には繰り広げられている状況の背景がどうしても、 脳裏に浮かんでしまう。しかし、同じ台湾も反共国家として夜の外出禁止令がある国だったが、特に意識したことは無かった。
翌朝、同じように街にブラリとホテルを出る。このクソ高いホテルに何日も泊まっていられる身分でもない、その為にも他のホテルも調べたかった。真っ赤な 汁が表面に浮かぶ韓国風おかゆを、ふうふう拭き顔を赤らめ胸のボタンを外して食べた。通りに再びでた僕は、隋分と多い革の衣料製品の今で言うブティクを冷 やかして歩いた。何しろ焼き肉の国やもんなー、革は豊富にあるだろうし、韓国は何よりも寒い。
寒いといえば、白菜や大根は美味しい。そして俺にに合うのはマッカリだ。(どぶろく)何処か鄙びた漁村に行って、雪がうっすら被っている漁師の船でも見ながら、しわくちゃ婆あの注いでくれるマッカリで、一杯と行きたいと想像してしまった。
ソウルには昔ながらの寺と門が残っているのが、バスの中からも見えた。高層ビルと広い通りに肩身の狭い思いをして、それらは排気ガスの中で精一杯頑張っ ているように見えた。寺の境内、公園の敷地内では、年配者達は昔ながらの衣装で団欒している。鍔の広いグッと突き出た帽子を被った人達は杖を持っている人 も多かった。彼らは僕を見ると、どう云う態度を取ればいいのか迷っている様でもあった。バスの中では、若い人達は年配者を見ると、自ら席を断って年配者に 譲っている光景に出会った。
これが後何年持つか、複雑な気持ちを感じながらも、日本もこうだったのだろうかと訝しげに思い浮かべた。
歩いてホテルが見えてきた頃、行き成り声を掛けられた。「もしかすると、日本人ですか」思わず立ち止まってしまった僕は、相手の全体を見渡した。「は い、そうですが」「あの、僕はLeeと言います。僕は日本語学校に行っています。時間があれば少し話しして良いですか」「いいですが」彼はよかったと言う 風に喜び「どこかのお店に入りましょう。オカネは心配要りません。私がはらいます」Lee君は店に入って多いに日本語の勉強をしている様だった。「よけれ ば、私の家に来ませんか。そう遠くはありません。バスに乗れば直ぐつきます」これを聞いた僕は渡りに船とばかり「いいですか。そう言われると僕も嬉しい し、こちらの家庭も見れて楽しい」「どうぞどうぞ、おかあさんも喜びます」僕は急いでホテルに戻り、チェックアウトを済まし、バスに乗り込んだ。郊外に差 し掛かると平屋建ての家がビッシリと立ち並んでいる。
各家の煙突からは煙が立ち上がっていた。Lee君の家に入ると御母さんを紹介された。御母さんは何も言わなかったが凛とした気配でニコニコと頭を下げ た。彼の部屋に通されると其処は日本の若者の部屋と変わらなかった。僕はこの機会に、ソウルにある大学を見て回りたかった。日本の大学は荒れに荒れ機動隊 が常駐している異常な学園と、なっていた。そして、南ベトナムに義勇兵を送った韓国の大学を見ておきたかった。 早速翌日にはソウル大と高麗大等案内して もらった。立て看板や、アジ演説など一切無い、気持ちが悪いほどだった。彼は同じ大学の仲間と出会い、学園祭の話で盛り上がっていた。紹介された仲間は普 段と変わらない態度で流暢な英語で自分を紹介した。後でLee君は韓国の大学生の典型だと教えてくれた。「今、韓国の大学生は、英語、の他に二カ国語を勉 強しています。何故なら、彼らは海外に出る可能性のある貿易関係とか、外資系の会社に入りたいからです。僕もそうです。僕は日本に興味があります。何時か 日本に行ける日が来れるよう、頑張っています」と、真剣な顔つきになって言った。
翌日は梨花女子大と師範大学にも行った。お嬢さん大学と言われている梨花女子大は慎み深い気品のある女性がキャンパスを闊歩している。どれもこれも、自 分の国の状況とは違った環境の中である事に疑念が湧かずにはいられなかった。「若い人で反戦とか平和に興味を持っている人はいないのですか」彼はそっと僕 の耳元で「おります、大学にはその組織はないけれど、街の中にある一部のライブハウスにはその雰囲気が一杯です」やっぱりあるかと、嬉しくも思い、「其処 に連れて行って貰いますか」と言えば、「勿論です、でも帰って僕のおかあさんに、言わないで下さい」「御母さん心配するの?」「ええ、それに実は僕の兄さ ん、KCIAで働いているのです。知れれば恐いです」「ほんと?」これで韓国に来た甲斐があったと、思った。帰りには彼が大学の授業を終えてから勉強して いる日本語学校に寄った。色々な職種の人達が勉強をしていた。普通の主婦が「亭主と内緒の話とか、喧嘩をする時の為に習っている」と、聞いたときには、目 から鱗が落ちた様に思った。梨花女子大を出ているハイクラスの主婦は、教養の為だと言っていた。
後は現役大学生達が多く、就職の為に頑張っている。女性の学生がが多い。そのクラスの先生は僕に何かスピーチして下さいと、考えてもいないことを言った 時には、ホンマかよと慌てたが、僕はこの旅で見て感じたことを、喋った。生徒達から質問を受け付けますと先生が言った時もビビッたが、面白いわいと開き 直ってしまった。翌晩に気合いを入れ、アンダーグランド的なライブハウスに一日入門の積もりで、出掛ける。
店内は暗くスピーカーからはガンガンロックのビートでハングル語が飛び出し、若者は吐き出したい鬱積を各自自由に表現している。そんな若い連中の一人は 「アメリカのベトナム戦争に加担した韓国には、国内的には思想の統制が行われている。我々はキャンパスの中で自由にモノが言えない。只、勉強勉強の毎日 だ。そして勉強しても自由に海外にも出れない、世界は今、新たなる価値観が沸き起こっていると言うのに、我々は参加できない」暗い店内でスピーカーの音に 負けない位で喚く彼の声は、声になっていなかった。
数日後、僕はLee君の家を後にして、バスに乗り込み大邸に向かった。一人に戻った僕は再び庶民の中に紛れ込むように、市場を歩き、安い旅館に落ち着い た。その旅館の部屋にも近くの市場の臭いが漏れ込んでくる。唐辛子の臭い、海鮮物の臭い、第一自分の体から染み出す体臭自体が、既に匂っていた。其れにし ても美味しかったなー、あのLee君の御母さんの手料理の美味しいこと、それに凄い数の皿と量には吃驚してしまった。思わず「何時もこれと同じですか、僕 が居る事で特別なんですか」と聞いてしまった自分が恥ずかしかった程だ。そしてあの御兄さんは頑固だったなー、僕が板門店から、北朝鮮を見てみたいと言っ たら、行かないほうが良いと怖い顔して、何度も言ったっけ。
どうしてイケナインダ?私は部外者だし、韓国人なら尚更望郷の念を感じるのではないのかと、思ったっけ。大邸の街は特になにもないが、それだけに普段の 韓国を見れる。だけど、僕は再び戻ることを考え、慶州に向かう。韓国風旅館に宿泊出来たことが嬉しかった。夕方にはオンドルが焚かれ、床の下はホカホカと 柔らかい温もりが堅い床を通して伝わる。パチパチと鳴る火の音と、煙の匂いが部屋にまで伝わり、僕は座布団を抱えて眠ってしまった。明くる日はレンタル自 転車を借り、古墳を見て回ったが、教養が無い為に一向に楽しめない。翌日には有名な御寺をみる為、バスの乗り込み行ってみたが、色がケバケバシイだけで サッパリ分からなかった。やっぱり、俺は土産物のオネーチャンと話し込んでいるほうが、楽しいと思い直し、翌日には店を一軒一軒と冷やかして遊んだ。オ ネーチャン達は「日本の先生達や、医者、公務員達がやってきて、女遊びしていくんだよー」と、非難気に僕の顔見て言ってくるのには、参ってしまった。も う、釜山迄行く気もしなく大邸に戻ろうと思った。あの普通の街に帰って、美味しい焼き肉屋とマッカリが飲めればそれでいいとばかりに、バスに乗り込んだ。 元の旅館に帰るとオジサンが崩れ落ちそうな程頬を緩め、「お前のために良い部屋を割安で泊めよう」等と、言ってくれる。
そして、その夜も何か小便臭い横丁を歩いて、一軒の店に入った。お店と言ったって、ドアが満足に閉まらないような掘っ建て小屋と言ったほうが当たってい る店なのだ。僕が入って行くと、既に何人かの先客が椅子に座っていた。僕は、年の頃は60歳を廻っているだろうと思える婆さんに向かって、「マッカリ」と 言った。婆さんは小さめのヤカンを積み上げてある一つを取りだし、床下にある土に埋めてあった瓶から柄杓でマッカリを酌み、その小さなデコボコヤカンにゴ ボゴボと音を立てて注いだ。黙って僕の目の前にグイ飲みの茶碗とヤカンをドスンと置いた。婆さんは俺の顔をジッと見ていた。僕は肉を焼いてくれと言うと、 婆さんは俯き何やら分からない肉を炭火の上の網に投げ出すように置き、焼き始めると同時に、僕の前に肉の味噌ダレと刻んだニンニクをドサッと、僕が飲み始 めた途端に、行き成り上から置いた。足下は寒さのために冷え冷えとしていた。先客はどうやら僕の正体に気づいたらしく、チラチラと視線を送ってきた。そん な亊に無視を決め込み、マッカリをゴクゴク飲んだ。酸っぱい香りと発酵した何かが舌先で感じた。遅めの酔いがじんわりと効くまでには、ヤカン一杯だけでは 足りない。婆さんに「もう一つ」とヤカンを差し出すと、先程と同じく瓶の蓋を取り、ドボドボ流し込む。焼き肉が出来上がり、味噌ダレに付けて食べるとこれ が美味かった。こんな素朴な味噌ダレに今まで当たったことが無かった。婆さん手作りのこの味噌ダレは、まだ大豆がぶつぶつ残っているだけのシンプルだけ ど、適当に甘さもあり塩味もあり泣きそうなほど、感激した。韓国で良い人とおいしい食べ物に当たったと言うだけで、僕は満足した。食べるほどに飲み、飲む ほどに食べる、これで何回目かと言う程、小便するために表に出て犬のように電柱にぶっ掛けてやった。電柱は小便の湯気がもうもうと立ち上がった。あの寒い 店に居るとは信じられない程、小便は暖かそうだった。
酔いも回った辺りで、身なりが良いスーツ姿の中年が僕の横に座った。彼はマッカリなど飲まずに、ビールを注文して飲みはめる。彼は僕の存在に気が付いた のか、貴方は日本人なのかと英語で聞いてきた。英語で返すのが鬱陶しい程酔っている僕は、一応YESと、答えた。彼は僕をマジマジと眺め、旅行しているの かと尋ねた。そうだ、もうこの街を出れば帰るのだと言うような答えをした。実際そう思っていた。彼は、こんな様な店が日本にもあるのかと聞いてくる。否、 この様な店はもう無くなったと答えると、そうかと言うふうな顔つきで前を向いた。次に彼は、自分はこの町のラジオ局で働いている者だと、名乗った。そし て、私は貴方のように海外に出て旅をした事が無い、貴方を見て羨ましいと素直に言った。彼はビールを飲み干し、もう一本と追加した。何時しか彼は日本語で 話しをする様になっていたが、そんな亊はもうどうでも良かった。彼は酔うほどに本音で言って来た。私たちは貴方の国の為に、どれだけの苦労をしたか分かり ますか、私たちの李王朝はあなた達の軍隊に踏みにじられました、そして国民を重労働に狩り出し、日本語を強要され、街の名も通りの名も日本の名前になりま した。分かりますか?あなたが韓国人なら、その時生きていたらどう思いますか?
こんな遣り取りをしている内に、それまで飲んでいた客達がこの会話に加わり、僕のマッカリの酔いも醒めそうになって来た。僕は酩酊しかけている脳を呼び 覚まそうと、分かりますよ、私がした事でないにせよ、分かります。ソウルの空港に建っている、あの伊藤博文をハルピンで殺した安重根の銅像は、あなた達の 英雄になっています。それだけ恨まれることもしたのでしょう。しかし、日本人もあの時代、黙って北からの脅威、ロシアを見ている訳には行かなかったので しょう。そして、中国の清朝は欧米列強に侵食されていくのを、我が国に見たのでしょう。叉、日本の帝国主義が勢いづいていた頃でもありました。そして、御 互いの意見の相違の背景が噛み合わなかった為に、悲劇が起こりました。でも、僕はここで謝りますと言えば店の中は一瞬シンと静まり返り、その後大きな歓声 と供に夜は更けた。戒厳令の時間が頭を掠め、そろそろ帰らねば兵隊さんに捕まりますのでと言ったが、相手は、あんなもの何にも恐くはない、糞ッたれめ、馬 鹿野郎とエライ剣幕で怒鳴っていた。表には人が通る気配もなく、街はひっそりと息を殺しているかのように、誰もが神経だっている様に感じた。私が送って行 くと言ったラジオ局の人と表に出ると、残っていた客達は皆、見送ってくれた。僕は誰かが貸してくれた自転車の後ろに乗り、酔っぱらったラジオ局の人に掴ま り、彼は全力疾走で限りなく危なく怪しい運転であるが、シッカリ掴まっていなさいと、私に注意を促すと、「それっ日韓友好エキスプレスだぞ」等と大声を挙 げ、兵隊が巡回している間をどうにかこうにか切り抜けた。旅館に帰ればオヤジが、「心配していた」と、ラジオ局の人に言っているようだった。僕は部屋に辿 り着いたと同時に、良い出会いがあったと服を着たまま布団に倒れ込んだ。 |