2/27 東京1

七條@東京です。
2月28日から12日間の
レンタカーでのアメリカ大陸横断を
アメリカから画像付きライブメールを
お送りします。

この旅のきっかけは
ある鹿児島の女性との出会いでした。
19歳の息子にぜひあって欲しいと
言われたのが昨年の10月。
息子は中学時代勉強に励んで、進学校に入学したが
そこで生きがいを感じられず不登校に。
そして卒業式の前日に退学届けを出すという
なかなかそのあたりにはいない人物。

高校での最後のホームルームで、
「自分は旅にでていろんな経験を積むのだ。」
ということで、すぐに東京に出てきて、
知り合いのところに居候をしながら
アルバイトをしたり、新しくできた人脈をたよって
東北を渡り歩いていた頃に私との出会いがあった。

彼の母は「アメリカ大陸横断」が私の数年前からの
目標であったことを知り、息子にいろんな経験をさせて
やりたい一心。11月、新宿で彼と会い、話をしたが
彼もこれから世界を周りたい、その手始めとして
アメリカ横断がしたい!!と熱望。
東京で仕事についていたが、なんとか頼み込んで
12日間の休みを取ることに成功。

彼の提案のおかげで私の目標も達成できるし、
彼の望みもかなえられる・・・。
かくして大陸横断ツアーは実現にいたるのである。
しかし、過去の経験から二人きりでのドライブは
なにかと問題がある。(詳細省く)
そこで同行者の追加を考えたのだが、直感でピンと
きたのが17歳の京都の少年である。


2/27 東京2 七條@坊さん(←ある筋からのあだ名、気に入っている)~東京発です。 さて19歳のU君との大陸横断。 同行者としてひらめいたのは京都の17歳の少年。 話は2年前にさかのぼる・・。 彼は、私の中学教師時代の元担任クラスの生徒である。 仲の悪い両親のもとで育っており、 中学3年生の3学期、受験を目の前にして 不登校に陥ってしまった。 彼には熱く語る夢があり それは「映画」と「遺跡」であった。 外国へ行きたい!!違う世界を見てみたいという 強い希望を持っていた。 家庭訪問を何度も繰り返し、 なんとかして彼のエネルギーを取り戻す方法を 考えた結果、 「受験が終わったら合否関係なく一緒に海外へ行こう」 という提案をすることにした。 もちろん、一公立中学教諭としては完全な越権行為で あるのは承知の上、親に話を通し、 学校には内緒で旅の計画を進めたのだ。 (副担のH林先生、ごめんなさい。) 「来たくなければ学校には来なくてよい。」と私は彼に言い、 学校では「お前のクラスの生徒はどうなってるんだ!?」 と同僚からたたかれる状態が続き、この頃から私は学校の限界を 感じるようになっていた。結論は「学校は組織を維持するところ」 であり、「子供たちの潜在能力を開発するところ」ではなかった ということ。いい教師はたくさんいるのだが・・・。 誰もが無理だと言った第一希望の高校に 彼は合格することができた。 春休みに二人でロサンゼルスのユニバーサル・スタジオに 行った。「来てよかった~」という彼の笑顔を 忘れることはできない。 その後、高校では野球部に入ってがんばっているという 情報のあと、夏休み明けくらいから完全に不登校に なってしまっていた。 実は母親が家出。父親は長距離トラックの運転手で月に1~2度しか、 帰ってこない。中学生の妹と小学生の弟は施設に引き取られる。 彼は一人きりで家(公団住宅)で暮らすことに・・・。 一家は離散、とても高校へ行ける状態ではないのは明らかだ。 時々彼の家を訪ねた。 父親からお金をもらっていたが、それも尽きて 腹を減らしていたときもある。 金を貸そうか、というと、頑なに拒んだ。 本棚にならんでいる漫画を売れば、まだ食べていけると言った。 毎回携帯の番号だけ渡し、彼のたくましさを感じて 彼の家を後にしたものだ。 それでいよいよ、今回の旅に彼が参加することになるのだが、 続きはまた次回~。
2/28 東京3 こんばんわ。 七條@坊さん~東京発です。 さていよいよ出発が明日に迫りました。 鹿児島のU君はすでに東京入り、 京都のO君は夜行バスの中・・。 その17歳O君が旅に加わることになったその訳は・・ 「横断のロードムービーを撮らせよ」 というインスピレーションが私に来たのであった。 以下のような提案を11月に彼の家を訪れしてみた。 1.ビデオ係のバイトをしないか? 2.飛行機代はかからない。   (私のマイレージバンクで無料航空券が手に入る) 3.バイト料は米国滞在費(レンタカー代、宿泊費、食費など) 4.ビデオは帰国後編集し、DVDに仕上げるので責任重大。(プロに契約済み) 5.ビデオテープから静止画をパソコンに取り込み   現地からライブメールとして日本の皆さんに配信するので   これまた責任重大。 「映画」好きな彼の監督作品第一作なのである。 1月、彼には連絡場所を教えていた母親とコンタクト、許可をいただく。 2月、父親から連絡の要請がある。「父親にも許可を取れ」という感じ。 しかし電話で話してみると、父親は若いときブラジルへの旅を 周りの猛反対でとめられて、それを今でも悔いているとのこと。 こんな父親だが、息子にはできるだけのことはしてやりたいんだ、 みたいな話になり、まるく収まった。 しかしここで問題発生。 二人の10代の保護者(?)兼3人目のドライバーがどうしても欲しかったのだ。 何人かの知り合いに当たってみた。 目黒のK平ちゃん、松江のS家君、今宮古島にいるSぐっち、杭瀬のN川さんなど・・・。 しかし、皆それぞれの生活、予定があり~・・みたいな感じで半ばあきらめていたとき、 つよ~い味方が現れたのであった!!!
2/28 東京4 こんにちは。 七條@坊さん~成田空港です。 成田空港に無事4人揃いました。 4人目の助っ人S田さんとも合流し、 後は両替をして、出発を待つばかり。 私以外の3人はノースウエストの マイレージにこの場で入会を済ませ ハッピーな気分。 では各人から一言: 鹿児島のU君:一日が40時間あるそうなので得した気分です。       (帰りはチャラですよby坊さん) 助っ人のS田さん:アメリカ大陸横断ウルトラクイズなしで、行ってきます。ははは ・・。 京都のO君:ま、がんばりますわ。 では次回はカリフォルニア州から
3/2 グランドキャニオン 七條@坊さん~アリゾナ州です。 訳あって、長い文は打てませんが、 4人とも元気で順調です。 ロサンゼルスのサンタモニカビーチから 夜のラスベガスまでが一日目。 全員(?)カジノで負けて、(未成年もやっちゃったあ) 今日はグランドキャニオンへ。  壮大!!(私)  静寂!風を見た!!!(K君) なんじゃこりゃ~(U君) と、ここはここを経験した者でしか わからないなにかがあります。 ライブを伝えるのは本当に難しい!!!!! 明日はモニュメントバレーから エネルギースポットのセドナ (Tさん、情報ありがとう!!!!) 徹夜でぶっ飛ばしてあと40時間後くらいに 今度はニューオリンズからライブをお届けします。 ではまた次回をお楽しみに!!! SEE YA !!
3/4 モニュメントバレー 七條@坊さんです。 ニューオリンズのMAISON DUPUYからのライブです。 二日目、グランドキャニオンから4時間くらいかけて モニュメントバレーの近くの町まで車を走らせる。 途中、ホントに何も光がない場所で車を停め、外へ出て空を見上げる。 「!!!!!!!!!!!!!!!!!」・・・言葉にならなかった・・・。 前後左右・東西南北の地平線までぎんぎんに輝く星!星!星!星!星!星!星! なぜか笑うしかなかった。みんな大声で笑っていたのだ・・。 その日のお泊りは Holiday Inn。 今度は朝日に輝くモニュメントバレーを見るために全員6時に起きて、 20マイル先にあるビュートたちに会いに行く。 ここも言葉にならなかった。 谷に入るにはゲートで入場料(3ドル)を払わなくてはならない。 そのゲートから見る景色もすごいが、谷の中に車で入っていくと、 その赤く染まるビュートがリアルに迫ってくる。 The Hub と呼ばれる岩山のそばで車を降りる。 全員岩に向かって走り出す。 岩山の上まで駆け上って、そこからの景色を見渡す・・・。 日は昇り、青く澄みわったった空とのコントラスト。 圧倒された。 静かだ。   風の音が聞こえる。 心地よい。 大地のエネルギーに包まれているようだ・・。 天と地とわれわれの体が魂も一体化している。 どれだけ長い時間そこにいただろうか・・。 どれだけそこにいても飽きない。 ずっとそこにいたい・・・。 みんなで大声を出した。 近くにある岩山、遠くにある岩山、ずっと遠くにある岩山たちに なんどもこだまする。 この土地の原住民ナバホインディアンのシンボルは青・白・赤 青い空と白い雲と赤く焼けた大地・・・・わかる気がする。 というわけで必ずここにも一生に一度は訪れてください。 イエイ!!!!
3/4 セドナ 七條@坊さんです。 さておまちかね。 アリゾナのエネルギースポットの「セドナ」に行って参りました。 河によって侵食されてできた谷にある小さな町でした。 グランドキャニオンの谷底から上を見上げたようでもあるし、 モニュメントバレーのビュートの上から平原を見渡しているようでもあるし、 なんか不思議なところでした。しかし緑の多さがとても印象的。 行ったのは「エアポート・メサ」と呼ばれる町全体360度が見渡せる 小高い丘の上。(Tさん、ナビ完璧でした。ありがとう。) 迫力、という店ではグランドキャニオンやモニュメントバレーに 劣るかもしれない。 しかし、私が感じたのは・・・・ 1.自分の中心が丹田にじわーっと落ちていくような感じ。   (Sンパシーのバイオソニックでゆすられているような感じ) 2.眺めなども含め、飽きることがなく、いつまでもここにいたい、という感じ。 3.BGMなど人工的なものは必要ないという感じ。 4.「うおーーー」とか叫びたいとは思わなかったという感じ。 30分ほどエアポート・メサにいて、 あとはお土産屋を周りましたが、 そうするうちに手の平が「びりびり」して来る感じがありました。 これはセドナにはいって1時間半くらいたった時のこと・・・。 かなりはっきりとこれについては感じられました。 というわけで旅の予定があったので長い時間はいられませんでしたが、 ぜひもう一度ゆっくり訪れてみて、体が何を感じるかを 確かめてみたい場所なのでありました。 そこから車を走らせ今日の午後にテキサスのヒューストン。 ここではNASAの宇宙センターに参ってきました。 で、夜中11時にジャズ発祥の地、ルイジアナ州のニューオリンズに到着。 すぐに夜のバーボンストリートに飛び出し、一杯ひっかけて今、部屋から ライブメールをお届けしています。 旅は4日目の夜を向かえています。 明日はおそらくフロリダ州オーランドの近郊からライブをお届けできると 思います。 明日の内容は1ヒューストンのNASAと2.ニューオリンズについてです。 では明日もお楽しみに~♪
3/5 フロリダ 七條@坊さん~フロリダ発です。 オーランドまであと一時間半くらいの 小さな町からです。 ヒューストンではNASAのロケットセンターで見学。 これについてはもう少し後で すごい画像をお見せします。 さて昨夜のニューオリンズでは 音楽ライブをしている酒場、ストリップ・バー 土産屋、レストランなどがひしめく かの有名なバーボンストリートで なんと自由行動タイムに入った。 S田氏は生バンドの入っているバーで 踊りまくる。 O君は何をしていたか不明。 U君は大きな声では言えないが ***ッ*・**や***を5軒まわって 2時くらいにホテルに帰ってきた。 ホテルがストリートから近くだったので できた技である。 翌朝、4人でミシシッピ河を望み、 ケイジャン料理を食べに行く。 陽気でフレンドリーなウエイターのエディ。 (エディ・マーフィーに似てたので勝手につけた) 私は店内のピアノの飛び入り演奏に参加。 曲はコードの練習用に使っていたもの(野田氏作Cコード展開曲) をジャズっぽく(?)弾いた。 でも3ヶ月くらいピアノに触ってなかったので 実力の半分も出せなかった・・。 また、練習せねば、というモティベーションになった。 S田氏によれば途中、店内の空気が変わった時間があった・・ ということ。うれしいことを彼はいつも言ってくれる。 ニューオリンズはいい街だ!!とみんな言っていた。 少年たちは特に自分の足で、自分だけの責任で動けた部分が よかったのではなかっただろうか。 車に乗り街を後にした頃、英語のこの発音はいいか?とか 突如としてU君もO君も私に確認を求めながら練習を始めた。 (私は一応元英語教師~♪) thの音。bとVの違い。waterのこちらの発音などなど・・。 彼らはそれを明日のレストランやガソリンスタンドやいろんな 場面でそれを使って英語を自分の物にしていく・・・。 なんか、「学ぶこと」の本質を彼らの中に見たような気がした・・。 明日はいよいよ「ディズニーワールド」に乗り込む。 予定では自由行動タイムをとる。 また少年たちの自分だけの旅が始まるのである。 明日の宿泊予定地デイトナビーチからのライブを お楽しみに。 ではでは。
3/7 リッチモンド1 七條@坊さんです。 今日はフロリダから北上して一気に ワシントンDCまであと一時間の バージニア州・リッチモンドに来ています。 昨日オーランドでは 「エプコット・センター」に行きました。 世界各国のワールドショーケースと 環境などがテーマのパークでしたが、 ニューオリンズがあまりにも刺激的過ぎたのか、 疲れも溜まっていたのか、 私を除く3人の反応はもうひとつ(?)の ようでした。しかしO君はかなり気にいったらしく、 車に乗ったとき、「グッバイ・エプコット」と 叫んでいました。 私は自由時間の3時間の内、一時間は昼寝、 そのあと世界各国の文化を紹介する パフォーマンスを見たりしていましたが お薦めベスト3は 1.アフリカのドラムの体験   これは10人ほどで輪になって   ドラムをお客さんの前で敲くことが   できるもので、私の専門でした。 2.中国雑技団。   バランスや体の柔らかさなどを   ショーとしてみせる、おなじみのものですが、   子供たちがかわいかったのが印象的でした。 3.日本の和太鼓。   「スゴイ」の一言。   東京から来ている、CDも出している   たぶん「MATSURIZA」と呼ばれる   3人組みのグループでした。   日本人であることを誇りに思える時でした。 O君が印象に残ったことは・・・。 1.メキシコのパフォーマンスの   女性ダンサーのくねくねダンスと   初めて見た楽器(ギターのようなドラムマシン?)    2.アメリカのパフォーマンスで   アカペラソング(曲名はよく耳にするアメリカの民謡?)   だったそうです。   S田氏、U君ともそれぞれ各自で行動し、5時に集合し、 くる時に見つけた「アウトレット」にどうしても行きたいっ というs田氏の強い希望により、そこへ向かうことに・・。 しかし、この後とんでもないトラブルが 待ち受けていたことをこのときは誰も知らなかった・・・。 ロスアンゼルスから3000マイルを走り続けてくれた 愛車「オールドモービル」号に異変が生じていたのだ・・・。 つづきは次回号で。
3/7 リッチモンド2 七條@坊さんです。 愛車「オールドモービル」号の液晶パネルに "survice engige soon" という表示が突然表れたのだ。 アウトレットまで走る。 安く買い物ができる巨大なショッピングモールだ。 S田氏はジーパンを、U君は時計を買っていた。 そこでボンネットを開けて、調べてみる。 オイルは・・・・汚れていたが・・・ 大丈夫みたい・・・。 冷却水が少なくなっている・・・ような 感じがする。 ということで、コーラの空きペットボトルに 噴水の水を汲みに走るS田氏とO君。 水を満杯いれてもサインは消えない・・・。 車は動くのだが、万が一どこかで動かなくなるかもしれない。 修理工場を見つけるのは至難の業。 スーパーでオイルを買って入れてみようか・・など考えたが 「アラモレンタカー」の営業所で見てもらうのが一番無難と考え、 オーランドの国際空港なら営業所がある。 スーパー観光地のオーランドに営業所がなかったら モグリだ、とふみ、空港へ向かった。 空も暗くなって、空港に到着は30分後。 ふつう空港には「レンタカー・リターン」のサインがある。 しかし、そこには「アラモ」の会社は入っていなかった・・。 一同ショック。 ターミナルが二つあったので、もう一つの方へ向かう。 また「アラモ」のサインはない。全員汗。 車を止めて空港内へ入り、「アラモ」はないのかとたずねる。 すると空港の外にあるという。 営業所の外までバスがあるので、それについていこうと考える。 そうして、空港内をまわっていると小さく、ホントに小さく アラモのサインがしてあったのを見つけた。 「**号線へでて東へ」とある。 バスを待つのではなく、指示をたよりにそこへ向かう。 空港内でうろうろ30分以上、営業所までまた道を 間違えたりして30分以上・・・・。 営業所では Car change ということになった。 一同胸をなでおろす・・・・ ニューヨークまでの愛車の名前はなんと「セドナ」号。 なんか運命めいたものを感じながら一路北上を開始する。 ところが、トラブルはまだ続くのである・・・。 続きは次号で・・・。
3/7 リッチモンド3 七條@坊さん~リッチモンド(バージニア州)です。 さて一路ニューヨークを目指して走り出した「セドナ」号・・・。 その日に運転していなかったO君が運転したいと言い出す。 その言い方が気になってはいたのだが、交代する。 ・・・実は旅の3日目、セドナからニューオリンズまでノンストップの 夜行ドライブでO君が運転していた時、私も助手席でつい 居眠りをしていたのも悪かったのだが、 彼が追い抜きに失敗して、大事故になりかけたことがあったのだ。 その「キーーーーッ」という急ブレーキで私もS田氏も目を覚まし、私が目を覚ますと 走行車線の前を行く車に猛スピードで突っ込んでいる映像が飛び込む。 見る見る内に車間距離が縮まり、もうこれはダメだ、というところまできて その時間は1~2秒くらいのだったと思うが、妙にスローモーションに思えたものだ。 私たちの乗っていた「オートモービル」号は奇跡的におそらく数センチ前で 衝突を避けることができたのであった。 19歳のU君。いくら免許を持っているとはいえ私やS田氏とは運転の経験がちがう。 そして実はレンタカー屋の規約で19歳は登録ドライバーの資格がなく、 万が一事故が起こったときはフルカバーでかけている保険が利かないという 事実があった。 しかし大陸横断を達成するためにはドライバーは多いほうがいいので 彼の力もどうしても必要だったのだ。 当日は朝6:00起きでみんな睡眠不足だったのだ・・・。 車には「天然塩」というお守りを積んでいたのでそのご利益もあったのかと思い、 私もS田氏も「いい経験だ~」と+思考で彼にアドバイスをしていた。 そして5日目、ニューオリンズを出発し、アラバマ州に入ったところで これもU君の運転中、ついにパトカーに止められてしまったのだ。 英語が話せないU君に代わり、私が車から降りて話しを聞いた。 「追い越しの時、前の車との車間距離が短すぎるのが2回あったので警告した。」 ということで済んだ。 結構いままでスピードを出してある意味少し調子にのって、 追い越し車線ばかり走っていたU君・・。 私やS田氏に負けまいと(私はそう感じていたのだが・・) 彼なりにがんばっていたのかもしれないが、この時ばかりはショックだったのか、 それからの運転は非常に安全なものに変わっていて、 「経験が人を成長させるんだなあ」なんて思っていたのだ・・・。 しかし、このオーランドで「運転したい」と言ったときは なんか嫌な感じがしており、その予感は見事的中してしまったのだ。 このときも運転のU君以外はつかれて眠っており、 私が気がつくと後ろで青い光がピカピカまわっている。 U君に止まるように指示。 フロリダ州警察の警官がやってきて U君のパスポートとレンタカーのサーティフィケイト 出せと言われる。 彼はそれらをもって うしろにとめているパトカーに帰ってしまった。 待つこと10分・・・・。 15マイルのスピード違反ということで罰金切符をきられ、 やはり追い越しの時の車間距離が短いことを警告されたのだ。 さすがに大ショックのU君。 あと運転も2日なのでこれからは私とS田氏で 運転することにすることにも彼は納得。 このときばかりは私もS田氏もきびしめの アドバイス・・・。 彼がどう受け止めているか・・・・。 その夜はあと一時間後の大西洋に面したデイトナビーチに 泊まろう、ということになった。 ここで大西洋の水を触れば一応横断は達成になる。 しかしトラブルはこんなときにかぎって 続くのである・・・。 続きはすぐ。
3/7 リッチモンド4 七條@坊さん~バージニアです。 さてデイトナビーチ・・・。 夜なので暗かったが 街に入ると、右手に巨大なデイトナサーキットが姿をあらわす・・。 そしてやたらバイクが多い。 もちろんハーレーダビッドソンに服装もばっちりきめた人たち・・。 レストランに入る。 中は・・・・、 バイク野郎たちで埋め尽くされている・・・・。 彼らの視線や、その雰囲気に負けずに店内へ入り 食事をする。S田氏は町の雰囲気が感じられる レストランということでご機嫌。 さてお腹もいっぱいになり、この辺に宿をとり、 明日の早朝は海岸に水をさわりに行こう・・ と近くのモーテルに行くが・・・・。 駐車場はバイクと車でいっぱい。 一軒目:ワンベッドの一部屋しか空いてない。 二軒目:空きはあるが一泊220ドル!!! この街には何かイベントがあり、 ホテルやモーテルは予約でいっぱいで 値段も上がっているのだと直感。 フリーウェイに乗り10分ほど走り 隣の町で降りてモーテルへ。 状況は同じ。 一部屋しか空いてなかったり、 一泊100ドルを超えるところばかり。 またフリーウェイに乗り隣町へ。 また状況は同じ・・・。 次は隣の隣の隣の町で降りてみた。 恐ろしいことにまた状況は同じ・・・・。 時計は12時を超え、さらに 北へ走る。いろいろあって 疲れはピークに達していた。 一時間ほど北上した街で やっと一泊86ドルのモーテルをみつける。 実はU君とO君、お金を使いすぎていたので 宿泊費を安く上げたいと希望していた・・。 そこで必殺技:ツインベッドルーム一つを借り、 二つのベッドを分解して4ベッドにしてしまうことが できるのだ。わはははははーーーー。これで一泊一人22ドル弱。 毎年このシーズンにデイトナでは「バイク・ウイーク」が 行われるそうだ。 全米からバイク好きが集まり、集会や発表会やレースが あるそうだ。金曜にはメインの200マイルレースがあると いうこと・・。これで納得。 デイトナから一時間のこの街のモーテルも 明日は96ドル、明後日は120ドルと値段がつりあがるそうだ。 私を除く3人はすぐに死んだように眠る。 私は眠い目をこすりながらインターネットをつないでみるが、 一日目のラスベガスと同じように繋がらない・・・。 30分いろいろためしてみるが、ダメ。 あきらめて寝る。 朝11:00まで爆睡。そこから夜の10:00には 今いるリッチモンドまで。 S田氏は夜のバーにでかけ、30分ほどで帰ってきた。 変なやつにからまれたそうだ。 しばらく4人で励ましメールを見ていたが、 一人一人眠っていく。 今、深夜の2:40分。ヘッドホンでパソコンに入力してある 音楽を聴きながら、一人ライブでメールを打っている。 明日は午前中にワシントンDC、それから東海岸のカジノといえば ニュージャージーのアトランティック・シティ。 そして夜にはいよいよゴールのニューヨークにはいる。 ながかった大陸横断の旅もいよいよゴール。 しかしNYではまる2日滞在する。 まだまだ我々の旅は続くのである。 応援を引き続きお願いいたします。 応援メールもお待ちしております。 七條 正
3/8 ニューヨーク1 七條@坊さんです。 ついにニューヨークに着きました~♪ しかし道中はたいへんでした・・。 今日は午前中、ワシントンDCを見学。 リンカーンメモリアルとスミソニアンの 自然史博物館を見て一路ニュージャージーの アトランティックシティへ!!!! ワシントンDCから町の外に出るときの運転は私。 助手席のナビゲーターは17歳O君であった。 ところが思いのほか、DCの地理はややこしく 彼にはナビができない・・・。 かなり迷ってワシントンを出ることができた。 その後S田氏が運転、19歳U君がナビ。 ところがアトランティックシティへ曲がる 道を見落とし、かなり迷ってやっと正しい道へ 出ることができた。 「地図ではこうなって、こうなってるんですけど・・・」 と高速を走っている運転手に言ってもどうしようもない・・。 運転手は「どこで、どう曲がるか」の情報だけがほしいのだ。 伝えることの難しさをひしひしと感じていたU君とO君であった・・。 さてアトランティックシティまでの道のり、S田氏とU君が 妙にうかれてカジノの話に花を咲かせていたのが気になっていた。 旅もいよいよ最後になり、経験上最も事故や不注意が起きやすい時・・。 さて東海岸のカジノのアトランティックシティ。 90分の自由時間に各自活動開始。 私とO君はマクドナルドでの夕飯に一時間をかける。 食べながら人生の話をしたりする。 その後20分だけスロットマシーンをし、 私はなんと30ドルの儲け。 O君は5ドルの負け。 S田氏は負け。(金額不明) そしてU君はなんとルーレットで55ドルの儲け。 車に乗り、運転はS田氏。 やはり負けて少しがっくりきているのがわかる。 ところが、初めてカジノで勝ったU君は うれしくて仕様がない様子で、S田氏の気も知らず しゃべりまくる・・。 助手席の私もどうしていいのやら・・。 カジノに来る前まではおおはしゃぎだった二人。 今は明暗がくっきりと分かれている・・・。 と、その時うしろで青い光がくるくるまわっているのを発見・・。 まさか、のスピード違反切符だった・・・。 今まで常に後ろにだけは気を配って、飛ばしに飛ばし、 距離をかせいでくれていたS田氏・・・。 最後の最後でその気配りを忘れてしまった、と言っていた。 嫌な予感は的中してしまったのだ。 しかしその後気を取り直して、 ブルックリンからマンハッタン入り。 左手に美しい 摩天楼を見ながら、みんな息を呑んでいた。 NYのホテル・・高くていいところが見つからない。 というわけでニュージャージーのモーテルに 泊まっている。ただいま深夜2時。 今日もベッド分解攻撃。 明日はホテル探しからスタートする。 滞在は2日間。まだ旅は続く。 Anyway, we are in New York!!!
3/9 ニューヨーク2 七條@坊さん~NYC(New York City)発です。 今日は10:00にニュージャージーを出発し、 11:00にNY在住のA野さんとお会いしました。 A野さんには前回11月にNYに来た時からお世話に なっているのですが、 今回もオフィスでコーヒーをいただいた後 日本食レストランに行き、まず全員ビールで乾杯!! このときなぜか「大陸横断達成!!」の嬉しさが こみ上げてきてしまった・・・。 このビールのうまさは、なかなか味わえない・・・。 若者たちはA野さんといろいろ話をしたり、 お話を聞いたり、すごい影響を受けていた様子。 なによりも横断の目的地で厚いもてなしを 受けたことに感激していたようだ。 結局、今回も4人分のランチ(ビール付き)を ご馳走になり、さらに会社と契約している ホテルを会社価格で予約していただいたり、 何から何までお世話になったのである。 そのホテルは「スタンフォード・ホテル」 一人一泊40ドル強で10階から下界が見下ろせる スウィートルーム!!!!!! 休む間もなく、私とU君がレンタカーを空港まで 返しに行く。 ニュージャージーのニューアーク空港まで行き、 無事リターン終了。 ホテルに帰るのにバスを使ったのだが、 隣にすわった白人の紳士と話が弾んでしまった。 彼はテネシーの老護院(?)に入っている母(89歳)を 尋ねていった帰りだそうだ。 職業はミュージカルの指揮者&プロデューサー(なんと!!) NYのブロードウェイミュージカルで若いときはダンサーと シンガーとして活躍し、指揮者なども経験する。 その後、独立。デンマーク、アルゼンチン、日本など 世界各国でミュージカルの公演をしているそうだ。   彼にひとつ頼み事をした。 19歳のU君に「英会話」の体験相手を頼んだ。 もちろん快く引き受けてくれ、ゆっくりした英語で やりとりをしてくれた。彼も外国で暮らしたことがあるゆえに 語学の難しさや、学びのポイントをしっかり押さえていて、 一流の教師のようでもあった。 「英語を話すときは間違いを恐れちゃいけないよ。  僕は恐れない。って言ってごらん。そうだ。いいよ。」 "When you try to speak English, you don't need to be afraid. Say I won't be afraid. Ok, that's good." 「よく聞いて、それを真似するんだ。」 "Listen, and react." 「学ぶための唯一の方法は間違いをしてみることだ。」 "The only way to learn is to make mistake." ジョークもなかなかうまい。 ニューヨークとマンハッタンのちがいがわからないU君に向かって・・。 彼:今バスが走っているところはニュージャージーというんだ。   (窓の外に広がる摩天楼を指さして)あれがマンハッタン。    マンハッタンはニューヨークにあるんだ。わかるか? U君:あー、マンハッタンはニューヨークなんだね。 私:(口を挟んで)ニュージャージーとニューヨークの違いは? 彼:いい質問だ。ニュージャージーってのは「変」(strange)なところなんだ。 私:「変」なところ? じゃニューヨークはどうなんです? 彼:ニューヨークはすばらしいところ(faburous・・スペル?)に決まってるじゃないか。(笑) 私:それは自分がニューヨークにすんでるからそう言うんでしょ? 彼:あったりまえよお~! わっはっはっは!!! 私も彼もU君も大笑い。思わず周りの席に座っていたおばさんも笑い出す。 彼:(笑いやんで、真剣な顔でU君に向かって)    すまん、すまん、今のはほんのジョークだよ。 U君:ジョークなんだ・・。 彼:でもな、それは事実なんだ。わっはっはっは!!!(またみんなで大笑い) 後で「あの人みたいになりたいよ~」とU君は笑顔で言っていた。 堅い握手をして別れたその紳士の名は「ジーン・フット氏」。 すごく有名な方だったりして・・・。 S田氏とO君はちかくのエンパイヤーステートビルに登りに行っていたらしい。 その後4人で合流。近くの韓国人街の焼肉レストランで焼肉を食べる。 うまかった・・・・。 そしてNY一日目の夜は更けていくのである。 今3月9日午前7時40分。一人起きてメールを打っている。 今日はどんなドラマが、どんな出会いがあるのだろう・・・。 明日はNYから最後のライブメールです。 まだ少しライブメールは続く予定です。 最後までstay with us.
3/10 ニューヨーク3 七條@坊さん~NYCです。 今日は朝から自由の女神像のスーパー観光コース。 ところが、いつもは女神の王冠のところまで階段で 登ることができるのに、 あの9.11の事件のせいで 階段は閉鎖されていた。 残念。 だが、女神像の周りの緑の芝生が気持ちいい。 みんな大の字に寝たりしていた・・。 その後、例の世界貿易センター跡に行く。 周りの崩れていたビル郡はかなり修復されていた。 それからチャイナタウンまで行き、昼食。 昼食後、隣接しているリトルイタリーに行き、 コーヒーを飲もうとしたのだが、 「昼食を食べないとコーヒーは出せない。」と 言われ、しぶしぶ店をでる。 しかたがないのでいよいよ自由行動タイムに。 若者たちにとってはこれまでの旅の中で最大の冒険になる。 二人ともセリフだけは実に強がって見せる。 U君は49丁目の紀伊国屋書店に行くため、 地下鉄の地図を持って、14丁目の駅で乗り換えていった・・。 ついに行ってしまったのだ・・・・。 しまるドア越しに、きょろきょろ乗り換え口を探しているのが 最後に見た姿だ・・・。 NYは田舎のニューオリンズの町とはちがう。 巨大な都市の中で、どんなドラマが彼を待ち受けているのだろうか。 残り3人は4時に一度ホテルに戻り、 先ほどS田氏がMOMAに出かけていった。 O君は映画ホームアローン2で有名になった 「プラザホテル」まで今から一人で出かける。 一応、地図の読み方を教え、地図を持たせてから行かせる。 若干17歳、一人でマンハッタンを歩く!!!なのだ。 この後送る画像の処理をしていて、たった今出かけて行った。 と思ったら5秒後トイレをしに帰ってきた。 そして再度出かけていく。 また3秒後帰ってきた。 地図を忘れたということ・・・(汗)。 ホテルの部屋に再集合は2時間後の7時。 さてどんな話を聞けるだろうか・・。 無事に帰ってくるだろうか・・。 この旅最大の緊張の結果を 次号でお伝えします。 ライブ・フロム・ニューヨーク。
3/10 ニューヨーク4 七條@坊さん~NY発です。 さて昨日の自由行動タイムですが、 全員集合時刻に遅れることなく 帰ってきた。 胸をなでおろす私・・・・。 17歳O君:徒歩でプラザホテル~セントラルパーク     ~タイムズスクエアなどめぐってきたと     いうこと。映画に出てくる場面を追ってきた     らしい。しかしセントラルパークでは     6~7人の黒人少年たちの一人からエアガンで     撃たれる、しかし無視する形で大事には     いたらなかったということらしい。     歩きすぎてだろうか、左足の膝を痛めるが、     H寿のクリームを塗ってマッサージを施す。     すぐによくなった。「広い・・」と言っていた。 19歳U君:地下鉄を使い本屋や図書館などをまわっていた様子。       昨日一緒にタイムズスクエアを歩いていたとき、      大道芸を少し見たが、「感じるものがびんびんある。」      と言っていた。ブレイクダンスやガラクタをたたいて      リズムにする・・などの芸であった。      一人歩きは途中心細くなったが、これではいけない、と      勇気を、ガッツを搾り出した、と言っていた。 S田氏:MOMAに行く。帰ってきて第一声:ニコラスケイジと一緒に     写真をとったで~。蝋人形(プロ級の?)の館みたいな     ところを回ってきたらしい。 歩いて2~3分のマジソンスクエアガーデンの向かいの スポーツレストランで4人揃った最後の食事をする。 そして朝・・・・・ 今AM7:05分。S田氏は8時の飛行機でハワイへ飛ぶため、もう出発した。 私は彼がタクシーに乗るまで見送りに行く。 最後、堅い握手をする。 あまり言葉はいらない。 S田氏:38歳、妻子持ち。今回の旅の私にとってのメリットの一つは 旅の中でS田氏がどんな人間なのか知れることであった。 最初の直感どうり、熱い熱い人であった。 少年たちは彼からたくさんの影響を受けたことだろう。 私は少年たちに対し、苛立つことも少なくはなかった。 しかし、そういうときは決まって場の雰囲気を明るくしてくれていた。 私が言うより、彼が言うほうがいい場面では、何の打ち合わせをしなくても 彼が諭してくれたりしていた。 少年たちの学びにとっては、本当に彼の存在はラッキーだったと思う。 でも彼の「凄さ」は、2月の中旬に私が同行をお願いしたメールの彼の返信の中に すべて盛り込まれていたように思う・・。 「旅を通して少年たちからエネルギーを受け、これからの自分の人生の糧にしてい きたい。」 これを送信したら、ホテルについている朝食を3人で食べに行く。 U君はじつはコネチカット州の友人のところでしばらく過ごし、 帰国は4月になってからだ。実はその友人はいま旅行中で 20日に帰ってくるまで友人の寮で一人で生活する。 いよいよ本当に一人旅になってしまう。 2日前に巨大なポートオーソリティ(バスターミナル)で切符を買い、 発車ゲートも一緒に確認してある。 なんとかあとは一人でがんばってほしいが、彼のことだから 向こうでもすぐに新しい友人を見つけてしっかりやることだろう。 そしてO君と私は11:50JFK発のノースウエストで帰国する。 成田着は11日の午後4時ごろ、そのあとO君は東京発9時の 夜行バスで京都まで帰り、コンビニのアルバイトに戻る。 今回O君はコンピュータに大変興味関心を示したが、 家にパソコンがないため、インターネットカフェに通うなんて 言い出している。 U君の裏技で昨日の夜、フリーメールアドレスをゲットすることに成功。 (U君はコンピュータにかなり精通している。) これで4人、世界のどこにいてもメールで連絡しあうことができる。 ほんとにインターネットはすごい!!!! さて私にとってこの大陸横断の旅は何であったのか・・・。 実は旅の前に一冊のノートを用意していた。 旅の自由帳だ。 ページを開くと各自のその時の想いが詰まっている。 帰途、それを見ながら、自分の心の正直な部分に問い合わせて まとめを最後、東京からライブメールすることにする。 今、O君が起きてシャワーを浴びようとしている。 私も準備しなくては・・・。 部屋の小さな窓からマンハッタンのビル群が見える。 今日もいい天気だ。 ニューヨーク32番街、スタンフォードホテルから
3/13 東京ふたたび1 七條@坊さん・・帰国して2回目の夜です。 昨日は鼻水、なみだ目、喉の痛み、目の奥の痛み、頭痛・・と 風邪と花粉症と疲労が重なったような症状でダウン寸前でした。 というのも、17歳O君を夜行バスに乗せるまでが大変だった・・。 成田から上野までスカイライナー。 上野でご飯を食べる。 私はひれかつ定食。彼はてんぷら定食。味噌汁がうまい。 彼から「ありがとう」的な言葉が。 私は「ビデオ撮影アルバイト」のことを厳し目に話す。 彼はけっこういい場面を撮り逃がしていた。 暗闇に輝くニューオリンズやリッチモンドの高層ビル街が だんだん近づいて来る様子・・・。 レストランで食べている様子・・・。 飛行機に突っ込まれたDCのペンタゴン・・・。 車の中で寝ていてたのだ。 「体力も必要だなあ~」と言っていた。 このアルバイトが決まってから、 撮影の技術に関する本を読んだり、何か工夫をしたかどうかも 尋ねた。もちろんNO。 単に不登校の少年を勇気付けるような慈善事業と勘違いされては困る。 「仕事」としてアルバイト料も出したわけなので、 私から言いたいことは、はっきり全部言わせてもらった。 これから彼の撮ったテープを元に ロードムービーを作るが、彼にも編集に参加してもらう。 いいものができるとはあまり思わない。 あの横断の旅は一度きり。 本当は「売り」に出せるようなものを作りたかったのだが、 60パーセントのできであれば、よしとしよう。 さて食事をしてから、 インターネットカフェへ連れて行く。 パソコンデビューだ。 彼は飛行機の中では食事を全く取れず、ずっと寝ていたので、 目は冴えているが、腹ペコだった。 私はほとんど起きていたので、睡魔に襲われていた。 彼のバスが9:10東京発の青春ドリーム号。 5000円で大阪まで行ける。 8:20頃までネットカフェにいて、東京駅に向かう。 体はだるく、花粉症の症状で鼻水、なみだ目、それに おそろしい睡魔・・・。 八重洲口のバス停まで一緒に行って、出発まであと20分もあったが、 疲れてる旨を伝え、別れを言い、私は浅草の住まいへ帰って、 鬼のように眠りについた。 ・・・・気がつくと携帯がなっている。時間は10時。表示には「公衆電話」 なんとO君からだ!!! バスに乗っている時間なのにどうしたと聞くと、 切符が明日の予約だったという。なんと私のミスだ!!! アメリカへ行く前に切符を取って、すでに彼に渡してあったのだが バスに乗り込む瞬間まで私も彼も気がつかなかったとはなんたること・・・。 彼は京都でのアルバイトの関係もあり、その夜のバスで帰らないといけない。 次の日の予約の切符はクレジットカードで購入したので、その場での払い戻しは 効かない。そして関西方面へ出るバスで残席があるのはドリーム大阪7号のみ。 私は体に鞭打ち、タクシーで八重洲口へ。2000円もかかった・・・。 そして窓口へ直行し、なんと一番最後の席をゲットできたのだ。(ほっ) 一緒にカレーを食べ(ホントはうどんを食べたかったがカレーしかなかった) 11:20のバスに乗り込むまで今度は見送る。 それからまたひとり浅草まで帰る。・・・体はぼろぼろ・・・。 まとめメールを書く前に、なぜそれが遅れているかと先に書いておきたかった。 応援メールの中である方が書いてくれていた。 「家に帰るまでが旅ですので、最後まで気をつけてください。」 遠足の時、先生が子供に向かっていうセリフだが、実に大切なことである。 次回よりレンタカーでアメリカ大陸横断のまとめに入る。
3/15 東京ふたたび2 七條@坊さん~東京発です。 私の体力回復度80パーセント。 変な時差ぼけが続いており、 10時に寝て、2時ごろ起きる。 また4時ごろ寝て・・・が ずっと続いている・・・・。 コネチカットに行ったはずのU君からは連絡なし。 う~ん、どうしてるんだろう・・・。 京都に帰ったはずのO君からも連絡なし。 彼の家に電話をしたら、(おそらく料金未払いで) 繋がらなくなっていた・・!!!! すぐ編集の仕事が待っていると言うのに・・・。 S田氏もハワイから帰国しているはず。 連絡してみます。 ・・・ということで、 アメリカ大陸横断の旅は終わったのだが、 4人の旅はまだまだ続いていると言った感じである。 今日、横断中によく応援メールを頂いた友人に 電話をした。 同行者として最初にアタックした目黒のK平ちゃんだ。 「すごくインパクトがあり、行かなかったことを後悔した。」 とのこと。 彼の話を受けて、実は今日やっとこのまとめメールを 打っている。 横断中も、たくさんの方からの応援メールのおかげで 実は私もライブメールを打ち続けることができていたのだ、 ということを実感しています。 レンタカーでアメリカ大陸横断ツアー(まとめ) 期間: 2002年2月28日~3月11日(12日間) メンバー: 七條(企画、ナビ、運転、会計、メール配信) (役割)  S田氏(ナビ、運転)       鹿児島U君(運転、会計)       京都O君(撮影、記録、メール配信) 目標(私の場合)①車でアメリカ大陸横断           ②ラスベガス・グランドサークルの体験           ③ライブメールの配信 コース:ロサンゼルス→ラスベガス→グランドキャニオン→モニュメントバレー→ セドナ→ヒューストン→ニューオリンズ→オーランド(ディズニー・ワールド) →ワシントンDC→アトランティックシティ→ニューヨーク     総走行距離約4200マイル(約6700km) 費用:①レンタカー代(アラモレンタカー)     *レンタル代・・約659ドル     (7人乗りミニバン・走行無制限・保険フルカバー・登録ドライバー2名)     *乗り捨て料金・・500ドル     (ロサンゼルス国際空港からニュージャージーのニューアーク空港まで)     一人約40,700円    ②ガソリン代・・約230ドル(15回給油・・燃費一リットル約8キロ)     一人約7,900円        ③宿泊代     2月28日 ハッピーハウス(ラスベガス・ネバダ州)4人一部屋×1・・40ドル     3月1日  ホリデーイン(キエンタ・アリゾナ州)2人一部屋×2・・・120ドル     3月2日  車中泊     3月3日  メゾンデュプイ(ニューオリンズ・ルイジアナ州)                             2人一部屋×2・・・300ドル     3月4日  モーテル6(ゲインズビル・フロリダ州)                             2人一部屋×2・・・60ドル     3月5日  コンフォートイン(エルクトン・フロリダ州)                        2人一部屋×1(ベッド分解)・・86ドル     3月6日  コンフォートイン(リッチモンド・バージニア州)                       2人一部屋×1(ベッド分解)・・77ドル     3月7日  デイズイン(ユニオンシティ・ニュージャージー州)                       2人一部屋×1(ベッド分解)・・99ドル     3月8日  スタンフォードホテル(32stマンハッタン・ニューヨーク州)                       3人一部屋×1(スウィート)・・170ドル     3月9日  前日と同じ                     ・・170ドル     一人約44,400円 旅の費用合計:一人約93,000円 + 食費 + 航空運賃 + 入場料やお土産代など        私の場合だと食費は約4万円              航空運賃は約9万円(ノースウエスト・ワールドバリュー14使用)              (ちなみに若者たちは格安航空券5万円代を使用)              その他入場料など1万3千円                 七條@坊さんの総費用:約 \226,000円
3/17 東京ふたたび3 七條@坊さんです。 ライブメールもいよいよ 最終回を迎えます。 今日はライブメールのまとめを致します。 *配信数:41(この後の2画像を含む) *そのうち  画像配信数:20 *パソコン:東芝ダイナブック       (58ヶ国対応モデム搭載) *プロバイダー:AOL       (世界各国にアクセスポイント有り) *アメリカからの接続例について  1.ニューオリンズのメゾン・デュプイ     4時間接続で75セント(市内通話料のみ)  2.キエンタのホリデイイン・・長距離電話パルスで高額    一時間接続で約30ドル    3.ラスベガス(一泊一人10ドル)は繋がらず *配信先:家族・友人・知人・いくつかのメーリングリスト      概算で1000を超える。      画像配信は約300。 *横断中にいただいた応援メール:137通!!  (約95%にライブで返信済み) たくさんの応援メール本当にありがとうございました。 その中から若者たちにあてたメールをひとつ 紹介いたします。 「O君、U君、二人に。  若者は世界に出て、若者は自分を磨き  若者は良い恋をし、若者は自分に責任を持ち  そして若者は社会に挑み、年を獲っていく。  がんばれ日本男児!!」 これは若者にあてたメールであるが、 誰にもあてはまることではなかろうか・・。 少年たちとの旅の中で彼らが書いた日記を読むと 学生時代に私が日記に書いたようなことを書いている。 ふと、熱く希望に燃えて、社会に対し怒りと不安の 感情を抱いていた、あのなんともいえない 青春の日々の匂いを思い出す・・・。 旅日記から鹿児島19歳U君の文を抜粋してみよう。 「3月9日(NY最後の夜)  さあ、いよいよ別れの時が近づいてきた。  少しせつない。別れの瞬間はいつもいろんなことを感じる。  現代社会では、出会い別れが少ない上に  あいまいなことが多い。  やはり人間はこうゆう基本的な所が大切だと思う。  俺はこういうことを感じるためにも旅をはじめた。  さびしかったり、悲しかったりもしたが良かったと思う。  これからも多くの出会いと別れを体験していこう。  いつも別れの時は様々な複雑な感情のもとに  そんなことを考える。やはり今も・・・。  さあ、あと数時間でみんなとお別れだ。  みんないい日々を。」 ニューオリンズの公園でリスと出会ったあとに 京都17歳O君が書いた日記より。 「続ニューオリンズにて  リスを見た。  あと一メートル。悔やまれる。(リスに触ろうとしていた・・)  ふと思った。  4人の道が交わったとき  この旅は始まった。  ありがちやな~。」 このあとO君の撮ったビデオを元に ①ロードムービー(DVD) ②スライドショー(CDーROM) を作成する予定。 どこかで今回の旅をお話する機会があれば 一緒に見ていただけると思います。 ではあと2つ画像を送って 「アメリカ大陸横断ライブメール」を 終了させていただきます。 長い間ありがとうございました。 2002年3月17日 午前6時28分 東京の自分の部屋にて 七條@坊さん
これからも私の旅は続きます。(若者たちも歓迎!!) 私は基本的に 「アフリカのリズム・・大地の鼓動」をテーマにしたエンターテイナーであります。 活動は旅・音楽・ダンス・写真・メンタルトレーニングと多岐にわたります。 今回は「アメリカ大陸の鼓動」を画像と文のライブという形で表現しました。 次の行き先はまだ未定ですが以下のようなものになっています。 *フィリピン *バリ島 *アフリカ・ケニア *再びアメリカのセドナ・グランドサークル *沖縄宮古島 一緒に行ってみたい方、子供を一緒に行かせたい方などお問い合わせください。
お便りはここ▼▽▼▽
kyoto1966@hotmail.com 七條 正

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